第十話 暴走
家までの道中は奇妙なくらい静かだった。ブルーは嫌な考えを振り払う様に走り続けた。
息を切らせて家にたどり着く。家の周りにはモンスターの姿はない。ホッとしたのもつかの間、家の中から女性の叫び声が聞こえてきた。ブルーは姿勢を低くして、家の裏に周り、窓から中をこっそりと覗く。
ガーゴイルがざっと見積もっても五、六体はいる。部屋の隅には手伝いに来ていた女性たちと、彼女達をかばう様にフライパン片手にローズが立っている。よく見ると、腕から血を流しているのがわかる。ガーゴイル達は嫌な笑い声をあげながらローズに近付いていく。中には短剣を持っている奴もいた。べろべろと剣を舐め回し、これから始まる楽しい出来事に喜びが抑えられないといった様子だ。
ブルーは全身の毛が逆立つのを感じた。ポケットからパチンコを取り出す。今助けを呼びにいっても間に合わない。このまま黙って見ているわけにもいかない。ならばまずはこっちに気を引かせることにしよう。その後は?わからない!だが迷っている時間はない。ブルーがパチンコの紐を引こうとしたその時。
「お母さん!!!!」
家の扉が開く。ガーゴイル達が一斉にそちらを向いた。
アイリス!どうしてここに…
「アイリス!ダメだよ…」
追いかけてきたルドがガーゴイル達を見て固まる。
「逃げなさいアイリス!」
ローズがフライパンで思いっきりガーゴイルの頭を殴りつけた。
ぎゃっという鳴き声とともに一体が床に崩れ落ちた。今だ!ブルーは窓から部屋に飛び込む。そしてすぐにガーゴイルめがけてパチンコを放った。強烈なパチンコ玉がガーゴイルの目に直撃した。間髪いれずに目を押さえるガーゴイルめがけてローズがフライパンを振り下ろす。これで二体。あと三体くらいか。
ブルーが次のパチンコを喰らわせようとしたが、その手が止まってしまった。目の前で短剣を持っていたガーゴイルの一匹がローズの肩にその剣を突き刺したからだ。悲痛な叫びとともにローズが倒れる。
「お母さん!」
アイリスが駆け寄る。他のガーゴイル達がこちらを睨んでいるため、動こうにも動けない。
「お母さん!お母さん!」
「大丈夫よアイリス。大丈夫だからね」
どくどく流れる血を押さえながらローズがアイリスに微笑みかける。
「いい子だから、早くお逃げなさい」
「いやよ!いや…お母さん死なないで…」
「大丈夫。大丈夫よ…」
ガーゴイル達が再びニヤついた笑みを浮かべながらアイリスとローズに向かっていく。フライパンで頭を殴られたガーゴイルも、頭をさすりながら起き上がってきた。
ブルーはゴクリと唾を飲み込んだ。もう、こうなっては仕方がない。とにかくアイリスとルドを連れてどうにか逃げなくては。でもどうやって?近付いてくるガーゴイルの威圧に押され、体が思うように動かない。
死ぬ。このままじゃ。みんな。どうしよう。どうしよう。どうしよう!!
「う…」
アイリスが突然顔を押さえてその場に蹲った。
「アイリス?…どうしたの?」
「う…う…」
様子がおかしい。ふわふわの白髪は逆立ち、身体が痙攣している。
「あ、アイリス…?」
ローズが不安そうに声をかけるが、反応がない。
アイリスの周りに赤い煙の様なものが出てきた。顔を押さえていた手をゆっくりと外す。怒りに打ち震えるその表情に、もはや可愛い少女の面影はない。赤い瞳は普段よりも強力に光を放ち、まるで炎が燃え盛っている様だった。
「ウ…ググ…グルルル…」
獣の様な声をあげたかと思うと、急に、目も眩むほど眩い光が辺りを包んだ。
その眩しさに思わず閉じる。
しばらくして目を開ける。
ローズのそばに、アイリスはいない。代わりにいたのは、部屋の天井ぎりぎりの高さまである白く、長い毛を全身に生やした見たこともない生き物だった。背中には大きな羽があり、太く逞しい両腕の先には、鋭い爪の生えた一メートルはありそうな手があった。
ぎらぎらと光る目は血の色によく似た色をしている。ぎろりとガーゴイル達を睨みつけた。
「グギャアアアアアアアアアアア!!!!!!」
思わず耳を塞ぐほどの鳴き声と凄まじい風圧にブルーはその場に倒れこんだ。
その生き物は姿勢を低くし、勢いよくガーゴイルをなぎ払った。
家の中にいたガーゴイルがその一撃で皆家の壁を突き破り、外に投げ出された。その生き物はその場で何度かばたんばたんと床を叩いた後、勢いよく外に飛び出していった。
「アイリス!」
ローズが叫ぶ。
慌ててブルーが白い生き物、いや、アイリスを追いかけて外に出た。
