第16話

 ミルディアスの中心には巨大な時計塔が聳え立っている。現在は霧のおかげで肝心の時計部分は霧のおかげで一切見ることはできない。

 その時計塔の頂上には黒いコートを羽織った白髪の壮年男性「ジャックス」は霧の海を肴に煙管を味わっていた。

 そして、手に持っている固定電話の子機のような「糸電話」を耳に当て、この電話の作り手に連絡を取る。


「おい、狼は見つかったか?」


『先ほど見つけたが見失った』


「おいおいしっかりしてくれよな」


 糸の転生者「トーイ」のミスを陽気に笑い飛ばす。

 落胆することない。というのもジャックスはトーイに大して期待を寄せていない。はっきり言うとトーイは転生者の中でも弱い方だ。

 元々、この街はトーイが一人で支配していた。しかし、以前支配していた村を誤って滅ぼしてしまい、安定して人の魂をエーテルに貢ぐことができなくなったジャックスがこの街に流れ着いた。そして、この街を乗っ取ろうとトーイに戦いを挑み、ものの数秒でジャックスの勝利で決着が付いた。

 だが、広範囲に撒ける霧とは言え、街一つを支配するのはかなり困難なこと。


『待て! とんでもない勢いで人形達が駆逐されている!』


 トーイとの思い出していると、電話の奥では宿敵の狼鬼を見つけたトーイが焦り始める。

 今までは人形数体で押さえ込んで相手が鬼神の如く暴れようでなぎ倒しているのだ。焦るのも無理もない。


『こっちに来ている! は、速すぎる!』


 昨日、トーイは狼鬼ではないロウと合い見えた。その時はまだ普通の人間より強いだけの認識であった。

 だが、本気を見せていないのは理解したうえでさらに強くなっていると苦戦を承知の上で今回の決戦に挑んだ。

 しかし、現実は予想の遥か上をいく。


『クソっ! どこだ! 見えない!』


「そりゃあ、霧に紛れているんだろう」


『情報じゃ狼は赤いんだろう! いくら霧の中でも目立つはずだ!』


 焦るトーイのことなど気にも留めることなく、口から煙を吐きながらぶっきらぼうに話す。

 濃い霧の中で物を識別するのは確かに難しい。ましてや高速で動くのなら尚更だ。しかし、いくら何でも赤い肉体の狼鬼を一切視認できないことなどあるか。

 いくら力を持っていたとしてもこの霧の中で視覚外から一撃必殺の攻撃を避けるのは至難の業。そして、

 確実に迫る死という恐怖にトーイは怯え始める。


「なぁ、狼って何だ?」


『呑気に考察してる暇はないんだよ!』


 トーイが怯えようがジャックスは全く気に留めず、口から煙管を吹く。


「俺は霧を操り、お前は糸を操る。じゃあ、狼の能力はなんだ? 身体強化?」


 転生者には人智を凌駕した特殊能力を持っている。例に漏れず、ロウも狼鬼という力を持っている。

 ジャックスはその狼鬼の力にそのものに違和感を抱いていた。


「ただ、思うのよ。それは地味すぎやしないかって。それにただ身体能力が高くてもやれることに限界があるだろう」


『何が言いた……く、来る!』


「俺は考えた。奴の身体強化は能力の一部でしかないのではとな」


 狼鬼が迫ってきているようで徐々にトーイの呼吸が荒くなっていき、声が聞き取りづらくなっていく。緊迫した状況に追い込まれているがジャックスは淡々と話を続ける。


「あいつは他の転生者達とは違い、世界の摂理に反するような能力は持っていない。あくまで生物の延長線上に立っているだけの化け物」


『は、早く教えてくれ! 奴が……うわぁぁぁぁぁぁ!』


「狼の能力の本質は進化だ。今回は霧に適応する体に進化したんだろう」


 結論を自慢げに披露するも電話の向こうからはトーイの声は聞こえなくなった。聞こえるのはただの租借音だけ。

 あぁと溜息を吐く。少しばかり早くアドバイスしていればもう少し生き永らえさせることができたであろう。そうすれば現在の狼鬼の力を測ることができ、この後の戦いを有利に運べたかもしれない。

