5-3 統一魔術学舎予備生 ティア
「あの後、ルインがアトラスに倒された後、すぐに私も気絶させられた。次に気が付いたのは学舎の看護室で、それからのアトラスの動向についてはわからないわ」
気絶した魔術師達から離れ、身を隠す場所として選んだ学舎棟の中の一室。そこでティアの語った経緯は、予想通りではあるがほとんど役に立つものではなかった。
「ただ、ルインは学舎への『殻の異形』侵入幇助の疑いで、統一政府からの出頭命令が出ているわ。もちろん、私も抗議に行こうとしたんだけれど、その前に二度目の『殻の異形』の襲撃があって……」
「それどころじゃなくなった、ってところですか」
俺とティアがアトラスと遭遇してから今まで、事態は色々と動いているものの、時間としては丸一日経ったかどうかといったところだ。ティアに限らず、この状況に対応できた者の方が少ないだろう。
「でも、少なくともルインにとっては、この状況は悪い事ばかりじゃないわ。立て続けの異形の侵攻、それにヒース教職長に対しての出頭命令が出た事で、学舎内での統率は取れていない。今の状況なら、全員が全員ルインを拘束しようとするとは限らないと思う」
ティアの推測は必ずしも希望的観測ではないのかもしれないが、完全に嫌疑が晴れたのでない限り、基本的に姿を隠し続けなくてはならない事に変わりはない。
それよりも、ティアの発言には他に引っ掛かるところがあった。
「ヒースに出頭命令が?」
「ええ、学舎の防衛に来た治安維持職の魔術師達の言葉だから間違いじゃないと思う。ただ、私の知る限りではまだ教職長はそれに応じてはいなかったけれど」
統一政府がどこまで掴んでいるのかはわからないが、すでにヒースは大分追い詰められた立場にいるらしい。もっとも、それが理由でヒースが学舎を抜け出すような事になっていれば、俺にとっては余計に厄介だ。すでに手元に置いておく事を諦めてエスを処分している可能性すらある。
「それと、統一政府が俺に対して出したのは処理命令じゃなく出頭命令なんですね?」
そしてもう一つ、気になるのは統一政府の俺への対応だ。
「……ええ。私が聞いた限りは、だけれど」
「うん、多分それで合ってると思うよ。私の情報でも、『龍殺し』ルインに対しての統一政府の声明は出頭命令までだったし」
俺の持っていた情報とティアの言葉が喰い違う中、それまで口を噤んでいたハルもティアの側に付いた。
「多分だけど、君がその話を聞いたのは『神の器』の信徒辺りからじゃない? だとしたら君を逃がさないために嘘を吐いた、とかじゃないかと思うけど」
「……ああ、なるほど」
俺に処理命令が出ていると話したのは、他でもないヒースだ。他からの情報、それも一致した二つの情報があるならそちらの方が信用できるのは間違いない。
「……ルイン、ずっと思ってたんだけど、その人って誰なの?」
ハルが口を開いたのをきっかけに、ティアがやっとハルについて言及する。いくら非常事態と言えど、流石に見ず知らずの部外者を無視してはいられなくなったらしい。
「私はハル、避難者だよ。魔術学舎なら安全だと思って逃げて来たの。君の方は……ルインの探してた子ではないよね?」
俺に余計な事を言われてはたまらないと思ったのか、ハルは自らティアに答える。
「えっと、私はティアです。この魔術学舎に通ってる学生で、ルインの一過程上で……それで、あの、よろしくお願いします」
割り込んできたハルに対して、ティアはあたふたと言葉を返す。一度親しくなった後では忘れがちだが、ティアには若干の人見知りの傾向があった。
「そ、それより、ハルさんとルインはどういう関係なのかしら!?」
「どういう関係……なんだ?」
自棄気味に俺へと矛先を変えたティアの言葉に、俺自身も首を傾げる。
「心配しなくても、私達はさっき会ったばっかりだよ。あえて一言で言うなら、学舎に入るための協力者ってとこ?」
「まぁ、そんなところか」
「なるほど、協力者。じゃあ、ルインも? 探してた子っていうのは――」
必要以上に頷いて納得して見せながら、ティアは本筋に話を進めてしまう。
「ええ。でも、その前に……」
出来る事なら、この場でエスの話はしたくない。あの時にようにティアに後を付いて来られるような羽目になるのも、ハルにエスについての情報を渡すのも、どちらも俺の望むところではない。
「ハル、そろそろ俺と別れた方がいいんじゃないか? さっきだって、俺がいなければティアさん達に六番事務棟まで送ってもらえてたはずだ」
流れの協力者であるハルにしても、これ以上は俺に付き合う必要はない。
そもそも、ヒースが出頭命令を受けた以上、俺の目的地として中央学舎棟群にあり誰からも居場所を推測しやすい教職長室の順位は下がった。ここから俺が向かうべきは、先程通ってきた地下通路の出口があるという外れの学舎棟。この先もハルと行動を共にしようとすれば必然的に俺の進行方向が中央学舎群ではない、つまり避難以外の目的がある事に気付かれてしまう。
