第六話 世界が動く時

 その日、城内はどこか不気味な静けさが漂っていた。蝋燭の火が揺らめく薄暗い廊下を、ソレルは早足で進んでいく。静かな廊下にソレルの靴音が響いた。


 前方からソレルのよく知る少年が数人の兵士を引き連れて歩いてくる。その上品な群青色のマントをはじめ、高貴な身なりや眉間に皺を寄せた険しい表情から少し大人びて見えるが、ちょうど十六になるブルーと同じ、まだ成人もしていない少年であった。中性的な顔立ちだが、眼光は鋭く、迷いもなく真っ直ぐに前を向いて歩くその勇ましさに、芯の強さがうかがえる。肩まで伸びた薄い空色の髪は、蝋燭の明かりで冷たい氷の様に艶めいていた。


 ソレルはすぐさま立ち止まると、深々と頭を下げた。


「ソレル、よく来てくれた」


「このたびは突然のことで…心よりお悔やみ申し上げます」


「まあ、覚悟はしていたからね」


「私にできることがあればいつでも仰ってください、ナスタ様」


 ナスタとよばれた少年は困った様に笑う。


「もちろんさ、ソレル。僕の周りで頼りになるのはおまえだけだからね。さっそくだけど話したい事がある。親父に別れを告げたら僕のところまで来てくれ」


 ナスタは兵を従え、立ち止まる事なく廊下の奥へと去っていった。ソレルは少しの間ナスタのいなくなった廊下を見ていたが、やがて再び目的の場所へと歩き始めた。



 一際大きく、頑丈な扉の前で立ち止まる。ソレルは深呼吸をした後、ゆっくりと扉を開けた。一歩足を踏み入れる。

 部屋の奥には大きなベットがあり、そこには永遠の眠りについた元アルストロメリア王国大臣、ザックの亡骸があった。月明かりが部屋の中を微かに照らしている。

 ザックのそばに立つ。そのしわがれた顔は生前とあまり変わる事なく、険しい表情をしている様に見えた。

 様々な思いが頭を過っていく。




 彼の行いで、たくさんのものを失った。




 それを止める事ができなかった自分の無力さを、今までずっと呪い続けた。あの時、自分が王の娘を守れていたら。王の暴走を止められていたら。王族の皆殺しを阻止できていたら。王妃を守ることができていたら…。何一つ出来ずにあれよあれよという間に最悪な結末を迎えてしまった。今となっては、たらればの話でしかない。常に後悔の念に苛まれてきた。あの時ザックには誰の声も届かなかった。彼の動き出した野望は、もはや誰にも止める事はできなかったのだ。

 ソレルは絶望の中で自らの命を絶つことを何度も考えた。だがその度に王妃…いや、小さい頃から一緒に生きてきた家族であるプリムの言葉を思い出し、なんとか生き延びてきたのだ。


 城の者達に追われ、とうとう地上へ逃げるしかなくなったその時、共に行こうと言ったソレルの手をそっと離した彼女の泣き顔は、未だに忘れる事ができないでいる。







「ソレル、あなたはこの国に残って。あなたとライラックがいるかぎり、私たちの夢は消えない。自由の国を、もう一度あなた達の手で…いつかこの子がこの国に帰って来る日のために…お願い、ソレル…どうか、生きて」








 それが、ソレルが聞いたプリムの最後の言葉だった。


 あれから数年。ソレルは城から離れる事なく、この場所に残り続けた。最も憎むべき存在であるザックから絶対に離れはしなかった。全てはいなくなった者達のため。自分の感情などどうでもいい。怒りや憎しみに押し流されぬよう、ザックに忠誠を誓うをし続け、冷静に時が来るのを待った。


 元々血の気の多いライラックには、それは難しかった。あの頃は口を開けばザックを殺すことばかり。確かに、ライラックなら本当に殺せたかもしれない。だがソレルは決してそれを許さなかった。ザックを殺したところで全て上手くいくわけではない。ドラセナもプリムも、それを望んではいないはずだ。不幸中の幸いで、ザックの息子ナスタは物分りのいい少年だった。年老いたザックはいずれその息子に全てを託すだろう。その時こそ自分達が行動を起こすときなのだ。


 やがてライラックは兵士を辞め、プリム達を探しに行ったきり戻って来なくなった。もしかしたら…彼なら本当に見つけ出してくれるかもしれないと、ソレルも可能性を信じて待ち続けた。