 捨て駒なら捨て駒らしく最大限に活用すればよかった後悔する。ただ、間に合ったところでトーイが力を測れるほど耐えてくれたかは知らない。

 そんなことを考えながらジャックスは受話器の奥にいる獣に語りかける。


「という訳だ。狼。答えを教えてくれよ。聞いてんだろ」


『そうらしいな。俺もそのことにさっき気付いた』


 受話器から獣の唸り声のような低い声が聞こえてくる。

 狼鬼だ。

 狼鬼も自身の能力を把握していなかった。


『お前はここから東に位置する時計塔にいるな。待っていろ』


「あぁ、迎え撃ってやるさ」


 ジャックスは受話器を投げ捨てると西を睨む。この方角から狼鬼が来るはずだが残念ながら霧のせいで視認することができない。

 確かに目立つ色だろうとこの濃霧の中で素早く動かれては視認するのは至難の業。

 しかし、この霧はジャックスの生み出したもの。自身で自身の首を絞める程愚かではなく、欠陥のある能力でもない。


「半径二十メートル。それが私の間合い」


 この霧はジャックスの体の一部のようなもの。自分よりも離れた霧では何も感知できないが、逆に近づく程、感知しやすい。

 そして、自身から半径二十メートル以内ならばその者の動きは全て手に取るようにわかる。


「……そこか!」


 範囲に狼鬼らしき存在が弾丸のように高速で、一直線に侵入してくるのを感知するとジャックスは戦闘態勢に入る。

 周りの霧がジャックスの左手に集まり、巨大な爪となる。そして、その存在を感じる方向に大きく、そして素早く振り下ろすと霧は刃となって飛ばされる。

 所詮霧は水の粒子。だが、ジャックスはその水の粒子に様々な物を含ませること、性質そのものを変化させることができる。

 例えば毒を含ませ、霧を吸った者を内部から溶かし殺したり、質量を持たせることでまるで鉄のような強度に変化させることができる。

 ジャックスは後者の力を使い、霧を鉄の強度にして刃として飛ばしたのだ

 刃は一直線に進み、霧に紛れる狼鬼に命中する。


「ぐっ!」


 刃は狼鬼の生態鎧を切り裂き、霧に紛れていても見える程の鮮やかな血が吹き出る。そして、宙を跳んでいた狼鬼は体勢を崩してしまい、そのまま地面に落下する。

 霧の刃の威力は高い。鋼鉄の鎧すらも豆腐のように簡単に切り裂ける切れ味であり、いくら身体が強化された転生者でもまともに受ければただでは済まない。

 しかし、相手は未知の力を持つ転生者だ。油断していたらいつの間にか首を刎ねられていたなんて最悪の事態も大いに考えられる。

 ジャックスは街中に撒いていた霧を全て戻す。今まで霧で見えなかった街の全貌が一瞬の内に明らかになる。ジャックスは街のことなど気にも留めず、さっさと時計塔から地面に下り、落下した狼鬼の状態を確認する。


「……どうりで見えないわけだ」


  地面に着地し、ジャックスが視線を向ける先にはクレーターができており、その中心に狼鬼が仁王の如く佇んでいた。

 狼鬼の胸には巨大な三本の傷があり、そこから鮮血が崖から染み出た湧き水のように流れている。特に白い体に赤い血は大変目立っている。


「なるほど……補色か」


 ジャックスはただ笑うしかなかった。

 生物には補色というのもがある。体を背景と同じ色にすることで天敵に気付かれないようにし、厳しい世界を生き抜くための知恵と進化の一つ。

 狼鬼はこの霧の中で気づかれないように体を白一色に変化させたのだ。


「お前はどうして街の人を殺した」


 笑うジャックスなど全く気にもせず、狼鬼はこの惨劇を起こした理由を問いただそうとする。

 すると、ジャックスは笑うこと止め、口を開く。


「人が悶え苦しむ姿を見ているのが好きと言ったらこの外道と怒るか? 病気の妹を救うために仕方なくやっていると言ったら同情してくれるか?」


「何が言いたい」


「お前と俺はただ殺し合う関係だ。どんな理由、正義を掲げてもお互い関係ない」


「……お前の言う通りだな」


 狼鬼は構えを取る。

 どんな事情が背後にあろうとジャックスは無関係の人間を殺したのだ。その行為の根底にあるものが例え正義でも人を救うという大儀であっても「人間を殺す」こという手段の時点で天地が反転したてとしても許されない罪であり、その罰は受けなくてはならない。

