第6話
長い山道を歩き続け、二人はいよいよ山頂へと到着した。
分厚い灰色の雲に覆われた山頂は周囲の見通しが悪い。冷たさと湿気が混じった空気は異様な不快感を増幅させる。
「ここがカルヴェーラのアジトか」
見通しの悪い深い雲の中でも異彩な存在感を醸し出す館……否、城というべき建物を目の前にロウは息を呑む。
館から漂う禍々しい空気。そして、微かに漂う鉄の匂い。邪悪な雰囲気にロウの呼吸は荒くなり、鳥肌が立ち、全身から脂汗が滲み出る。
「お前も入る気か」
「あなた一人じゃ、心配だしね。それに二人いた方が救出しやすいでしょ」
入口の扉に手をかけると、当たり前のようにエマがロウの後ろを付いてくる。
無茶なことをするとロウは溜息を吐く。
生前、数々の修羅場と死線くぐり抜けてきたロウですら竦むほどのプレッシャーを放つ場所に常人のエマが立ち入れば、たちまち失神しても可笑しくはない。現にエマは平然を装っているが、足は小刻みに震えている。
だからといってこの場に一人で待っていろと言うのは酷な話。また、エマの言う通り、数が多ければそれだけ救出する機会が増える。ロウがカルヴェーラを足止めしている間にエマが子供達を救出するといったこともできる。
「わかった。俺の傍から離れるなよ」
エマの明るいを返事がロウに耳に届く。
互いの覚悟が決まった時、ロウは重い扉を開け、館へと突入する。
「ここが……魔女の家の中」
館の中は薄暗く、詳しくは観察できない。しかし、綺麗な造りになっており、明るい雰囲気でも作れれば童話の中の城のような大層立派なものになるだろう。
それなのにカルヴェーラという悪趣味な家主に住まわれて、さぞかし勿体ないとロウは平静を保つ為の軽口を心の中で呟く。
「子供達とカルヴェーラは一体何処にいるの……?」
「どうやら、あそこにいるようだ」
早く子供達を探さなくてはと焦るエマだが、その感情は無駄になる。
ロウ達の進む先を導くように壁に掛けられた蝋燭に火がつく。その廊下の先には開かれた扉。
「行くぞ。奴が待っている」
ロウは一つ深呼吸をして、扉の奥へと進む。
暗闇の中、長い螺旋階段を下りていくと、やがて灯りのある大広間に辿り着く。
「みんな!」
広間の奥には一部が赤黒いシミが付着した黄金の祭壇。そして、その前に大きな檻が建てられており、その中には攫われた子供たちがすし詰めの状態で収監されていた。
「ほぉ、子供たちを助けに来たか。かっこいいねぇ」
暗闇からカルヴェーラが気味の悪い笑みを浮かべて現れる。
「子供達を返してもらう」
「奪った物をみすみす返す訳がないでしょ?」
ロウは念のために子供達を返せと要求する。
だが、案の定、カルヴェーラはロウの要求を呑むことはない。
「なら、力ずくで!」
ロウは並外れた脚力で飛び出し、カルヴェーラの殴りかかる。
「本当に異常な身体能力ね。でも、人間を超え、神にも等しい力を持つ私には勝てないわ!」
確かにロウは強い。カルヴェーラに対抗できるほどの身体能力はある。
しかし、人より毛が生えた程度であり、決定打を与えることはできない。
人智を超えた特異能力を持つカルヴェーラには決して敵わない。
カルヴェーラは右手を出して、掌に黄色の魔法陣を作り出す。魔法陣の中心に稲妻が集まり、光の弾へと変化。その光弾をロウに向け、放つ。
「ぐっ!」
並外れた動体視力を持つロウでも比喩ではない光速の弾丸を避けることはできず、腹部に直撃を受けてしまい、後方に吹っ飛ばされる。
「ロウさん!」
エマは樽のように転がり、床を舐めるように倒れるロウの傍に寄り、介抱する。
「さっきと同じように簡単に対処できると? 浅はかね」
地面に倒れるロウを眺めては仕返しと言わんばかりにカルヴェーラは嘲笑う。
「さっきは、本気ではなかったか」
「当たり前よ。下等生物に本気を出すなんて無駄。でも、私の美しい体に傷をつけたあなたは別」
たかが蟻一匹に銃を使う人間などいない。弱い敵に過剰な武力、暴力は余計な出費や疲労に繋がり、逆に自分の首を絞めることになる。
カルヴェーラの魔法は無限に使えるわけではない。生命エネルギーを消費して扱う魔法は使うほど、重い疲労を感じることになり、使い果たせば死に至る。
