第五話 浮遊大陸での生活

 浮遊大陸での暮らしは、最初こそ不慣れな部分は多々あったが、しばらくすればブルーもアイリスもすぐに慣れてきた。


 ブルーは主に食材の調達や、小屋に必要な物を木や石をうまく利用して作った。大陸では果実や小動物、魚が豊富に採れたので食べるものに困ることもなかった。何が安全でかつ美味しいものか、そして反対に口にしてはいけないものは何か、ブルーは本の知識を頼りに大陸中の食材を調べてまわった。得意のパチンコも改良に改良を重ね、威力の高いものに作り直し、兎などであれば一発で仕留められた。

 また、木を使って小屋を大きくしたり、ベッドや台所、本棚もあっという間にこしらえてしまった。二人が大陸に来てからほんの数ヶ月で、小屋は立派な家へと姿を変えていた。ついでにライラックのみすぼらしいボロボロのテントは一旦取り壊し、新しく大人一人が広々と暮らせるぐらいの小屋も作ってやった。



 アイリスは主にブルーが採ってきた食材の調理や、畑、家畜の世話をした。天候が悪い時やブルーの体調が優れない時には外出が困難であり、食材の調達も難しい。ブルーの発案で家の周りで食材自体を育てる事になったのだ。

 ソレルが持ってきた野菜の種をもらい、畑の作り方、育て方を学びながらアイリスは少しづつ畑を大きくしていった。家畜は主に卵用の鶏、ミルク用のヤギ、衣服の素材として羊の世話もした。どれもソレルが遠方から担いで持ってきてくれたものだ。

 料理の腕前も、最初はブルーが思わず吐き出しそうになるくらいの味だったのが、ソレルの教えもあって段々と食べられるもの、そしてブルーが何度もおかわりするまでのものにまでなっていった。


 ここまでの暮らしができるようになるまで、二人は数々の失敗を経験した。時にはブルーが食材の調達中に小さな崖から滑り落ちて怪我をしたり、アイリスが食べてはいけない果実を少しかじって腹を痛めたり、台風に畑を荒らされたり…。ソレルやライラックの手助けもあり、二人はどうにかこうにか毎日を暮らしていけるようになれたのだった。




 もちろん、も並行している。


 アイリスはライラックから剣の修行を受けた。といっても、普通の剣を持つまでにはかなりの日数がかかった。ライラックはアイリスの根本的な力、体力不足を解消するべく、大陸を一緒に走ったり、川の水をバケツ一杯に入れて運ばせたりした。剣が持てるようになったとしても、まずは木製の剣から。ライラック曰く、重量のある剣を子供のうちから持たせるのは、腕や肩を壊してしまう恐れがあって危険らしい。木の剣で何十回、何百回と素振りをさせられるため、 アイリスは度々こっそりと森に隠れて修行を逃れようとしては、ライラックにすぐに見つかり叱られていた。


「もっと大きく振れ!」

「振り下ろすのが遅い。もっと速く振り下ろせ!」

 単なる素振りと侮るなかれ。剣士を志す者にとって最も大事なことが素振りだと、ライラックは何度も口にした。


 最初の一年はほとんど走る事、水を運ぶ事、素振りのみだったが、段々と修行内容は変わっていく。


 アイリスの剣はまだ木のままだったが、ライラックも同じ木の剣を持ち、今度はアイリスにその場でじっとしている自分に向かって斬りつけてくるよう指示した。右、左、手首を素早く返してライラックに打ち込んでいく。

「もっとリズムよくやれ!」

「力入れろ!」

 木と木がぶつかり合う音が響く。

「しんどーい!」

「そんなへなちょこじゃスライムにもやられちまうぞ」

 ライラックがにやりと笑う。アイリスはライラックを睨み付けると、勢いよく剣を振り下ろした。鈍い音と共にライラックの木の剣がほんの少し欠ける。

「やるじゃねえか!まだまだ元気そうだな。おら、もっとだ!」




 素振りの剣は、アイリスの成長とともに木から銅の剣へと変わった。重さが増してアイリスの汗の量も増えていく。ライラックとの稽古時は木の剣のまま、ライラックが避けたり牽制してくるのを見極めながら力強く打ち込んでいくという、より実践的なものになっていった。


