『PRIVATE GIRLS』に出ていた女の子たち

 西暦二〇〇〇年を迎えるにあたり、千年に一度の節目を表す《ミレニアム》という言葉が世間に躍った。それまでほとんど誰もそんな言葉口にしていなかったと思う。だけど振り返れば、ミレニアムの前と今では世界は大きく違ってしまっている。

 分かりきってありきたりなことを言うけど、まだワールドトレードセンターに飛行機が突っ込んでいなかったし、アルカイダもイスラム国もなかった。あったとしても、それは俺たちと全く別の次元にいて、見ることも聞くことも知ることもなかった。東日本大震災は起きていなかったし、福島はフクシマと表記されることはなかった。原発が良いか悪いかなんて誰も話題にしなかった。みんなまだ正社員になりたがっていたし、なればなんとかなると思っていた。結婚だってできると思ってただろ? 要するにそこには未来があったんだ。

 そして、まだミッシェル・ガン・エレファントやサニーデイ・サービスやジュディ・アンド・マリーやザ・イエロー・モンキーが解散していなかった。ブランキー・ジェット・シティは二〇〇〇年の夏に解散したし、一九九九年にはフィッシュマンズの佐藤伸治が亡くなっていたけれど、二〇〇〇年はまだ俺たちは音楽を無邪気に信じることができていた。

 それから二十年も経たない内に世界は泣きたいくらいに変わってしまった。跡形も無い。


 西暦二〇〇〇年。

 レンタルビデオ屋では、阿部和重の小説『インディヴィジュアル・プロジェクション』のジャケをパクったアダルトビデオのシリーズ『PRIVATE GIRLS』が流行っていて、元ネタよりもそのアダルトビデオを手に取った人の方が多いくらいだったんじゃないか。オシャレなパッケージで、イメージビデオみたいなイントロ映像があって、女の子がやたらキッチュな服装(例えば星柄のカラータイツとか)でセックスをする、そういう素人物シリーズ。その辺にいそうででも俺たちの周りには絶対にいない女の子がカラフルな安っぽい部屋でエロいことをするあの映像。今はもっと即物的で、XVIDEOとかFC2とか、タダで無修正のちんことまんこが観放題。そこにはもはやストーリーも背景もなくて「この子は本当はどんな人間なんだろう?」って想像する余地なんて無くなってしまった。

 その役割はどこに行ってしまったんだろう? アイドルや二次元が担っているのだろうか?

 そんな風に時代が変わってしまったせいで俺は年々セックスもオナニーも哀しくなってきていて、人類全体がそうなんじゃないかと不安になっている。レンタルビデオ屋のアダルトコーナーの暖簾の先がまだちゃんと異界の見世物小屋だった頃はさ、俺たちまだ踏みとどまれていたんだよ。


 あの頃はTSUTAYAがまだ街のレンタルビデオ屋を駆逐しきっていなくて、ソフトもまだVHSで、街のすえた匂いのするビデオ屋が価格競争チキンレースの果てに一泊八十円とか百円とかでビデオを貸していた最後の時代だ。今はみんなアダルトビデオも映画もドラマもアニメも、ストリーミングサイトか違法動画サイトで観ている。TSUTAYAは今やソフトを借りるところじゃなくてお茶をするところ。でもあの頃はまだカフェがくっついてるTSUTAYAは少なかった。東京にはたくさんあったのかもしれない。でもそれすらミクロな東京の話だ。俺がしているのはもっとマクロな話。東京のあらゆるところに、そして東京以外の日本のあらゆる地方都市に、日本全国津々浦々にまだ存在していたすえた匂いのする街のレンタルビデオ屋の話だ。あなただって足を踏み入れたことがあるはずだ。あの店の匂いを思い出してほしい。酸っぱくて、ビニール臭くて、ゴム臭くて、カビ臭くて、精液を思わせる青苦い匂い……それらが煮詰まって、まるで人生をあきらめきった中年男みたいな匂いがしていたあのレンタルビデオ屋。

 そこであなたは何を借りた?

 俺は、百本以上のエロビデオと百本以上の映画と古いアニメと深夜番組の編集版を借りた。『トレイン・スポッティング』も『ユージュアル・サスペクツ』も『ゴースト・ワールド』も『アメリ』も二本組の『マグノリア』もそこで借りた。ファーストガンダムもマクロスの映画版も、『笑う犬の生活』も『松本人志の一人ごっつ』も『バーミリオン・プレジャー・ナイト』も。そして『PRIVATE GIRLS』。山のようなアダルトビデオ。

 あの頃がどんな時代だったかって、そういうレンタルビデオ屋がまだちゃんと生きていた時代だ。当時大学生だった俺は、そこでシングルCDが8センチの短冊型から12センチのマキシシングルに切り替わるのを見ながら、せっせせっせとアダルトビデオを借り続けた。ビデオ屋の有線からはいつもモーニング娘。が流れていて、世界がうらやむ日本の未来を軽薄に夢見ていた。それくらい平和で、まだ世紀末気分で、まだ昭和をひきずっていて、まだギリギリ二十世紀だった。バブルが弾けて日本経済がもう二度と元に戻らないこと、金がなくなった途端に品性や教育があっという間に失われること、それも二度と元に戻らないこと、そして誰も学ぼうとしなくなること、そういうことの予兆があったのに、まだまだそこから目を背けていられた、日本中が学生気分でモラトリアムで、まだ何とかなる、自分だけは絶対死なない、不幸にならない、失敗しない、そう思えていられた幸せな時代。だから俺も毎日モザイクの薄いアダルトビデオを探すだけの大学生だった。

 あなたは何をしていた?


