第三話 空と卵

「ありがとう…」

 弱々しい声でルドが言う。

「なにが?」

「ううん…なんでもない。…僕って弱虫かな?」

「べつに。まあ、よく泣くからどっちかというと泣き虫かな」


 がっくりと肩を落とすルドにミルクパンを差し出す。

 ルドは黙ってパンを頬張った。ブルーと同じ青い瞳がきらきらと輝いた。


 二人はいつもの場所へ向かう。村から少し離れた所にある小山。うっそうと茂る木々の中にある一際大きな木に、二人の秘密基地がある。学校からの帰り道、二人はよくそこへ寄り道していた。

 ブルーは手先が器用で、材木屋からもらってきた余り物の木や、工房で廃棄処分されかけていたガラスなんかを譲ってもらい、なかなかに立派な基地を作っていた。中には部屋に置ききれない沢山の本とガラクタ、お菓子、そこら辺で捕まえた虫を入れた網の箱なんかが雑多に置かれている。

 帰り道の途中で買った冷たいベリーソーダを飲みながら、ルドは読書、ブルーは狭い窓から自分の作った紙飛行機を何度も飛ばしていた。

 しばらくして、そろそろ帰らなければ母親に怒られるかな、とルドがブルーを見ると、そこにはいつものように空をじっと眺める後ろ姿があった。


「兄ちゃん、本当に空が好きだね」

「んー」

「どうしてそんなに好きなの」

「どうしてってそりゃ…」



 ブルーは眼鏡の奥の瞳を輝かせて振り返った。

「空は広いんだぞ。とっても…どこまでも続いて…いろんな大地につながってる。びっくりするくらい暑い砂漠とか、凍えそうなほど寒い雪原、植物が一切咲かない荒れた大地に、出口のない広大な密林…その空とここの空はつながってるんだ。空さえ飛べたら何処へだって行ける。風を感じながら、高く高く…だれも見つけたことのない場所にだって、俺は行ってみたい」

「ふーん」

「なんだよその反応」

「だってさ、村の外にはモンスターがいるんだよ。別の地方にはあの怖い魔人だっているし、この辺りのモンスターよりずっと強いモンスターも…兄ちゃん怖くないの?」

「怖いさ。実際にでっかいモンスターに会ったら」

「ほら…」

「強くなきゃいけないだろうなぁ。今のままじゃすぐやられちまうだろうさ」

「だったら僕はこの村で平和に暮らしたいよ」

「平和か」


 ブルーは窓から見えるタンジー村を見下ろした。


「本当に、このままずっと平和でいられるのかな」

「怖いこと言わないでよ」

「もし魔人と戦争になったらここもどうなるかわからない」

「…戦争なんて嫌だよ…」


 誰だって嫌だろう。だが自分達にできるのは、大人達の決めたことに従うだけ。今はそれしか選択肢はないのだ。





 その晩遅く、ブルーは一人で秘密基地に来た。星の観察のためだ。星座早見盤と小型の望遠鏡を基地の隅から引っ張り出し、準備をする。ブルーはよく夜中にこっそり家を抜け出しては、ここで星を見たり、森で面白い生物を探したりしていた。学校の授業なんかよりずっと楽しくて、有意義だった。世界を旅する冒険者になった気分だった。

 心地よい夜風が基地の中を通り過ぎていく。虫の音があちこちから聞こえている中、ブルーは星の観察に夢中になっていた。


 しばらくして、常備してあるお菓子を取ろうと基地の中をきょろきょろ見回していると…



 ん?



 反対側の小窓から何か光るものが見えた気がした。なんだろうと小窓に近付く。

 村と反対側の窓からは、タンジーの森が一望できる。それなりに広く危険なモンスターもいない所で、ブルーもよく遊んでいる森だ。


 「あっ、なんだ?」


 森の一箇所で、きらきらと輝いている何かがある。その光はゆっくりと空へ登っていく。慌てて望遠鏡を除くが、光は夜空に吸い込まれるようにしてすぐに見えなくなってしまった。なぜかその光にブルーは感じたことのない、奇妙な感情を覚えた。それは悲しみか、寂しさか、はたまた虚しさか…説明のつかない、不思議な気持ちになった。


 ブルーは急いで光のあった場所へ向かうことにした。基地から出る直前、念のためとお手製のパチンコをポケットに突っ込んだ。強いモンスターはいなくても、今は夜。いつもと違うモンスターがいる可能性もある。まあ、強すぎるモンスターならパチンコ程度では太刀打ちできないとは思うが。

 おそらく位置的には森にあるタンジー湖の近くだろう。がさがさと草木をかき分け、森の中の道に出る。父親からもらったカランコエ王国の刻印がついたコンパスを取り出し、光が見えた位置を確認する。森の分かれ道もこれがあれば一目瞭然だ。

 基地からはそこまで離れていないように思えたが、なかなかに遠い。息を切らしながらようやく光の見えたタンジー湖の近くまでやってきた。


 木々の間から漏れる淡い緑色の光。それはとても優しくて、ブルーは吸い込まれるようにその光へと近づく。

 卵だ。しかも、大きい。鶏やアヒルなんかの卵と比べものにならないくらい大きい。ブルーの背丈半分位はありそうだった。

 ふと気付くと、卵の周りにミツバスライムがふよふよと集まってきていた。ミツバスライムは直径およそ30センチくらいのスライムで、色は半透明のエメラルドグリーン。頭と思われる部分には三つ葉のクローバーがちょこんと刺さっており、中にはそこが四つ葉の珍しいものもいて、見つけた者は幸せなことが起こるという迷信もある。彼らが何故そんなものを刺しているのかは未だ解明されていない。


 じわりじわりと卵に近づいているミツバスライム目掛けて、ブルーは何発かパチンコ玉を放った。彼らはそこまで攻撃的ではない臆病なモンスターなので、数発の警戒玉でサーッと森の奥へ逃げていった。

 ブルーはパチンコをポケットにしまいながら、卵に近づいた。

 何の卵だろう。超大型の鳥か、トカゲ系のモンスターか…とにかく持って帰って図鑑と照らし合わせなくては。

 ブルーは胸を踊らせていた。多少の怖さは無きにしも非ずだが、変わったモンスターが大好きな彼の頭の中は、産まれてきた子と仲良く遊ぶ自分の姿しかなかった。


 そっと卵に触れる。



 一瞬、身体中の血管にあたたかい何かが流れ込んでくるような感覚に、思わず卵から手を離した。


 産まれる。この卵はもうすぐ何かが出てくる!なぜそう思ったのか、ブルーにもわからなかった。だが、直感というのか、ブルーにはそれが確かであると確信していた。


 意を決して卵を抱き抱える。…少し重い。ここにいては、また別のモンスターがくるかもしれない。ブルーは卵を大事に抱えながら、額に汗して小走りで家に向かった。

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