唯一くるりだけが

 二〇〇〇年から二〇〇一年、二十世紀から二十一世紀。

 その転換を象徴する日本の音楽は何か?

 そう問われれば、俺はくるりの『ばらの花』だと答える。あの曲は二〇〇一年の一月にリリースされた。そうしたタイミングも含めてあれはレクイエムだ。二十世紀へのレクイエムであり、ミレニアムというお祭り騒ぎへのレクイエムであり、もっと言えば終末期に入る直前の俺たちへのレクイエム。シミドレ・シファドソ……シミドレ・シファドソ……シミドレ・シファドソ……シミドレ・シ、タタタ。

 この曲と、2001年9月11日を挟んでその後にリリースされた『ワールズエンド・スーパーノヴァ』がくるりにとってひとつの頂点だろう。音楽的にはその後も約二十年変遷を続けているが、時代と符号し世界のサウンドトラックになったという意味に限定するなら、くるりの頂点は間違いなくあの二年間だった。世界の終わりの始まりを音楽に切り取るという意味において、前述したミッシェル・ガン・エレファント、ブランキー・ジェット・シティ、サニーデイ・サービス、ジュディ・アンド・マリー、ザ・イエロー・モンキーはすでに息を引き取りかけていたし、中村一義の挑戦はまだ道半ばだった。スーパーカーは諦観だったしナンバーガールは達観だった。椎名林檎と宇多田ヒカルはまだ世界よりも自分のことでいっぱいいっぱいだったし、バンプ・オブ・チキンとアジアン・カンフー・ジェネレーションと七尾旅人は間に合わなかった。唯一くるりだけが、世界の終わりの始まりを『ワンダーフォーゲル』『ばらの花』『ワールズエンド・スーパーノヴァ』という三曲の中に吹き込むことができたのだ。

 俺は『ワールズエンド・スーパーノヴァ』のシングル盤(今じゃもう誰もシングル盤なんて買うどころかリリースすらしない)に封入されていた特典に当たって、無料ライブに行くことができた。Zepp OSAKAがまだコスモスクエアにあった頃だ。俺はその日、チケットを忘れていることに気が付かずにZeppの前で余裕ぶっこいてビールを飲んでいて、開演時間になってから慌てて取りに帰るはめになった。不幸中の幸いというやつで、京都の家じゃなくて梅田駅のコインロッカーに忘れていたから行って戻って一時間くらいだったと思う。でも無料ライブだから演奏時間がいつもより短くて、結局アンコールしか観れなかった。

 だから俺は『ワールズエンド・スーパーノヴァ』を聴くべき時に、生で聴くことができなかった。

 もしあの時、二〇〇二年の春に『ワールズエンド・スーパーノヴァ』を聴けていたら、俺のその後の人生と、俺の生きた世界はもう少しだけマシなものになっていたかもしれない。少なくとも、あの時一緒に行った彼女に怒られることはなかっただろう。


 当時付き合っていた彼女は、個性的な美人と評されることの多い人だった。目が細くて鼻が大きくて、輪郭と髪が綺麗だった。例えが漫画のキャラクラーで悪いのだけど、『ハンター×ハンター』に出てくる幻影旅団のパクノダに似ていた。わかるだろ? いかにも一癖ありそうなで、顔から知的さを感じさせてくれるタイプ。彼女は俺と同い年で、大学で知り合って付き合った。結局は俺が血迷って浮気をして別れることになるのだけど、『ワールズエンド・スーパーノヴァ』を見逃した時は俺たちの仲はまだ良好だったと思う。俺も彼女も二十歳そこそこで、猿のようにセックスをした。本当に猿みたいに、昼も夜も深夜も朝も飽きることなく三年間入れて出してを繰り返した。猿でもあんなにはしないだろう。でも大学生はする。漫画や小説であるような、セックスして眠って、起きて冷蔵庫漁ってメシ食ってセックスしてまた眠って、夜中に起きてシャワー起きてまたセックスして寝る、みたいな。まさにあれを三年間やった。俺はその後何人もの女性と寝て、幸せなセックスも禍根を残すセックスもめちゃくちゃ気持ち良いセックスもしたけれど、彼女と過ごした三年間以上に、総体としてあれだけ巨大なセックスの中にいたことはない。あの三年間ほぼ毎日俺はセックスしていたと思う。今思うと羨ましくもあり微笑ましくもあり、俯瞰で悲しくなったりもする。

