第2話

 死んだはずなのにロウは目を覚ます。

 そのありえないはずの一連の流れに驚きつつもロウはゆっくりと周りを見回す。


「ここは……?」


 ロウがいるのは何もない、ただの白い空間。

 地面があるが足がついて感覚はない。時間も空間の果ても感じさせない不思議な空間にロウは戸惑いを隠せない。


「気が付いたかね。保谷ロウ君」


 この何もない空間で突然、背後から自身の名を呼ばれ、ロウは警戒をしつつ振り向く。

 そこには黒いスーツを着こなしたハードボイルド風な男性がじっとロウを見つめていた。


「あんたは誰だ」


「僕はカウラス。簡単に言えば神さ」


 両手を広げ、堂々とした様子でカウラスは自らを紹介する。


「驚いた顔をしているね」


「それは……そうだろ」


 ロウは神など信じていなかった。大前提として見たことがない物をどう信じればよいのか。

 だが、死んだ人間であるはずのロウが摩訶不思議な空間に存在している。

 そして、その空間に神と名乗る人型の存在。

 ロウにとって神が存在していると認知するには十分であった。


「それで、ここは天国か?」


「いや。ここは現世と冥界の狭間だ」


「それならここで天国か地獄に行くのか選別するのか」


「いや、違う。僕は君に頼みがあってここに呼んだ」


 生きる為とは言え、ロウは数々の罪を犯してきた。強盗、殺人、詐欺。

 死んだ人間に頼み事とは奇妙なことだと思いながらもロウは黙って話を聞く。


「君には救世主になって欲しい」


「何を言っている」


 思わず耳を疑う。生きるためとは言え、殺人や盗みを働いた大罪人が救世主になるなど理解に苦しむ。


「とある世界では今、大変なことが起きている」


 案の定、ロウは話を飲み込めていない。

 すると、カウラスはロウはとある世界で行われている残虐極まりない現実を空間に映像を映し出す。

 その画面には黒こげになった人間や吊るされた人間などの痛ましい遺体が道端に落ちている石のように、当たり前に映っていた。

 常人ならすぐに吐き気を催し、三日は寝込むほどの衝撃的な映像。

 ロウにとって、生前に嫌な程見てきた当たり前の日常。この程度、ショックを受けることはない。

 それにロウ自身には全く関係ない人間だ。死のうが生きようが別世界でさらに終わったロウには何の影響がない。

 しかし、ロウには怒りはあった。燃え上がるような激しい怒り。

 怒りの最もな理由もなく殺される理不尽さが自身と境遇と重なったことだ。

 それに人がゴミのように死んでいく様を見て、いい気分になるはずがない。

 殺すというのは道徳的に考えればそれは悪であるが、時には生きるためならば仕方がないという場面はある。例えば、空腹を満たす為に肉や魚を食べることは悪ではなく、生きる上で必要なことだ。

 だが、これは違う。必要以上の殺しはただの虐殺だ。

 ロウは静かに映像を眺めながら、拳を強く握りしめる。


「誰がこんなことを!」


「転生者さ」


「転生者?」


 転生者とい聞いて、ロウは平和だった頃の文化を思い出す。

 戦争が始まる前に、学生達を中心に読まれていたライトノベルという本のジャンルに異世界転生というものがあった。

 大半の内容はさして、冴えない男が異世界に転生して、都合よく与えられた強力な力で歯向かう敵を自己満足で倒し、安い知識を披露して周囲の人間からチヤホヤされ、ヒロインに囲まれ、幸せな日常を送る話だったと思い出す。

 安っぽい正義感で世界を救う転生者ならまだ良かっただろう。ロウが見た転生者はただ人を殺す外道であり悪魔。


「僕以外にエーテルと言う神がいて、そいつが君たちの世界で生きてきた人間たちに特殊能力を与え、異世界に送り込んでいる」


「どうしてそんなこと」


「世界を征服するため」


 正に典型的な悪役が行うような目的にロウは絶句する。

 本当にそんなくだらない悪事を行うような愚か者がいたことに驚きを隠せない。

 世界を征服して、何になるという。世界なんてものはいつ崩壊するかもわからない、不安定な独楽のようなもの。現にロウの世界は核爆弾数発によって、いとも容易く崩壊した。

 それに征服する為に、いずれ支配する民を虐殺する意味がわからない。世界や国と言うのは民がいてこそ成り立つ集団。確かに恐怖で支配する国家は過去には存在したが、繁栄し、成功したことはない。


