五章 災厄
5-1 『殻の異形』
それは、ほんの一瞬。
それまでに自覚があったわけでも、確たる根拠があったわけでもない。同着で続いた疑問と納得の方が余程俺が感じるには相応しい感情だったはずだ。
「結論から言うと、これを引き起こしたのは君だよ。『龍殺し』ルイン=Ⅵ」
だが、最初。ハルのその宣言を受けて最初に脳裏に浮かんだ言葉は、『気付かれた』だった。
「統一歴以前の技術の結晶。過日の遺物には、『殻の異形』を引き寄せる性質がある」
もっとも、結果から言えばそれは勘違いだった。
「君が『殻の異形』観測区から回収した遺物が、この学舎下の街への異形の侵攻を引き起こした。これまでの状況を鑑みるに、それが一番あり得る可能性だろうね」
だから、ハルの補足に俺が感じたのは安堵だった。
「だとすれば、その事実はもっと広く知られているべきだ。それを知っていれば、俺が観測区から遺物を持ち帰る事もなかった」
過日の遺物が『殻の異形』を呼び寄せるなんて話は、完全に初耳だ。それが事実であったとしても、知っていて隠していた連中がいるなら俺が責められる謂れはない。
「うん、だから君を責めるつもりはないよ。少なくとも私には、ね」
その言葉通り、ハルの目には俺への敵意は感じられなかった。
「統一政府は、保有する情報の全てを公表しているわけじゃない。世界の舵取りでもしてるつもりなんだろうけど、今回はそれが裏目に出たみたいだね」
統一政府の隠蔽についての話を聞くのは、今日の内でこれがすでに二度目だ。
一度目であるヒースは、あるいは遺物の性質すらも知っていたのかもしれない。反体制派であるヒースなら、わかっていて学舎下の街に『殻の異形』を呼び寄せたとしてもそれほど不思議ではない。
また、それ以前に、彼は俺より以前にすでに遺物を所有していたという見方もできる。彼の語った通り『殻の異形』が統一歴以前のヒトの造ったものだとすれば、『殻の異形』そのものが過日の遺物の分類に含まれる。彼の所有していた亜人は統一政府の造ったものだとの事だが、過日の遺物というのがそれが造られた時期によってか、それともそれを造るための技術の程度によって判別されるのかどうかわからない以上、あれが遺物である可能性は十分にあり得る。
いや、それは責任逃れの言い訳だろうか。『殻の異形』を引き寄せたのがヒースなら、このタイミングではないだろう。少なくとも俺の懐柔の結果を見てからでなければ、脅迫と交渉を行った意味がない。それに俺の動きと『殻の異形』の侵攻はほぼ同時期、それ以前からヒースが所有していた亜人の影響より、俺が観測区から持ち込んだ遺物が原因と考える方が正しい気もする。
考えがまとまらない。情報は明らかに過多で、それでいて確定した事実が少なすぎる。ヒースとハルの言葉だって、全てを頭から信じ込むべきではない。
だが、少なくとも現時点で俺に近いのはヒースやアトラスよりもハル、そしてライカンロープだ。ハルの様子を見る限り、事前に『殻の異形』の侵攻を知っていたとは思えず、それを止めるためという一点においては俺達は協力関係を持てるはずだ。持っている情報を全てこの場でハルに預けるだけでも、おそらく一歩は前に進む。
「他には? 何か統一政府、もしくは『神の器』について知ってる事はないか?」
だが、この期に及んで俺はまだ情報を出し惜しんでいた。
「一般に知られていない事、君が知らないだろう事はいくつもあるよ。でも、今のところ君に話すべき事はないかな」
「そうか」
統一政府と過日の遺物、そして『殻の異形』の事情は気にはなるが、それらは目の前を覆う戦火への対処より優先されるものではない。問題を解決する役に立たないのであれば、情報など今は不要だ。
「なら、お前はこれからどうする? 遺物を回収するか、それともライカンロープと合流でもするのか?」
「統一魔術学舎に向かう、かな。こうなったらもう、私達の仲間が遺物を回収するために動いてるだろうし、生き残るには魔術師の巣窟、魔術学舎に避難するのが一番マシだろうね」
「そうか、なら俺も付いていく」
「うん、それが賢明かな」
避難のために学舎に向かうハルとは違い、俺の目的は依然としてエスの奪還だ。そして統一魔術学舎は、現時点で俺が向かえる中では最もエスがいる可能性が高い。
「急ごう」
