第13話
四肢に残る痺れを耐えながらロウは重い足取りで道を歩いていた。
今回の敵は二人だ。いくら狼鬼の力があるとは言えど、同等の力を持つ複数の敵を相手にするのは油断ならない。
ましてや、霧の転生者は正体も詳しい能力もわからない。
対策も無しにやりあえる相手でも状況でもない。念入りに準備を行い、再び合い見えなくてはならない。
そして、狼鬼の力を使う為に誰かを犠牲にしなくてはならない。ただでさえ、ダメージを負ってナイーブになっているロウの心がさらに影を落とす。
人を食うのはかなり辛い。独特の鉄の味と悲しみを味わのはかなりの苦痛だ。例え、人を救うことに繋がってもだ。
「さて、さっさと戻らないと」
考え事にふけっているといつの間にかに宿の前に着いていた。
気怠そうに腕を回し、扉を開け、宿へと入る。
「ハァハァ……」
「やだ……」
扉の閉まる音が荒い息づかいの中に混じる。
ロウの目の前では中肉中背の男がキャシーの上に馬乗りになっていた。
男は服こそ着ているがズボンは乱雑にその場に投げ捨てられ、盛り上がった下着が嫌でも目を引く。そして、舐めまわすように下着姿のキャシーを凝視していた。
「ロウ……さん」
ロウの存在に気付いたキャシーは潤んだ瞳で見つめる。まるで助けを訴えるかのように。
キャシーの状況はあまりにも酷かった。破かれた服の繊維が周りに散らばり、白いきめ細かな肌には引っ掻き傷。そして、顔面に付着している粘度のある白い液体。
ロウは間違いなくこの問題には関係がない。だが、どんな訳があろうと絶対に見過ごせない問題はある。
女性、否、人間としての尊厳を踏みにじるような輩は許すわけにはいかない。
「何だお前?」
「俺は宿泊客だ。いても問題はないだろう」
男はロウを見るや、邪魔をするなと睨み付ける。その目はまるで好物のから揚げを兄から守ろうとしている弟みたいである。
「はは! こんなボロい宿に泊まるなんて物好きだな」
「玄関先でおっ始めるあんたも大概だろ」
男の言葉がロウの癇に障る。確かにこの古臭い宿に進んで泊まるロウ自身も変わっているのは気付いている。しかし、玄関先で性行為に及ぶような猿同然の節操のない男には言われたくなかった。
「やるなら俺の見えないところでやれ。豚」
「ぶ、豚だと!?」
男は体型を気にしているのだろ。最大級の侮辱をかけられ、男は正に豚のように鼻息を荒くし、顔を真っ赤に怒りを露わにする。
そして、理性を捨て、無駄な肉の付いた柔らかい腕を振り上げ、ロウの頬を殴る。
「ロウさん!」
「重いな……」
殴られら衝撃でロウは尻餅を付く。頬に鈍い痛みが残り、口内から少量の血が流れる。
いつもならこの後、男を返り討ちにするだろう。さらに心を踏みにじる外道ならば喜んでだ。しかし、今のロウは戦闘後でダメージが残っている。手負いだから男に敵わないという訳ではない。上手く力を制御出来ず、誤って男を殺しかねない。
人を守るべく戦っている存在がいくら人でなしとは言え人を殺すなど元も子もない。
「あんた。俺に暴力を振るわせるな」
口元の血を拭い、男を睨む。
「何だ! 怖気づいたか」
抵抗の色を見せないロウを見下した男は調子に乗って、ロウの顔面を何度も蹴る。
男にとって今のロウは敗北を察し、無様に腹を晒した猿にしか見えない。だからこそ痛めつけるのだ。どちらが上を体に刻み付けるため。
だが、それは滑稽な姿でしかなかった。ロウは反抗できないのではなく、しないだけ。
今の男は人形の観客を前に人形相手にアクションをする売れないスーツアクターのよう。
「……馬鹿は死なないと治らないか!」
忠告を聞かない男に苛立ったロウは脚を掴み、男をひっくり返す。
後頭部を強打し、男は頭を押さえてその場で蹲る。
「お前……抵抗しやがって」
沸点に達した男は立ち上がって、再びロウを殴ろうとする。しかし、ロウの酷く冷たい目は男の熱を奪う。
男の本能が警鐘を鳴らす。ロウを怒らせては不味いと。ロウから発せられる獰猛な肉食獣のような狂気と殺気には鈍い男でも気づかされる。自然と畏怖し、男の動きは氷像のように固まる。
「早く行け。お前と争う暇も余裕もない」
ロウは至極普通のトーンで吐き捨てるように言う。
しかし、男にとってロウの言葉には確かな重みがあった。言う通りにしなければ確実に殺される。余計な手間をかけられず、簡単に首を落とされる。男の勝手な想像ではあるが、そう想像させられる程の重さがあった。
「チッ」
結局、男は舌打ちをし、逃げるように宿から飛び出していく。
開けっ放しのドアから霧が流れ込む。ロウはその扉をゆっくりと閉める。
「あの……」
「すまない。今は一人にしてくれないか」
キャシーは礼を言おうとロウの傍に近寄る。
しかし、ロウの体力は底を尽きかけている。たかが感謝の言葉を聞いている時間があるなら休息を取り、作戦を練り、転生者との戦いに備えたかった。
ロウはキャシーの横を通り過ぎ、部屋へと戻っていった。
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