「なるほど……な」
「しぶといわね」
全身に光弾を受けたにも関わらず、立ち上がるロウを見て、カルヴェーラは察する。
しかし、異常なまでの生命力に人間離れした身体能力。少なくとも普通の人間ではないと。自分に近い存在ではと。
「いや? あなたは普通の人間ではないわね」
「ご名答。俺もあんたと同じ転生者だ」
同種である存在が敵対していることにカルヴェーラの心に疑問が生まれる。
確かに争う理由はある。転生者同士で生贄の取り合いを行ったという話は聞いたことはあった。
しかし、ロウは明らかに生贄を奪いに来たというより救出しにきたように見える。
……まぁいい。同種にせよ邪魔をするなら排除するまで。
「そう。なら、私にも傷をつけられたわけね。でも、おかしいわね。転生者ならもっと強くてもいいと思うのだけど」
カルヴェーラにはもう一つ疑問があった。
転生者ならばもう少し強くて当然。転生者同士、実力が拮抗しても可笑しくはない。
確かにロウの力は強力ではあるがそれは常人から見ればの話。転生者から見れば、大したものではない。
「本気、出さないの?」
「……出さなくても勝てばいい」
「出す気がないのならいいわ。このまま死ね!」
頑なに強がるロウにカルヴェーラは笑みを浮かべる。
どんな理由があるにせよ本気を出さないのならそれでいい。殺す手間がかなり省ける為、都合のいいことだ。
「ロウさん。何を隠しているの!」
「何も隠してない!」
「この状況で嘘を吐いてどうするのよ!」
緊迫したこの状況で本当の力を出すことなく、隠し続けるメリットはかなり薄い。
結局、出し惜しみした挙げ句に命を落としては子供達を救う以前の問題。
しかし、事実を言って何が変わる。人の命を喰らわねば結局を力を発揮できない。代償はどこで調達すればいい?
救うべき子供達を食えばいいのか?それは本末転倒だろう。
なら、エマか? しかし、そんな話したらきっとエマは命を失いたくない故に逃げるだろう。もしくは……命を差し出すかもしれない。
言うだけなら簡単だ。だがその言葉一つで与える影響は計り知れない。
「俺の力は……人を食べることで真価を発揮する」
だが、隠すメリットはゼロでもあった。
「え?」
「村での手応えなら、力を使わなくてもいいかと思ったけど、浅はかだった」
数時間前の甘い考えの自分を恨む。
転生者を倒す使命とは言え、守るべき者を犠牲にしては本末転倒だ。できることなら、力を使わずに対処したかったが、現実は甘くはない。
ロウは一歩一歩、ゆっくりと引き下がる。
「ここは一旦引き下がる」
このまま戦っても正気は見えない。
一度、態勢を整え、徹底的に作戦を練ってから再び戦いに挑むのが最善とロウは考えた。
「引き下がってどうするの! 逃げている間に子供達が殺されるわ!」
しかし、エマはロウの後ろ向きな考えに納得していなかった。
ここで引き下がってはカルヴェーラに余計な時間を与えることになる。再度の襲撃があるとわかれば、儀式を早めに執り行うのは明白。そうなれば子供達は全員、命を落とす。
「なら、どうする!」
「私を食べて!」
「な!?」
ロウは危惧していた問題が的中し、絶句する。
「私を食べれば力が使えるのでしょ!」
「ふざけるな! あんたを犠牲にしろと!?」
「命を賭ける覚悟は出来てる!」
ロウは激しい言い様で拒絶するが、エマは引き下がらない。
しかし、はっきり言えば確実に今、この状況で勝つ為にはエマの策しかない。
エマを犠牲にして、狼鬼の力を使う。そうすれば確実に勝てる。効率的にも考えれば、それが最善の手だ。
だが、躊躇する。いざ、人を食らおうと行動に移そうとしても、罪悪感と倫理観が邪魔をする。
それに折角わかりあえた相手をこの手で殺すのは、心に大きな傷をつける自傷行為であり、ロウの精神に堪えるものがある。
「ごちゃごちゃ五月蝿い!」
人と転生者との間で揺れ動くロウ。しかし、ここは戦場。少しの迷いが生死を分かつ。
ロウの都合など知るよしもない、寧ろ動きを止め、隙を晒す好機を見逃すわけがないカルヴェーラは問答無用に殺しにかかる。