「あー……いや、私は君についてくよ」
だが、ハルは俺の提案を簡潔に却下した。
「なんでだよ」
「面白そうだから、かな」
「……あのなぁ」
「それに、学舎の中心部なら安全、って感じにも見えないからね。むしろ異形の数はあっちの方が多いし……それに、君の恩人とやらも見てみたいしね」
悪戯っぽく笑うハルの表情を見て、俺はすでに目的を見透かされていた事に気付く。
正確には、まだ確信にまでは至っていないだろう。だが、そもそも、地上に出る前から統一魔術学舎に向かおうとしていた俺の様子を知っているハルに対して、俺がエスを探そうとしている事を隠そうという方が無理があった。
「勝手にしろ。ただし、安全は保証しないぞ」
ハルにエスの正体を知られれば、何かしらの干渉は避けられないだろうが、同時にハルの同行は俺にとって利になる可能性もある。
実際、俺一人でヒースと相対するのは相当分が悪い。おそらく護衛を数人、その中にアトラスを引き連れている可能性もあるヒースを相手にするには、単騎よりは不確定要素が紛れ込んだ方がまだ勝算はある。
「わかってるって。期待はしておくけどね」
「言っとけ」
表面上は馴れ合っていても、俺達はあくまで一時の同行者に過ぎない。ハルは俺を本当に信用しているわけではないだろうし、逆は当然だ。
「……二人とも、本当にさっき会ったばっかりなの? やけにわかり合っているように見えるのだけれど」
もっとも、こちらに訝しげな視線を送る金髪の少女にはそうは見えなかったらしい。
「裏を探り合ってるだけですよ。どうせ信用できないから疑ってすらいないんです」
「そ、そういうものなのかしら?」
「えー、そんな事ないよ。私はルインの事それなりに信頼してるってば」
「だから言っとけって」
ハルは薄っぺらい駆け引きを楽しんでいるようだが、俺としてはそれに付き合ってばかりもいられない。
「それより、俺達はもう行きます。学舎の傍まで送ってもいいですけど、個人的には俺といるよりはティアさん一人で避難した方が安全だと思います」
すでに、ここでは大分時間を使った。情報交換と休憩の口実でここに留まっていられるのもそろそろ限界だ。今から急いでどうにかなるものかはわからないが、せめてヒースの脱出が済んだか否かくらいは一刻も早く確認しておきたい。
幸いにと言うべきか、ティアは共に行動していた学舎の人間に手を掛けたものの、死人までは出していない。彼らがすでに目覚めてティアの裏切りを報告していたところで、即刻処理される事はないだろう。学舎の連中が状況を把握できていなかった場合や、あるいはすでに異形により亡き者になっている場合も考えると、ティアは何の罰も受けずそのまま事が済む可能性の方が高いかもしれない。
「やっぱり、あなたは私の事はわかってないのね」
「いえ、わかってますよ。言ってみただけです」
儚い期待は裏切られ、それでも動揺はない。
ティアが俺の目的、そして事情を知りたがるのは当然だ。ティアと俺が同行し、そしてアトラスにより阻まれたエスを取り戻すための探索は、考えようによってはいまだに続いているとも言える。
「好きにしてください。ただ、付いてくるなら責任は持たない」
「……いいの?」
「俺に決める権利はありませんから」
今、あの時のように口論を繰り返す事に意味はない。強引にティアを学舎中心部に避難させようにも、この状況ではその道中での安全すら保証できない。それに、俺の予想が正しければ、ティアにとってはあの時とは事情が違う。そして、俺自身も。
「いいの?」
繰り返された問いは、もう一人の少女からのもの。
「さぁ、どうだろうな。どうするのが一番いいのか、俺にももうわからないんだよ」
「ふーん。まぁ、私もそうだけどね」
曖昧な本音を返してやると、ハルも曖昧に頷きそれ以上の追求はない。
ならば、話は終わった。後は動くだけだ。
「ハル、抜け穴のある倉庫の場所を教えろ」
「十四番研究棟、東側から数えて二つ目の研究室に併設されてる倉庫だったはずだよ」
「なら行くぞ、まずは穴の痕跡を確認する」
傍に異形のいない事を確認しながら、部屋、そして学舎棟を出る。向かう先の十四番研究棟は中心部への方向から直角、訓練棟を一つ越えた先にあり、学舎の中では距離としてはかなり近くに位置している。
「ルイン、ありがとう」
俺とハルの隣を走りながら、ティアは小さく感謝を口にした。
「逆です。多分、止めた方があなたのためだった」
「それでも、ありがとう。だって、私はこうしたかったのだから」
感謝の言葉の意味は計りきれないものの、深くは考えない。
「エスの居場所に心当たりはありますか? もしくは、統一政府や学舎での扱いは?」
「……それが、何も。『殻の異形』の学舎侵入の件についても、ルインへの出頭命令についてはすぐに広まったけれど、あの子に関しての話は、精々がルインには協力者がいたかもしれない、くらいしか」
期待はしていなかったが、ティアからもエスの居場所についての情報はなし。
