5-2 対・統一魔術学舎

「……なんだ、どうなった?」

 立ち上がり、痛む肩を強引に嵌めながら、恐る恐る麒麟の埋まる沈み込んだ地面へと歩み寄る。今、中から飛び出してきた麒麟に襲われたら打つ手はないが、そうならないであろう確信のようなものがあった。

「お前が、これをやったのか?」

 覗き込んだ地面の先、人一人分ほどの深さまで沈んだ地表の中に、先程まで麒麟だったものの姿はあった。身体中の関節、骨格が崩れたように平べったく四肢を広げた姿は、明らかに生命活動を停止している。

「ライカンロープだよ。こんな事ができるのは、あの人くらいしか知らない」

 凹んだ地形の手前で、龍殺しの魔術師の名を呼びながらも、ハルは他のどこを向くわけでもなく俺へと視線を向けている。

「超長節の重力魔術。射程距離は最大で学舎下の街全体よりも広いらしいから、どこから放ったかはわかんないけど」

 そうは言っても、塀に囲まれた学舎内を見渡せる場所など多くはない。

「なら、学舎の白塔じゃないのか?」

「可能性はあるけど、多分違うと思う。あの人は基本的に、あんまり人前に姿を晒したがらないから。多分、適当な山辺りからじゃないかな」

「山って……」

 ハルは簡単に言ってのけるが、学舎下の街から山までは最寄りのものでも相当な距離がある。『殻の異形』の侵攻を見てから避難するだけならまだしも、そこから学舎内の様子を把握する事など普通に考えて出来るはずがない。

「まぁ、見えるって言っても概形だけだから。建物を避けて撃っただけで、ここに私達や麒麟がいた事までは流石に見えてなかったと思うよ」

「俺達を助けたわけじゃないのか?」

「まさか。もうちょっと位置が悪かったら、今頃は私もぺしゃんこになってたね」

 たしかに、重力魔術の範囲はあと少しでハルを巻き込みかねないものだった。これほどの規模の魔術を超高精度で放つ魔術師の存在よりは、あくまで幸運としてこの結果があると考える方がまだあり得る。

「そこの二人! ……そこにいるのは『龍殺し』ルイン=Ⅵか!?」

 ライカンロープについての疑念を晴らす間もなく、頭上から俺の名を呼ぶ声が降る。顔を上げるまでもなく、声の主は白塔の上階にいる何者かだろう。

「……俺は逃げる。お前は好きにしろ」

 白塔にライカンロープがいるのかどうかは気になるが、今は紛れもない緊急事態であり学舎の防衛拠点である白塔には多くの、それも優れた魔術師が集まっているはずだ。今の俺の立場を考えると、長々と姿を晒しておきたい相手ではない。

「ちょっ……もう!」

 ハルにはここで俺とは無関係だと弁解する手もあったが、それよりも逃げ切る可能性に賭けたらしい。ただ、俺の後をついてくる理由に関しては謎だ。

「待て、そこの、ルイン――」

 白塔からの声は距離を離すにつれ小さくなっていき、周囲の騒音もあってすぐに聞き取れなくなる。事情があるのか、背後から魔術が飛んでこないのは救いだった。

 背後を警戒しつつ異形の影を避けながらなんとか近くの学舎棟に入り込み、周囲にも異形がいない事を確認したところで、ようやく足を止めて一息つく。

「……で、なんでお前はまだいるんだ」

 止まったのにはもちろん休憩の意味もあるが、ぴったりと横に並んでここまで来ていたハルの意図をたしかめるためでもあった。

「なんでって……お礼くらい言わせてよ」

 拗ねたようなハルの答えは、更に謎を深めるものにしかならない。

「礼? 罵声じゃなくて?」

「そりゃあ、罵声もあるよ。なんであんな無茶したのか、とか」

「それはそれで不本意だな」

 結果として麒麟に殺されかける羽目にはなったが、少なくとも鬼に対しては俺は最善手を選んでいたはずだ。批判するのであれば、せめて危機管理能力の無さでも責めてくれれば納得はできるが。