 だが、ただの人で転生者を裁くことはほぼ不可能。

 だから狼鬼が裁く。同じ罪を背負い、同じ化け物として死をもって償わせる。それが狼鬼の、ロウの使命だ。


「いい殺気だな」


 狼鬼が発せられる殺気にジャックスは気圧されそうになる。まるでよく手入れされたナイフ、あるいは刀のように研ぎ澄まされたその殺気は近づくだけでも喉をかっ斬られたかのような息苦しさを感じさせる。

 まさに化け物じみた佇まいにジャックスは思わず口角が上がってしまう。


「さぁ、行くぞ!」


 二人は互いに爪を立て、構える。間に張り詰めた空気が流れる。

 そして、先に狼鬼が跳びかかり、ジャックスの首を取ろうと腕から生えている鰭状の三つの刃を向ける。

 確かに素早い動きだが、避けられないものではなく、ジャックスは体を右にひき、紙一重で避ける。

 攻撃が外した狼鬼はすぐさま着地し、体を反転させる。


「次はこちらだ」


 攻撃直後の隙を見逃す程、ジャックスは愚かではない。背後から霧を発生させるとそこから先に刃のついた霧の鎖を撃つ。

 不規則な動きで襲い掛かる鎖を何とか回避しながら狼鬼はジャックスとの距離を詰める。


「甘い攻撃!」


 ジャックスとの距離はわずか数センチ。この間合いならば首を落とすのに時間はかからない。止めを刺そうと首に素早い手刀を決める。


「貰った!」


 横一線に手刀が入り、ジャックスの頭と体は斬り離された。しかし、何故か首は落ちない。その代わりにジャックス自身が霧となって消えてしまう。


「何!?」


「甘いのは貴様の認識だ」


 目の前の状況に狼狽えている中、背後からジャックスの声が聞こえ、咄嗟に振り向く。

 その直後、狼鬼の体に無数の霧の弾丸が撃ち込まれる。狼鬼の体は鋼のように固いはず。だが、霧の弾丸は狼鬼の全身にまるで粘土に竹串を刺すように簡単に穴を開ける。


「ク……は……」


「それはダミーだ」


 開いた穴から間欠泉のように血を噴出しながら狼鬼はジャックスを睨み、膝をつく。

 狼鬼の約二メートル後ろにはジャックスが右人差し指を向けていた。その指の先からは硝煙のような霧が立っていた。


「たかが霧ではあるが中々の威力だろう」


「あぁ……認めるよ」


 足元にできた血の水溜りを見て、狼鬼は本気で死を覚悟する。

 狼鬼の力は無敵とカウラスから教えられていた。現にカルベーラとトーだが、イという転生者を一方的に葬っている。だから、ジャックスも簡単に倒せると高を括っていた。

 しかし、今は狼鬼が押されている。ただ圧倒的な力にかけただけの強さでは洗練された力には歯が立たない。

 自分の素の弱さを痛感する。だが、諦めてしまえばそれは死を意味する。かといってこのまま闇雲に立ち向かっても返り討ちに遭いどのみち死ぬ。

 圧倒的窮地に立たされ、死に物狂いで活路を模索する。


「もう終わりか? ならば死ぬがいい」


 ジャックスは一度、狼鬼との距離を取ると、容赦なく霧の弾丸を連射する。

 避けることのできない弾幕が目に前で展開され、狼鬼は手も足も出なくなる。

 死が迫っている中、狼鬼は一つの疑問が生まれた。

 何故、ジャックスは弾丸を近距離から撃ったのか。そもそもどうして距離を離さなかったのだ。

 いくら気を逸らしていたとしても僅か二メートル程度の間合いなら狼鬼の反応が間に合っていた可能性もあった。おそらくその反応の良さを危惧して、敢えて格闘戦を挑まず、距離を詰めなくても攻撃できる銃撃戦に持ち込んだのだろう。