アイリスは投げ出されたガーゴイルを鋭い爪で引き裂いている。全てのガーゴイルを一瞬にしてバラバラにした後、今度は大きな白い翼を広げて空に飛び出した。
「アイリス!」
ブルーの呼びかけには何の反応もない。飛んでいくアイリスを追ってブルーは走った。
その場にへたり込むルドは、ただただ呆然と空に飛び立つアイリスを見ていた。
「おい!あれはなんだ!」
その声に赤いマントの男が振り向く。
「…見つけた」
男は宝を見つけた子供の様に、ほんの一瞬顔を綻ばせた。
アイリスは村を襲うガーゴイルを手当たり次第に引き裂いていった。広場で暴れまわるゴーレムにも何の躊躇もなく突進していく。ブルーはアイリスの後を付いていくだけで精一杯だった。
ゴーレムの頭にかじりつき、そのまま頭を引きちぎると、まるで玩具のように軽々と放り投げた。
得体の知れないものの登場に村人も兵士も皆混乱していた。最初は新たなモンスターだと思い絶望していたが、アイリスがモンスターを次々とやつける様に、あれが一体なんなのか、皆わけがわからなくなっていた。
あらかたモンスターを倒しても、アイリスは止まらない。けたたましい咆哮の後、さらに村の中を暴れまわった。
「アイリスやめろ!もういい!」
アイリスには届かない。家屋がアイリスの長い尾で倒壊していく。中にいた人々が恐れおののいて出てくる。
「アイリス!みんなが怪我しちゃうよ!」
瓦礫の下敷きにならないよう必死に逃げながらも、ブルーはアイリスの側を離れようとしなかった。
兵士達がアイリス目掛けて突進してきている。家を壊してまわるアイリスを、やはり敵とみなしたらしい。
これはまずいぞ。このままではアイリスが人間を殺してしまう。
「坊主!」
急に頭上から声がして、自分のことかとブルーは空見上げた。赤いマントの男が「あぶねーから下がってな!」と言ってブルーの上を颯爽と飛び越えていった。
「僕の妹なんです!殺さないで」
「わかってるって!」
男は屋根の上で吠えるアイリスの前に立ち塞がった。
「よう。元気してたか」
アイリスは眉間に皺をよせ男を睨みつけた。
「おっかねえ顔は父ちゃん譲りか」
アイリスは大きく息を吸った。
「まじかよ。坊主伏せろ!」
言われた通り身体を低くした瞬間、頭上を燃え盛る炎が通り抜けていった。
「…っぶねー…」
屋根の上に着地し、剣を構える。
「殺さないでね!」
「わーってるよ!」
下からブルーが釘をさす。
男はふうっと息を吐くと、足早に屋根の上からアイリス目掛けて飛びかかり、剣をなぎ払った。
ガキン!!!!!!
柔らかそうな体毛から聞こえたとは思えない金属音がする。
「やっぱかってえなー!」
それでも、男の力の大きさにアイリスも少し態勢を崩している。
「よっしゃ!今しかねえ」
男は懐からボロボロの本を取り出した。
「えー……汝の名を思い出せ…えっと…」
「あぶない!」
ブルーの叫びにすんでのところで男はアイリスの爪をかわした。しかしその拍子に本を落としてしまった。
「やっべ、おい坊主!それお前が呼んでくれ!」
落ちてきた本を素早く拾い上げる。
「魔道書だ!魔法が使えないやつでも魔法が唱えられる!」
アイリスの攻撃を辛うじて避けながら男が叫ぶ。
「それでこいつは元に戻る!俺を信じろ!うわっ」
アイリスの尾が男に直撃する。男は家の屋根に思いっきり打ち付けられる。
読めと言われてもどこを読んだらいいんだ。ブルーは素早くページを捲る。これか…真実の魔法。
「汝の名を思い出せ…」
勢いよく炎が目の前からやってくる。ブルーは急いで民家に逃げ込んだ。
これ…どこまで読んだらいいんだ?
「その姿は偽りの姿、汝の姿はその記憶とともにその身に刻まれている…思い出せ…」
炎が止むと同時にブルーは勢いよく飛び出し、アイリスの足元まで走った。
「真実のを姿を見せよ!ヴェリタス!!!!」
魔道書から眩い光が飛び出し、アイリス目掛けて一直線に放たれた。
アイリスに直撃する。大きな爆発音とともに光の煙が辺りに散らばって行く。
しばらくしてようやく目を開けられるほどの光の強さになった。
「アイリス!」
宙に浮かぶアイリスが、やがてゆっくりと降りてきた。ブルーは走ってそれを受け止める。
「ナイスキャッチ」
炎であちこち焦げた赤いマントの男が瓦礫の中から出てきた。
ブルーの腕の中ですうすうと寝息をたてるアイリスは、いつもと変わらない、可愛いブルーの妹だった。
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