第7話

 鎧と同等の強度を持ちながら、皮膚のように柔軟さを併せ持つ血のような赤い生体鎧を纏った異形の怪物。

 巨大で鋭利な爪は鉄の塊でする紙のように切り裂く。

 そして、不気味に光る緑の瞳。

 その姿はさながら伝承に度々登場する人狼。

 狼鬼は遠吠えをあげる。沸き立つ怒りと闘争本能を噴火の如く放出する。


「それがお前の力か!」


「そうだ」


 人の命を力に悪を喰らう。これこそが狼鬼。悪を喰らう裁きの獣。

 狼鬼から発せられる圧はこの世の生命ではないほど重く、息苦しい。並の人間では立つことすらままならないほど。

 それでもカルヴェーラは余裕の表情を浮かべ立っていた。

 慢心のおかげだ。今まで、誰にも負けなかった自分が負けるはずはない。それが例え、転生者でもだ。

 カルヴェーラは魔法というエーテルから最強の力を授けられた。その最強の力が負けるはずがない。負けるとは本当に最強の力を相手にした時だろうと高をくくっていた。


「私が……負けるわけないでしょ!」


 腕を天高く上げ、頭上に魔法陣を描く。すると、魔法陣から人を飲み込みそうな球体が現れる。

 表面からプロミネンスが発生し、球体の周りで時より小さな爆発が起きている。

 まるでスケールダウンした太陽であった。

 そして、カルヴェーラは力を込めると球体から無数のレーザーが発射される。レーザーは狼鬼に向かってホーミングする。


「この攻撃は相手の体を貫き、内側から燃やすわ」


 この攻撃はカルヴェーラが最も得意とし、最も信頼を寄せているものであった。

 範囲攻撃故に多数の相手を一気に殲滅できる。タイマンであっても圧倒的手数に加えて音速のレーザーを回避することは難しい。火力も申し分なくありとあらゆる状況でも機能するこの攻撃は非常に使い勝手がよい。

 そして、信頼を寄せる絶対的要因としてこの攻撃を回避できた存在はどこにもいなかった。

 人間だけでなく、鳥も四足歩行の動物も。

 確かに狼鬼の能力が未知数であるが例え、どんなに速く動き、一本のレーザーを回避したところで二、三のレーザーが待っている。流石の転生者であっても無傷での回避不可能だと確信していた。