「怖がってんじゃねえ!もっと来い!」

「わかってるってば!」

 アイリスが地面を蹴って思い切り剣を薙ぎ払う。ライラックは仁王立ちのままそれをいとも簡単に受けた。


「痛いー!」


 手の痺れに思わず剣を取り落としてしまった。

「なにやってんだ。ほれ、さっさと立て」

「…もう…お腹空いた…」

「あ!?さっき食ったばっかりだろ」

「動くとお腹空くの!」

「わかったわかった!じゃあ今日はあと素振り千回やっておしまいだ」

「せ、せんかい?」

「おら、早くしろ」






「…というわけで、このいねむり草とピリピリ草を一緒に煎じて飲ませると、眠らされた状態の者はたちまち目が覚めるというわけですね」


 家の扉が勢いよく開く。

「もう疲れたー!」

 アイリスがよろよろと入ってくると、そのままベッドに倒れこんだ。


「おやアイリス、今日の剣の修行は終わりですか」

「手洗ってこいよ。また風邪引くぞ」


 薬学の勉強中だったブルーとソレルが疲れ果てたアイリスを覗き込む。


「もう動けない…」

「大袈裟だな」

「本当に大変なんだから!ライラックは鬼よ鬼!」

「誰が鬼だって?」

 ライラックも眉をぴくぴくさせながら入ってきた。

「なんだまたお勉強か?」

 ライラックがブルーの頭をぽんぽんと叩く。

「お前も早いとこ自分の武器を決めろよ」

「うん」


 眼鏡のずれをなおしながら、俯くブルーにソレルが優しく声をかける。

「大丈夫ですよ。焦らなくても。試しに今度色々持ってきましょうか。実際に武器を触ると感覚がつかみやすいかもしれません」

 ブルーが頷く。武器を決めることは、自分達のこれからを決めるといっても過言ではない。ブルーはじっくりと、最も効率のいい自分にあった武器を模索していた。





 ◆




「ではこれから魔法の勉強です」

「やったー!」

 アイリスは心底嬉しそうに手を叩いた。

 遠くの大木のそばでライラックとブルーが座ってその様子を見ている。

「おいアイリス!おまえ魔法が使える様になったからって剣の練習しなくていいわけじゃねえからな!」

 ライラックの怒鳴り声が響く。

「わかってるよ!もう…」

「それでは早速ですが、まずはこちらの剣を持ってください。これは魔法剣用に作られた剣です」


 ソレルは細身ですらりとした銀の剣をアイリスに持たせた。ガードの部分には金色の翼があしらわれており、アイリスはその剣にしばらく見惚れていた。


「さ、剣を両手で持って。剣先が天に向くように…そうそう。そして呪文を唱えます。目を閉じて。私に続いて唱えてくださいね」

「は、はい!」

「…今ここへ、火を司る神聖な神を呼び起こさん」

「え、えっと今ここに…火を…え?なんだっけ」


 遠くでけらけらと笑うライラックとブルーの声がする。


「焦らず、ゆっくり。心を落ち着けてください。いきますよ…今ここへ」

「い、今ここへ」

「火を司る神聖な神を」

「火を司る…神聖な神を」

「呼び起こさん」

「呼び起こさん」


 アイリスの言葉に、剣が淡く、赤く光り始める。


「力を与え給え」

「力を与え給え」

「汝、ロキの魂ここに降臨せよ!」

「汝、ロキの魂ここに降臨せよっ」


 アイリスの剣から突然、炎がほとばしる。真っ赤な炎はそのまま天を突き抜けんばかりの威力で伸び上がっていく。


「きゃあっ」


 アイリスは咄嗟に剣を放り投げてしまった。剣ごと落ちた炎があっという間に草に燃え移り、さらなる威力を増していく。ソレルが右手を炎に向けると、掌から無数の氷の刃が飛び出し、炎をあっという間に鎮火していく。後に残ったのは、焼けた地面と煙をあげている剣だけだ。

