第七話 ナスタとの出会い

 よく晴れた日の昼下がり。ブルーとアイリスはいつもと違う浮遊大陸に、ライラックと三人で訪れていた。

 二人が暮らす大陸と違い、木々はほとんどなく、荒れた大地がどこまでも広がっている殺風景な大陸だった。


「よーし!おまえら、あれが何かわかるか」


 ライラックが少し離れた場所にいる黒い塊の群れを指さす。二人は目を凝らしてその群れを見た。


「デスファングだ」


 この五年間、ありとあらゆるモンスター図鑑を網羅してきたブルーは、すぐに答えた。

 デスファングは猪によく似た姿をしており、巨大な牙をもつ獰猛なモンスターである。大きさに個体差はあるが、大きいものなら優に100キロはあり、体長は2メートル以上になるものもいる。


「この大陸は奴らの巣窟で、昔からモンスターとの実戦トレーニング場として使われてきた。今からおまえらもここであいつらと戦ってもらう。動きはひたすら突進してくるだけの低級モンスターだが、油断は禁物だ。あの牙が万が一当たれば、串刺し確定だからな」


「怖っ」


 アイリスが真顔で叫んだ。


「ただ戦うだけじゃ面白くねえから、二人で競ってもらう。制限時間内により多くのデスファングをぶっ殺せた方に褒美をやろう」


「褒美って何?」


 アイリスの目がきらりと輝く。


「秘密だ」


「なにそれ」


「よし、始めるぞ!ちなみにルールとして、ブルーは拳と脚、アイリスは剣だけで戦ってもらう。パチンコも魔法も無しだ。ドラゴンになるのもなし」


「…まじで?」


 ブルーの顔が引きつる。ポケットから出しかけたパチンコをそっと戻した。


「大丈夫かな…」


 アイリスは不安そうだ。


「大丈夫だ!三年間の成果をここで見せてみろ!それじゃあ…はじめ!!」


 ライラックの合図とともに二人が走り出す。足の速さはブルーの方が上だ。いち早くデスファングの群れに飛び込んでいく。

 アイリスは銀の剣を構え、それに続いた。


 デスファング達はすぐブルーに気付き、その内の一頭が勢いよく突進してきた。それを軽く飛び越えると、急ブレーキをかけて止まったそのデスファングの背中に、思い切り回し蹴りを入れた。体勢を崩したその腹に間髪入れず右の拳を入れる。デスファングは短い断末魔の叫びの後、どさりと地面に倒れ込んだ。すぐさま別のデスファングが二頭、ブルー目掛けて突進してくる。それを再び飛び上がって避けると、二頭はぶつかり合い、一瞬の隙をつくる。そのうちの一頭目掛けて、今度は降りてくると同時にかかと落としを食らわせた。もう一頭には膝を落として体勢を低くすると、拳に力を込め正拳突きを放つ。デスファングはその衝撃でひっくり返ると、ぴくりとも動かなくなった。


 ブルーはずれた眼鏡をなおすと、すぐに別のデスファングにも狙いを定めた。


 ブルーよりもやや遅れて、アイリスがデスファングの群れまでたどり着く。アイリスに気付いたデスファングが三頭、アイリス目掛けてやって来た。


「うそ!そんないっぺんに…」


「アイリス!敵に背中見せるなよ!串刺しだぞ!」


 後ずさるアイリスの耳に、遠くからライラックの怒号が飛び込んでくる。


「わかってるってば」


 銀の剣を両手で強く握りしめる。剣が陽の光に反射して光った。

 三頭がすぐ近くまで迫って来る。


「でーい!!」


 掛け声と共にアイリスが剣を横に薙ぎ払う。三頭の内一頭はまともにくらい、その場に倒れ込む。残り二頭も傷を負い、一瞬怯んだ。そこへ今度は一頭ずつ剣を縦に振り下ろしていく。デスファング達は呆気なく二頭とも倒れた。