「お前を……狩り殺す」


 迫るくる光熱のレーザーの雨を前にしても狼鬼は動じることなく。

 冷静に四本の手足を地面に付け、体勢を低くする。

 構えるとカルヴェーラに狙いを定める。その姿はまさに獲物を狙う狼のよう。

 そして、レーザーが狼鬼に直撃する瞬間、突風の如く速さでカルヴェーラに飛びかかる。

 上空から迫るレーザーを床を強く蹴って紙一重で回避する。


「速い!」


 まるで弾丸のような速さ。それでいて完璧な回避能力。

 カルヴェーラは狼鬼の想像以上の能力に圧倒される。


「……狩る」


 僅か一秒、いや一秒も満たない時間、気を抜いた間にも狼鬼はカルヴェーラの目前に迫っていた。

 カルヴェーラは右手を突き出し、魔法を発動して迎撃しようとする。しかし、間に合わず、狼鬼の鋭い爪で右腕を切り裂かれてしまう。


「お前!」


 失った右腕から滝のように緑色の血が流れだす。急いで傷口に魔法陣を張る。すると、出血は止み、痛みは軽減する。

 あくまで軽減するだけで僅かに残る卒倒しそうな痛みに耐えながら、狼鬼を睨む。

 狼鬼の口には魔女の右腕が咥えられている。


「よくも、私の完璧な体を!」


 カルヴェーラは自分のプライドであった美しい肉体の一部を奪われ、鬼のような恐ろしい怒りを露にする。

 そして、残った左腕で前方にありったけの魔法陣を無造作に展開。魔法陣から先程エマを殺した氷の弾丸を激しい殺意と共に撃ち出す。


「遅い」


 狼鬼の異常な動体視力の前では氷の弾丸は子供が投げたボールに等しいほど遅い。

 狼鬼は悠々と弾丸を避け、じりじりとカルヴェーラに迫る。


「この化け物が!」


「それはお前だ!」


 弾丸の雨を掻い潜り、狼鬼はカルヴェーラの目の前に迫り、顔面を鋭い爪で切り裂く。

 カルヴェーラの美しい顔が傷と流れる血によって酷く醜くなる。


「ぐわぁぁぁぁ!」


 女性にとって命であり、カルヴェーラにとって最大の自信があった顔をプライド諸共引き裂かれ、発狂する。


「どうしてだ! 何故、私たちに歯向かう! その力があれば世界を獲れるはずだろうに!」


 顔を押さえながら、カルヴェーラは狼鬼に問う。悔しいが狼鬼は自分よりも強い力を持つ。下手をすれば世界を手中に収めることも可能なほどだ。

 なのに、狼鬼は自分ために力を振りかざさない。

 それがカルヴェーラには理解できない。

 力というのは自分の為に使うもの。それが力に選ばれたものの特権。権力を手にした者が下の人間を支配することを許され、武力を手にした者が命を奪えるように。


「お前たちのような身勝手な人間がやたらに力を使えたら、世の中は混沌に包まれる」


「それの何が悪い! 弱肉強食と言う言葉を知らないの!」


「お前は外来種って知っているか? とにかく、生態系を壊すお前たちは悪だ」


 自然の摂理を考えれば、弱肉強食は正しいかもしれない。

 しかし、それはそこにある自然の中での話。外部から別の生物が加わり、元居る生物を殺すのは逆に自然の摂理に反することだ。

 そして、それを人間に分かりやすく伝えるのなら侵略だ。


「俺はそんなお前たちを裁くためにここにきた」


 転生者は圧倒的な力を持つ。何も力を持たない普通の人間では到底太刀打ちすることができない。

 侵略を拒んでも一方的に嬲り殺されるだけ。裁くことも許されない。

 だから狼鬼はここに来た。誰も戦うことも裁くこともできない転生者に対抗する為に同じ転生者の力を持って。

 声を上げられず、拳も振り上げられないか弱き人間の為に狼鬼は戦う。

 人々の憎しみを背負った狼鬼は左手で魔女の首を掴み、軽々と持ち上げる。


「これで終りだ」


 右手に力を込め、カルヴェーラの胸を貫く。鮮血を浴びながら、心臓を掴み、抉り取る。

 魔法でもカバーできないほどの痛みにカルヴェーラは耳が痛くなるほどの甲高い悲鳴を上げる。


「痛いか。だが、殺された子供は同じ痛み……恐怖を感じて死んだはずだ」


「返せ……」


 今にも消えそうな掠れた声を上げながらカルヴェーラは自らの心臓を取り返そうと手を伸ばす。

 だが、狼鬼は心臓を返すことなどしない。返したところでカルヴェーラの運命は変わらない。

 そもそもこの手で奪った獲物を取引もなく、他人に渡すことなど損でしかない。

 狼鬼は心臓を魔女の目の前にちらつかせると、鋭い牙でかぶりつく。


「不味いし足りない」


 口の中に鉄の味が広がる。レバーや鮟肝のような深い味わいがあってもいいと思うが、特に味はしない。

 ただ、不味いだけの食料。しかし、いくら悪人の心臓とはいえ、食べ残しは生命への冒涜だ。

 仮面の奥で顔を歪ませながら、不味い心臓を何とか食べきる。


「お前……私より狂っているわ……」


 自らの心臓を食われる様子を歪んだ表情を眺めていた。

 最後にカルヴェーラは狼鬼の異常さに身を震わせながら、砂となって地面に零れ落ちていく。


「あぁ、俺は狂っているさ」


 口の中に命を感じながらカルヴェーラであった砂の山に狼鬼は吐き捨てるように言葉を残す。


「だって、お前と同じ転生者だからな」

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