 ソレルはガタガタと振るえるアイリスの肩にそっと触れた。


「大丈夫ですか?」

「は、はい…」


 ライラックとブルーも駆けつける。


「なんかすげー燃えてたけど、ありゃ、おまえがやったのか?」

 ライラックは少し興奮気味だ。アイリスは青ざめた顔で黙ったまま手をさすっている。

「大丈夫?火傷してない?」

「うん。ちょっと熱かっただけ」

 アイリスはブルーに微かに笑みをみせた。


「すいません、アイリス。まさか初めからあれ程の威力とは…予想しておくべきでしたね。あなたは子供でも王族の人間。我々よりも遥かに高い魔力の持ち主なのでしょう。これからは魔力の調節を覚えていかなくてはなりませんね」


「魔力の調節?どうすればいいんですか?」


 アイリスは泣きそうな顔をしている。


「魔力も物理的な力と似たところがあります。例えば…」


 ソレルは家のそばに置いてある荷車を持ってきた。


「この荷車、僅かな力で押すとほんの少ししか動きません。しかし思い切り力を込めると…」

 荷車がコロコロと進んでいき、途中で止まった。

「この様に遠くまで進んでいきます。魔力もこれと似ていて、精神力を込めすぎると威力は増しますが、思いもよらぬ被害を自分や仲間が受けたり、精神力を使い果たしてしまう恐れがあるのです。アイリス、君は今しっかりと歩けますか?」


「え?えっと…あれ、なんかくらくらする」


 足元がおぼつかないアイリスをブルーが支えてやる。


「もし今、これが敵との戦いの最中であったら…アイリスはその体で引き続き戦わなければなりませんので、非常に危険な状態です。つまり、魔法は精神力との兼ね合いで利用しなければいけない。威力の加減も自分で調節していかなければいけないのです。あなたの様にはじめから持っている魔力が高い場合は、まずはほんの少しの魔力でその威力を見ておいた方がいいでしょう」


「な、なるほど」


 アイリスは眉間に皺を寄せて考えこんでしまった。その背中をライラックが思い切り叩く。


「なーに難しい顔してんだよ!ドラゴンにならなきゃ火だって使えない俺からしたら羨ましいかぎりだ!なあブルー」

「うん。なにかと便利そうだよね。料理の時とか。寒い所で暖を取る時とか」

「ブルー。神聖な魔法をなんだと思っているのですか」


 わいわいと騒ぐ三人とは対照的に、アイリスは黙ったまま不安そうに自分の手をじっと見つめていた。





 ◆





「さて、今日はドラゴンの姿で飛行訓練です」

 大陸にある小高い丘に、アイリスとソレルは立っていた。アイリスは申し訳なさそうにソレルを見ている。


「あの…私、ドラゴンに自分からなった事がないんですけど…」

「ふむ。我々竜人はとくに人から習うわけでもなく、いつの間にかドラゴンに変身できるものですが…幼少期を人間と過ごしてきたあなたには、自然とドラゴンになることが難しいのかもしれませんね」


 ソレルは丘の上から森を見下ろした。うっそうと茂る木々が広がっており、その上をライラックがレッドドラゴンの姿で優雅に飛び回っている。



「アイリス、ここから飛んでみてください」


「は?」


 アイリスが素っ頓狂な声を上げる。


「竜人は高い所から落ちて死ぬことは絶対にないとされています。それはいくら人の姿で落ちようと、必ず本能的にドラゴンになり、羽ばたくことができるからです。つまり、あなたもここから飛び降りれば、ドラゴンになれるというわけですね」


 ソレルの爽やかな微笑みが、今のアイリスには怖すぎた。首を激しく横に振る。


「おや、駄目ですか」


「ぜったいに嫌です!」


「う〜ん、困りましたね」


 ソレルは腕を組み、しばらく考えていたかと思うと、ぱっと明るい笑顔になった。


「ではこうしましょう!まずは私がここから人の姿で飛び降ります」


「えっ」


「もしそれで無意識のうちにドラゴンになれたら、あなたも必ずドラゴンになれるということの証明になります」


「で、でも…もしそのまま落ちちゃったら…」


「大丈夫。下にはライラックがいます。受け止めてくれますよ」


 そう言うと、ソレルは丘のギリギリまで歩いていき、アイリスの方を振り返った。


「では、行きますよ」


 ソレルは静かに目を瞑ると、何の躊躇もなく背中から落ちていった。

 アイリスは慌てて駆け寄り、丘の下を見下ろした。


 落ちていくソレルの身体が段々小さくなっていく。ソレルはいっこうにドラゴンになる気配がない。地面との距離が急速に短くなっていく。下を飛んでいたライラックがぽかんとした顔で落ちていくソレルを見ていた。