統一魔術学舎、そしてエス自身ならある程度は『殻の異形』に対抗できるのかもしれないが、それにも限度というものはある。学舎が目の前に広がるそれと同程度の異形の侵攻を受けているとすれば、おそらく無事では済んでいないだろう。ましてや、今のエスが十全に力を振るえる状況に置かれている保証はまったくなく、エスを生きたまま回収したいならとにかく急ぐべきだ。
「そうだね、最速で抜けよう」
ハルの同意は、純粋に自身の危険度に対するもの。俺達二人で市街に広がる『殻の異形』の全てを敵に回せるわけもなく、遭遇する異形を少しでも減らすためには一刻も早く魔術学舎に転がり込むのが最善だ。
「кк, олти, атти――」
言うが早いか小屋の先、林間部を走り出したハルは魔術詠唱を紡ぎ、途中で止めるとまた最初から始める事を繰り返す。突然の『殻の異形』との遭遇時に備え、少しでも詠唱を進めておくための技法なのだろうが、走りながらのそれは呼吸を乱し余分に体力を使う。できれば真似はしたくないところだ。
「шаффоф, ткир,узо――」
とは言え、視界の悪く人の少ない林間部での異形との遭遇戦はただでさえ厳しい。視界が開けるまではハルのやり方に従うのがいいだろう。
「――ори」
平地に抜け出してすぐ、左前方を走る土蜘蛛が視界に入ったのと、俺の詠唱が完成するのは、ほぼ同時だった。
発生した魔術現象は、高密度に圧縮された風の槍。高速で放ったそれは土蜘蛛の右側の脚をまとめて破壊し、体勢を崩した土蜘蛛は機動力を失いその場を蠢く。
「へぇ、珍しい魔術使うんだね」
「そうだな、自覚はある」
俺の覚えた数少ない中節魔術は、その多くが風系統に偏っている。
対して、強固な殻を纏った『殻の異形』は純粋な破壊に特に強く、風を扱うような魔術は効果が薄いとされる。実際、土蜘蛛の脚部のような明確な弱点がない種が相手では、先程の風の槍も時間稼ぎ程度にしかならなかっただろう。習得の容易な単節はともかく、中節以上の魔術でわざわざ風を扱う魔術師は他系統すら網羅した達人か極端な特化型、あるいは対人専門職くらいのものだ。もちろん、俺は最後だが。
「この辺りは、それほど異形がいないな」
学舎よりも『殻の異形』観測区に近い危険地帯であるこの付近に異形の姿が見えないという事は、少なくとも今現在も異形の増援が増え続けているわけではないという事になる。もっとも、その事に安心するには、目の前の異形の数はあまりに多すぎるが。
「『殻の異形』はヒトを殺すため、ヒトのいる場所に集まるからね。こっちに住んでた狂信者連中は粗方狩り尽くしたんじゃないかな」
ハルの推測に、更に少しだけ気分が沈む。観測区と魔術学舎の間の危険地帯に住むような『神の器』の狂信者に良い印象も同情もないが、ざまあみろと喜ぶには惨状が過ぎる。
「さて、と。一応学舎の敷地までは来れたけど」
幸いと言うべきか、土蜘蛛以降は異形と交戦する事もなく学舎の敷地を囲う塀の下までは辿り着く事ができた。位置的には当然学舎の東端、監視塔であり防衛拠点の役割を持つ学舎の白塔の真下であるためか付近に『殻の異形』の姿はないが、少し離れれば今まさに塀から中に侵入しようと試みる最中の異形も蠢いており、呑気にしている余裕はない。
「私はともかく、君って学舎への『殻の異形』侵入幇助の疑いが掛かってたよね。中に入って大丈夫なの?」
もっとも、学舎へ足を踏み入れるにあたって、ハルの口にした問題は無視できない。
「……わかってたなら、先に言ってくれよ」
「私としては、道連れがいた方が都合が良かったからね」
ハルは最初から俺の抱える問題に気付いていて、その上で道中の戦力として俺と学舎に向かう事を選んでいた。わざわざ離脱される可能性を切り出す事はなく、目的地についたらその後の問題については勝手に処理しろという事か。
「大丈夫かどうか、たしかめるためにも俺は学舎に入る」
そして、俺に解決策などあるはずもない。統一政府が俺への容疑を撤回してくれているのが最善の可能性だが、そもそもハルの語った通りなら、俺は疑いどころか『殻の異形』を街まで呼び寄せた第一容疑者として扱われかねない。
「そっか。じゃあ、私はここまでかな」
俺の答えを聞くが早いか、ハルは魔術で発生させた氷塊を足場に塀へと跳び乗った。
薄情な奴だと思わない事もないが、本人曰くハルの今の目的は学舎への避難だ。危険因子とされている俺と共に行動して除け者にされる可能性を取るよりは、避難してきた一般人を装う方が賢い。
「――кк」