「良かった…こいつらけっこう弱い」


「アイリス!後ろ!」


「へ…わっ」


 ブルーの声に振り返る。猛スピードで突進してきていたデスファングを、すんでのところでかわす。


「な、なにすんのよ!」


 背中を向けたデスファングの尻目掛けてアイリスは思い切り剣を突き出した。その一撃であえなく昇天する。


「油断しちゃだめだよ」


「うー…」


 ブルーは危なっかしいアイリスを時折見てやりながら、次々とデスファング達を倒していった。アイリスも負けじと剣を振り、それに続く。


 遠くから見ているライラックも、二人の成長に満足気だ。そろそろ終了にするか、ともう一度二人に視線を向けた。すると、遠くからなにやらでかい大きな塊が、その巨体から想像もつかない程の速さで、二人に近付いて来ていた。


「あれは…おいおまえら!」


 デスファングの群れを全て倒し、息を切らす二人がライラックの声に気付く。


「親玉がくるぞ!」


「…なに親玉って」


 アイリスはぽかんとしている。

 ブルーは地鳴りのような音に気付いた。地面が微かに揺れている。辺りを確認すると、なにか巨大なものがこちらへ向かって来ているのがわかった。


「アイリス!あれだ!」


 ブルーの指差す方向には、今まで倒して来たものの何倍も大きなデスファングが、その眼をぎらつかせながら突進して来ていた。体の大きさに比例してその牙もかなり大きく、ブルーと同じくらいの大きさだった


「うそでしょ…」


「避けるぞ!」


 あっという間に二人のところまでやってきた巨大デスファングは、けたたましい鳴き声をあげながら二人目掛けで突進してきた。二人は左右にそれぞれ避ける。アイリスはバランスを崩し地面に転がった。デスファングは通り過ぎた後、ゆっくりと円を描く様に走ると、再び二人目掛けて突進してきた。


「ブルー!アイリス!パチンコも魔法も解禁だ!全部出し切って戦え!」


 ライラックの言葉にブルーはすぐさまパチンコを構える。迫り来るデスファングの光る眼を狙って尖った石を放つ。石は見事命中し、デスファングの眼を貫いた。その痛みにデスファングが砂煙をあげながら急ブレーキをかける。ブルーは急いでデスファングの元に向かうと、その横っ腹目掛けて思い切り殴りかかった。


「なんだこいつ…かってー!」


 皮膚の硬さにブルーが顔をしかめる。拳からは血が滲んでいる。


「アイリス!いつまでひっくり返ってんだ!魔法剣!たのむー!」


「あ、わ、わかった!」


 アイリスはふらふらと立ち上がり、剣を握りしめると呪文を唱え始めた。

 デスファングは右の目から血を流しながらも、姿勢を低くし突進しようと構え始めた。向かう先はアイリスだ。


「やべ…」


 ブルーはデスファングから少し離れると、パチンコを構えた。デスファングのもう片方の眼に再び石を放つ。しかし今度は、突然咆哮をあげたデスファングの牙に当たり、虚しい音を響かせただけだった。


「くそっ」


 もう一度パチンコを構える、が、デスファングは物凄い速さで走り始めてしまう。



「…ロキの魂、ここに君臨せよ!」



 アイリスの剣から燃え盛る炎が吹き出す。炎はしっかりと剣にまとわりつき、アイリスの眼を紅く照らした。


 突進してくるデスファングを睨むと、アイリスも走り出した。


「真っ正面から…危険だアイリス!一旦下がれ!」


 ブルーの声は届かない。デスファングとぶつかるその寸前、アイリスは高く飛び上がった。そして炎の剣をデスファングの頭部目掛けて振り下ろす。炎の剣はデスファングの頭にめり込むと、炎自体がまるで生き物の様にデスファングの全身に燃え広がっていった。アイリスは地面に着地すると、火だるまになっていくデスファングから慌てて逃げた。