「…あ?なにやってんだ?」


「ライラック!早く受け止めて!」



 アイリスが叫んだその時、眩い光が丘の下から目に飛び込んできた。

 あまりの眩しさにアイリスは目を瞑る。


 しばらくしてゆっくりと目を開けた時、アイリスの目の前には銀色に輝く鱗をもつドラゴンがその翼を優美に羽ばたかせていた。


「ほら、大丈夫でしたよ!あなたも飛んでみなさい。あなたは竜人です。きっとドラゴンになれます」


 ぽかんと口を開けたままのアイリスが、ソレルの声にはっとして丘の下を見下ろした。はるか下に広がる森。何やってんだ!危ないだろ!と叫ぶライラック。それ以外には何も無い。ソレルが大丈夫だったからといって、アイリスがこのまま飛び降りて無事でいられる保証はないのだ。怖い。汗が額を滑り落ち、首元まで伝う。頭上でふわりと浮かぶソレルが優しく語りかける。


「アイリス、大丈夫です。私もいます。あなたを死なせるはずがありません」


 それでもアイリスは飛び降りる事ができない。自分が竜人だということが、本当はまだ自覚できないのだ。竜人であり、王族である。あの魔法の修行の時もそうだ。凄まじい炎に自分がとても恐ろしくなった。本当の家族のことも、まだ夢物語なのかもしれないとさえ感じられる。ブルーと同じ、自分も人間だと思いたかった。


「アイリス」


 ソレルがぽろぽろと涙を零すアイリスに再び語りかける。


「あなたは飛びたいと思ったことはありませんか?鳥の様にこの空を自由に飛びたいと。空を飛ぶことがもしできたなら、あなたならどこへ行きたいですか?」


 どこへ行きたいか。


 ブルーの言葉が思い出される。





 いいじゃん。空、飛べるんだろ。ちゃんと飛べたら俺を乗せてよ。そしたら二人で何処へだって行けるぜ。





 ブルー。いつもそばにいてくれた兄の様な存在。人間なのに、竜人の国まで着いてきてくれた。ちょっと腹が立つ事も時折言ってくるけど、とても大事な存在。


 もし自分が自由に空を飛べたら、ブルーはきっと喜んでくれる。


 アイリスはゆっくりと深呼吸した。


 飛びたい。竜人とか、人間とか、今はどうだっていい。ただ今すぐにでもブルーの元に行きたい。飛べたじゃん、アイリス。よくがんばったな、と言われたい。




 意を決して丘の上からゆっくりと落ちていく。


 落ちるんじゃない。私はブルーの所に行くんだ!





 木にぶつかる直前、アイリスの目の前は真っ白になる。光だ。自分の周りを光が覆っている。身体が一瞬、熱くなる。そして次の瞬間、自分の身体がふわりと浮き上がるのを感じた。



「やりましたよアイリス!あなたは今、ドラゴンの姿だ!」



 ソレルの声が遠くから聞こえてくる。

 アイリスは身体がふらふらと空中を漂うのを感じた。妙な感覚だ。風の音がいつもより大きく聞こえる。そして、自分の体を見た。


「わ、わわわ、なにこの毛!」



 純白の長い毛が身体中にびっしりと生えている。それだけじゃない。その身体自体が、とてつもなく巨大なのだ。手には長い爪、分厚いこれまた純白の大きな肉球。お腹にもふわふわとした毛がふさりと風になびいていた。足も同様、鋭い爪と肉球が存在していた。