 それならば始めから距離を離せば、リスクはさらに低下するはず。

 それともただ単に距離を離せない状況だったのか。


「……もしかして」


 瞬間、狼鬼の脳に一つの可能性が閃いた。

 この可能性が事実であればまだ勝機はあった。

 ただし、勝機を掴むにはそれなりの賭けを踏まなければならない。

 だが、このまま何もしなければただ死ぬだけ。ならば、答えは一つしかない。


「何!? 突っ込んでくるだと!?」


 ジャックスは唖然とする。霧の弾丸の威力はまさに痛感したはず。しかし、それでも狼鬼は弾幕を中に突っ込み、駆け抜けた。

 弾幕をくぐり抜けた狼鬼の体には無数の風穴が開き、背後の景色がくっきりと覗ける。白い体も血で赤く染まっていた。瞳も潰れ、赤い涙が頬を伝っている。


「くっ!」


 決死の覚悟で迫る狼鬼から逃げようとジャックスは霧を纏う。

 だが、飢狼の如く生きることに、勝利に飢えた狼鬼からは簡単に逃れることはできない。


「はあぁぁぁぁぁぁ!」


 絶叫と共に狼鬼は腕の刃をジャックスに振り下ろす。

 その攻撃をジャックスは右腕で受けとめる。

 すると、右腕は跳ねた魚のように宙を舞い、切り口から多量の鮮血が吹き出る。


「ぐぅぅぅぅぅ!」


 意識が飛ぶような激しい痛みに泣き喚くことも、叫ぶこともせずジャックスは歯を食いしばって何とか耐える。


「俺はてっきりお前が自分の体を霧にすることができると勝手に思い込んでいた。でも、違った。……そうだろう!」


「そうだ。俺は転生者っていう生き物だからな」


 転生者は確かに常識を逸脱した能力を持つがそれでも根本は生物だ。超回復能力や筋力、高い免疫力などがあっても肉体そのもの別に物質に変化させることはできない。

 そんなことをやってのける存在がいるとすればそれは正に神の所業だろう。


「……最悪だ。俺はお前の間合い入っている。これは俺が非常に不利だ。だが、まだ希望はある。利き手の左腕が健在で、お前は死にかけのがな」


 二人の距離は一メートル未満。

 本来ならば狼鬼の間合いであるが指一本すら動かすのがやっとと言えるほどの状態では間合いも何もない。

 対するジャックスは特異とする間合いで何もののまだ利き腕の左腕が残っているためやれないことはない。


「この一撃で……終わらせるぞ。狼鬼」


 二人は腕を振り上げ、体を低く構える。

 二人に余力はない。これ以上の戦闘は不可能であり、次に繰り出す一撃で仕留めなければ勝敗はつかないだろう。


「あぁ」


 狼鬼は右腕を横水平に構え、鋭い爪を立てる。

 ジャックスは左腕に霧を纏わせ、巨大な爪を作る。

 最後の一撃は腕っぷしで決まるといわんばかりに腕に自分の全力をこめる。

 二人の間に緊迫した空気が流れる。指一つ動かすことも容易にさせない凍りついた空気。

 

「ハア!」


「でぃやぁぁ!」


 そして、その凍てついた空気を切り裂くように両者は同時に動き出し、巨大な腕を振り下ろす。

 爪は交えることなく、互いの肉体を切り裂く。そして、両者は傍らを通り過ぎ、背中合わせになる。

 静かなこの場所に両者の荒い呼吸だけが響く。


「グハっ!」


 まず始めに膝をついたのは狼鬼であった。ジャックスに霧の爪が狼鬼の首を裂き、多量の鮮血が吹き出る。


「見事……だ」


 だが、狼鬼は膝をついただけ。

 ジャックスは左肩から斜め下に深い切傷。これ程の大きな傷をつけられたのはジャックスにとって初めてであった。

 斬り口から上半身がゆっくりとズレていく。

 ジャックスは全力で狼鬼を斬った。しかし、それを上回る力で狼鬼はジャックスを斬った。例え、死ぬとしてもここまで圧倒されると憎しみよりも賞賛の感情が勝ってしまう。

 ジャックスは潔く敗北を認め、清々しい笑みを浮かべる。そして、上半身が完全にズレ落ちると地面にべチャリと気持ちの悪い音を立て、呆気なく死んだ。

 

「ハア……ハァ。ギリギリだった……本当に危なかった……」


 狼鬼にとってこの勝利は奇跡でしかなかった。

 いくら超回復能力があっても首を斬り落とされれば流石に死ぬ。

 今の狼鬼はまさに首の皮一枚で繋がっている状態。ジャックスの爪がほんの数ミリ深く入っていれば、完全に首が落ちていた。


「でも、倒せた……。俺は生きているんた!」


 気を失いそうな程の痛みを感じ、逆に安心する。死んでいたら痛みなと感じていない。生きているからこそ痛みを感じるのだ。

 今は生き残った喜び、強敵を倒した達成感をただ噛み締める。


 だが、戦いに夢中になっていたために、まだ知る由もなかった。


 この街にはもう希望も何も残されてないことを。


 狼鬼が戦った意味は限りなく薄いということを。

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