 炎はその威力を増し、じたばたとしていたデスファングもその場に倒れこみ、やがて動かなくなった。


 ブルーとアイリスの元にライラックが駆けつける。


「やったじゃねえか」


 肩を叩かれ、放心状態の二人はようやく我にかえった。


 炎はだんだんと小さくなっていき、そして静かに消えた。後に残ったのは真っ黒に焦げ、煙を上げるデスファングの亡骸だけだった。


「こんなでけえの久々に見たぜ…途中危なっかしいとこもあったが、おまえらよくやったな」


「こ、怖かった…」


 アイリスがその場にへたり込む。ブルーも疲労と安堵で体の力が抜け、地面にどさりと座り込んだ。


「で、結果だが…普通のデスファングに関してはブルーが13、アイリスが7で断トツでブルーだな。でかい奴に関しては仕留めたのはアイリスだが、魔法を使った事とブルーのアシストもあったしで、ノーカウントだ」


「えー…」


 アイリスは地面に大の字になった。


「で、褒美って結局なんなの」


 ブルーが尋ねる。


「なんか好きなもんを買ってきてやる」


「アバウトだな…何でもいいの?」


「あまり高いものは無理だ!」


「…じゃあその分貯金しといてよ…なんか欲しいもんあったら言うわ」


 ブルーもアイリスの隣で大の字になって寝転んだ。


 空がいつもより青く感じた。


「そ、そうか?ははは、ブルーは真面目だな」


 ライラックは心なしかホッとしている。


 二人の見つめる空に、一匹のシルバードラゴンがゆっくりと飛んできた。


「先生だ!」


 二人とも起き上がると、ドラゴンに向かって大きく手を振った。ドラゴンはゆっくり旋回すると、ブルー達の側に降り立った。

 降り立つとほぼ同時に、光と共にソレルの姿になる。


「これはまた…派手にやりましたね」


 辺りに散らばるデスファングの死骸と、一際大きな黒焦げのデスファングを見て、ソレルは呆気に取られている。


「先生!私がこの大きなデスファングを仕留めたんですよ!」

「俺は小さいやつですけど、13頭仕留めました!」


 ブルーもアイリスも、ソレルの周りで自分の功績を褒めてもらいたい、という気持ちでいっぱいだった。

 最近ソレルは城での仕事が忙しく、なかなか二人に会うことができずにいた。そのこともあってか、いつになくブルーもアイリスも嬉しそうだ。


「それはよく頑張りましたね。お二人ともお怪我はありませんか?」


「「大丈夫です!」」


 二人は声を揃えて返事をした。


「ライラック、実戦トレーニングとはデスファングを相手にする事だったんですね」


「そうだ。二人共すげえだろ」


「それはそうですが…モンスターとの初めての戦いが、いきなりここのデスファングというのは少しきつかったのではありませんか?」


「あ?んなこたぁねえだろ。デスファングは低級モンスターだぞ」


「たしかにデスファング自体は低級ですが、ここには普通のデスファングとは違う、超巨大型デスファングが出現する事で有名です。そちらの方は中級モンスターに分類されていますので、この二人にはまだ早いと思いますが…あなたまさか巨大型が出てくる事知らなかったんじゃ…」


「そ、そんなわけねえだろ」


「本当ですか?」


 ずい、と迫ってくるソレルにライラックはたじたじだ。


「この二人にもしものことがあったら…」


「わかってるよ!っていうかおまえ、なんでここがわかったんだ」


「あなたの考えそうなことなら大体わかります」


「…そうかよ」


「先生!」


 アイリスがソレルの軍服の袖をグイと引っ張る。


「ここへ来たのは私達を心配してなの?」


「それもありますが、実は他にも用がありまして」


「なんですか?」


「あなた方に会ってもらいたい人がいます」


 ブルーとアイリスが顔を見合わせる。





 ◆





 ソレルが会わせたい人が誰なのか知らされないままに、四人はブルー達の家に戻ってきた。


「先にここで待ってもらってます」


 ソレルが家の前で立ち止まり、二人に扉を開けるよう促した。ブルーは何もわからぬまま、ただいつもより少し緊張した面持ちのソレルが気にはなったが、ゆっくりと家の扉を開けた。