「僕たち、神は実は肉体がなくてね。所謂、概念でしかない。君は生前にその目で神そのものを見たことがあるかい?」


「ないな」


「そう。本来、神というのは実際には存在しない。しかし、異世界にはあることをすることで、受肉させ、異世界に存在させることができる」


「その方法は何だ」


「生贄だよ」


 ロウは絶句する。

 人間を救うべき存在である神が、人間を犠牲にしてまで受肉し、異世界を支配しようと言うのだ。

 神なら人を救うべきだとロウは思った。しかし、聖書では出来の悪い人間を神は何度も殺したと書かれていたことを同時に思い出す。


「神に生贄。つまり、血肉を与えることで肉体を得ることができる」


 酷い話。否、それ以上だ。

 反吐が出るような胸糞悪い話だ。

 世界をより良くする為でもなく、己の欲望の為に下位の生物を無下にする。


「異世界の人間は僕たちのように神には干渉できない。でも、転生者なら、このように干渉できる。転生者はエーテルに転生させてもらった借りがあるから簡単に裏切ることはできない。まぁ、自分勝手に人を殺すだけだから裏切ることなんてほぼない」


 まるで詐欺師や新興宗教のようなやり方だ。

 善を装い、一見して相手に利益があるように見せかけるも、本当は損失ばかりで、いずれ破産させるまで、財産をむしり取る。

 ただ、転生者の場合は騙されたところで大した損失がない。寧ろ、己の欲求のままに殺戮を楽しめるというメリットがある。


「大体の話はわかった。でも、どうして俺を頼りにする。他にも当てがいるはずだ」


 話自体は理解できた。ただ、ここで大きな疑問が残る。

 何故、自分を選んだのか。

 約七十億人の人間がいて、そして死んだ。その上で保谷ロウを選んだのか。それが全くわからなかった。


「君はあの地獄の中でも人を失わずに生きてきた人間だから」


「俺は生前に何人も殺してきた。それなのに人を失ってないと思うのか」 


 カウラスはロウをまるで人格者だと見ているようだがロウ自身はその評価に納得していない。例え、どんな理由でどんな状況だろうと窃盗を行い、時には人を殺めたことは悪だ。

 それのどこが人間を失っていないと言えるのだ。


「それだよ。君のその罪の意識さ」


「何?」


「あの地獄を生きながらも殺しを罪と思う道徳心。その正しさを持ちながら、時には悪に手を染めることを顧みないアウトロウ。僕はそれに目を付けたのさ。命を軽んじないその考え。それがあるのなら、あの力を与えても、きっと力に捉われずに済むはず」


ちから?」


 カウラスはロウの人間性を買ってある力を与えようと考えていた。

 すると、カウラスはある存在をヴィジョンに移す。

 全身が赤い鎧のような筋肉、はたまた筋肉のような鎧を纏った人型の異形。鋭い爪と牙を持ち、獲物を怯ませる鋭い目。目の下には涙が流れたような白いライン。前方に出た口と耳。その姿はまるでファンタジーに出てくる狼男を彷彿とさせる。


