第12話

 ロウは一寸先すら見えないの霧の中で屋根から屋根へと軽々と跳び移りながら移動する。その姿はファンタジーに登場する忍者のよう。


「どこにいる転生者!」


 鷲と同等の視力とコウモリと同等の聴力を駆使し、霧を起こしているであろう転生者を探す。

 ガスマスクを着用しなければ外に出歩くことすらできない毒性の霧。晴れることないという自然現象を逸脱したこの霧は人為的に起こされたものと考えてもおかしくはない。

 だが、産業革命時代のように工場から排出された煙ではない。ある日、何事もなく発生し、この町を覆った。


「来たか!」


 ロウは気配を感じた方向に目を向ける。だが、霧のおかげで姿は見えない。


「何!?」


 気配のした方向に進もうとしたその瞬間、ロウの右腕が簡単に切り落とされる。まるでかまいたちに切られたかのような鋭さと速さであった。

 斬られた腕は鈍い音を立てて地面に落下。切り口からは噴水のように鮮やかな鮮血が吹き出る。


「斬られた!? 何に!?」


 空中でバランスを崩し、ロウは硬い地面に落ち、クレーターを作る。

全身が張り裂けるような痛みに歯を食い縛りながら、ロウは立ち上がり、上を見る。そこには当然のように宙に浮き、ロウを見下ろすフードを被った人間がいた。


「あれ? こいつ腕を斬られても死なないぞ」


「お前が俺の腕を斬ったのか!」


「勘が鋭いね」


 低い声質から相手は男と伺えた。

 男はフードの奥で光る瞳でロウを不思議そうに見る。


「ねぇ。どうしてガスマスクを着けてないのに平然としているの? 普通ならもがき苦しんで死ぬはずなのに」


「俺は無駄に生命力が強くてな」


「気持ち悪い体だ。普通の人間なわけないね」


「そうだ。お前と同じ転生者だ」


 表情は見えないが、微かな体の揺れで驚いていることは見抜くことができた。


「そうなのか。なら僕らは同志なはずだ。殺し合う必要は薄いと思うけど」


「普通はそうだろうが、俺はお前達の悪事を許せなくてな」


「立派な理由だね。尊敬するよ」


 ロウの信念を聞いた男は鼻で笑う。そして、精神を逆撫でするかのように大袈裟に拍手する。


「おや? 拍手が少ない気がするね。こんな立派な馬鹿をもっとたくさんの人に見てもらわなくちゃね」


 不気味な笑い声を発しながら、フードの男は指を動かす。

 すると、霧の中から人間が現れる。


「……なんだこれは!?」


 ロウは現れた人間に不気味さを感じる。

 およそ生気が感じられない佇まい。

 人間はこっちに向かってはいるが歩いてはおらず、跳ねていた。跳ねる度に力なく垂れている四肢は不規則に揺れる。

 まるで糸に吊られた操り人形のようだ。否、上の方を見るとうっすらと光る糸が人間を吊っていた。


「お前は……糸を使う転生者か!」


 ロウが能力を言い当てると男はご名答と指を鳴らす。

 確かに細く硬い糸であれば、気づかれずに腕を切り落とすことは可能だ。

 しかし、ロウにとって男の能力は大誤算であった。

 てっきり、霧を操る能力を持っているかと思っていたが違った。ならば、この霧は何なのか?

 この霧が晴れない限り、この町に平穏と自由は訪れない。

 

