第二話 家族

「来てたのか」

 ライラックが安堵の表情を浮かべる。


 男はふわりとした笑顔のまま小屋の中に入ってきた。近くで見ると、彼がライラックと違い非常に整った顔をしていることがわかる。精悍な顔つきで姿勢もよく、にこりと微笑むと口元に真っ白な八重歯が見えた。

「君が帰ってくると連絡を受けていたからね。色々ほっぽらかして来たよ。君達も長旅ご苦労さま」

 男がブルー達に微笑む。

「一番疲れたのは俺だけどな」

「ああ、そうだったねライラック。君もお疲れ様」

 拗ねるライラックを後目に、男がブルー達に向き直る。

「はじめまして。僕の名前はソレルといいます。アルストロメリア王国第一警備部隊ケツァールの隊長と、学校の先生をやらせてもらっています」

 ソレルが深々と頭を下げるので、ブルーも慌てて頭を下げた。アイリスもそれに釣られてぺこりと頭を下げる。

「ブルーです」

「アイリスです!」

「うん。とっても良い名前ですね。…それじゃ、立ち話もなんだし座りましょうか。ライラックの代わりに、僕が君達に色々とお話をさせてもらいます」

 そう言うと、ソレルはボロボロの椅子と机に手を掲げた。煌めく光が椅子と机を包んだかと思うと、それらは瞬く間に新品同様に綺麗になった。

「さあ、掛けてください。えっと…椅子は三つしかないから、ライラックは床ですね」

「けっ」

 ライラックはどすんと床に胡座をかいた。





「さて、何から話そうかな…まずはこの国のこと、そして僕等がどういう経緯で、なぜ君達をここに連れてきたのか、かな…アイリスには少し難しくて、悲しいお話になってしまうかもしれないけど…」


 ブルーが真剣な顔で頷く。アイリスもそれを真似て頷いた。


「現在この国の王だったアイリスのお父様は、城にはいません。遠く離れた洞窟に封印されています。なぜ彼を封印しなければいけなかったのか…」


 ブルーはソレルの表情が少し強張るのを感じた。


「今から五年前、アイリスがまだ卵の中にいた頃の出来事です。王はアルストロメリア王国を自らの手で崩壊寸前まで追いやりました。彼はドラゴンの中でも最強と言われるブラックドラゴンでした。その彼が、ある事がきっかけで暴走し城や城下町、そして周りの浮遊大陸に存在する町や村を次々に破壊しました。…たくさんの竜人が亡くなりました」


 アイリスの体が微かに震える。


「私達は彼の暴走をなんとか食い止め、当時大臣だったザックの魔法で洞窟に封印しました。五年たった今では王国は元の姿を取り戻していますが、あの頃は酷い有様でした」


「王様はどうして暴走したんですか」

 ブルーが尋ねる。


「…アイリスにはフリージアという名のお姉さんがいたんです。彼女は今のアイリスと同じ歳くらいの時に亡くなっています」


 アイリスが隣に座るブルーの手を強く握った。


「彼女がいつも遊んでいた、城の庭にある植物用の温室で火事が起こりました。王は彼女を火の中から助けだしましたが、フリージアは全身に火傷を負っており…助かりませんでした。不慮の事故とされていましたが、王は事故ではないとわかっていました。彼女の身体には火傷の跡以外にも、ナイフで刺された様な跡があったのです。そして温室の焼跡からアルストロメリア王国の紋章が入ったナイフが見つかりました」


 床に座り黙ったままのライラックが、組んだ腕に力を入れる。


「フリージアは生まれながらにして目の見えない子でした。そういった子が生まれてきたのは、アルストロメリア王国始まって以来のことだったのです。この国の一部の者は彼女を呪われた、忌まわしい存在だと言いました。彼女が後に王女になるなど論外だ、絶対にあってはならないことだと。この国に災いをもたらす存在だと本気で考えていた者達がいたのです。もちろん、王も王妃もその様な言葉には一切耳を貸さなかった。彼女を心から愛していたからです」


 アイリスの眼から一粒の涙が零れ、繋いでいたブルーの手に落ちた。


「その様な浅はかな考えをもっていた者の中心的人物が、当時大臣だったザックでした。王はすぐに大臣の陰謀と悟り彼を問い詰めましたが、知らぬ存ぜぬの一点張り。そしてある日、ついに大臣の配下の者の一人が白状したのです」