 いつもの部屋。いつもの机、椅子。だがそこに見知らぬ少年が座っていた。一見すると女の子のような美しい顔をしている。少年はブルー達に気付くと立ち上がり、静かに微笑んだ。空色の髪が微かに揺れる。



「ナスタ様、お待たせしました。この子がアイリス、そしてブルーです」


「ナスタ…」


 ライラックは眉間に皺を寄せてソレルを見た。


「おまえ…」


「さあ、アイリス、ブルー。座ってください」


 二人はソレルに促されるまま、ナスタの正面に座った。ソレルはナスタの隣に座る。


「こちらはアルストロメリアの国王、ナスタ様だ」


「王、だと?」


 立ったままのライラックが声を上げる。


「なんだよ王って…王族でもねえ奴が王様気取りか!」


「ライラック、無礼ですよ。王という呼称は私が先日の会議で提案し、決定しました」


「なんだと?ソレル、てめえ…」


「王と呼ぶに相応しい方だと判断したからです。…すいませんが君は席を外していただけませんか。冷静な話ができない者はここにいるべきではない」


 ソレルのいつもとは違う厳しい表情に、ブルー達はただ黙って事の成り行きを見守るしかなかった。


「…ナスタ…アイリスに何かしたらただじゃおかねえからな…」


「ライラック!いい加減にしてください!」


「いいさ。突然来てすまなかった…ライラック。僕の顔を見るのが我慢ならないなら、少しだけ外にいててもらえるかな。二人に挨拶をしたかっただけなんだ。ほんの少しでいい。僕に時間をもらえないかい」


 ナスタが落ち着いた口調で言った。


「…ちっ」


 ライラックは大きな足音を立てながら家を出て行ってしまった。


「ナスタ様、ご無礼をお許しください」


「いや、かまわん」


 ナスタはひとつ咳払いをすると、あらためてブルー達を見た。


「はじめまして。アイリス、ブルー」


「はじめまして」

「は、はじめまして」


 二人は戸惑いながらも、マナーに厳しいソレルの日頃の教えどおり、きちんと挨拶をした。


「僕は先代のアルストロメリア王国代表者だった、ザックの息子だ」


「ザックって…」


「そう。君のお父さんを封印し、お母さんとお姉さんを死なせた人物だよ」


 アイリスの顔が強張る。


「父は少し前に亡くなってね。それで今は僕がこの国の王なんだ」


「王様…」


 アイリスの顔が悲しく歪む。


「君は…ドラセナに似ているね」


 アイリスがはっとしてナスタを見た。


「お父さんのこと、知ってるの?」


「もちろん。僕は彼にずっと憧れていた。彼は僕が知る中で最も強く、気高く、優しさに満ち溢れた人だった」


 ブルーもアイリスも、ナスタが話に聞いていたあの恐ろしい存在のザックの息子である事が、にわかに信じがたかった。それほど、彼からは悪人の気配など全く感じられなかったからである。


「君のお母さん、プリムにもとても世話になった。彼女は頭が良く、僕に世界のことや魔法のこと、他の種属のこと…いろんな事を教えてくれた。彼女がいなければ、僕はきっと、もっとつまらない奴になっていたと思うよ」