「でも、君は私を助けてくれたでしょ。接近してまで鬼の狙いを引き付けて、危険な役割を買って出てくれた。……私は君を見捨てようとしたのに」

「ああ、そういう事か」

 真剣な口調で告げられた言葉は、しかしハルと俺の解釈の違いでしかない。

 俺はあくまで、戦略的にも大局的にも自分にとっての最善手を選ぼうとしただけだ。ハルに加勢したのも近距離戦を選んだのも、それが学舎内を進むため、鬼を倒すために適切だと思っただけで、例え危険な役割に見えようがハルへの助けになろうが、それらはあくまで結果的なものにすぎない。つまり、俺にハルを庇う気などはなかった。

「感謝される筋合いはないわけでもないけど、そのためにやったわけじゃない。だから礼を言いたいなら勝手にやってくれ」

「じゃあ、ありがと」

 素直に感謝を述べるハルに、特に俺からはそれ以上返す言葉もない。

「それで? そろそろ離れた方がいいんじゃないか?」

「んー……いや、やっぱりいいよ。もうちょっとだけ君に着いてく事にする。なんか今のところ、『殻の異形』と一人で鉢合わせる方が危なそうだし」

「そうか」

 心変わりの理由はあえて聞かず、学舎の中心部に向かって歩き出す。

「それで、君はどこに向かうつもり?」

「場所としては中央学舎棟群だな。多分、その辺りが避難場所になってるはずだ。ただ、できればその前に生徒なり教職なりから話を聞いておきたい」

 ハルに語った目的地は、しかし俺の真の目的地ではない。

 俺が向かうべきは教職長室、ヒースの塒にしてエスが囚われている可能性の最も高いと思われる場所だ。

 教職長室自体は中央学舎棟群の一角に位置しており、進行方向としてはそのまま進んで問題ない。後は適当なところでハルと別れれば、そのまま教職長室に向かう事ができる。

「それって、ここから遠いの?」

「学舎の中で言えば遠い方だな。名前通り、中央学舎棟群は土地の中央にある」

 現在の俺達の位置は、学舎の敷地では端に位置する十二番学舎棟。主な研究棟からの距離が遠く、特に使用頻度が低い実験室の集まった一角だ。そのためか建物の中に人の気配はなく、『殻の異形』による破壊跡も多い、言わば捨て置かれたような状況に見える。

 おそらく学生や教職、その他の職員等の多くは中央学舎棟群、あるいは宿舎棟のどちらかにそれぞれ避難して集まり、集団戦術での防衛戦に当たっているのだろう。『殻の異形』の数や響いてくる魔術詠唱の声もその二つの位置に偏っている。

「人っ……いや、死体か」

 扉の影に人影らしきものを見つけ駆け寄るも、当然というべきかすでに頭部のない死体が壁に倒れ掛かっているだけだった。少し離れた位置に頭部と並んで黒の鍔付き帽子が落ちていたため、死体の服で内側の血を吸わせてから目深に被る。これなら俺の顔を見られて面倒な目に合う可能性は多少下がるが、当座の目的である尋問は依然としてできていない。もっとも、この状況でそうそう都合良く孤立し、なおかつまだ生き残っている人間の存在を期待する方が間違っているのだろうが。

 このままでは、何の情報もなくぶっつけで教職長室に乗り込む事になる。もちろん奇襲は仕掛けるつもりだが、成功する保証はないどころか初撃を外せばそこでエスを盾にされて何もできなくなりかねない。それでもまだ楽観的なくらいで、そもそもヒース、あるいはエスが教職長室におらず、無駄足で危険地帯に飛び込むだけになる可能性も否定できない。

 もしくは、教職長室にすら辿り着けない、という事もあり得る。

「止まれ、そこの二人」

 渡り廊下に出て棟を移動しようとしたところで、俺達を呼び止めたのは向かいの棟にいた五人の魔術師の小隊だった。声を発した先頭の一人が教職、それ以外はおそらく学生だろう。それを裏付けるように、中には見覚えのある顔もあった。