 年を重なるごとにセックスは重たく哀しくなるが、時々奇蹟のように暖かい。多分、セックスは本当に時々奇蹟なんだろう。

 音楽とセックスの奇蹟をありがたがるのは俺だけじゃなくて、二十世紀後半にこの国で十代二十代を過ごした人間ならみんなやっていたことだ。それは七十年代生まれや八十年代生まれだけじゃなくて、ギリギリ俺の両親だって含まれる。第二次世界大戦後から昭和の終わりまでに生まれた世代、つまり団塊から団塊ジュニアまでは、きっとそうだったんじゃないか。それより昔のことはわからない。そしてそれより最近になると、俺には音楽もセックスも奇蹟が消えかかっているように見える。でもそれは俺がもう四十歳だからかもしれない。


 もう少し音楽の話をさせてほしい。

 俺が最高に音楽の魔法を感じたのは、二〇〇三年のフジロックのオレンジコートで渋さ知らズオーケストラを観た時だ。あの時、最後にレッド・ツェッペリンのジャケットみたいなバカでかい飛行船がステージに降りてきたと思うんだけど、あれって俺の幻覚だったのだろうか? あとオレンジコートが平等院鳳凰堂みたいになってた気もするけど、たぶんそれは全身白塗りの人が踊っていたからじゃないかな。その前にフィールドオブヘブンに寄ったけど俺はハッパはやらなくて、煙草と酒と音楽の力だけで完全にキマってしまっていた。もみくちゃにモッシュして視界がチカチカで夜空はどこまでも真っ黒で最高だった。暗闇が輝いていた。テンションは下がらず飲みまくり踊りまくり、超やべーとか言ってたら、そのまま三十九度近い高熱を出してテントに帰ってぶっ倒れた。横になった瞬間、身体中の関節が軋みだして全然動けなくなって、もしかしてこのまま死ぬのかなって思った。死が近い感覚とか寒いこと言っててざまあない。全身が痛くて、テントの下にゴツゴツした冷たい土があることしかわからなかった。ああ、朝になったら俺はこの土のように冷えて固まって、動けなくなってしまうんだ。そしてフジロックは死者を出したということで来年から開催が危ぶまれるかもしれない。ごめん、ごめんなさい、俺のせいで、みんなごめん。そんなことを考えながら気を失ったかもしれない。馬鹿みたいというか、馬鹿の話な。

 朝になってもまだ熱はあったけど、俺は生きていた。フジロックは終わっていて、みんな祭の後のシャトルバスに並んでいた。日常に帰る時間だ。熱がひどくて一刻も早く帰りたかったけど、金が無いから予定通り青春十八切符で丸一日かけて京都の一人暮らしの部屋まで帰った。その時俺はまだパクノダさんと付き合っていたから電話して看病してもらおうと思ったんだけど、彼女は「私を置いてフジロックに行くからや! ざまあみろ! 一人で苦しめ!」と言って、来てくれなかった。

 話が前後するけどその前の年、二〇〇二年に俺はパクノダさんと一緒にフジロックに行っていて、一緒にコーネリアスを観たり、俺が買ったバッファロー・ドーターの表が《 i 》裏が《 ! 》になっているTシャツを「くそださい!」と彼女に笑われたりしていた。それが本当に楽しかったはずなのに、俺は二〇〇三年には、彼女が迷っている間にさっさと友達とフジロックに行ってしまったのだ。そして当然彼女はそれを心底怒っていた。それが引き金になったわけじゃないけど、この時期から俺と彼女の間にあった風船はだんだん萎んでいく。いや、俺がわからなかっただけで他にもたくさん引き金はあったんだろうな。でもそれはもう二十年近く前の話だから、確かめようはない。


 あなただって、二〇〇三年の恋愛がどんな引き金で終わったかなんて、覚えてないだろう?


 代わりという訳じゃないけど、一つ覚えていたら教えてほしい。

 くるりがクリストファー・マグワイアをドラムに迎えて『HOW TO GO』を演奏したフジロックは、パクノダさんと一緒に行った二〇〇二年だったっけ? それとも高熱を出した二〇〇三年だったっけ?

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