 座っていたライラックが徐に立ち上がり、小屋の外に出ていってしまった。


「その者はこう言いました…。ザックに命じられ、やった。姫をナイフで刺し、動けないようにしてから温室に火を放った…と」


 アイリスがブルーの腕に顔を埋めて泣き出した。


「ごめんなさい、アイリス。まだ小さな君に話す内容ではないのはわかっています。ですが…なぜ王が暴走してしまったのかを、あなたにはちゃんと知っておいてほしいのです」


 ソレルはしばらく黙り込み、机の上に置かれた自分の手をじっと見つめていた。何かを思い出す様に、そしてその思い出される過去に激しい憎悪を抱く様に。


「…驚くことに、この国にはザックを指示する者がだんだんと増えていきました。王は自分の愛する娘を殺され、しかもそれが正しかったのだと豪語するもの達で溢れかえっていくこの国に絶望しました。昔からのしきたりや根拠の無い迷信に惑わされ、ひとつの命を奪ってもなお、それを正当化しようとする民しかいない。王はそれを悟った瞬間、ブラックドラゴンの体で暴走し、国全体を襲ったのです」


 傾きかけた陽の光が、小屋の中を優しく照らす。ブルー達は黙ったままソレルの紡ぐ言葉に耳を傾けた。


「王家の者には、代々呪われた力が受け継がれています。それは、怒りや悲しみで心が埋め尽くされた時、自我が失われ、暴走してしまうことです。暴走した時の力は絶大で、ひとつの国ならばあっという間に滅ぼしてしまう程です。自分の意思と引き換えに恐ろしい程の力を得るのです。あの時の王は、強い怒りに心が支配され、呪いの力に抗うことができなかったのでしょう」


 ブルーはタンジー村での出来事を思い出していた。傷付いたローズを見たアイリスが真っ白なドラゴンになり、モンスター達をあっという間にやっつけた。あれが王家の者にのみ受け継がれる呪われた力ということなのだろうか。ほんの小さな子供であの力なのだから、大人のドラゴンの破壊力はとてつもなく強大なのだろう。


「アイリスがドラゴンになった時には、ライラックの持っていた魔導書を読んだらアイリスは元にもどりました。王様の時は駄目だったんですか?」


「もちろん何度も試みました。しかしあの時の王には全く効果がありませんでした。ライラックが念の為に持っていたあの魔導書も、アイリスに効くかどうかはだったのです。魔導書が駄目だとなると…後は力でドラゴンを弱らせるしかありません」


 なんと。もしあの時魔導書が駄目だったら…。ブルーは恐ろしい考えをかき消す様に頭を振った。アイリスはその様子を心配そうに見ていた。


「多くの犠牲を払いながらも私達はなんとか王を退け、ザックの力をもって封印しました。今にして思えば、姫を殺害し、それによって王が暴走し封印することまで、全てザックの計画通りだったのでしょう。王を封印した後、ザックは自ら国の代表者となり、今度は残った王族の者を皆殺しにする事を決めました。表向きは王家に伝わる呪われた力の危険性が理由でしたが、本来の彼の意図するところは…邪魔だったのでしょう…。自分がアルストロメリアを支配するには、王族自体を根絶やしにする必要が彼にはあったのです。そして次々と王族の血を引く者達は殺され…私達が秘密裏にお守りしていた王妃にも刃が向けられました。彼女は王族の血を引く者ではありませんでしたが、王の妻であるということで処刑の対象になりました。もちろん、王の娘であるあなたも」


「王妃…お母さん…?」


「そうです。君のお母様は君を必死に守りながら竜人の国から地上へ逃げきったのです。私達はザックから、地上へ行き王妃の殺害と卵の破壊を命じられました。ライラックと私はザックに命令を果たしたと嘘をつき、逃げた王妃と君を探し続けていました。そして…三年の月日を経て…ライラックが君を見つけたのです」


 夕日が赤く三人を染める。アイリスは涙を拭いながら尋ねた。


「あの…」

「どうしましたアイリス」

「この国の人達はみんなお父さん、お母さんのことが嫌いなの?」

「いいえ。決してその様な事はありません。この国にも、今も王を慕う者は少なからず存在しています。もちろん、私もです。私もライラックも、あなたのお父さん、お母さんの事が大好きでした。大切な人達でしたから…」





