第5話

小夜は一人、幸子と暮らすこじんまりとした日本平屋の炉端の前に座っていた。

傷が癒えて、回復へと向かい、起き上がれるようになったのは一週間後のことだった。

 玄関土間と一続きになった畳敷きの居間、奥に六畳の部屋が三つ。

 かつて小夜の父が使っていた部屋を小夜が、もう一つを幸子が使っている。

 残り一つを、今は亡き祖父母が使っていた部屋は今は物置として使われいてた。そして、離れたところにあるトイレがある。

「明日、からか」

 火箸で燃える炭を整えながら呟く。実感がわかなかった。

 小夜の怪我は、屋敷内では山に入っておったものと見なされた。しかも、あの蔵で怒ったことは他言無用とのこと。

 こんな気持ちでは仕事にならない。早く落ち着かなければと、焦る自分がいた。 

あの蔵で出会った綺麗な少年。あれは何だったのか。誰でもいいから説明が欲しかった。

「ちょっと、邪魔するよ。小夜さん」

「旦那さま!!」

 俯いていた視線から顔を上げると、玄関口に一人の男性が立っていた。

洋装であるスーツに身を包み、頭にはパナマ帽を被り、軽く微笑む姿は誠実で。笑った時に出来るえくぼが、実年齢より若く感じた。

神山家当主、神山類(かみやま るい)。美佳子の父であり、小夜と幸子の雇い主。

次々と浮かぶ単語に小夜は、生唾を飲み込んだ。

「ちょっと様子を見に来たんだよ。具合はどうかな?」

「あっ、あの。ご丁寧にわざわざ、ありがとうございます」

 小夜は立ち上がると、上がり框まで進み出て頭を深々と下げた。

類は、上がり框に腰を下ろして、帽子を取った。

「突然お邪魔して、悪かったね」

 微笑みかける類に、小夜はぎこちない返答を返した。慌てて、戸棚にある茶器を取り出し、お茶の準備をする。

 小夜は、お茶が整うまで、目が合わせられなかった。

 神山家に男子は生まれにくく、類の母親は、彼の祖母からの心労で亡くなったという。

 そのため、類は親族から嫌がらせを受け、心を許せるのは屋敷の使用人だけだった。

それは彼が大人になり、妻を娶っても続き、美佳子を生まれてようやく収まったらしい。

小夜は、湯飲みにお茶を注ぐと類の前へ置いた。

「ありがとう」

類は小夜が入れたお茶に口を付けた。

「小夜さん。あなたに頼みたいことがある。もちろん、断ってくれても構わない」

「私でよろしければ、お手伝い致します」

 即答する小夜に、類は苦笑した。

 屋敷の当主が直々に、家へ来て断れることは出来なかった。

「でも、まずは話を聞いてからにしてほしい。もちろん、幸子さんにはヒミツにしておいてくれ」

 小夜はゆるゆると首を縦に振った。

 




まだ朝も明けきらぬ時間に、小夜は一人屋敷への道を歩いている。

昨日、類から聞いた話が頭を駆け巡り、なかなか寝付けなかった。

仕事から帰ってきた幸子に、類から個人的に頼まれた仕事をすることになった。だから、帰りが遅くなる。

それを聞いた幸子は了承し、小夜はここにいる。

小夜が類に頼まれたのは、あの夜出会った彼の世話をすること。世話と言っても、鉄格子越しに食事を運んだり、話し相手になること。

蔵までの案内は、美佳子が行う。覚えたら一人でも行くように、とのこと

正直、小夜には不安しかなかった。

屋敷がそろそろ見えてくる頃、門前で美佳子が立っていた。

「阿呆な子。早く、ついてらっしゃい」

 鼻で笑うと美佳子は早々に小夜へ背を向けて、早足に遠ざかっていく。

「待ってください!!」

小夜は我に返ると慌てて、美佳子の跡を追った。

 小夜は美佳子の数歩後ろまで来ると、速度を彼女に合わせる。口から飛び出そうなほどの動悸を抑えた。

門前から玄関を逸れて、桜の望む中庭を通り、別館の裏手へ回る。

そこに花壇が植えられており、塀で囲われた一部に木戸がはめ込まれていた。

美佳子はその戸を開ける。そこはもう、森への入り口だった。

小夜は、美佳子に声をかける機会を覗っていた。

人の手で作られた森への一本道を、二人は無言で歩く。

 いくら父親に頼まれたからと言って案内を、美佳子がするとは思えない。きっと、他の誰かに頼む。それをしないということは、当主と美佳子以外。あの蔵の存在を知らないということになる。