今度は手から氷の氷柱を作り出すとロウに向け、串刺しにせんと放つ。
「しまった!」
迷いによってロウの反応が僅かに遅れる。しかし、命を落とすのに十分な理由だ。
二度目の死を目前にし、額から汗が滲み出る。死にたくないと恐怖に支配される。そう思うん傍らで人を食らうことよりも余程気楽でマシだった。
人を食らうことを軽く見ていた。所詮、豚や牛を変わらないこと。食糧難だった生前ではロウ以外の人間は当たり前のように人間食っていた。だから当たり前のことだと思っていた。いや、思い込もうとしていた。
実際は生きていて、感情を持つ人間を食らうことの罪悪感は非常に重かった。
正直、ロウはこの重圧から逃れたいと思い始めていた。大見得切って転生したが、想像以上の苦しみを前に逃げ出したかった。
これでいい。今、死ねば使命も何も捨てられる。確かにこの世界の人々が苦しむ姿は見たくない。
だからと言って、他人の為に死よりも辛い苦しみを味わう意味があるか。
ロウは強い正義感があり、地獄のような世界を生きていただけの精神力はある。だが、所詮は思春期の少年である。
「ロウ!」
ゆっくりと瞳を閉じ、死を受け入れたその時だ。
ロウの前にエマが立ちはだかり、全身で氷柱を受ける。
「エマ!」
背中からゆっくりと倒れるエマを咄嗟に抱える。
全身に氷柱が刺さり、一部は貫通し、反対側の景色が確認できる。
綺麗な顔に無情にも刺さり、目は抉れ、量に流れる血と傷で酷い有り様であった。
「どうして! どうして、庇った!」
「あ……ただけだ……から。子供達を……救えるの……」
今にも消えそうなか細い声でエマは答える。
エマにとってロウは最後の希望なのだ。唯一、子供達を救える救世主。この期を逃せば、何十人もの未来と希望を失うのだ。
それに比べればエマは自身の命など軽いと判断した。だから、庇ったのだ。
「だからって!」
命は軽くない。誰しもが等しく平等なのだ。だからこそだろう。数が多ければ、命はより重くなる。
たった一枚の札束を川に落とすのと十枚の札束を落とすのではその価値が全く違うように。
「私はもう……ダメみたい……」
「諦めるな!」
「死ぬなら……せめて、何かを残し……たい。誰かの為に……死にたい」
エマは最後の力を振り絞って、ロウの手を握る。
「お願い。私を食べて……。私の死を無駄にしないで!」
エマは最後に願いを……否、命令を告げた。覚悟を決められずに迷得る子犬に。
そして、ロウに無理にでも決断させるかのような答えを聞かずにゆっくりと気を失う。僅かに息はあるが、もっても後数分の命だろう。
「エマ……」
ロウの腕の中で眠る冷たいエマをそっと抱き締める。
最後になんて苦しみを押し付けたのか。ここで逃げればエマの無駄死にしたことになる。
覚悟を決め、行動に移すしかない。
例え、罪を被っても。自分を殺しても。
「最後の挨拶は済んだかしら? そろそろうざったいから死んでくれないかしら?」
「くっ! うわあぁぁぁぁあ!」
カルヴェーラはロウを殺そうとゆっくりと迫る。
だが、突然上がったロウの絶叫に驚き、足を止めてしまう。
「何!?」
驚きはさらに上を行く。
カルヴェーラの目には自らの理性を捨て、悲痛な叫びを上げるロウ。そして、腕の中に眠るエマにかぶりつき、汚ならしい咀嚼音を鳴らしながら貪り食っていた。
「こいつ!? 本当に食べているの!?」
カルヴェーラは呆然とするしかなかった。
人を食らうロウの姿はまるで、餓えた狼。先ほどまでのまともな人などではなかった。
「もう……引き返せない」
足元にエマだった者の白い骨が落ちる。ロウの全身は血を浴び、赤く染まっていた。
その赤い血はやがて固まり、強固な鎧へと変化し、ロウの全身に纏われていく。
「それが貴様の……能力か!」
目の前でロウが別の何かに変身していくさまをカルヴェーラはただ、眺めることしかできない。
「これが……
ロウ、否、狼鬼はゆっくりと立ち上がる。血のような赤い鎧。狼のような鋭い目つきに牙。
悲しみと苦しみを糧にこの世界に救世主が激誕した。
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