第30話 先輩30 刺激
「この間はありがとね」
しばらく通学路を歩いて人目が少なくなってきたところで、ふっと先輩は言った。
「いえいえ、元気になったみたいでよかったです」
一週間前、副委員長から体調不良で欠席したという先輩へプリントを届けてほしいと頼まれ、一人、先輩の自宅へ馳せ参じたわけだったのだが、結構ガチで体調不良だったらしく、いろいろ膨らませていた妄想……じゃなくて予想をなぎ払い、ぱぱっと渡すものだけ渡して、先輩の家を後にした。
「いやー、この間部活の子が風邪引いてたみだいでさ、私も本人も知らずに遊んでたんだけど、なんか私のほうが先に倒れちゃったみたいなんだよねー」
「へぇ、そーだったんですか」
「そうなんだよー。だから今度はその病原菌持ってた本人が今週欠席中なんだー」
なんかその言い方だと、その部員の人が病原菌みたいに聞こえるのは僕の気のせいだろうか?
風邪とは、不思議なもので普通に元気だった人が翌日急に悪寒、発熱、嘔吐を感じるようになり、薬を飲んださらにその翌日にはケロッとした顔で元気になっている。
ちなみに、これはつい先日の作者の実体験段であることは誰も知らない話。まさか、一昨日(29話)の直後に数年ぶりの風邪を引くなんて、先輩から風邪移されちゃったかな……。
「にしても、最近の薬ってすごいね。飲んだらものの30分でぐっすりだよ。で、起きたら結構楽になってるし」
「へぇ、まるで魔法の治療薬ですね」
「ね!それがドラッグストアで簡単に手に入る現代。ホント、私日本人でよかったと思う」
確かに、日本の薬の入手しやすさといい、保険適用料金といい、ほかの国に比べたら結構いいほうに違いない。世界屈指の長寿国ってのもよくわかる気がする。
「そういえば、私が休んでるときの放送、2人で大変じゃなかった?」
「いや、そんなこともないですよ。副委員長が結構てきぱきと分担分けしてくれたし」
あ、まずったかな……?これじゃぁ、先輩いなくても大丈夫に聞こえるかも……。
「そっか、よかった」
あれ?
いつもみたいに突っ込んでくるのかと思ったら、今日はやけにすんなりだな。
「あれからやっと一週間かぁ、なんか最近時間が経つのがすごく遅く感じるよー」
「そうですか?」
「カイ君はそうでもない感じ?」
「んー、まぁいつもと変わんないですね。部活とか勉強で帰ったらすぐ寝ちゃうし」
「あー、忙しいと時間たつのあっという間だよね」
「そうですねー。先輩は割と暇なんですか?」
「暇じゃないけど……退屈かな」
「あー……」
それって意味同じじゃ……?
「ふふっ、日本語って難しいね。そりゃ私だって部活もあるし勉強もあって忙しいけど、それと毎日が充実してるかは別問題じゃない?」
僕の考えてることを先読みしたように、先輩は自分から話し始めた。
「流されるように過ごす毎日。普通と言えば普通だし、その普通さはとても平和ってことでありがたみがあるわけで……」
「……」
僕は静かに先輩の次に発せられる言葉を待つ。
「でも私はね、人間って生き物は『刺激』を本能的に求めてしまうものだと思うんだよね。ちょっと悪いことしてみたくなったり、人より少しだけ特別に見られたかったりする……。ごめんね、国語の苦手なカイ君には少し難しかったかな?」
真面目な空気を無理やり崩そうと、いつもの悪戯顔を繕うとする先輩。
僕は黙って首を横に振る。
……わかりますよ。
僕もたまにそういった哲学的なことを考えることがある。人間とはとても不思議なもので、十人十色とはよく言ったもので、どんな人にも、その人特有の何かを持っていると思う。でなければ、一人ひとりを日々の生活で区別できるはずがないからだ。でも……
「先輩はその『刺激』を求めて日々生きているんですか?」
僕の真剣な顔つきに、先輩は少し考えるしぐさをする。
「私だけじゃなくて、どんな人にもその本能は持ってるはずだよ。もちろん、カイ君、君にもね」
「僕にも……ですか?」
「そう。ただ世の中の大半の人は、今過ごしている日常をやり過ごすのに精いっぱいで、それを考える時間を持たないだけ」
「それで、『退屈』ですか」
「そゆこと。友達や家族と過ごす時間は確かに楽しいけれど、外の世界にはもっとたくさんの刺激で溢れてるんじゃないかなって思ったわけなのです」
今度は余裕のある朗らかな表情を見せる。
なるほど。たしかに僕は1日1日のルーティーンに追われるばかりで、将来の事や違う何かに触れることに時間を費やしたことがなかった。
「一つ、聞いてもいいですか?」
「うん、どうぞ?」
「先輩にとって、僕は刺激の一部ですか?それとも、日常ですか?」
……
再びの沈黙。しかし、その静けに反して僕の心臓の音は今までにないくらいうるさく鼓動を立てていた。
「……もちろん、最初の方、だよ?」
顔を上げた先輩の顔には熱がぶり返したのではないかと思うくらいに熱が浮かんでいた。
そして次の瞬間、僕の体に彼女が飛び込んできた。僕の胴を彼女の腕が優しく覆う。それに応えるように、僕もその細い体に腕を回す。
「最初の方って、どっちでしたっけ?」
「もう、分かってるくせに」
そう言って、少し強めに抱きしめる先輩。
「カイ君のここ、すごいドクドク鳴ってる……」
「先輩のだって」
「ふふっ、おんなじだね」
「はい」
うれしかった。本当を言うと、僕には先輩の『刺激』に成りえている自信が全くなかった。何のとりえもない普通の中学生男子に、そんな人を楽しませる魅力もなければ、能力もない。そんな風に、思っていた。でも、先輩の言葉や表情、この抱擁を聞いて、見て、感じた時、そんな不安は一瞬で喜びに変えられた。
もしかしたら、これが先輩の言う『刺激』なのかもしれない。
「先輩……じゃなくて有希亜」
「は、はいっ」
慣れない呼び方に、激しい緊張が先輩にも伝わる。
「好きです」
夕焼けの光が、先輩の真っ赤な顔を更に鮮やかなオレンジへと染め上げる。
「私も、大好きだよ、カイ君」
落ちていく夕日を横に、僕は先輩の唇へ自分のをそっと重ねた。
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