最終話

そこは、琥珀のいる蔵から上った先にある防空壕のような穴だった。

思ったより奥行きがあり、竹で出来た柵が作られており、そこからは鬱蒼と茂る木々があるばかりで、他は何も見えなかった。

お屋敷も蔵も見えなかった。

「………」

男たちによって無理矢理ここへ、放り込まれた小夜は一人膝を抱え、俯いていた。

日が暮れてく。

どうするという策もないまま、日だけが沈んでいく。

一度、食事を運んできた女がいた。その人に見覚えがあった。

その人は、小夜を叔母の元まで案内した、はつだった。はつは、小夜と目を合わさず、ただ能面のように笑った顔に、何も言えなかっただけ。

用意された食事は、握り飯とみそ汁。美味しそうな香りがしているにもかかわらず、小夜の視線は箸を付ける気にはならなかった。

「小夜、かい?」

顔を上げると、幸子が小夜を連れてきた男と一緒に、入ってきた。

背中を押され、四つん這いになった幸子を小夜はがらんどうの瞳で見つめた。

この人が、自分の母親。本当の母親。

「叔母さん、本当に、あなたが、私の母親なの?旦那さまの言うことを背いて、私を預けて、自分は旦那さまの所にずっといて、何とも思わなかったの!」

「思わないはずないじゃないか!」

劈くような幸子に、小夜は声を上げて泣いた。

これ以上、幸子の言い分を聞く気にはなれなかった。

何故ならば、自分も同じようなものだと、思い知ったからだ。

自分は琥珀が好き。周りから誰にも祝福されなくても、後ろ指を指されても、一緒にいたい、気持ちを知ってしまった。

泣き喚く小夜を、幸子も涙を流しながら俯いた。

やがて、夜を迎えた。

泣き疲れ、ぼんやりした頭で小夜は空を見上げた。

月だ。欠けてしまった月。これから欠けていく月。

そして、琥珀と初めて出会ったのまん丸の月。

どれも同じ月なのだ。丸くなって、徐々に欠けて行き、やがて、膨らんででいく。

それを繰り返して行く月を、これからは見られないのだろうと小夜は思った。

「出ろ」

男が一人、小夜と幸子に感情のこもらぬ声で視線を向けた。

唯一の出入り口から、続いて入ってきた男たちはそれぞれ、乱暴に二人を掴むと、牢屋の外へと連れ出した。

そして、琥珀のいる蔵へ、暗い森の中を進んで行った。

体が思うように動かず、ただ男に引きずられるままだった小夜は、必死に考えていた。

どうすればいいか、琥珀の前で辱められるのだけは、嫌だった。

でも何も思い浮かばず、引きずられていく。

後ろを振り返れば、幸子は太った体を重そうに揺らしながら続く。

恐らく彼女はこれからの行為に、保たないだろうということは明かだった。

でもそれに対する同情はなく、むしろ、ざまぁみろと思った。

そんなことを考えた自分に、小夜は驚いて。

美佳子一人を悪者のように感じていた己を恥じた。

自分も同じなのだ。どうしようもなく、醜い、と。

やがて見えてくる。

蔵の入り口の、両脇に松明が燃やされ、風に靡いている。

普段閉められているそこは、全開になっていて、奥もぼんやりと明るい。

何もかも普段とは違う雰囲気に、小夜は飲まれた。

引きずられるように小夜は、蔵の中へ足を踏み入れる。

左側、お札が貼られた鉄格子の向こう側、琥珀が正座していた。

黒い着物に唐花模様の合わせを着て、小夜が切った髪は撫で付けられ、付け髪なのだろう。

頬の所でみずらに結ってあった。

唇には薄らと紅が敷いてあり、神聖さよりも恐ろしさの方が際立っていた。

そして、奥にあった机はどこにもなく、そこには藍色で染めた大きな絨毯が床に敷き詰められていた。

その真ん中に五芒星を描いた白い布を載せ、その五芒星の頂点に蝋燭が置かれていた。

「いらっしゃい、小夜。幸子さん」

美佳子が、燭台を手に立っていた。

着ているのは、琥珀同様に黒に唐花模様の合わせ、一番下に白を重ねて着ている。

髪は後ろに一つに束ねられ、結び目には青い花が飾られていた。

「この村の繁栄のため、継承の儀を執り行います」

厳かに美佳子が告げると、蔵の外にいたであろう人々の手によって、扉が閉じられた。

小夜は一瞬、琥珀の方へ視線を向けた。

「その身の血と汗、純血の花を捧げなさい」

「っ………!」

いや、離して、と我に返って叫ぶ小夜を無視し、男たちは彼女を床に敷かれた青い絨毯の上に押し倒した。

五芒星の敷かれた白い布が、小夜の視界で見えた。

無理矢理両手を、頭の上で縛り付けられ、押さえつけられる。

「はなっ、して。いやぁぁ!」

「小夜!お嬢様、小夜を、娘をお助け下さい!」

幸子の悲痛な叫び声を、美佳子は鼻で笑う。

「幸子さん、こうなること、分かっていたのではなくて?あなたの子が、あなたの目の前で犯され、捧げられるのなんて、この村で生きていたあなたなら分かっていたはずよ。それを、助けて?冗談はやめてちょうだい」