ただし、学舎内でエスの話が広まっていないのは意外だった。単純に俺の噂に掻き消されただけかもしれないが、人質として手元に置くためにヒースやアトラスが情報を止めていたと考えるのが自然だろう。
だが、今はエスの立場について考えるよりも、彼女を取り戻すのが先だ。よって目的地は変更なし、ルートも変わらない。
「кк」
屋外に出てしばらく、空から無作為に降ってきた爆炎を水の盾で防ぎ、反撃はせずに目の前の訓練棟まで飛び込む。
「сари, ткир」
「кк, олти」
広大な訓練室の端、どこか所在なさげに立ち尽くしていた亜人には、両隣からの詠唱により発生した水と雷の槍が着弾。追撃を紡ぐまでもなく、一撃で倒れた亜人を跨ぎ進み続ける。
訓練棟を出て屋外、視界に入った異形は一体。飛行能力を持つ『殻の異形』の一種、朱雀が、十四番研究棟の入口の手前に翼を失った姿で転がっていた。
「……っ、遅かったか」
嫌な想像が頭に浮かぶも、それを確定ではないと切り捨てる。
朱雀は『殻の異形』の中では比較的表皮が脆く、威力次第では風や水を扱う魔術でも致命傷を与える事はできる。翼を完全に切り落とされているからと言って、アトラスの結晶魔術の仕業だと断定するまではいかない。
「ここからは音を消す」
十四番研究棟の扉の前、中に入る前に声をひそめて意思疎通を行う。
気は急くものの、仮にちょうど中にヒース達がいた場合、無防備に出くわしてしまうのが最悪だ。あらかじめ詠唱しながら進む手もあるが、気付かれながら用意を進めるよりは隙を突いて少しでも先手を取りたい。
目の前の扉は閉ざされているが、鍵が掛かっているようには見えない。横と裏に回ってそれぞれの扉を確認してみるも、様子は同じだった。
一周注意深く確認した後、手で合図を出しながらゆっくりと目の前の扉に手を掛ける。音を殺して慎重に身体を入れた先、研究棟の中に聞こえる音は、後ろ手に閉めた扉越しの外の喧騒を除けば無いに等しい。
ただし、そこに広がる光景は閑散というより凄惨そのものだった。
「っ…………」
今はほとんど使われていない第三種魔術研究棟の一つである十四番研究棟の中、魔術灯すら機能していない薄闇の中を染めるのは二つの紅。窓から差し込む夕陽の紅と、その光により照らされた血の紅により屋内は塗り潰されていた。
死体の数は首で数えて五つ。魔術師装備を身に着けてはいるものの、所属は不明。顔の確認できる中に見覚えのあるものもない。
ただ、手掛かりとなるものが一つ、アトラスの魔術により生成されたものと思われる半透明の物質が床に散乱していた。偶然この場に同じ魔術の使い手がいた可能性を除けば、立場はどうあれ彼が戦闘に関わっていたのは間違いない。状況を把握するためには死体漁りが必要かもしれないが、惨状の元凶がまだ潜んでいる可能性もある現状では、まず周囲の確認を優先するべきだろう。
三人で一塊になり壊れた扉の先を逐一確認し、開いていない扉は可能な限り音を立てずに開き目を通す。だが、特に何も見当たらないまま、元々の目的地に近付いていく。
「……………………?」
十四番研究棟、東から二番目の一室。ハルによれば地下の抜け道への出入口があるという部屋の扉は壊れるでもなく開いたままで、中の様子は廊下からでも容易に窺う事ができる。
「アトラス!!」
気付いたのも叫んだのも、早かったのはティアだった。
「……ティア?」
振り向いたのは、二つの人影の内の一つ。倒れ伏せた死体の上で、自身も一見して死体と疑うほど紅く染まり立っていたその男は、しかし生きてティアの名を呼んでいた。
「それに、龍殺しの君ともう一人。参ったな、少し気を抜きすぎていた」
そう、アトラスが明らかに気を抜いていたこの瞬間が、もしかしたら彼を倒す千載一遇の好機だったかもしれない。
「お前一人が生き残りか? それとも、全員死んだのか?」
だが、こうなったからには仕方ない。もはや先手を取れない以上、可能な限り会話で情報を集めるのが最善手だ。
「後者だよ。目撃者は一人残らず、全員僕が殺した」
「目撃者?」
「そう、だから君は感謝するべきだ」
「何を――」
アトラスの言葉を理解しようとして、目に入ったのは部屋の右手に開いた扉。研究室に併設されたその部屋、倉庫の床には、薄暗く見辛いもののたしかに穴が空いていた。
「聞くよりも実際に見た方が早いだろう」
俺の視線に気付いてか、アトラスはまさにその抜け穴へと俺達を先導する。
「――これは」
覗き込んだ穴の先、まず目に入ったのは薄紅色の棘。それが透明の棘が血に染まったものだと気付くのと、穴の下に全身を切り裂かれた死体を見つけるのはほぼ同時だった。
「そう、統一魔術学舎教職長にして『神の器』大教主、ヒース=Ⅳの死体だ」
ご丁寧にアトラス自ら発光魔術で照らした穴の中に覗く横顔は、たしかに俺の知るヒースの顔そのものだった。
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