 プリムに会う事は叶わなかったが、彼女の娘に会う事ができた。彼女が命をかけて守り抜いた希望の光を、絶対に消すわけにはいかない。


 ソレルはザックに何も語りかける事なく、黙ったまま部屋を出た。





 ◆





 ナスタの部屋の前まで来ると、見張りの兵士に一礼する。兵は扉をノックした。


「ソレル様がお見えになりました」


「入れてやってくれ。お前達はしばらく下がっていろ」


 ナスタの部屋に招き入れられたソレルは、兵達の足音が遠ざかるのを確認し、ナスタに近付いた。ナスタはマントを椅子の背もたれにかけ、足を組みながら座っていた。すぐそばのテーブルには紅茶の入ったカップとガラスのティーポットが置かれている。


「掛けてくれ」


 ソレルは促されるままナスタの正面の席に座る。ナスタの部屋には必要最低限の家具しか置かれておらず、ほとんど物がなかった。綺麗ではあるが、やや殺風景でもある。



「遅くにすまんな。おまえにはすぐに知らせておきたかったんだ。どうだった、親父の死に顔は」


「疲れて眠っているようにも見えました」


「はは、そうだな。たしかに親父は起きている時も寝る時も、いつも難しい顔をしていた。死んでもそれは変わらんらしい。ライラックはやはり来なかったようだな」


「申し訳ございません」


「いいさ。予想はしていた。奴からすれば、死に顔すら見たくはないのだろう」


 ナスタは戸棚からカップを取り出すと、ティーポットの紅茶を注ぎソレルに差し出した。


「ありがとうございます」


「まだおまえほど上手くは淹れられないがな。早速だが、代表者だった親父亡き今後のアルストロメリアについて話しておきたい。他の者達との会議は明日の朝早くに行う予定だ。そこで次の代表者を先に決め、国民の前で親父の死と、新しい代表者について話す」


 ソレルが頷くのを確認した後、ナスタは話を続けた。


「新しい代表者はほぼ間違いなく僕になるだろう。それをふまえた上で今後のこの国のあり方についておまえの意見を聞いておきたい」


「僭越ながら申し上げます。まず早急にすべき事は魔人対策かと。情報によりますと、ここ数年で魔人の人間に対する攻撃は激しさを増していると聞きます。他の種族と違って魔力も身体能力も低く、それでいて地上のほとんどを牛耳っている人間から攻めて、領土を広げていくのは、魔人にとって至極当然の事。唯一恐るべきは、おそらくゼラニウム帝国でしょう。あそこにはライフピースというエネルギー源が豊富に残っていると聞きます」


「はるか昔、星の戦いで人間が手にしたとされる財宝か…本当にそんな物が存在しているのか?」


「たしかな情報です。ライフピースは一種ので、それを利用した武器の能力は魔人の魔法をも凌ぐと言われています。魔人が帝国に迂闊に手を出さないのも、その資源があるからだと考えるのが妥当かと」


「だがもしゼラニウムが敗北した場合、魔人はそのライフピースも手に入れてしまう。そうなってくるとここも危険だな」


「魔人がここへ攻撃してくるのは、必ずしも人間や他の種族の後とは限りません。明日ここへ来ないという確証はないのです」


「…親父や年寄り連中は竜人の力を過信しすぎていた。とくに何の行動を起こさなくても魔人に勝てると思い込んでいたんだ」


「他の種族を知ろうとしない事が原因でしょう。我々竜人は全知全能ではない。やり方一つですぐに滅ぼされてしまいます」


「そこで…かねてからおまえが言っていた、他の種族との関わりか」


「はい。魔人に抵抗するには他の種族が一致団結しなければならないと考えます。ある時は守り、ある時は守られ、そうして築き上げた信頼や絆がお互いの国を強くするのです」


「…ドラセナも言っていたな」


 ソレルにはナスタの顔が一瞬、深い悲しみに満ちた様に見えた。


 ドラセナは幼かったナスタにとって一番の憧れだった。ドラセナに会うために、当時大臣だったザックにいつも着いてきていた。ドラセナもまた、ナスタを可愛がっていた。ドラセナだけではない。プリムもライラックも、そしてソレルも、ナスタを子供の頃から可愛がってきたのだ。