幸子は、絨毯の上に膝立ちにさせられ、頭を地面にこすりつけられた。

「どうします?これ」

「一応予備としての生け贄だけど?」

「無理いわんでください。こんな豚、遠慮したいです」

下卑た男の声と、美佳子の貝和に小夜は身を捩ってそちらへ顔を、体を向けようとした。

しかし、男の力は強くびくともしなかった。

「悪く思わないくれよ。これも、村のためだ………。それにしても、やはり若くていいな。いい匂いだ」

小夜がハッとして顔を上げると、一人の男が彼女の首筋に顔を埋める。

その瞬間、ゾッと背筋が泡立った。気持ちが悪い。

体の震えが止まらない。帯が、この男の手によって解かれる。

もう二人の男が、小夜の暴れる足を片方ずつ掴んで、開かされていく。膝立ちにされる。

「いやぁぁ!いやぁだぁぁ!!」

泣き叫び、身を捩り、小夜は抵抗した。でも、這いずり回る男の手は止まることなく、彼女の体をまさぐった。

合せ目を開かされ、露わになった乳房や薄っぺら上半身を、男は無遠慮に嘗め、なで回し、揉んでいく。

不快感でしかない、小夜の目尻に涙が伝い、声を必死に殺しながら目を瞑る。

「こはっ、く」

嫌だった。自分は何も悪くはない。悪いのは幸子だ。

どうして、自分がこんな目に会わなくちゃ行けないの。

(私は、悪く、ない)

美佳子に、自分が生きていることが罪だと言った。

でも、僅かな望みを託した幸子の気持ちも今なら分かる。

でも、でも。

(小夜、小夜、小夜)

(琥珀………)

心の中で琥珀が、小夜を呼ぶ声がする。

そして唐突に小夜は、琥珀からもらった鉱石のことを思い出した。あれは、まだ持っていたはずだ。

コロン、と。

「あっ………!」

犯されている。琥珀の目の前で、私の大事なものが奪われていく。

どん、と突き上げられる律動に、小夜の視界はちかちかと星のように瞬いた。

小夜の口から、自分でも聞いたことのない声が漏れる。

目の前の男の荒い呼気、揺さぶられていく腰に、幸子の声と、美佳子の忍び笑い。

どこか遠くにあるような感覚の中、小夜は鉱石を目にした。

「琥珀」

短く彼の名を呼んだ。

すると、鉱石が輝き出した。全てが真っ白になるかと思うほどの明るさが、小夜を貫く。

継いで聞こえた何かが割れる甲高い音と、琥珀の呼ぶ声を小夜は聞いた。


 *


 唇から注がれる甘い果実に、小夜は目を開けた。

「小夜、大丈夫?」

琥珀は口付けから小夜を解放すると、ふんわり微笑んだ。

「わ、た、し………」

小夜は琥珀に姫抱きされ、乱れた着物は彼が着ていた黒の着物を身に纏っていた。

「あれは、まだ生きていた僕の母親がくれたもの。この継承の儀は、その鉱石の力で僕をここに閉じ込めるための術具なんだ。それも、もう必要ない。これ以上、不幸にはさせない」