「学舎の関係者か、それとも避難者か? 前者なら身分証明書を提示してからこの十一番研究棟の大会議室に避難、後者であれば私達が六番事務棟まで連れていく」

「俺達の事より、そっちこそ大丈夫なのか? たった五人、それもほとんどが学生で歩き回るような状況じゃないだろ」

「もっともな話で耳が痛いが、こうなってはどうしたって被害は出る。私達は少しでもそれを減らすための救出班、全員が仮魔術師等級持ちの有志の集団だ。それに、最悪の場合は私が四人を逃がすための囮になる」

 彼らとしては最悪でも一人の被害で複数人の孤立者を救出する算段のようだが、俺にはそう上手くいくものとは思えない。上位の『殻の異形』を相手にすれば、たった一人の魔術師では足止めにもならないだろう。

「それで、お前達は学舎の関係者か? 年齢的には学生にも見えるが、少なくともそっちの少女に見覚えはないな」

「俺達は異形狩りの魔術師だ。ただ、流石にこの状況じゃそうも言ってられなくなって避難してきたってわけだ」

 ハルが特徴的な外見からか部外者と特定されるも、そうでなくても俺が身分を明かすわけにいかない以上、状況は変わらない。

「こっちも二人よりは七人でいた方が少しは安全だ。手続きは面倒だけど、事務棟とやらに連れていってくれるなら、お言葉に甘えるとしようか」

「待て」

 再び制止を受けるまで、前に進めたのは二歩と半歩。

「確認のため、帽子を取って顔を見せてもらう」

 もちろん、それは当然の要求だ。つまり、拒否する口実はない。

 彼我の距離は約七歩。数でこちらが優位に立つ事はないが、最悪でも五対一、相手が詠唱を始めているわけでもない。賭けるとすれば今だろう。

「別に見て面白いものでもないと――」

 帽子を外す素振りで一歩を稼ぎ、そのまま帽子を投げ放つと同時に一気に加速。狙いは位置の最も近い教職、近接戦闘でまずは最も厄介な相手を仕留める。

「шаф」

「са――」

 胸部への空弾で相手の詠唱を強制的に止め、腹部に肘を叩き込む。上体が崩れたところで身体を入れ替え、背を突いて地面に押し倒し、そのまま頭部を踏み潰す。

「кк」

「сари」

 自分達の統率役である教職が倒れても、学生達は怯むでもなく詠唱を紡いでいた。向かってくる放雷と水弾の魔術に防御の詠唱は間に合わず、倒れた教職の身体を持ち上げ盾にして防ぐしかない。

 だが、一連の動きの中では、更に後方の二人の学生が詠唱を紡ぎ続けている。その長さからして中節以上、となると肉の壁で防ぐのには限度がある。

「кк, олти――」

 そして、俺の背後ではハルもまた詠唱を始めていた。支援ならば心強いが、このままでは死人が出る。いずれ冤罪を晴らすつもりである俺としては、できるだけ穏便な形で終わらせたいところではあったが、流石に五人を相手にしてはそうも言っていられないか。

「――мерибон」

「кк」

 詠唱を終えたのは、学生達の中でも最も奥に立った一人。発生する魔術現象を放雷と予測して展開した俺の水の盾は、しかし役に立つ事はなかった。

 術者を中心に広範囲に広がった雷撃は、彼女の周囲の学舎の魔術師達を背後から呑み込むと、その全員を無力化。もちろん、俺の元にまで雷撃が届くことはなかった。

「ルイン!」

 倒れた学舎の魔術師達の間を、雷撃を詠唱した魔術師、見知った少女が駆けてくる。

 魔術師の一群を目にした時から、この展開は予想していた。もっとも、確信していたわけではなく、こうなってくれたのは俺にとっては純粋に救いだったが。

「……助かりました、ティアさん」

 学舎を巡回していた魔術師の内の一人、彼らを裏切り俺を救ったのは、他でもない俺の知人、ティアだった。

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