第8話

 村に暖かい風が吹き渡る。

 まるで春が来ることを伝えるかのように。


「村長、どうかしましたか?」


「山の雲が晴れていく!」


 愛する孫、エマが行方不明になり、先程まで慌てふためいていた村長がいつの間にか茫然と立ち尽くしてた。

 老人が発した声とは思えない程の大声量の驚きの声が村中に響き渡る。その声を聞きつけ、村人達は続々と広場に集まる。

 そして、カルヴェーラが現れてから山頂をずっと覆っていた雲が段々と晴れていく様を眺める。


「これは!?」


「魔女がいなくなったの!?」


「逃げたのか?」


「まさか!」


「倒したとしたらエマが?」


「そんなはずが……あの旅人がやったのか?」


 雲が消えたことで村民達の間に様々な憶測が飛び交う。

 あの雲はカルヴェーラの強すぎる魔力の副産物。いわば、搾りかすのようなもの。それが消えかかっているということは魔女が一緒に消えたということ。それが果たして、場所を移しただけか、存在そのものが消えたかどうかはわからない。

 だが程なくして、村人達は嬉しくも辛くもある真相を知ることになる。


「お母さん!」


「パパ! ママ!」


「息子か!」


「おい! 子供達が帰ってきたぞ!」


 小高い丘からカルヴェーラに捉われていた子供達が駆け足で村に向かってきていた。

 最悪の場合、二度とその愛おしい子供に会えないと覚悟していた親達にとってこの上ない安心と幸せ。一秒でも我が子を抱きしめようと親達も駆け足で子供の元に向かい、固い抱擁を交わす。


「良かった! 怪我はない?」


「うん! 大丈夫だよ」


 感動の再会が行われている中をロウは脇目も振り向かず、歩みを進める。

 

「あなたが子供たちを助けてくださったのですか!?」


 子供達の後に現れたロウを見て村人達は確信する。ロウが子供達を救ったのだと。

 村人達の視線が一気に暖かいものに変わる。すると、村人の一人がロウの傍に駆け寄り、礼を言おうと声をかけるもロウは一つも反応を示さない。

 ロウはそのまま歩き続け、村長の目の前まで行くと、やっと足を止める。


「旅人様! あなたが子供達を救ってくれたのですね! 先ほどの無礼を誤まらせていただきたい。そして、心から感謝を申し上げます」


 村長はロウに感謝と非礼の為に頭を下げる。だが、ロウは全くと言うほど反応せず、無言のまま俯いている。

 胸を張っていいことをしたのだからもう少し、堂々とすればいいと村長は思った。酷く余所余所しいロウを見て、違和感を覚える。そして、その違和感に気付くのはそう時間がかからなかった。


「そういえば、エマは何処に行ったのか知りませんか?」


 エマのことを聞くと、体をピクリと跳ね、やっと反応示す。。

 そして、やっと発した声は酷く震えていた。


「……あいつなら……逝ったよ」


「はい?」


「その証拠にさ」


 ロウは震える手で腰巾着からエマの美しいくらいに真っ白な遺骨を取り出し、村長に渡す。


「エマの遺骨だ。供養してやってくれ」


「な……何故!? こんな姿に!?」


 エマの遺骨を手に取るや村長は表情を絶望に膝から崩れ落ちる。


「食ったんだ……あいつを」


「……何を言う……」


 村長は魚のように口をパクパクと動かす。


「俺は人間を食わないと全力を出せないんだよ……」


 ロウは拳を強く握りしめる。拳の中から血が滴る。

 何が尊い犠牲だ。力を使う為の道具として利用しただけだ。


「ふざけるな! エマ姉ちゃんを返せ!」


 後頭部に小石が投げつけられ、ロウはゆっくりと振り向く。

 そこには涙を浮かべ、ロウを睨み付ける少年がいた。その脇では母親が少年を必死に引き留めていた。


「お姉さん……死んじゃったの?」


「そうよ! あいつが無能なばかりにな!」


「でも、私達を助けてくれたよ?」


「それは……」


 村人達から非難と感謝が入り混じった視線がロウに向けられる。

 エマは言っていた。この村に住む人達はみんな家族のようなものだと。

 当然、家族と同等の存在が目の前にいるロウのせいで死んだと聞けば怒りが生まれるのは確かだ。しかし、彼が勝たなければよりたくさんの犠牲が出ていたのは明白だ。最悪、子供がみんな死んでいた可能性もあった。

