第29話 先輩29 迎撃

 「カイ君、お呼びだよ」



 教室に入ってくるなり、教卓に書類のようなものとスマホを置きながらうちの学校の若手美人担任中田先生は苦笑いで言ってきた。


 「お呼びって誰がですか?」


 目的語と動詞しか言ってくれない英語の担任に、英語ではまず先に言うべきの主語を求めた。


 「誰って……君のワイフよ」


 今度は半ば呆れながら、わざとらしく英単語を使ってくる。


 「えっ!?」


 思いがけない人物に、思わず椅子から勢いよく立ち上がってしまった。


 「おーい、まだ帰りの会が終わってないよ、カイ君」


 配布物を列の先頭の机に配りながら、先生はのんびりと言った。


 「え、でも……」

 「はぁ……。ちゃんと帰りの会が終わってからって伝えてあるから、心配するな」

 

 気が利く中田先生。どうして結婚できない……やめておこう。そんなこと言ったら宿題をやってこなかった時の『滅殺正拳』が飛んでくるに違いない。



 「なかっちー、『ワイフ』ってなに~?」


 中学校1年生がその単語の意味を知るはずもなく(いや、知ってる子もいるにはいるけれどこれは一般論的に)、クラスの男子がその意味を訪ねる。

 授業中は寝てるくせに、なんで今に限ってそんな積極的に質問するんだよ、優斗。

 

 「こらー、“なかっち”言うなっていつも言ってるでしょ。……はぁ。ほら、英語“だけ”優秀なカイ君、答えてあげなよ」


 まぁ、要するに僕は一般論の集合からは外れた空集合なわけで……。


 「“だけ”っていうの、強調するのやめてください、なかっち」

 「……」


 無言で無理やりに口角を上げた笑顔を見せる中田先生。

 ホント、女性のこの笑顔ってなんでこんなに怖いんだろ。



 「それで、どういう意味なんだよ、カイ君」


 ニヤニヤとした顔を見せてくる優斗。あ、こいつも空集合だわ。


 「ったく……、『嫁』だよ」


 その瞬間、クラスの女子たちが驚きの声を爆発させる。


 「え、嫁ってことはあの先輩?!」

 「お呼びって超ラブラブじゃん~!」

 「熱々だね~」


 こうなると思ってました、はい。


 「カイ君~、うちの部員に変なことしたら英文の書き取り1000ページな?」


 ……これが、女バレ顧問兼うちの担任が結婚できない理由なんですね。


 


 「はい、それじゃぁみんな、部活休みだからって寄り道せず、“変なことせず”、まっすぐ帰りなさいよー」

 「「はーい!!」」



 だからなんで今日に限ってみんなそんなに反応いいの……?

 いつもガヤガヤして帰りの会はお祭り騒ぎなうちのクラスが、先生のわざとらしいセリフにみんなして呼応した。

 結局、変なところで気が利く先生は、超高速で帰りの会を終わらせてくれた。

 


 「さよーなら、先生」

 「さよーなら」


 みんながぞろぞろと帰る中、僕も教室を早々と出る。




 「待たせちゃってごめんなさい、先輩」


 教室を出ると、クラスの廊下側壁に制服姿の先輩がスクールバッグを両手に持って立っていた。


 「全然いいよ。中田先生にもちょっと待ってって言われてたし」

 「それならよかった」

 「うん、それに関しては全然気にしてないんだけど……」

 「ん?」


 そう言いかけて、何やらもじもじし始める先輩。かばんに目を落としながら、くねくねしている。


 「その……『嫁』っていうのは、さすがに恥ずかしすぎるよ……」

 「あ……」


 さっきのクラスの会話聞こえてたのか……っていうか、クラスの前の廊下にいれば、普通に考えて駄々洩れか。

 でも……。


 「あの、先輩、あれは僕が言い始めたわけじゃないんですけど……」

 「でも否定しなかった……」

 

 なんだかムスッとしている先輩。


 「えっと、それじゃぁ否定したほうがよかったですか?」

 

 するとさらにツーンとそっぽを向いてしまった。

 もう何が正解なのか混乱してきた。



 「えっと……」

 

 「こーら、さっそく痴話げんかかー?」

 「な、中田先生?」


 後ろを向くと、教室の扉でこちらをニヤニヤと見ている中田先生の姿があった。


 「ち、痴話げんかじゃないですよっ」

 「まぁまぁ顔を真っ赤にしちゃって。有希亜らしくない反応だな」

 

 そっか。先輩は女子バレー部で、中田先生はその顧問だった。


 「先生こそ、彼氏の一人もいないんですか?」

 「うぐっ!?」

 

 先輩の容赦ない反撃の尋問に、見えない矢が中田先生に突き刺さる。


 「この間だって、ミーティングって言いながら、ほとんど合コンの愚痴ばっかりだったじゃないですかっ」

 「グハァッ!?」


 あ、ファイナルアタック決まった……。っていうか、合コンって……。もうほんとに誰かもらってあげてください。


 「ゆ、有希亜……、私を苦しめてそんなに楽しいか」

 「だって、いつもカイ君の事で弄ってくるじゃないですか。そのお返しですよ」


 なんか、もうどっちが年上なのかわからなくなってきた……、というか、もはや同い?


 

 「ほら、カイ君帰ろっ」

 「あっ、有希亜、まだ話は……」

 「先生の失恋談はまた今度聞きますから」

 「グサァッ!」


 そんな追撃しなくても……。

 廊下に崩れ落ちる中田先生を後に、僕らは学校を出た。

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