やがて、幾許もしないうちに、鬱蒼と茂る林の中、小夜があの日見た蔵があった。

 薄らと朝が明けていく光の中で、蔵は静かに佇んでいる。

 美佳子が蔵の扉に手をかけるときになっても、小夜は疑問を口にすることはなかった。

蔵の戸が開かれる。

細い光の道が室内へ作られる。美佳子は、大きく両手で戸を全開にすると、無言で入ってく。

それに、小夜も慌てて付き従う。

「手厚い歓迎をありがとう。美佳子」

鉄格子の向こう側から少年がにぃと、笑う。

美佳子は、琥珀の問いには答えないまま、用は済んだとばかりに小夜には目もくれず、去って行った。

一人、取り残された小夜はどうしていいか分からず、戸の前で立ち竦んでしまった。

「何もしないから、入っておいでよ。そのために、君は来たんでしょう?」

しかし小夜は、足に根が張ったように動けず、彼の呼び声にも声が出せなかった。

「お、い、で?」

小首を傾げ、手を伸ばし、にっこりと笑う彼は、花が咲いたように可憐だった。

小夜はようやっと、彼の元へ歩いていった。

そして、蔵の奥に備え付けの椅子を、持ち上げて彼と距離を開けて、向かい合った。

「わたし、は、小夜。あな、たは………」

怖々話すと、彼は小首を傾げた。

「琥珀。呼び捨てで構わない」

「琥珀」

小夜がそう呼ぶと琥珀は、なに、と尋ねる。彼があの夜、噛付いてきた彼と同じとはおもえないほど、邪気がなかった。

「今日から、あなたのお世話をすることになりました。よろしく、お願いいたします」

 形通りの挨拶をし、頭を下げる。

 琥珀はそれに気のない返事を返したまま、ただ黙って小夜を見つめる。

小夜は視線にたじろぎ、俯いた。何を話せばいいか分からない。だけどこのまま、ずっと、向かい合っているわけにもいかなかった。

しかしこれと言って思いつかないまま、小夜はずっと自分の膝の上に置いた手の甲を見ていた。

「ねぇ、小夜」

ハッとして小夜が顔を上げると、琥珀は少し罰が悪そうな顔をしていた。

「あー、ごめん。勝手に血、吸って………」

小夜は目を丸くして、琥珀を見返した。一瞬、何を言われているか分からなかった。

「怒られたんだ。だから、謝っておこうと思って、おなか、空いてたし」

 満月だったから、高ぶっていたんだ。と繰り返す琥珀に、小夜は思わず笑ってしまった。

「えっ、笑うとこ、そこ?」

「ごめんなさい。でも、うん。もう、怒ってないわ」

くすくすと笑う小夜は、口元に手を添えた。

「でも、許してくれて。ありがとう」

琥珀の安心した顔に、小夜はゆっくりと肩の力が抜けていくのを感じた。

これ以上、近づかなければいい。それに少しだけこれから先のことが、明るくなったように思えた。

それから小夜は、琥珀に自分の家族や仕事のことを話して聞かせた。彼は、話を熱心に聞いてくれて、笑ったりしてくれて、久しぶりに小夜は自分が笑った気がした。

けれども、仕事の時間が迫っていたので、琥珀にまた昼に来る、と伝えて。蔵を出た。

琥珀の世話を命ぜられたからといって、小夜の仕事がなくなるわけではない。

屋敷では、個人の担当がきちんと決められている。そのため、していないと分かればまた、美佳子に何を言われるか分からなかった。

足早に小夜が屋敷へ戻ると、皆が朝の仕事を終える頃だった。

「遅くなりました」

小夜はそう言いながら、皆の間を通り抜けて担当場所へ向かう。その間に、紐でたすき掛けをして、掃除の邪魔にならないようにした。

「おばさん!」

頭の中で自分の担当場所はどこだったかと考えていると、別館へ向かう廊下で幸子を見つけ、声をかけた。

「おや、小夜。あんたんとこはやっとおいたから、そんなに急がなくて大丈夫だよ」

「そんな。おばさんは他が忙しいのに………」

「いいんだよ。これくらい平気さ」

掃除道具を持って、肩を竦める幸子に小夜は深々と頭を下げた。

「あとは昼餉の後片付け、ぐらいかね?」

思考しながら小夜は頷いた。

一緒に火事場へ行こうと幸子に誘われるまま、小夜は彼女の隣に並んで歩き始めた。

「おはよう、幸子さん、小夜さん」

火事場へと向かうため、中庭を歩いていると、その通路より類から声をかけられた。

小夜の家に来たときの洋装ではなく、着物姿だった。こうしてみると、彼は幼く見えた。

二人揃って、類に頭を下げて挨拶すると、小夜だけを残し幸子を先に行くよう促した。

「小夜さんとは大事な話があるんだ」

大丈夫、そんな大したことじゃない、と幸子に微笑む類に、彼女は後ろ髪を引かれつつも、先へ行ってくれた。

類は幸子の姿が見えなくなるまで見送り、周りに誰もいないことを確認すると、中庭へと下りてきた。

そして、桜の下に小夜を誘うと声を潜めていった。

「君に話し、というのは、近々【継承の儀】があるからなんだ。それに、小夜さんも参加してもらいたいんだよ」

「継承の儀?」

小首を傾げる小夜に、類はゆっくり頷いた。

「琥珀の結界を今までと変わらず続けていくための儀式だ。本来であれば神山家の妻が、娘へ受け継がれる力と保護の力なんだが、妻はこの世にはいない。だから、私が代わりを務め、娘に継がせる。それに参加してほしい」

「私のような者が参加してもよろしいのでしょうか?」

困惑気味に尋ねれば、類は大きく頷いた。

「もちろんだとも。あれに関係する全員が参加する。心配しなくても大丈夫だ」

ぽんぽん、と小夜の肩を叩くと類は何事もなかったように、手を振って本館へと歩いてく。

小夜は一人、訳が分からないままぽけっと突っ立っていた。

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