「親父がなぜあそこまでこの国の頂点に立ちたかったのか、ずっと考えてきたが未だにわからないんだ。王族を皆殺しにしてまで親父が欲しかった地位に、今僕は立とうとしている。僕は許されるのだろうか」


 ナスタは幼い頃、遊んでいて城に置かれていた大きな壺を割ってしまったことがある。その時のナスタの様に、今彼は戸惑いと不安に満ちた表情をしていた。だがそれはほんの一瞬の事。すぐにいつもの落ち着いた表情に戻る。


「すまない。妙なことを聞いたな」


 ナスタは自らを落ち着かせる様にカップに残った紅茶を一気に飲み干した。


「他の種族との関わりを持つ事は僕も賛成だ。だが時間はかかるぞ。まずは自国の年寄り連中を説得しなければいけない。そして実際の交流だが…まずは人間だろうな。獣人もキカイも殆どが人間の支配下にある。ゼラニウム帝国の幹部連中に会いに行くか来させるか。どちらにせよ、僕ら竜人が他の種族と話をするのは星の戦い以来の事だ。慎重に動かなければいけないだろう。ソレル、手伝ってくれるか」


「もちろんです」


「助かる。ああ、あと…風の噂で聞いたんだが…最近名もなき小さな浮遊大陸で、子供二人とおまえが一緒にいるところを見たというやつがいたんだが、何か心当たりはあるか」


 ソレルの顔が強張るのをナスタは見逃さなかった。にやりと笑みを浮かべる。


「見つけたのか。王の子を」


 ソレルはしばらく黙っていたが、なにかを決意した表情で頷いた。


「そうか…教えてくれていいものを」


 ナスタは少し拗ねている様子だ。


「申し訳ございません。なにぶん…お父様がご健在の間は城内でこの話をするわけにはいきませんでしたので」


「それもそうだな。まぁ、だから僕も本当は遠の昔に知っていたが知らぬふりをしていた」


「…そうなのですか?」


「僕の情報網を侮らないでくれソレル。情報こそ命。おまえが教えてくれたんだ」


「…そうでしたね。申し訳ございません」


「で、どんな子だ。名はなんという」


「アイリスです。明るく活発で…素直な良い子です。顔は姉のフリージアにとてもよく似ています」


「そうか。一度会わせてくれないか」


「アイリスにですか」


「ああ。見ておきたいんだ。いずれ王になる子だろう」


 ソレルが目を見開く。


「何を驚いているのだ」


「ナスタ様…しかし…それは…」


「自分の意志を隠すな。僕はおまえを信頼している。おまえも僕を信頼しろ。アイリス、といったか。その子はドラセナとプリムの子だ。王族の生き残りなのだ。親父が必死になって根絶やしにしようとしたのに、その子は生き残ったんだ。僕にも喜ばせてくれよ、ソレル」


 ソレルは紅茶にうつる自分の顔を見た。不安そうな顔だ。わかっている。今はナスタ無くしてこの国を動かす事はできない。彼の存在が、自分と同じ思想が、どれほどありがたいか。これ以上彼に隠し事をするのは、互いの信頼を損なうことになる。ソレルは意を決して口を開いた。


「ナスタ様。彼女は幼い。まだ王女になどなれない事はもちろん分かっています」


「だが、いずれは僕を退けアイリスに王女になってほしい。そうだな?」


 ソレルは何も言えずにいた。


「ははは、おまえは私に気を使いすぎだ。そんな事はわかっている。ドラセナの子だ。きっと良い子なんだろうな」


 しかし、とナスタの顔がいつも通り鋭く、勇ましくなる。


「王になる器かどうかは別だ。王はどんな時も民のために考え、行動しなければならない。舵取りを見誤ると、国という船は沈没してしまう。この事が理解できない様な者は王になるべきではない。そしてこの国は…王族の呪われた力で一度は崩壊しかけたのだ。そのことを民は決して忘れはしないぞ。あれが、ろくでもない思想の持ち主だった親父が仕掛けた罠であっても、ドラセナは暴走し、多くの竜人の命を奪ったのも事実。この呪いに打ち勝つだけの力を持てぬのなら、僕は決して王族にこの座を譲りはしない。そもそも、弱い王には七竜も力を貸さぬ」