 ばさり、ばさり、とまるで大きな旗を揺らしているかの様な音がする。自分の背中に、真っ白な羽がくっついていた。



「なにこれ!…え、あ、あああ…」


 急にバランスを崩し、森の木にぶつかりそうになる。危ない!と叫ぶソレルの声がした。無我夢中で手足をばたつかせる。何か硬いものにぶつかった。


「おう、アイリス!なーにバタバタしてんだ。落ち着いて、深呼吸してみろ。あとは風の流れを感じながら羽を動かしてみるんだ」



 ぶつかったのはライラックだった。ライラックはアイリスの身体を思い切り放り投げる。



「ひゃああああ!」



 世界がぐるぐると回る。アイリスの身体は空高く舞い上がる。すぐそばに銀色に輝くドラゴンがいた。


「アイリス!大丈夫ですか?…ライラック!無茶はよしてください!」

「こ、怖い怖い!高い所怖いよー!」

「落ち着いて、アイリス!大丈夫です。ゆっくり、イメージしなさい。落ちるのではなく、空の上をゆっくり歩くような気持ちで」


 アイリスを支えていたソレルが、そろりと手を放す。


「き、きゃあああああ」


 身体が真っ逆さまに落ちていく。


「アイリス!空を見なさい!下ばかり見ないで!」


 アイリスが空を見上げる。すると、またすんでのところで身体がふわりと浮き上がった。


「そう、その調子です!そのまま丘の上に来なさい」



 身体が重い。羽ばたくという事がどういう事なのかよく分からないまま、とにかく丘の上、丘の上、と呪文の様に何度も口にしながら、ゆっくりと浮き上がっていく。心臓は苦しい程にどくりどくりと音をたてていた。



「いいですよアイリス!もう少しです!」



 丘の上まであと一息だったその時、一羽の鳥がアイリスの鼻先まで飛んできた。


「ひゃあっ」


 驚いたアイリスは急降下していく。



「アイリス!」





 ソレルの声がしたと思うと、次の瞬間、木を踏んづける音が飛び込んできた。



「いたたたた!」



 バキバキバキバキ…



 たくさんの木を押し潰し、最後にはお尻から硬い地面にぶち当たった。どすん、と地鳴りの音が大陸に響き渡る。



「アイリス!」

 すぐさまソレルが後を追った。ライラックもそれに続く。


「…痛いよー!」


 真っ白なドラゴンが尻もちを着いた格好のまま、わんわんと泣いている。その様子を見て、ソレルとライラックは苦笑いのままお互いに視線を交わした。





 ◆






 アイリスの飛行訓練はその後も定期的に行われた。


「ようやくまっすぐ飛べる様になりましたね」


 ソレルとブルーは丘の上からアイリスの飛行具合を見守っていた。


「はい。よかったです」

 ブルーは心底嬉しそうだ。

「タンジー村でもアイリスのドラゴンの姿は見てますけど、今のあの姿は…あの時と違います。見た目はほとんど同じなんだけど、なんというか…顔が…あの時はすごく怖かったです」

 そう言いながら、ブルーは顔を歪ませてその時のアイリスの顔真似をして見せた。


「そうですね…暴走時はとても恐ろしい形相になりますから…」


 ソレルは空を飛ぶアイリスの姿を見つめながら、何か別の事を考えている様にも見えた。


「先生」


 ブルーとアイリスはソレルの事を先生と呼んでいた。(ちなみにライラックは呼び捨てのままだ)


「俺、自分の武器を考えたんですけど」


「おや、決まりましたか」


 ブルーは自分の手を見つめた後、ぐっと握り拳を作りソレルに向き直った。


「これが…いつ、どこでも使える武器…一番効率的な武器だと思うんです」


 握り拳をゆっくりと突き出すブルーをしばらく眺めた後、ソレルははっとしてブルーの顔を見た。


「素手…格闘ですか?」


「はい」


「なるほど…」


 驚いた表情のままソレルはブルーの握り拳を見ていたが、やがて厳しい表情に変わる。


「己の肉体のみで戦うことは、非常に大変なことですよ」


「はい」


「自分自身を極限まで鍛えなければ、本当に強くはなれない。効率のいい武器になるかどうかは自分次第です」


「はい」


 しばらくの沈黙の後、ソレルはふっと笑みをこぼした。



「…いいでしょう。ちょうど私は格闘の心得もあります。むしろ…得意分野です」


 ソレルはにっこりと微笑んだ。







 次の日からブルーとソレルの修行が始まった。走り込みや腕立て伏ふせ、腹筋等で体の基礎を作っていく。薪や岩などの重量のあるものを担ぎ筋肉を鍛え、木にくくりつけた羊毛入りの袋を何時間も殴り続けた。

