第4話


 小夜は、水から顔を上げたような目覚めに一瞬、息が止まった。

 手を額に当てて、痛む頭を押さえながら眉をしかめる。

 視界がまだぼやけて、判然としない。それでも。走馬灯のような記憶に小夜は数度瞬きを繰り返した。

「こっ、ここは………」

 再び小夜は、額を撫でながら見渡す。

 そこは本館一階ある特別なお客様などを迎えるために使われる客間だった。

小夜が幸子の家で使っている堅くなく、体が文字通り、沈み込む。

 天蓋付のベッドに、脇に置かれたアンティークの棚に、少し離れた所に置かれたテーブルと椅子。

 テーブルの上に置かれた硝子のランプには、花のレリーフが施されている。

それらが、小夜の体を優しく照らし、目が覚めたのにまだ夢の中にいるようだった。

 大きなガラス窓の向こうから、使用人の声がする。日の入り方から今は、正午を過ぎた頃だろう。

 昨日のことは夢だったのか。そう思って首元に触れると、真新しい包帯が巻かれていた。

 夢ではなかった。小夜の顔から血の毛がひいていく。

 「あら。ようやく、お目覚め」

 小夜は、戸口に現れた美佳子を絶望的な気持ちで見つめた。戸を閉めて、こちらに向かってくる美佳子から、視線をそらせなかった。

 小夜は声も出せず、ただ体を震わせる。美佳子は、ベッドの脇まで来ると立ち止まって腕を組んだ。

「本当に、腹が立つ子」

 小夜を見下ろす美佳子に、言い返す言葉もないまま俯く。

「おじょ、ぅ……さ、ま、あの」

 小夜は掠れた声で顔をあげる。しかし、美佳子の眼差しに怯んでしまい、再び舌を向いて、視線を彷徨わせた。

 「どれほど私が、あなたを嫌っているか分かるかしら」

 小夜の態度に、業を煮やした美佳子がぞっとするほど優しく問いかけた。

 しかし、問われた小夜は彼女の言葉が分からず閉口する。美佳子の胸間が分からない。苦悩を顔に乗せながら問うた。

「分かりません。あれからどれほど考えても分からないのです。どうか、教えて下さい。私は、お嬢様に何をなさったのですか?」

 甲高い音がした。それは小夜が美佳子に頬を引っぱたかれた音だと気づいた。

 そして、美佳子の顔を見たとき、小夜は自分の失態を知った。

 美佳子の逆鱗に触れた。小夜は叩かれた頬に手を添えながら彼女を見上げた。

控えめに戸が叩かれる。それに継いで聞こえた幸子の声に、美佳子は小夜から距離を取ると、侮蔑の眼差しを戸へと向けた。

「小夜。具合はどうだい?」

小夜は、ベッドの上で当惑しながらも、声を上げた。

「叔母さん、来てくれたの?」

「あら?お嬢様」

 戸を開けて入ってきた幸子は、美佳子に目を丸くした。

「小夜さんが倒れたと聞いてお見舞いにと。ご迷惑だったかしら?」

 美佳子の木漏れ日のような思案顔に、幸子は、左右に首を振った。。

「いいえ!ありがとうございます」

 深々と美佳子に頭を下げる幸子に、小夜は憂鬱な気持ちで天井を見上げた。

「小夜。具合はどうだい?食べられそうかね」

小夜が見ると、幸子の手にはお盆があった。お盆の上には、お粥とたくあん、お茶が置かれていた。

「……いた、だきます」

 無碍に断ることもできず、小夜はお盆を幸子から受け取った。彼女の瞳が自分の頬に注がれたのを見て、慌てて微笑んだ。

「では、私はこれで失礼するわ。ではまた」

 幸子は立ち去る美佳子に、深々と頭を下げ、立ち去る美佳子を見送った。

 戸が閉じられる。美佳子が去ると、小夜は心の底から安堵した。

「全くこんなに心配かけて!兄さんとお義姉さんが聞いたら心底驚くだろうよ。怪我も大したことないみたいだし、何をしてきたんだい?」

「えっと、青い花を、さがっ、して、て」

「青い花を!」

小夜は幸子の驚愕する顔を見ていたくなくて、視線をお盆に注ぐ。そして、ようやく箸を付けることにした。

 「えっと、旦那さまを喜ばそうと、思って………」

 小夜が美佳子に花を取ってくるよう命じられた時、周りには数人の使用人がいた。しかし、誰も幸子が行く目的をを伝えてはいなかった。

 小夜を幸子の元へ案内してくれたはつでさえも。そう考えると、悲徳を抱かずにはいられない。

 小夜は悲壮感を、お粥を掬い、口に運んで咀嚼することで、飲み込んだ。

「そうなのかい。じゃあ、しょうがないね」

 腰に手を当てて横行に肩を竦める幸子は、小夜が食べ終わるまで赤く腫れた頬のことには最後まで言及も、手当もしなかった。

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