「そうなんだ…お父さんもお母さんも、素敵な人だったんだ…」


「君のお姉さん、フリージアも、心の優しい可愛い子だった」


「お姉ちゃん…」


「歌が好きでね。よく唄っていたな。下手くそな僕の歌も素敵だと言ってくれた」


 アイリスは目を潤ませてナスタを見ていた。


「幸せそうだった。みんな…だが僕の父はそんな幸せを彼らから奪っていったんだ…」


 ナスタは立ち上がり、真っ直ぐにアイリスを見た。


「謝って許されることじゃないのはわかってる。だけど…ちゃんといっておきたい…アイリス。僕の父がしたこと、本当に…申し訳なかった」


 ナスタは深く頭を下げた。アイリスは自分も慌てて立ち上がると、しばらくおろおろとした後、頭を下げたままのナスタの肩にそっと触れた。


「もう、大丈夫…あの、ありがとう」


 ナスタが顔を上げる。そこには、戸惑いながらも必死に笑おうとする少女がいた。かつて、城内で共に遊んだフリージアに驚くほど似ていた。まるで彼女が自分に大丈夫だと言ってくれた気がして、ナスタは涙を堪えるのが大変だった。鼻をすすりながら椅子に座る。



「ナスタ様が今日ここへ来られたのは、あなた達にこれからのアルストロメリアについて、ナスタ様の考えを話していただきたいと思ったからなんです。それを聞き、ナスタ様がこの国にとっていかに大切な御方か、そしてあなた達の味方であるという事を知ってほしい」

 ソレルは落ち着いた口調で二人に語りかける。

 アイリスとブルーはナスタの方を向いた。真剣な表情でナスタも二人を見た。


「…魔人という種族が、今どんな動きをしているか知っているかい」


「人間を中心に、他種族への攻撃が日に日にひどくなっていると先生…ソレルさんから聞いています」


 ブルーが答える。


「その通り。…ああ、そうだ。君達、僕に敬語は使わなくていい。まあそう言うなソレル。いいんだよ。僕がそうしてほしいんだ…と、話を戻そう。彼らはあらゆる手段を使って世界を自分達のものにしようとしている。このままでは人間、獣人、キカイ…そして我々竜人も存続が危ぶまれている」


「魔人はどうやってここまでくるの?」


 アイリスが尋ねる。


「彼らなら空を飛ぶ魔法くらい使えるだろう。それに彼らはモンスターも自在に操る。空を飛ぶモンスターに乗ってくることも容易いだろう」


「すぐにここを攻めないのは、やっぱり警戒しているから?」


 ブルーの問いにナスタは頷く。


「我々は人間や獣人と違って魔人には劣るが魔法も使う。ドラゴンになればさらに能力は上がる。簡単に倒せない相手と知っているのだろう。だからこそまず他の種族を滅ぼし、領土を広げ、確実に戦力を高めてからここへ来るつもりなのだろうと考えている」


「ど、どうすれば?」

 アイリスは不安そうだ。


「今我々は人間の中で最も力のある国、ゼラニウム帝国との交流を開始している」


「帝国と?」


「そうだ。ゼラニウム帝国の皇帝、ラナンは、かねてより竜人との交流について興味を持っていたこともあり、我々の交渉にも前向きな姿勢を見せてくれている。あちら側としても魔人の攻撃を食い止めるのに少しでも仲間がいた方が良いだろう。人間と竜人との国家間の交流はほどなくして本格的に開始される。そうなれば、我々竜人が地上へ行くのも自由、逆も然りだ。そして魔人以外の種族間で協力し合い、魔人に打ち勝つ。これがこの国、そしてこの世界の今後のあり方である」


「魔人以外の種族で協力するだけで魔人は倒せるの?俺は魔人がどういう種族かちゃんと知ってるわけじゃない。だけど、魔人が送り込んだとされるモンスターが来ただけで、自分の村は滅ぼされそうになった」


「うむ…実際は厳しいかもしれんな」


 ナスタは腕を組む。


「奴らの強さに関しては情報が少なすぎるのだ。人間に対する攻撃も、そのほとんどがモンスターを送り込むというものだからな。よく知らぬ敵に勝つか負けるかは、かなり不透明な話ではある」