「はい…」


「ソレル、下を向くな。僕を見ろ」



 頭を上げる。そこには、優しく微笑むまだあどけなさの残る少年がいた。



「残念ながら大きな口を叩いても、僕もまだ子供だ。そしてアイリスも。これから先、僕らは大人になる。その時、もしアイリスが僕よりも国を思い、行動できる強い竜人になっていたら…その時は国がアイリスを選ぶだろう。国民が彼女を王にするんだ。その日まで、おまえはもう少し僕を助けてほしい」


「はい…!もちろんでございます…感謝します、ナスタ様…」


「うむ。それじゃあ…今度アイリスのところに連れて行ってくれ。ドラセナとプリムの子を見たい」


「ええ。必ず」


「その、もう一人の子供とは何者だ?」


「アイリスの育ての親の子です。ライラックが連れて来ました。人間ですが、勇敢で賢い子です。ちょうどナスタ様と同じ歳ぐらいかと」


「そうか、ライラックが…。将来は王女を守る騎士、かな…そいつともぜひ会いたい」





 その後も二人は今後の政策について長い時間話し込んだ。夜も更けてきた頃、ソレルの帰り際に、ふいにナスタが尋ねた。




「ああ、ソレル。ひとつ聞いておきたい。親父の死因だが…やはり病による死だった。だが昔からある魔法に、相手を病に侵し殺すといった魔法もあると聞く。大丈夫だ…なにもおまえを疑ってはいない。なにせあの親父だ。恨む者の数は計り知れないだろう。もし親父が何者かに殺されていたとして、べつに何が変わるわけでもない。ただ気になってな。病気ひとつしてこなかった親父が、あの件の後すぐ病に侵された。偶然かもしれない。だが、僕は真実を知りたい。真実を知ることができない無知な者が国を動かすのはあまりに滑稽だろう?少し調べてはくれんか」


「…承知いたしました」



 ソレルは静かに部屋を出た。しばらく廊下を歩いていると、前から一人の男が歩いてきた。

 歳はソレルよりも十は離れているだろうか。濃いネイビーの髪には所々白髪が混じっている。目には生き生きとした輝きはなく、どこか虚ろで暗い印象が漂う男だった。


「コリウス」


 ソレルの呼びかけにはっきりとした返事はなく、ただ立ち止まってソレルの顔を見た。


「ナスタ様のところに?」


「…はい。明日の会議についての話です」


 呼び止められた事に若干の煩わしさを感じている様だ。


 コリウスは浮遊大陸のひとつに捨てられていた孤児だった。ザックが見つけ、使用人として城で育ち、後に兵士となった。剣の腕前は抜群で、今は立派な上級兵にまで昇りつめている。群青色の軍服に身を包んだ姿は全体的に細身だが、あるべきところにはしっかりと筋肉がついている。


「そうですか。いつも通りにふるまっておられるが、お父上が亡くなられた直後です。気を使ってさしあげなさい」


「わかっています」



 それだけの言葉を交わし、コリウスはその場を立ち去ろうとする。



「コリウス」


「…まだ何か」


「君はたしか、剣技だけでなく魔法も得意だったね」


「それがなにか…?」


 コリウスはソレルに背を向けたまま苛ついた声を上げる。


「いや…気を悪くしないでほしいのですが、ザック様が魔法によって殺された可能性があるのでね…」


「彼の死因は病死なのでは」


「ええ、そうです。ですが病に見せかけて魔法で彼を殺す事も…可能なのではないかと」


 ふ、とコリウスが鼻で笑う。


「私がやったと?」


「いいえ、そうではありません。ただの確認です。失礼を承知で聞いているのです。あなたは何もしていませんよね?」


「…馬鹿馬鹿しくて答える気にもなりません。失礼します」



 コリウスは一度も振り返る事なく去って行った。



 ソレルには、もし本当にザックが殺されたのだとすると、やはりコリウス以外には考えられなかった。ザックに拾われ、ザックの命令に従い続けなければ生きてこれなかった彼の人生を、間近で見てきた。それは決して幸福な物語ではない。やりたくもない仕事でも、彼はこなさなければいけなかった。それが卑劣な殺人でも…。




 あの件依頼、別人の様に変わってしまった彼を、ソレルには責める事はできなかった。



 今はとにかくザックの死が単なる病死であってほしいと心から願うしかなかった。

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