第16話 先輩16 夏休みー花火2

 「ちょっとトイレ行ってくるよ」

 「おう、行ってらっしゃーい」


 優斗に言って、僕はその場を離れた。

 トイレ、どの辺だったかな……。

 本当に人口密度が高すぎてトイレどころか他の屋台すら看板くらいしか見えない。とりあえず、この有象無象の集団から抜け出そうと人ごみをかき分けていく。


 こういうのは正直苦手だ。統率の取れない規則性皆無の人の流れを見ていると目がくらくらする。人酔いというやつだ。普段、乗り物酔いはほとんどしない僕だが、この「人」の波にだけは弱い。

 あぁ、これはまずいな。ちょっと気持ち悪くなってきた。早く抜け出したい……。


 ドンッ!


 「す、すみませんっ」


 しまった。ついぼーっとしてしてた。

 慌ててぶつかった相手に謝る。怖いヤンキー兄さんじゃなきゃいいけど……。

 しかし、予想していたものとは全く異なる人物の声が頭上から聞こえた。


 「あれっ、カイ君?」


 十日ぶりに聞くその声は、つい昨日のようにあの夜の事を思い出させる。下げていた、というより気分が悪くて下を向いていた頭を上げると、予想内の人物の顔がそこにあった。


 「こ、こんにちは、先輩」

 「カイ君も来てたんだね、お祭り」

 「えぇ、クラスの友達と来てるんですよ」

 「……それって女子?」


 これぞといわんばかりに分かりやすく苛立ちを見せる先輩。

 

 「女子もいますけど、男子もいます」

 「ふーん?っていうか、カイ君、大丈夫……?なんか顔色悪いよ?」


 そう言って先輩は僕の顔を覗き込む。相変わらず鋭い。


 「大したことじゃないです。ちょっと人ごみに酔っちゃって」

 「……ちょっとこっちおいで」


 そう言って、僕の手を引いて、歩き出す先輩。特に反抗する力も理由も持ち合わせていなかったので引っ張られるまま、僕は先輩についていった。


 「ふぅ、やっと抜け出せた。カイ君、大丈夫?」

 「は、はい、なんとか」


 ようやく人ごみを抜け、神社脇の少しスペースのある所に出た。

 

 「カイ君はここに座ってて。私、ちょっと飲み物買ってくるから」

 「いや、それはさすがに申し訳ないです。ここは僕が……」

 「いいからここに座ってなさい」

 「は、はい。ありがとうございます……」


 予想以上の真面目な顔に、僕は素直に先輩の配慮に従うことにした。



 「はい、これ。スポーツドリンク」

 「すいません、気を使わせて……」

 「『すいません』じゃなくて、『ありがとう』が聞きたい」

 「あ、ありがとうございます」

 「うん、どういたしまして」


 それを聞いて、先輩は嬉しそうに納得する。


 「どう、さっきよりは調子よくなった?」

 「はい、少し休んだおかげで、もうだいぶ良くなりました」

 「そっか、よかった」

 

 安堵した表情を見せる先輩。


 「それじゃぁ。元気が戻ったってことで、私の浴衣の感想聞かせて?」


 そして、いつも通りの悪戯っ子の顔をする。


 「えっと……、キレ……かわいい、ですよ」

 「うん、よろしい」


 満足とばかりに先輩は笑顔をこぼす。


 ……

 

 なんて返していいかわからず、立ち尽くす僕と、それを見てさらにクスクスと肩を揺らして笑う先輩。

 

 「まぁ、今日はこのくらいでいいかな。友達、待たせてるんでしょ?」

 「あ……」


 そうだった。この現状だと、トイレ行くのにさすがに30分もかけてしまっている。まぁ、それはさっき先輩が飲み物を買いに行っている間にこっそりと済ませてきたんだけど。


 「ほら、友達待たせるのはよくないよ。行ってきなって」

 「あ、あの……」

 「あ、飲み物の代金の事なら気にしないで……」

 「この間の、返事の事なんですけど」

 「っ……」


 一瞬、先輩の顔が強張ったのを僕は見逃さなかった。しかし、かまわず僕は続ける。


 「先輩からの告白、うれしかったです。でも正直、『好き』っていうのが分かんなくて。先輩の言葉にどう返したらいいか思いつかなかったので、すぐ返せませんでした。すみません」

 「ぜ、全然いいよ!むしろ君を困らせてごめんね」

 「いえ、僕も最近もやもやしていたものが何なのか、考えるいい機会になりました」

 「もやもやって?」

 「それはちょっと言葉にするのが難しいです。でも、その気持ちの正体は今さっきようやくわかりました」

 

 僕はそこで一旦息を整える。別にまくしたてたわけでも、早口で言ったわけでもない。おそらくこれは、緊張だ。次に先輩に聞かれるであろう言葉、そして、それに対して僕が用意した言葉への不安と期待のこもった感情が僕の胸を埋め尽くす。


 「それで、その気持ちの正体ってなんだったの?」

 

 先輩も何かを察したように、身構える。


 「僕のもやもやした気持ちの正体。それは……多分、先輩と同じ、だと思います」


 「私と……同じ?」

 「はい」

 「それって……」

 「僕には経験がなかったのでこれが正解なのかわかりませんが、もし間違っていないのだとしたら……」

 「……」

 「僕も、先輩の事が好きです」


 僕は、この時、僕なりの『好き』の定義を確立させた。

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