第4話 水神様は意地悪い
『はぁ? テメェなに訳わかんねーこといってんだ まぁいい、拾ったんだったらついでに捨てとけや』
「おいっ!!オッサン待てって!くそっ、逃げやがったな…」
遠ざかっていく男の姿とエンジンの音。手に残る煙草を、悔しそうに境内に設置されている吸い殻入れに入れた。
─ ここで時は遡ること一ヶ月前
「はぁ!? ロサンゼルスに彼氏ができただぁぁぁあ!? 挙げ句の果ては移住するだとぉぉお!!?」
この家の長男─
『…この前ね、仕事で偶然同じ大学に通っていた同級生に出会ったの。その時は連絡先だけ交換して別れたのだけれど、ほら母さんデザインの仕事してるじゃない? その人も同じ仕事をしてて、意気投合しちゃってね、』
「はっ?…それで、今の今まで黙ってたのかよ 」
『お母さんもね、言いにくいのだけれど本当はお付き合いする前に、
「ま、待て待て、母さん俺が悪かったよ。だから泣くなって、な?な、な?」
潤んだ母の瞳にひとまず怒りが吹っ飛んだ。なぜなら母は泣くと一週間は引きずるのだ。
まず家の中の空気は鈍よりと重くなる。そのうえ母子家庭となれば2人しかいないから尚更息苦しい。それに極め付きは自室に籠城するのだ。日持ちする食材をもって、風呂とトイレ以外出てこない。だからその間の家事は全て自分がやる羽目になるのだ。それだけはなんとしても避けねばならない。
「わかった!わかったから、な? で、母さんはその人を追ってロサンゼルスに行きたいんだろ?」
『ぐずっ…うん、でも春汰は反対でしょ?だって母さん一度は失敗してるし…そうよね、母さん我が儘よね…ごめんなさい、ゔぅっ…』
「そんなことないって!!えっと、あの、あっ!そうだよ、母さんやったじゃんか!
ほら、お 俺の、もしかしたら未来の父親になるかもしれねぇし、めめでたいなぁー!!あはははは 」
まるで慌てる自分を落ち着かせるように、母の背中を優しく擦る。
『ぐずんっ…ありがとう、春汰。じゃあ母さんはロサンゼルスに行っていいの?』
「うんうん!ロサンゼルス行こう!!よしっ!決まりだなっ!」
『……本当に…?』
「ほ、本当だって!!嘘つかねぇーよ!」
俺の言葉に震える肩の動きが止まった。泣きじゃくっていた母が顔をあげる。
『 やったぁー♪じゃあ母さん今からロサンゼルスに行くわね!このマンションも今週いっぱいで売り払っちゃったから、春汰はおじいちゃんの所でお世話になるのよ。
ありがとう、春汰っ!愛してるわっ!』
「えっ…?ちょ、ちょっ待っ!母さんん!?」
母は、いつの間にか用意していたキャリーバッグを持って立ち上がる。そして満面の笑みで嵐のように出ていった。
「……嘘泣き、だと?」
唖然として静まり返った玄関を見つめていると、突然扉が開いた。
『すいません、下でお母様とお会いしたのですが…』
「…なんすか、今ちょっと放心中で」
『えっと、トラマル引っ越しセンターの者ですが、本日お伺いする予定になってまして…』
気まずそうに言った青年の帽子には、なんともキュートな虎が描かれている。差し出された契約書を奪い取るようにして見ると、そこには本日付に手続きされていた。
『今ある家具は全て売却とのことでしたので、一応お見積りを出させていただいたのですが…大丈夫ですか?』
「 今すぐ準備をするのでよろしくお願いします 」
俺は急いで頭を下げ、自室へと戻る。壁に貼られたカレンダーを見ると、今日の日付は青色だった。
「土曜日ってことは、…まさか、今週中って今日じゃねぇか」
こうしちゃいられない。俺は必要最低限のものを片っ端からカバンに詰める。母に今すぐ文句を言いたいが、まずは準備だと自身に言い聞かせた。