 ◆





 夕日にそまる川の水面に視線を落としながら、ライラックは昔を思い出していた。まだ若かった自分達の事を。








「まさかお前みたいな悪ガキ王子が本当に王様になるとはな。ドラセナ」


 アルストロメリア王国を一望できる城の最も高い場所。群青色の屋根を夕日が照らし、艶やかに光る。その場所に二人はいた。


「お前こそ第二戦闘部隊ハヤブサの隊長だってな。本当にお前みたいな適当な男が隊長で大丈夫なんだろうな、ライラック?」

 ドラセナの黒髪が風になびく。沈みゆく太陽によく似た紅の瞳がきらきらと輝く。

「うるせえ。大丈夫だよ」

「そうか。頼りにしてるぞ」


 二人はしばらく夕日に染まる王国を眺めていた。


「なあ、ライラック」

「ん」

「この国をどう思う」

「どうって?」

「俺は…この国があまり好きじゃない」

「おいおい、それが王になろうって男の言うことかよ」

「…竜人族は昔から他の種族に比べてあらゆる能力が高いと言われてきた。ドラゴンの体になれば更に強大な力が得られる。だが…それだけだ」


 ライラックは黙ってドラセナの横顔を見た。


「獣人は高い身体能力の持ち主だ。しかも個々によって様々な能力がある。知ってるか?この世界で一番歌が上手いのは獣人なんだぜ。それにキカイは他の種族には真似できない、繊細で細やかな作業を難なくこなす。ある地方には他の種族も腹を抱えて笑う様な冗談を言うキカイもいるそうだ。そして人間。人間は不思議な生き物だよ。全種族のなかで一番脆くて弱いけれど、その知識の高さと器用さには眼を見張るものがある。そして魔人。魔力の強さは世界一だ。彼らはみんなが凶暴で恐ろしいわけじゃない。遠い国ではモンスターと魔人が平和に、静かに暮らしてる村だってあるらしい」


 ドラセナがふっと悲しげな表情になる。


「この国の連中はそんな他の種族をずっと馬鹿にしてきた。自分達が一番偉いと思い込んでいるんだ。雲の上から地上の種族を、文字通り見下してきたのさ。凝り固まった考え方で生きてきて、完全に孤立してしまっているんだ。この国を、俺は変えたい」


「どんな国にしたいんだ?」


 ライラックが尋ねる。



「自由な国さ!どの種族が来ても構わない。我々竜人が地上へ行くのも自由だ。色んな種族と交流して、新しく常に変化し続ける国にしたい。他の種族が何かに困っていたら助けにも行きたい。…十人いれば全員が同じ意見だなんてつまらないんだよ。みんな考え方が違う。見た目も違う。それでいいんだ」


「自由な国、ね…」


「難しい事はわかってる。自由を得るにも争いを避けて通れない時だってあるだろう。ライラック、おまえはこの国が好きか?」


「…俺は…国が好きか嫌いかは…よくわかんねえ」


「なんだよそれ」

 ドラセナがくすりと笑う。


「俺は、俺の守りたいものを守る」


「おまえの守りたいもの?」


「おまえや…孤児院にいた時からずっと側にいたプリムとソレルが俺にとっての家族みてえなもんだからよ。だからおまえらを俺は守るんだ。おまえがこの国を守りたいってんなら俺もこの国を守る。好きか嫌いかは…どうだっていい」


「なるほどね」

 ドラセナは心から幸せそうに笑った。




「こんなところにいたんですか」

「ソレル、プリム、来てたのか」

「明日の戴冠式のことでみんながあなたを探してますよ」

「うーん…こういうのがめんどくさいんだよな…」

「だめよドラセナ。王になる人がそんな口の利き方しちゃ」

「…わかってるよ」

「おいドラセナ、将来の嫁さんにそんな態度でいいのか?」

「は?」

「ちょっとライラック!勝手な事言わないで!」

「はいはいはい、みんなそういう話は後でお願いします。ドラセナ、早くしてください」

「ソレルは厳しいんだよ…」

 がっくりと肩を落とすドラセナを引き摺りながらソレルが塔を降りていく。「私べつにドラセナの事なんとも思ってないからね」と言いながらプリムも付いていく。


 太陽が沈み、辺りを闇が包む。

 ライラックは一人、明かりが灯り始める王国を眺めていた。大切なの事を思いながら。







 ◆






 水面に月がうつり、虫たちの合唱が始まる。ライラックは川辺の大きな石に座りながら、ぼんやりと水の流れる様を見ていた。


 …自分にできる事はなんだろうか。大切なものを守れなかった自分が出来ること。それは性懲りも無く、やはり大切なものを守る事しかないだろう。今度こそ。大切な家族が残していった希望を、守らなければいけない。


 この命に代えても。





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