「僕の操り人形さ。どう? 美しいだろう」


「お前! 人間を何だと思っている!」


「玩具だよ」


「この下衆が!」


 ロウは拳を強く握り締め、男を睨み付ける。

 人間を、命を玩具と軽視することが許せなかった。


「君は蟻を愛でるのかい? ゴキブリを愛でるのかい?」


 しかし、ロウの倫理観など男には通じない。

 優れた転生者にとってはただの人間は劣等生物でしかない。ただ気のままに淘汰し、痛めつけるだけの存在。

 そんな存在を愛すどころか気にする価値すら男にはなかった。


「貴様!」


「片腕で僕に挑もうなんて愚の骨頂」


 怒りを露にし、殴りかかろうとロウは立ち上がるも四方から操り人形が飛び出し、ロウを地面に押さえつける。

 糸で吊られているため人形自体には力はないかと思っていた。しかし、予想よりはるかに力強く、払い除けることができない。


「さぁ、やってしまえ!」


 ロウはそのまま操り人形に右腕を除く四肢を引っ張られる。


「や、やめろ!」


 ロウの抵抗虚しく、人形達は枝に実った果実を収穫するように四肢をもぎ取る。


「ぐあぁぁぁぁ!」


 四肢から多量の血が流れ、水溜まりを形成する。


「無様だね」


 男は痛みによるショックで不規則に震えるロウを見下ろす。

 今のロウはまるで興味本意で足を奪われた蟻のようだ。哀れみは一週回って、滑稽へと変わる。


「さて、このままだと辛いだけだよね。今、楽にしてあげる」


 抵抗すらできないロウに男はナイフを向ける。

 そして、首目掛けて躊躇なく振り下ろす。


「何!?」


 刃先が首に触れるや否かの僅かな距離でピクリとも動かなくなる。

 男は自らの手首に目をやる。思わず目を丸くする。

 手首には弾力のある赤い糸のようなものが絡みついていた。

 自分が出した糸ではないのは明白。一体何処から出ているのだろうと糸の大元を辿ろうと視線を移す。


「何だと!?」


 恐怖で男の声が震える。

 赤い糸はロウのもぎ取られた右腕の切り口から伸びていた。

 糸という説明はもう正しくはない。男に絡み付いているものはロウの血管であった。


「気持ちが……悪い!」


 吐き気を催す嫌悪感を抱きながら、絡みつく血管を解こうとする。

 その間にロウの体から血管が伸び、もぎ取られた腕と脚に繋がる。

 そして、血管は繋がった手足を引っ張り、それぞれ失った部位に結合する。


「流石に動き辛いか」


 結合した際に現れた合わせ目はものの数秒で消えてなくなる。

 元の脚に戻ったロウはおぼつかない足取りで立ち上がる。そして、男を拘束していた血管を解き、体に戻す。その直後、左の拳で男の顔面を殴り、後ろに勢いよく飛ばす。


「まだ、力が入りにくい」


 まだ修復が完全に終わっていない左腕には多少の違和感が残っている。

 だが、その違和感もどうせ消えるだろうと気にするのをやめる。

 そして、右腕から血管を伸ばし、傍に落ちていた右腕に伸ばし、同様に結合する。


「この……化け物が!」


「お前には言われたくないよ。特にそんな顔でさ」


「貴様!」


 確かにロウの体は化け物同然だ。自身でも気持ち悪いと憎む時もある。

 だが、平気で人を見下し、玩具のように殺す男の精神の方が余程化け物らしい。そんな男にだけ馬鹿にされれたくはない。

 何よりだ。殴った衝撃で外れた際に露わになった男の顔は酷い有様なのだ。

 右斜めに何やら刃物で斬られたような傷に、切り傷によって爛れた頬。その恐ろしい形相こそ化け物に相応しかった。


「もういい! 貴様は俺の糸でバラバラの肉塊する」


「悪い。食われるのはお前だ」


 互いの全力をぶつける死闘が繰り広げられようと睨み合い始まったその時、男の表情が突然引きつり始める。ロウに恐れをなしたというわけではない。

 言うなれば背後から幽霊のような恐怖を与える存在が迫っているようだ。


「何……引けと言うか」


 男は誰もいない方向に視線を向け、ぎこちない相槌を打っていた。

 傍から見れば幻覚と話している危険な人間にしか見えない。


「命拾いしたな。化け物」


 すると、男は一方的に負け惜しみを吐くと周りから霧が現れる。そして、深い霧に包まれるとあたかも霧の一部になったかのように消えてなくなる。


「……危ないところだった」


 

 塞き止めていた緊張が濁流のように押し寄せ、ロウは地面にへたり込む。

 男の前では余裕綽々としていたが、あのまま戦っていれば間違いなく苦戦を強いられ、挙句には敗北していたであろう。

 ロウの四肢は完全には動かせない。それにいくら弱点である顔を見られ冷静さを欠いていたとはいえ、転生者相手に狼鬼の力なしでは勝てる見込みは薄い。狼鬼を使うにしても周りには人がいない為、生命エネルギーを確保できない。男の操る人間は既に死に絶えている為、生命エネルギーは得られない。


「それにしても、厄介だな」


 見えない霧の先を凝視しながら、ロウは頭を抱える。

 男の能力は糸であり、霧に関しては全く関係がなかった。ならば、この霧は何のか。本当に自然発生したものかと男との対面中に考えた。

 だが、男の最後の様子を見る限り、当初の予想は当たっていた。ただ、ロウが勝手な思い込みをしていたせいで気付くのに時間が掛かったのだ。


「この町にはあの男ともう一人、霧を操る転生者の二人がいるのか」


 額から汗が流れる。

 狼鬼の力が絶対的であろうと転生者二人を相手にするには分が悪すぎる。

 有利に戦うには一体どれほどの命を食らえばいいのか。考えただけで心が息苦しくなる。


「……取りあえず戻らないと」

 

 ここで考えても危険に晒されるだけだ。

 一旦、宿に戻り、肉体を万全の状態にしなければ戦うことすらできない。

 ロウは重い腰を上げ、宿へと戻る。

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