 それなら一人の犠牲で済んだと言えば聞こえは言いだろう。しかし、人だ。数だけで感情を割り切れる程、単純な思考しない。


「何故だ! 何故、子供達と一緒にエマも救えなかったのだ!」


 村長は悔しそうに歯を食いしばり、震える拳を振り挙げる。


「……済まない」


 ロウは何も抵抗せず、村長の怒りを受入れ、詫びを一つ入れる。

 腹が煮えくり返るほどの怒りと憎しみが村長にはあった。今ここで、ロウを惨殺したいと思うほどの深い思いが。

 だが、ここでロウを殺してもエマは帰ってこない。ただ、自分の気が収まるだけ。否、それすらない。ロウはエマを救えなかっただけで子供達を全員救ってくれた。

 何も出来ず、ただ指を咥えて傍観していただけの村長と一人の犠牲を払いながらも子供達を救ったロウでは果たして、どちらが正義で勇敢か。無論、ロウだろう。

 村長にロウを殺すことも殴りかかる義理など一つもなかった。


「村長! こんな奴はここで殺しましょう!」


「そうよ! エマを犠牲にしたこんな野蛮人なんて生きている価値はないわ!」


 しかし、子供のいない村人達はロウを憎み、殺そうと提案する。その者達は救世主を望んでいた。誰も犠牲を出さず、誰も苦しませることをしない完全無欠な正義の味方としての救世主を。

 その望みから考えれば、ロウは意にそぐわなかった出来損ない。村の人間にとって全てを守れない出来損ないに価値など見い出せるわけがなかった。


「でも、あの人は子供達を救ってくれた!」


「僕達だけでは子供達を救えなかった。僕達に彼を責める権利はあるのか!」


 一方で子供を持つ村人達はロウの肩を持った。

 替えの効かない子供を救ってくれたロウは感謝してもしきれなかった。いくら、家族同然のエマだろうと価値に関しては実の子に勝ることは絶対ない。


「だからと言って許していいわけが!」


「でも、殺すのは違うだろ!」


「止めんか!」


 村人達が衝突し始めたその時。村長は圧のある怒号で場を鎮める。


「一つ問いたい! エマは自ら命を投げ打ったのか?」


 村長はロウの肩を握り潰すかの如く、強い力で掴む。


「……あぁ。おかげで子供達が救えた。立派で愚かだったよ。……本当に感謝しかないさ」


 ロウは嘘を交えることなく、震える声で真実を伝える。


「そうか……」


 ロウの言葉を聞いて、村長は肩から手を話す。だが、表情にはまだ怒りが残っていた。しかし、エマは他人の為ならば命をかけられるような蛮勇な人間だと知っていた。


 そして、ロウは好きでエマを手にかけたわけではない。現に今にも罪の重さで押し潰されそうな姿を見れば嫌でも察してしまう。


 許してやらねばならないのだ。少なくともエマの覚悟と犠牲を無駄にしたくなければ。


 しかし、村長は様々な経験を積んだ老人だが、それでも人間だ。全てを許し、憎むことを止めることはできない。


「夜明けまでにこの村から出ていけ。それまでならお前を殺さないように耐えてやろう」


「……恩に着る」


 十分な行為だ。殺されないだけマシだとロウは思った。

 村長の些細な厚意にロウは礼を言うと、重い足取りで村を後にする。

 村人達ば哀愁漂うロウの背中をただ見送ることしかできなかった。


◇◇◇


 いつの間にか村が見えなくなるくらいロウは歩き続けていた。離れれば離れる程、枷がロウを引っ張り、底なし沼へと誘っていく。


「何が……救世主だ! わかりあえた友達を殺して!」


 ロウは叫ぶ。後悔と不甲斐なさを吐き出すように。


 救世主という肩書がここまで重いとは思っていなかった。人を食らうということがここまで苦しいことを初めて知った。


 前の世界とは違う。この世界は転生者の存在があるとはいえ、根本的には平和なのだ。混沌とした世界とは違い、常識がある。そして、まともな人間が多い。ロウの中での常識は全く通じないのだ。