 もちろん格闘家としての動きの基礎はソレルからきちんと学んだ。拳の繰り出し方、上半身、下半身の動き。基本的な動きを何度も何度も繰り返した。ブルーは弱音ひとつ吐かずに修行を続けた。普段の狩りや採集時も、腕や足に石の重りをくくりつけて移動するようにもした。

 しばらくすると、ようやくソレルとの対人訓練が始まった。ソレルに実際に打撃を加える。ブルーの全ての打撃をソレルは受け、時には避け、時にはブルーに激しい打撃を逆に打ち込んだりもした。何度も何度も、その攻防を繰り返した。ソレルは薬学を教える時よりも非常に口数は少なかった。自分の動きを見せ、そこからブルーに学んでもらいたかった。口で説明もするにはするが、格闘は口ではなく体で覚えていってもらう事が一番だとソレルは考えていた。


 ソレルが大陸に現れない日も、ブルーは走り込みや筋肉トレーニングを怠らなかった。ブルーの拳には繰り返し打撃を加える衝撃で赤くなり、皮がめくれていた。止血のために包帯を巻いて修行を続ける。ブルーはこの修行が決して苦しいだけのものとは思わなかった。むしろ彼にとって、この修行で自分の体が日に日に成長していくことが喜ばしくもあった。


 毎日、額に汗して修行に励むブルーの姿に、サボりがちなアイリスも徐々に感化されていった。


 自分からライラックに剣の修行を申し出たり、いつもより飛行訓練を長くしたり、素振りも早朝から一人で行ったりした。




「気合い入ってるじゃねえか」

 ライラックがにんまりと笑みを浮かべながら、剣の素振りに汗を流すアイリスに声をかける。素振り用の剣は、銅の剣から今は魔法剣にも使用される銀の剣に変わっていた。

「ブルーの影響か?」

「…べつに」


 ライラックはアイリスの様子に、可笑しそうに笑った。

「おまえ、負けず嫌いだもんなあ」

「そんなんじゃないもん」

「…親父に似てるよ。あいつも人一倍負けず嫌いだった」


 息を切らしたアイリスが素振りの手を止めた。


「王様のこと?」

「おう。あいつは根っからの勝負好きで、負けず嫌いだった。戦いにおいて負けず嫌いな事はいい事だ。負けちまった時の悔しさも人一倍だが、強くなろうとする思いも誰より強い」


「王様…お父さんって強かったの?」


「そりゃあ強かったさ。あいつの使う魔法剣には誰も敵わなかった。せこいよな、あんなの。燃える剣に氷の剣…雷をまとった剣もあった。悔しいが…かっこよかったさ…俺には到底真似できない技だ」


 ライラックは在りし日の友人を思い出し、そしてそれと同時に思い出したくもない過去がずるずると出てくることに、苦い表情を浮かべた。





「ライラック」


 アイリスの声にライラックは顔を上げる。



 そこには、いつの間に呪文を唱えていたのだろうか。紅蓮の炎を纏った剣を持つアイリスがいた。その姿は古くからの友人で剣士としてのライバルだった男の面影がはっきりとみえた。




「私も強くなれるかな」


 強く、逞しく燃える炎を見つめながらアイリスが独り言の様に呟く。

 ライラックはにやりと微笑んだ。




「なれるさ。おまえは世界一の剣士の娘だ。そんで、この俺の一番弟子だからな!」



 アイリスは微笑み、頷いた。








 ブルーもアイリスも、毎日を精一杯生きた。自分の成長を肌で感じ、自信も自ずとついてくる。未来を生き抜くために。大切なものを守るために。






 そして、三年の月日が流れた。

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