第37話 先輩37 クリスマス1
ガチャ……
「おはようございます、有希亜」
「お、おはよう……」
扉が閉められてから15分後、あんなに勢いよくしまった扉が、まるで魔王の部屋に入る時みたいに重そうな音を立ててゆっくり開いた。
そして、扉の隙間から、顔だけひょっこりのぞかせたのは魔王でも魔女でもなく、小悪……じゃなくてわかりやすいまでの膨れっ面をした有希亜だった。
「……さっきの、忘れてね?」
「『さっきの』?」
「分かんないならいいです……」
「あー、髪ボサボサでパジャマ姿……いたっ!?」
「みなまで言わないでっ」
手に持っているカイロを投げつけてくる僕の彼女。これ以上はガチで怒られそうなので僕はそれ以上言うのはやめておいた。最近、僕の地雷センサーが進化してきたと自覚する瞬間だった(有希亜限定で)。
「それで、エリカさんは?」
「お母さんなら私よりも寝坊したから今超特急で支度してる。……っていうか、カイ君は今日のこと知ってたの?知っててこの前電話してきたの?」
15分間の準備で余裕を取り戻したのか、落ち着いた様子で聞いてくる有希亜。相変わらず今日はずっとジト目だけど。
「いえ、僕もついさっき母さんから聞いたんですよ、ホントに。だからあの時は本当に……」
「ごめんなさぁい、お待たせしちゃったわね~」
続きを言いかけたところで、有希亜の後ろの扉が再び開いて、中から大きなスーツケースを片手にダウンコート姿のエリカさんが現れた。
「お母さん、遅いよ」
「おはようございます、エリカさん」
「ごめんごめんって。カイ君も、おはようっ」
エリカさんと話すと、やっぱ有希亜の口調と緩やかでなごやかな性格は母親譲りだなと思わされる。
「それじゃぁ、時間ももったいないし早速行こっか」
「もうっ、誰のせいでこんな出発遅くなったと思ってるの?」
「あははは……」
親子2人のやり取りを暖かい目で見届けて、僕は車の方へ先に足を運んだ。
そして、エリカさんの荷物を後ろに乗せて僕たちは木下家を後にした。
下道を行くこと20分、僕たちを乗せたミニバンは浜松インターチェンジに入った。その間、僕と有希亜は特に何を離すという事もなく、それぞれ座っている側の窓からの景色を見ていた。
「……」
「……」
「スース―……」
前列から寝息が聞こえてくるので覗いてみると、2列目の座席をフル活用して横になっている我が妹の寝顔が見えた。
そりゃあんな早起きしたら眠くなるわな。
「でねー、そのあと旦那ったら帰ってきてなんて言ったと思う?『昨日は残業だったんだよ』ってさ。まずは謝罪しろよって話!」
「マジわかる、それ!うちの旦那も私が怒るとぺらぺらと言い訳し始めるわなんわ……」
最前列では運転席に座るうちの母さんと助手席でタピオカ片手のエリカさんが学校でよく聞くガールズトークを結構な声量で繰り広げていた。いや、あなたたちの後部座席でぐっすり寝てる子がいるんですけど……?
そんなこんなで最後列に座る僕と有希亜はいろんな意味で気まずいわけで。
でも、想像と違えど、12月24日、つまりクリスマスイヴに恋人とほぼ丸一日過ごせるのだから、この機会を沈黙で終わらせてはいけない。勇気を振り絞って、母さんたちに聞かれない声量で隣に座る彼女に声をかける。
「な、なんかうちの母さんがすみませんでした。家族旅行とは聞いてたんですけど、まさか『合同家族旅行』だとは思わなくて……」
「う、ううんっ。うちの方こそ、さっきは突然の事だったとはいえ、怒ってごめんね」
「いや、それは完全に僕の方が悪かったので……」
「いやいや、私だって……ふふっ」
「……はははっ」
なんか2人して親の代わりに謝る異様な状況に思わず笑いだしてしまった。
「まぁ、お互いさまってことで」
「そうだね、そうしよっか」
困った表情をしながらもお互いに笑顔を見せあう。
「それよりカイ君。なんでまた『先輩』に戻ってるのかなー?」
場が収まったと思ったら、これ見よがしに彼女はお得意のいたずら顔を向けてきた。
「え、言ってましたっけ……?」
「うん、ばっちりと」
「あ、いや、今のはせめてもの謝意を見せるために……」
「ふーん。カイ君は、私が名前呼びされるよりも先輩呼びされるほうが喜ぶと思ってるんだー?」
「えっと……ごめんなさい」
「ふふっ、かわいいっ」
「もうっ、からかわないでくださいよ、先……」
「んー?『先』なにー?」
「今のはスルーしてください……」
「えー、やだ」
「なんで!?」
「だって楽し……面白いんだもん」
「言い換えてもダメです。っていうか、結局僕馬鹿にされてますよね?!」
「あはははっ」
くそー。いつもこっちが下手に出るとすぐこれだもん。
「それじゃぁ、私の事『先輩』って呼んだ罰ゲームね?この旅行中は私の事を名前呼びしかしてはいけません」
「え、母さんやエリカさんの前では……」
「2人の前でもですっ」
今日イチの笑顔で言われてもなぁ……。
彼女の前ならいいけど、親の前はさすがに恥ずかしい……。
「ち、ちなみに、ルールを破った場合は……?」
「私も『カイ君』って呼び方辞めます」
「え」
『カイ君』呼びをやめるってことは、初めて会った時みたいに『海斗君』になるのかな。それとも名字で『筑波』……。いや、最悪『後輩君』なんてことも……?!
どっちにしろ、呼び方を変えられるのは嫌だ。家族や友達からも同じ予備勝たされてるけど、この人から呼ばれる『カイ君』は他の人のそれとは何か違う気がする。だから、僕にとってはこの罰ゲームは割とキツイものだった。
「どう?やる気になったっ?」
「……はい、なかなか遺憾ですけど」
「ふふっ、素直じゃないなー。それじゃぁ、2日間、がんばってね?」
まぁ、要は彼女を呼ばなきゃいいわけだ。「ねぇ」とか「あのー」とかで声掛けすればわざわざ名前を呼ぶ必要はないわけだし。なんとかなるだろ。
「ちなみに、「ねぇ」とか「おい」とかって言っても私、反応しないから」
くそっ、先手打たれた……。っていうか、さすがに「おい」は言えないでしょ、夫婦じゃないんだから。
こうして、なんともアンフェアなゲームがスタートしたところで、運転席からkの先のサービスエリアで休憩を取るというアナウンスが聞こえてきた。
よし、ここから気を引き締めて、なんとか前の大人2人にだけはバレないように注意しなきゃ。
ちなみに、サービスエリアに着くまでの間、なんだかんだ終始手を握っていたことは2人だけの秘密。こんなの、余計見せられない。
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