『あのー、冷蔵庫を運びたいのですが磁石で封筒が貼られてまして』
「封筒、ですか」
受け取るとガタイのいい男たちは軽々と冷蔵庫を持ち上げた。同じ男から見てもあの筋肉は羨ましいと思う。
それから俺は準備を終えて何気なく封筒を手に取った。電気にかざすと、透けて中にお札が見えた。
「母さん、なんだかんだ金置いてってくれたんだ え?待て、これバスのチケットじゃ…つか、これも今日かっ!!」
そこからの俺の動きは速かった。
まずバイト先の店長に電話して今日付けで退職させてもらった。迷惑だろうと思ったが、案外すんなり受け入れられて正直かなり傷付いたのは言うまでもない。引っ越し作業も着々と終わりを迎え、夕方には新居のようになっていた。
『 ― それでは今後ともトラマル引っ越しセンターをよろしくお願いいたします!』
「どうも、お世話になりました」
もはや俺には母を怒鳴る体力も気力も残っていなかった。無心でまとめた荷物を持ってバス停に向かい、予約された席に座る。それから八時間はかかるが、気付けば眠っていてあっという間に着いていた。
そして五年ぶりの記憶を頼りに祖父の所まで歩いて、やっとたどり着いた。
― そしてこの話は冒頭に戻る。
「たくっ…昨日からなんなんだよ。そういや俺なんも食ってないな、腹空きすぎて忘れてたわ。早くじいちゃん探して飯でも…」
「 の、…あのっ!!あなた私達が見えるんですか!?」
後ろを振り向くと女の子が立っていた。その背中からちらりと顔を覗かせる子供には犬のような耳がついていて、小刻みに動いている。勘違いかもしれないが、やけにキラキラとした瞳を向けられていて、俺の答えに期待しているようだ。
「はぁ?何言ってんだよ、お前らバイトか?小さいのによく頑張ってんな」
「 うわぁぁぁぁああ!! 水神様ぁぁああ!!この人間僕達と普通に喋ってるぅう!!」
「ちょっと冬、春!!待って、ひとりにしないで!」
「…期待してたわりに随分な変質者扱いだなオイ」
結局走り去った三人は!奥の境内の方へと向かったようだ。俺もそっちへ向かうとそこには見覚えのある背中があった。
「じいちゃん!久しぶりだな」
『おぉ、春汰!!久しぶりじゃのぅ、五年ぶりぐらいか?』
「ちょうどそんぐらいだな。急にごめんな、世話になります」
『えぇんじゃ、智恵が迷惑かけたんじゃ。すまんのぅ、よう来てくれた』
よかった。会うまでは正直ドキドキしてたんだよ。俺のこと覚えてなかったらどうしようとかさ。でも、じいちゃんは五年前から全然変わってなくて助かった。
… じいちゃんは、な。
「あのさ、じいちゃん…じいちゃんの隣で何故か俺のこと鬼の形相で睨んでる奴いるんだけどさ、知り合い?」
『はて、もしや春汰かなり疲れとるな?部屋に布団敷いてやるからゆっくり休め』
どうやらじいちゃんにはこいつが見えてないらしい。というより、言われた通り俺が疲れてんのかもしれない。もう頭の容量が限界をむかえたようだ。うん、たぶんきっとそうだ。じいちゃんを追って、目を合わせずそいつの横を通り過ぎるとがっつり肩を掴まれた。
「おい、お前俺達のこと見えてるな。
まぁいい、それよりコトハが逃げてきたんだが… お前なんかしたんじゃねぇだろうな?ああ?」
「すいません…俺もう無理っぽいです、はい」
ぐらりと視界が歪んで暗くなった。ただ、倒れて薄れゆく意識のなかで俺ははっきりと覚えている。あいつは意地悪い笑みを浮かべて俺の頭を踏みつけていた。
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