「なるほど」


 ブルーも同じ様に腕を組んだ。


「あの…」


「どうしました、アイリス」


 ソレルが尋ねる。


「七竜…って…どれだけ強いの?」


 ナスタは考える時の癖なのか、顎に手を当てると難しい顔で答えた。


「七竜か…王族の血を引く国王にしか力を貸さぬという、伝説の竜達。彼らの力を目の当たりにしたものは今この世に生きてはいないだろうな。なにせ彼らがこの世界に姿を現したのははるか昔、星の戦いの時だとされている」


「星の戦いって、あの学校の教科書にのってるやつか…」


「ふ、そうだ。我々にとっては歴史上の出来事。実際にいたのかもあやしい存在ではある。だが今でも、その伝説はちゃんと伝わってはいる。この世界の七つの場所に、今も彼らは眠っているそうだ。その場所もちゃんと書物に記されている。…こんな話もある。彼らは我々と同じ竜人。我々の様に人の姿で普通に暮らしているという説だ」


「え、それっていったい…何歳なの?」


 アイリスがパチパチと瞬きをする。


「その辺りもあやふやなのさ。彼らは歳をとらないとか、彼らは歳をとるが何百年、何千年と生き続けられる…とかね。ただ、言い伝えられている伝説の中では彼らの力は膨大で、あらゆる種族、生命の能力を超え、この世界をも滅ぼすことすら造作もない程…なんだそうだ」


「な、なにそれ」

 アイリスが恐れおののく。


「だけど彼らの力を借りるには、まずそれぞれと戦って勝つ必要があるらしい。世界を滅ぼすだけの力をもった相手と戦って勝たなきゃいけないんだから、相当強くないといけない。今この世界ではアイリス。君にしか彼らは力を貸さないということになるけど…君が王になって彼らに勝つことができれば、七竜の力で魔人もあっという間に滅ぼせるだろうね」


「そ、そうだけど…」


「うん。今はまず無理だ。そもそもアイリス。君は王になりたいのかい」


「えっと…それは…」


 アイリスはちら、とソレルを見た。怒るでもなく、悲しむでもなく、いつもと変わらぬ表情だ。


「ライラックやソレルはいずれ君が王になる事を望んでいる。…そして僕もだ。ドラセナとプリムの子である君が本来なら玉座に座るべきなのだ。しかし君がなりたいと思わなければ、それは叶わないだろう。僕は君が王になると心から望んだ時、この座を君に譲るつもりだ」