琥珀の言葉に、小夜は、彼から今までにない強い意志を感じた。

周りを見渡せば、男たちは地に伏しており、美佳子も幸子も例外ではなかった。

琥珀は、男たちを足で退けると、五芒星の上に小夜を押し倒した。

「ねぇ、小夜。僕のもとになって、僕とともに生きてくれる?」

琥珀は小夜に深く口付けをする。それを、彼女は彼の背中に手を回すことで答えた。

「ふっ………」

先ほど男たちに触れられたのとは違う優しい手つきと、慈しんでくれると分かる琥珀の声。

「小夜、小夜」

琥珀が小夜の名を呼ぶたびに、彼女は彼をしっかり抱きしめる。

もう二度と離したくなかった。

琥珀の背中に爪を立て、彼と交わりながら、小夜は愛していると彼に囁いた。

彼は、小夜の首に歯を立てて、血を吸った。

小夜は甲高くも甘い声を上げて、琥珀の肩に噛付いた。

クスクスと笑うような琥珀の声に、小夜は体の奥がじんとするのを感じた。

琥珀と一つになっているという感覚に、ただ身が震えた。

「小夜、愛してる」

唇を合わせると、琥珀からねっとりとした何かを注ぎ込まれる。疑うことなく、小夜はそれを飲み込んだ。

彼から与えられる全てが愛おしかった。

偽善のための祝福も、傲慢な許しもいらなかった。

小夜が欲しいのは、琥珀との永遠。

唇を離すと、小夜の口元から血が滴っていく。

一際小夜の心臓が跳ねると、彼女は背を丸めて転がる。

痛みとも違う熱が、体の中で暴れ回る。

始まりも唐突なら、終わりも唐突だった。

ゆっくりと裸身を起こす小夜に、琥珀は黒の着物を肩に掛けて、手を伸ばした。

「これでずっと一緒だよ。小夜」

その手を小夜は掴み、琥珀の胸に飛び込む。

琥珀は小夜を自分の肩口に誘うと、彼女の頭を優しく撫でた。

何故だろう。唐突に小夜は琥珀の血を啜りたいと思った。

だからその衝動のままに、琥珀の肩口に顔を埋め、舌を這わせると、深々と噛付いた。

血が口内を満たし、存分に啜り飲み込む。

「おい、ひぃ……」

恍惚とした表情の小夜を、琥珀はそうだね、おいしいよね、嬉しいよ。とうっとり言われる。

でも、すっと体を離された小夜は恨みがましそうに琥珀を見上げた。

「いじ、わるぅ」

指を加え、見上げる小夜を琥珀はまたあとで、可愛い僕のお嫁さんと言って抱き上げる。

子供のように小夜は琥珀に甘い、手を回して、首元に擦り寄る。

琥珀は、小夜をギュッと抱きしめると小さく呪文を唱える。

するときちんと着物を着た状態で小夜は立っていた。

ありがとう、と言うと琥珀は、目を合わせて額を合わせてくれた。

嬉しくて、嬉しくて、小夜は夢の中にいるようだった。

蔵の扉が音もなく、開いて、小夜と琥珀を迎えた。

外にいたであろう人たちはどこへ行ったのかと、小夜は顔を向けた。

倒れている中の一人である幸子を、小夜は小さく、ごめんなさい、と言った。

自分はどうしようもなく、あなたの子でした。

誰に咎められても、琥珀といることをどうか、許してほしい。

外に出ると案の定、全員が倒れていた。

永遠と屋敷の方までずっと続く人の群れは、村人全員のようだった。

小夜は背筋が寒くなった。

これから行われる行為を、見に来ていたのだと思うと、吐き気がした。

でもこれから、その咎を幸子本人が支払うことになるのだ。

そう思うと、罪悪感で胸が押しつぶされそうになった。

「小夜、さん」

声をかけられた方を向けば、そこには当主である類がただ一人、立っていた。

「当主だけが、これの影響を受けないんだ」

小夜の頬に擦り寄りながら、琥珀は類を睨み付ける。

「全部、こうなるって分かって幸子をそのままにしたのかな?」

「私はこの家が嫌いだ。この家に苦しめられ、村に苦しめられた母は哀れでならなかった。いっそ全て、壊れてしまえばいいとずっと、思っていた」

そこにいたのは、神山家当主ではなく、一人の男の独白だった。

男、それもまだ幼い、母親を慕うであろう三つ児のような。

「だから、ありがとう。小夜さん」

小夜に深々と頭を下げると、類は琥珀へと視線を向けた。

「琥珀、今まですまなかった」

「いいよ。君の悲しみ、全部、聞いてたから。小夜のことは、この子が小さい頃からずっと、知っていたし、美佳子にはちょっと悪いことをしたね」

悪びれる様子なく言ってのけたことに、小夜はギョッとした。

「美佳子には私から話そう。あの子は、お前を愛していたからね」

「あの子は僕を愛してなどいない。この家に連なる女たちと一緒で、見下していた。従わせるものだという、ね」

それは本当だろうかと、小夜は思った。

美佳子は、琥珀を愛していたように思える。母親に死なれ、父に裏切られた。

十分な愛を琥珀から得ようとしても、不思議ではなかった。

「ねぇ、君が愛していたのは幸子?それとも」

「その話はいづれ、分かることだ」

類は、二人を追い越し、蔵の中へと入って行く。彼が通り過ぎるとき、鈍く光る包丁を持っていたのを見た。

「ねぇ、琥珀」

「うん。まぁ、こうなるだろうとは思っていたよ。でも、もう、関係無いことだ」

眠っていた人も、目が覚める。

小夜は琥珀を見上げながら思った。

もし、屋敷で美佳子と二人暮らしていたのならばどうなっていだろう。

後妻として入った幸子を美佳子は嫌うだろうし、小夜にも辛くあたるだろう。

今までと変わらない。

それでも、砂粒ほどにこうなってしまう結果は免れたであろうということは、分かった。

「これから、どうするの?」

「夜が明けるまでにどこかへ行くんだよ」

そう言って、琥珀は跳躍した。

森の木々よりも高く飛ぶと、二人の前に月が浮かぶ。

ぶわりと身を包んだ風に、小夜は体を琥珀にしがみつきながら思った。

あの日から全てが始まり、そして欠け行く月によって終わり、始まるのだと。

だったらこの旅立ちは、希望に満ちたものだと小夜は微笑んだ。


 *


 このあと二人がどうなったかは、誰も知らない。

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青い月 ぽてち @nekotatinoyuube

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