「これは……」


狼鬼ろうき。狼の鬼と書く」


「狼の……鬼?」


「この力を使えば身体能力が格段に上がり、五感も鋭くなる。正に無敵の力。転生者は軽々と狩れ、あまつさえ神にだって対抗できる」


 ロウは唾を飲み込む。無敵の力。

 神にさえ匹敵する力とは如何なものか。この力こそ、世界を征服できるであろう。


「それで、代償は?」


「代償?」


「強すぎる力ほど、相応の代償を払わなければならない。核爆弾を使えば、その地域周辺が放射能で汚染されるように」


 無敵の力。実に聞こえがいい言葉だろう。

 ロウは力そのものの恐ろしさを知っている。代償無き力も無いことも。

 力というものは例え万人を救えるものでも使い方を誤れば、反対に万人を殺すものにもなりうる。

 現に強大すぎる力を持つ核爆弾を使ったことでロウが生きていた世界は終わった。


「代償は……命さ。それも他人の命。その力を使うたびに誰かの命を頂かなくてはいけない。この力は人の命の力、生命エネルギーを糧にすることで発揮できる力だ」


 ロウは絶句する。

 例に漏れず、狼鬼の力にも代償がある。他人の命を引き換えに無敵の力を得るという、とてつもなく重い代償が。

 しかし、人の命を喰らうというのはあまりにも苦しい。

 例え、荒廃し、食料が限られた世界でも例え、餓死寸前でもロウは人を食う態度は取っても本当に食べることは決してしなかった。

 別に生きることが厳しい世界で同族を食べることは決して罪ではない。メダカやカマキリなどは時には同族を食べることもあるし、ロウも人間が人間を食べる瞬間を何度も見てきた。

 だが、ロウはその度に生理的嫌悪感を抱いた。人を殺めることはできても食人を行うまで、堕落することを拒んでいたのだ。


「驚いたかい」


 ロウは黙って首を縦に振る。 

 その力は他者の生命エネルギーを得なければ使えない。

 人を救うために人の命を奪わなくていけない。

 幼い頃、テレビで見ていたヒーローは犠牲を払わずとも悪を倒し、人々を救ってきた。

 しかし、現実はフィクションのように甘くはない。

 千を救うために一を殺す。最大多数の最大幸福の為に少数を切り捨てることをしなければならない。そのことにただ、絶望するしかなかった。


「そうだな。因みに、エーテルはそんな代償を支払わずとも能力を使える。まぁ、その力ほどではないけど。どうだい。不公平だろ」


 カウラスの開き直ったような軽い調子の声色に苛立ちを覚える。

 しかし、カウラスの表情は真剣そのものであった。

 恐らく、敢えて憎まれ役を演じているのだろう。はたまた、自嘲しているのかもしれない。

 そんなことはロウにはどうでもいい。


「そうだな。でも、もしそんなことになったらきっと、俺はクズの仲間入りだろうな」


 ロウは理解していた。カウラスが好きで代償を付け足したわけではない。

 そうしなければならないのだ。力を正しく使うために制約を付け加えることで暴走させないようにする。

 そして、何よりそれほどの代償が必要なほどの力が必要な程、相手が強いのだ。


「だが、俺が自暴自棄になって、力を使って殺戮を始めたらどうする?」


「心配しなくていい。その時は僕が雷でも落として殺す。それに大量の生命エネルギーは逆に毒になるからね」


「なら、安心だな」

 

 万が一の時は自分を葬ってくれると聞いて、ロウは安心する。化物に堕ちるくらいなら死んだ方が余程マシだ。


「わかった。俺がやる」


 ロウは覚悟を決める。

 本当のことを言うなら、受けたくはない使命だ。

 人を救うために人を食う。そんな重い罪を背負いたくはなかった。

 だが、他の人間に務まることでもない。他の人間ではその罪を背負いきれず、押しつぶされるだけだ。

 しかし、誰かがこの汚れ仕事を引き受けねばならない。なら、自分がその使命を、罪を背負った方が誰も苦しまずに済む。

 傷つくのは自分だけで十分だ。


「……ありがとう」


 カウラスは静かに礼を言う。人々を救うのがカウラスの使命ではあったが、その為に一人の青年を犠牲にすることに苦悩していた。

 万人を救えずして何が神か。笑わしてくれる。

 しかし、使命に泥を擦り付け、非常にならなくてはエーテルを滅ぼすことも異世界の人々を救うことはできない。

 無力な自身を戒め、呪う。

だが、その負の感情もロウの覚悟に満ちた瞳を見て、少しは和らいだ。


「なら、早速だが異世界に行って貰う。そのまま、目を閉じるんだ。そして、次に目を開けた時には異世界だ」


「わかった」


 あまりの早い出立であったが、ロウはあっさりと飲み込み、静かに瞳を閉じる。


「武運を祈る」


「あぁ」


 二人に長い言葉はいらない。ただ、利用し、利用されるだけの関係。友情も何もない。

 だが、信念だけはあった。悪を滅ぼし、人々を救うという誇り高き信念が。

 その信念だけを繋がりとし、二人の地獄のような戦いの日々が幕を開けるのであった。

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