 アイリスは黙ってナスタを見た。


「べつにかまわない。君はまだ9歳くらいだとソレルから聞いている。自分がどうなるべきかは、これからじっくり考えていけばいい。僕はいつまでも待っている」


「…うん!」


 アイリスの顔がぱっと明るくなる。


「そうだ、アイリス。君に渡したいものがある」


 そう言うと、ナスタは椅子の後ろから何かを取り出し、机の上に置いた。

 鞘に納められた剣だった。ガードの部分にはドラゴンの頭部と立派な羽の彫刻があしらわれていた。


「剣だ!」


「鞘から出してみてくれ」


 アイリスは立ち上がり剣を持つと、ゆっくりと鞘から抜き出した。全体的に黒みを帯びたやや細身の剣だ。重さも長さも、まだ子供のアイリスにも扱いやすくちょうど良い。


「ドラセナが若い頃に使っていた剣だ。君が使ってくれ」


 輝く瞳で繁々と剣を見ていたアイリスが視線をナスタに向ける。


「いいの…?」


「もちろんだ。城に置いてあるより、君に使ってもらった方が剣もドラセナも喜ぶ」


「…ありがとう!」


「それと…ブルー。君はアイリスの…義理の兄、でいいのかな」


「まあ、そんなところかな」


「アイリスと共に生活をして、彼女を守ってくれているそうじゃないか。ありがたい話だ」


「べつに、まあ…アイリスといるのは楽しいし」



 一瞬、ナスタの視線が鋭く光った。


「…ところでブルーは、格闘家として修行を積んでいるとか」


「ああ」


「どうだろう。少し手合わせ願えないだろうか。実は僕も少々嗜んでいてね。同じくらいの歳の者と戦ってみたかったんだ」


「え、ああ…うん。いいけど…」


 ブルーがソレルを見ると、彼はゆっくりと頷いた。


「よし。久し振りに体を動かせるな。表に出よう」







 ◆







 夕陽がブルー達を照らす。草の匂いのする風がブルーとナスタの髪を揺らした。アイリスとソレルは少し離れたところから二人を見守る。


 ナスタがどれほどの腕前なのか、ブルーには全くわからない。だがその華奢な体と白い肌から、おそらくそこまでの使い手ではないのでは…とブルーは勝手に予測した。


「では始めよう。まずはブルー、どこからでもいい。全力で打ってきてくれ」


 先手を譲る…これは自信があるからなのか。ブルーは構えた姿勢から一気に拳を突き出した。


 パシッ


 ナスタは顔色一つ変えずにブルーの拳を片手で受け止めた。





「なるほど」





 ナスタが微かに笑った気がした。

 ブルーはすぐに二、三発と拳を入れていく。が、今度はその全てをナスタは避けていく。


 当たらない。拳も、蹴りも、すんでのところで避けられる。もしかするとギリギリのところで避けるのもわざとかもしれない。いつも冷静なブルーの眉間に皺ができる。こめかみからは汗が一雫、ブルーの頰を伝って地面に落ちていった。


「さてそろそろ僕からいくよ」


 ナスタは素早くブルーの懐に潜り込んできた。顎先に目にも止まらぬ速さの拳が飛んでくる。ブルーは間一髪でそれをかわしはしたが、足がもつれて体勢を崩してしまった。眼鏡がずれ、地面に落ちる。

 そこへ再び風を切ってナスタの拳が顔面に向かってきた。これは当たる。そう確信したブルーの目の前で拳がぴたりと止まった。


「勝負あり、だな」


 ナスタがゆっくりと離れていく。ブルーはその場で立ち尽くしていた。

 ナスタが落ちた眼鏡を拾い、ブルーに渡してやる。



「すこし熱くなってしまった。すまん。兄弟子として、自分の強さを見せておきたかったんだ」


「兄弟子…」


「僕は5歳の頃からソレルに格闘を教わっている。今は誰かさんに教えるのに夢中でなかなか教えてくれないけどね。…ブルー。兄弟子からの小言だと思ってくれてかまない。君は今のままではアイリスを守るなど笑止千万。もし君が今よりもう少し強くなれたら、アイリス姫の騎士ナイトとしてやっていけるんじゃないかな。人間の君がどこまで強くなるか、楽しみにしているよ」


 そう言ってブルーの肩を叩くと、ナスタは外していたマントを翻し、身につけた。


「さて、ずいぶん長居してしまったな。すまん」


 ソレルがシルバードラゴンへと姿を変えると、ナスタはその上に飛び乗った。



「今度は僕のところへ来てくれ。歓迎しよう」


「行ってもいいの?」


 アイリスが驚きの声をあげる。


「大丈夫だ。もう君の脅威になる存在はいなくなった。たとえまた他にいたとしても、この王がねじ伏せてやるさ。君達が来た時用の家も城下町に用意してある。ソレルからまた詳しい話を聞いてくれ。では、また」



 そう言い残し、ナスタはソレルと共に空へと飛び去っていった。




 しばらくナスタを見送ったあと、アイリスは興奮気味でブルーに駆け寄った。


「王国に行けるんですって!あの大きな街に…楽しみだわ!」


「うん…」


 ブルーは自分のかすりもしなかった拳を、しばらく見つめ続けていた。

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