「ねぇ、ちょっと待って」


 罪の意識で押し潰されかけているその時、背後から聞き覚えのあるが微かに違う声が聞こえ、はっとして後ろを向く。

 そこには面影のある可愛らしい小女がいた。


「君は……エマの妹」


 すぐにわかった。彼女がエマの妹であることを。パッチリと見開いた目はエマとそっくりだ。

 胃の中から熱い物がこみ上げる。今すぐ会いたいと無理矢理喉から這い上がってきそうな気持ち悪さを堪えて、虚ろな視線をエマの妹に向ける。


「何の……用だ」


 今にも消えそうなか細い声でエマの妹に話しかける。

 すると、エマの妹は恥ずかしそうに視線を外す。


「私達を助けてくれてありがとう!」


 そして、勇気を出して、元気いっぱいに礼を述べる。

 頭がおかしくなりそうだ。全く理解できない。確かにロウは彼女を救った。その引き換えに彼女の姉を殺したのだ。礼を言われる筋などないどころか憎まれる立場あるはず。


「何故だ! 何で俺に礼が言える! 俺は君のお姉さんを殺したのに!」


 子供の純粋で無垢な姿は荒んだロウの精神には眩しすぎた。ロウは平静を失い、地面に膝を付き、地面を目一杯殴りつける。


「恨んでくれよ……憎んでくれよ! 俺を殺したいと思うくらいにさ!」


 土を固く握り締め、発狂に近い声を出す。

 いっその事殺してほしかった。多少の苦しみは覚悟していたがここまで重いものとはわからなかった。

 生きていて初めて死にたいと願った。地獄の中で生きていた時でも思わなかった愚かな願いを今、ロウは願っている。


「できないよ。あなたは私の恩人。それにお姉ちゃんは望んであなたに殺されたの知っているから」


 エマの妹はロウの傍に寄り、優しく頭を撫でる。

 そして、衝撃の事実を語り始める。


「あの時、私は起きてた。そして、全部見てた。お姉ちゃんが魔女に殺されて、あなたに食べられたところも」


 喉から掠れた声が出る。人は本当に驚くと声など出ないのだとロウは知った。


「でもね、恐怖はなかったよ」


「どうして……」


「それはあなたが一番わかっているはず」


 エマの妹が優しい笑顔を向ける。

 きっと恐怖がないわけではなかっただろう。しかし、エマが恐怖を取り除いてくれたのだ。否、恐怖している暇を与えなかったと言うほうが正しいか。

 エマのあの覚悟を前に逃げることは許されなかった。だから、あの時もやらざるを得なかった。

 一言で言うなら仕方がなかったのだ。


「お姉ちゃんは私達を助けるために命を賭けた。それを否定することを私はしてはいけない」


 子供ながらエマの妹はしっかりしていた。自分だけの感情に従わず、相手の気持ちを理解している。

 そして、相手の心を尊重し、開かせるところはとてもよく似ている。


「そうだよな……あいつの命を無駄にするわけにはいかないよな」


 ロウはゆっくりと立ち上がり、顔を上げる。

 ここで野垂れ死んではエマの命は無駄に終わってしまう。

 そして、ロウがやらねば転生者によってもっと多くの人間が死んでしまう。エマだって多くの命が理不尽に奪われることを望むはずがない。

 生きねば。生きて戦わねばならない。


「ありがとう。もう、止まらない」


 ロウは励ましてくれたエマの妹の頭を撫でる。

 そして、後ろを振り向く。

 地平線の果てまで道が伸びている。その先には夜明けの輝かしい太陽が顔を覗かせていた。


「名前を聞いていいか?」


 背中を向けたまま、ロウは恩人に名前を聞く。


「はい! 私はエルです! あなたは?」


「俺は保谷ロウ。またの名を……」


 そして、ロウは一歩を足を延ばし、もう一つの名を告げる。


「狼鬼だ。忘れてもいい」


 もう、ロウは振り向かない。もう、後ろに用はなく、道はない。

 用があるのは道が続く前方のみだ。


「俺は救世主であり罪人だ。だからこそ、生きる。戦って世界を救う。それが俺ができる罪滅ぼしだ」


 ロウの表情に希望の色は見えない。だが、覚悟の色はあった。

 これから、長い戦いが待ち構えている。しかし、ロウはもう立ち止まらず、足掻き続けるだろう。

 もうこの戦いは独りの戦いではない。数々の屍の上に立ち、自ら手にかけた者達と共に戦うのだ。

  

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