 その日も俺はレンタルビデオ屋に行っていた。その日大学に行っていたか、その時期どんなアルバイトをしていたかは覚えていないけれど、その日レンタルビデオ屋に行ったことは鮮明に覚えている。

 店の入口には外国の俳優の等身大パネルがあった。入るといつも不健康そうな顔をした汚い茶髪の男がカウンターの奥に座っていた。あれは店主だったのかもしれないし、アルバイトだったのかもしれない。

 カウンターの上にある棚には小さなブラウン管テレビが置かれていて、茶髪の男はいつもそれを観ていた。いらっしゃいませは言わなかった。代わりに、自動ドアをくぐると自動音声が「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」。

 男はその日もテレビに釘付けで、俺が入店しても目もくれなかった。いつものことだから俺も通り過ぎて、奥のアダルトビデオコーナーに行こうとした。でもその時、テレビの映像と音声が気になって足を止めた。

 煙を上げるビルの映像。

 消防車。叫んでいる外国人。再び煙を上げるビルの映像。叫び声、多分英語。スタジオに戻ってコメンテーターの声。またすぐ、同じビルの映像。

 最初に思ったことは、世界衝撃映像みたいな番組。

 でもそのテレビは、あまりにも執拗に、同じビルの映像を繰り返していた。その後ろでは「ニューヨークで起きた飛行機によるテロ事件は……」とキャスターの声がしていた。

「繰り返します、アメリカニューヨークで現地時間の九月十一日午前八時過ぎ……」

 映像も音声も、同じ情報を執拗に執拗に繰り返していた。

 

 これは、何なんだろう? ニュース? 現実?


「これ、何が起きてるんですか」

 俺が言うと、茶髪の店員はのっそり顔をこちらに向けて言った。

「やばいよなあ。世界終わるんちゃうか、これ」

 そして何故か彼は笑った。客に話しかけてバツが悪かったのか、照れ隠しみたいに鼻で笑った。

「繰り返します、アメリカニューヨークで現地時間の九月十一日午前八時過ぎ……」


 その日、俺が何かビデオを借りたかどうかは覚えていない。でも、俺はその後も変わらずその店を使ってアダルトビデオや映画やアニメを借りたことは間違いない。9.11ニューヨーク同時多発テロをきっかけにレンタルビデオ屋に行かなくなったなんてことはないはずだ。

 翌日、俺は当時一緒にバンドをやっていた女の子と会って、彼女の恋愛相談を聞いた。俺はドラムで彼女はボーカルで、他にギターとベースがいて、ギターとベースが彼女を取り合っていた。いかにも大学生的だろう? こんな話、同じ時代にあと二億個くらいは転がっていたんだろうな。

 待ち合わせの駅で顔を合わせると、彼女はやっぱりニューヨークのことを話して「どうしよう。第三次世界大戦になるんかなあ」と言った。彼女も言った後やり場ない様子で、ごまかすみたいに笑った。レンタルビデオ屋の店員と同じだ。だからその話は長続きしなくて、それから彼女は短くした俺の髪型が全然似合ってないと言って笑い、ギターとベースのどっちが好きとかちゃってバンドに恋愛を持ち込みたくないねん、みたいなことをひとしきり話し、俺の家で俺が作ったスパゲッティを食べて昼寝して帰った。俺は昼寝している彼女を見ながら、俺が今ここでコイツを襲ったらバンドはどうなるんだろう、と考えた。

 バンドは、コイツは、俺は、ギターとベースは、世界は、次のライブは、ニューヨークはどうなるんだろう。

 俺は当時テレビを持っていなかったし新聞もとっていなかったから、ニューヨークのことを考える時に思い浮かぶのは、レンタルビデオ屋で観た映像だけだった。当時はまだインターネットも普及し始めたところで、今みたいに検索してすぐに動画や詳細な情報が上がってくるような時代でもなかった。そもそも俺はまだパソコンも持っていなかった。驚くべきことにYouTubeもまだ無かった。YouTubeがない世界はついこの間まで当たり前だったのだ。

 YouTubeがない世界でニューヨークのワールドトレードセンターに飛行機が突っ込んで、レンタルビデオ屋の店員がそれを観て笑った夜、二十世紀が葬られ二十一世紀がやってきた。

 そのレンタルビデオ屋は今はもうない。すえた匂いのするレンタルビデオ屋。アダルトビデオコーナーばかりが広くて、見世物小屋みたいだったレンタルビデオ屋。9.11を境に、そうしたレンタルビデオ屋は日本中から姿を消していった。代わりに俺たちはYouTubeやその他の動画サイトを手に入れた。でもそこではもう『PRIVATE GIRLS』みたいなアダルトビデオは観れない。今ではそんなものを観る必要はない。今は二〇〇〇年じゃない。ミレニアムより後に生まれた子どもたちのむきだしのセックスを動画サイトでいくらでも観れる。最高だね、最高過ぎて吐きそう。彼ら彼女らのセックス動画はインターネットがなくならない限り永遠にネット上に残る。インターネットがなくなる時は人類が消える時だろう。


 あの頃『PRIVATE GIRLS』に出ていた女の子たちが、一人残らず今幸せになっているなんてことはきっと有り得ないだろうけれど、俺は祈る。彼女たちが笑っていますように。

 名もなき女の子たちへの祈り。彼女たちのセックスへの祈り。

 あなたがアダルトビデオなんて観なくても、俺はあなたに一緒に祈ってほしい。これ以上飛行機が落ちませんように。これ以上揺れませんように。これ以上ひどいことが起こりませんように。そう祈るのと同じだ。

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