第10話

 部屋からの見下ろすミルデアスの景色は最悪の一言であった。濃霧のあまりの濃さで道路すら見えない。

 

「本当に変わった街だな」


 部屋に備え付けられていた冷蔵庫から冷えた水を取り出す。突き刺さるような冷たい水を喉に流す。

 この街に到着して既に半日以上経過しているにも関わらず一向に霧が晴れない。明らかにおかしい。いくら産業的要因が混じっているとは霧が晴れないなどありえない。

 何かしらの超常的要因でも噛んでいるのかと疑わざる得ない。


「もしかして……転生者の仕業か?」


「あのそろそろ夕食の時間なのですが」


「あぁ。すぐに行く」


 扉の向こう側からキャシーの声が聞こえる。

 時計を見ると短針が六を指していた。夕飯を摂るには丁度いい時間だ。

 ロウは足早に一階の食堂に向かう。

 食堂は広くも狭くもない。蝋燭によって茜色に照らされており、視覚的に暖かさを感じる。


「蝋燭が灯りとは粋だね」


「電気代が勿体ないという理由で始めたのですが、いざやってみたら温もりが感じられてずっと続けています」


 キャシーと談笑しながらロウは料理が乗せられたテーブルへと向かう。


「これはあなたが作ったのか」


 テーブルに並べられた料理はお世辞にも豪華な物とは言えない。煮魚やみそ汁といった家庭的な料理であった。


「はい。あまり豪勢な物でなくてすみません!」


「いいさ。俺はこういった人の温かさがある料理は好きだ」


 だが、ロウにとっては見た目を重視し、意味のわからないソースなどがかけられた豪勢な料理よりもその家庭によって味付けなどが変わり、何より愛情のこもった家庭的な料理の方が好みであった。


「うん。やっぱり上手い」


 いただきますと幼い頃から言いつけられてきた礼儀を執り行い、煮魚を一口だけ運ぶ。口の中に甘辛い照り焼きの味が広がる。

 懐かしいという感想が思い浮かぶ。もう、遠い昔のことで詳しく覚えてないが母が作っていた煮魚もキャシーの作る物と似ていたような気がする。


「本当ですか!」


 キャシーの天真爛漫な笑みに見ているこちらまで笑顔になってしまう。


「なぁ、あなたは食べないのか?」


「私は一応、従業員ですから」


「一人で食べるよりも誰かと一緒に食卓を囲んで食べたほうが美味い。そう思わないか?」


「それはそうです!」


「ならさ」


 少々、強引なやり方ではあるが何とか一緒にしようと誘おうとする。

 ロウは人に飢えていた。この世界に来て、久しぶりに人と触れ合い、その暖かさと喜びを思い出していた。もっと人と触れ合いたいという純粋な願いがロウにはあった。


「そういえばお客様はどうしてこの街に?」


「旅の途中で立ち寄っただけさ。後、お客様よりロウって呼んでくれないか? あまり堅苦しいのは好きではなくて」


 客とそれをもてなす従業員という関係を考えればそれではロウさんで


「それでどんな理由で旅を?」


「ちょっとした人助けだよ。ただ宛もなく放浪して、その先々に立ち寄った場所で困っている人が助ける」


「なんか……すごいですね。本当にそんな正義の味方みたいな人がいるなんて」


「いや……すごくないよ」


 キャシーが尊敬の眼差しを向けてくる。そんな眼差しがロウの心に痛いくらいに突き刺さる。

 確かにやっていることは正義の味方のようだとロウ自身も思っている。しかし、代償として他人の命を食らっているという事実を伏せれば。


「これは?」


 キャシーの眼差しに気まずさを感じ、ロウは目を逸らす。逸らした視線の先に写真を見つける。その写真には幼い頃のキャシーと優しい笑みを浮かべた同い年くらいの青年。その後ろには両親らしき男女二人が写っていた。


「私の家族です」


 キャシーは寂しそうに呟くと、徐に語り始める。


「ご家族は今はどこに?」


「両親は他界してしまい、兄は夢を追って家を飛び出しました」


 失礼なことを聞いてしまったとロウを後悔する。家族の失う悲しみをロウは痛いほど知っている。

 気まずそうに視線を逸らすロウにキャシーは気にしていないと言わんばかりに笑みを浮かべる。


「兄もあなたのように正義感が強い人でした」


「そう……なのか」


「困っている人を助けたい。弱い人を助けたい。その為に弁護士なるって言って、私の前からいなくなってしまって……」


 誰かを守りたい、救いたいという願いの為に夢を追うことは大層立派なことなのだろう。しかし、ロウは一つだけ理解できない部分がある。


「お兄さんの夢は……君を一人にしてまで追うものなのかな……」


「ロウさん……」


「君には失礼を承知で言わせてもらう。確かに夢を持つこと、追うことは立派なことさ。でも、たった一人の家族を残してまで追うのは少し自分勝手に思える」


 ロウにとって夢に価値などないと思っている。将来という不確定要素の多いものを目標に生きることなど綱渡りのように不安定なものだ。

 ロウにもかつて夢があった。警察官になって人々の自由と平和を守りたいという夢が。しかし、その夢は突如引き起こされた核戦争によって奪われた。


「夢は余程のことがないかぎりいつでも追える。でも、家族はずっといるわけではない。大切にしなくちゃ……何よりも」


 そんな不安定なものを大事にするよりも唯一無二の家族を大切にしたほうがいい。家族を失ってから親孝行すれば良かった。妹の話をもっと聞いておけばと後悔しても遅い。失ったものはもう戻ってこない。

 それに比べて、夢は余程の環境の変化がなければ死ぬまで終えるものだ。なら、どちらを優先するかは決まっているようなもの。

 しかし、これはあくまでロウだけの考えである。


「ロウさんは夢はあるんですか」


「……そうだな。俺には夢なんてない。だから、お兄さんのことを言える立場なんかじゃない」


 キャシーはロウの考えは理解はしている。だが、夢を持たない人間に魅力はあるのか。家族を愛し、大切に思うことは当たり前のことのようだが、難しく思えない人間も少なからずいる。それを平然と説けるロウは十分素敵な人物だろう。

 しかし、キャシーの価値観では多少、家族を疎かにしても夢を追う兄の方が尊敬できる。


「夢よりも家族を思うロウさんも素敵だと思います。でも、夢を追う兄も同じくらい素敵なんです」


 しかし、尊敬はできても心の中に巣くう寂しさを隠すことはできない。


「両立って難しいのですかね……」


 今にも消えそうで揺らめく燭台の炎を見つめながら、キャシーは静かに呟くのであった。

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