しかし塀に上がってすぐ、ハルが火炎を身を捩って躱す姿が目に入った。返しに詠唱した水弾は下方へと放たれ、着弾地点は塀越しの俺からは見えない。初撃の詠唱が聞こえなかった事から、おそらく相手は異形だろう。
「どうしたもんか」
俺もハル同様に塀を越えて侵入しようとしていたものの、塀のすぐ先に異形が構えているとなれば気軽に跳び越えるわけにもいかない。別の場所から塀を越えるか、裏口辺りから中に入るか、それともハルに加勢してここから入るべきか。
「тез」
結果、選んだのはハルを追っての跳躍。
場所を変えるにしても、塀周りの異形が邪魔で自由には動けない。どうせ異形との遭遇を避けられないなら、前に進みながらの方がいくらかマシだ。
「кк, олти――」
塀に上がった俺の姿を確認し、ハルは詠唱の最中に俺に目で合図を送る。大方、時間を稼げといったところだろう。
目下の敵は、塀の内側からこちらを見上げる亜人の上位種、鬼が一体。視界の中には死体らしきものも含め、数えるのも億劫になるほどの『殻の異形』の姿があるが、ハルを標的に定めているのは今のところこの鬼だけに見える。
「кулранг」
俺が選択したのは、爆発の魔術。
爆風の直撃を受けた鬼は、わずかに体勢を崩しかけるもすぐに立て直し負傷もない。
鬼は亜人よりも身体が一回り大きく、殻の強度も高い。反面、重量比での筋力が足りていないため、機動力は亜人に劣る。
「――атти, сову」
鬼の照準が外れた間に、ハルの詠唱が完遂する。
発生した魔術現象は六つの氷の槍。高速で飛来するそれらを、しかし鬼は両腕から発生した放炎の疑似魔術により消滅させてしまう。
亜人と比べ機動力の落ちる鬼は、だが亜人以上の疑似魔術を持ち合わせており、人型でこそあるものの性質的には玄武のような固定砲台に近い。単純な撃ち合いではむしろ脅威度は数段高いと見るべきだろう。
「шаффоф, шаффоф」
鬼がハルへの対処を行っている間に、俺は塀を飛び降りながら風の刃を詠唱。腕の関節部を狙ったそれらは、わずかに傷こそ付けるも切り落とすには全く足りない。返しで口から吐かれた爆炎は、塀を蹴って強引に回避する。
「шаф」
俺へと向いた鬼の腕の軌道を風圧魔術で逸らしながら、斜め方向に鬼へと前進。放炎が腹を掠めかけるも、耐熱装備により肌にまで熱は届かない。
『殻の異形』はヒトを無作為に殺し尽くす性質上、複数のヒトを捕捉した場合には近くの相手を標的に選ぶ傾向がある。今の鬼の標的はハルではなく俺、そしてここまで至近距離に寄れば、少しの動きでも照準を外しやすい。
「шаффоф」
後方に回り込んで至近距離からの風の刃は、今度は脚の付け根の関節部を先程よりも深く切断。滲み出る青緑の血液を喜ぶよりも先に、後方に一回転するような角度で落ちてきた鬼の右腕をくぐるように回避。続けざまに腰を薙ぎにきた蹴りは上に跳んで躱すも、その場で回転しながら振るわれた、人間ではあり得ない角度から迫る左腕の一撃を避ける間はない。
「っ――」
やむを得ずナイフで受け止めにいくも、表皮を切り裂くどころかほんの少し軌道を逸らす事しかできず、更に代償として刃がへし折れる。もちろん逸らしきれなかった打撃は俺の肩を捉え、凄まじい衝撃で肩の関節が外れながら宙を飛ぶ羽目になっていた。
もっとも、どうやら時間稼ぎには足りたらしい。
「――эрта,атти, сову」
完遂したハルの詠唱は、再び氷の槍。だが、先程よりも速い。
鬼が防御に腕を向けるよりも先に、六本の氷の槍は鬼の頭部、四肢、そして胴体へと鈍い音を立てて着弾。勢いのままに打ち倒すと、槍から広がった氷が鬼の前進を包み、一つの巨大な氷塊へと変えていった。
身動きの取れない鬼を見下ろしながら、ハルは悠々と次の詠唱を紡ぐ。やがて放たれた高速の氷の刃は一瞬で鬼を四肢と頭部、そして胴体の六つに分解した。
「ルイン、大丈夫!?」
鬼を仕留めるのを確認するが早いか、塀を飛び降りたハルは一足飛びに俺の元へと駆け寄ってくる。
だが、ハルが俺の元へ辿り着くのを見届けるよりも早く、右手にある学舎棟の影から次なる『殻の異形』の影が飛び出して来ていた。よりにもよって、四足に細身の体躯をした姿は紛う事なく異形の中でも上位種である麒麟のそれだ。
「っ、кул――」
外れた肩を嵌めるのも後回しに詠唱を紡ぐも、麒麟はすでに足を止めて赤い両の目をこちらに向けている。周囲には帯電、そして『殻の異形』の中でも麒麟にのみ特有の疑似魔術である高威力の放雷が口孔から放たれた。
「――ранг」
寸前で間に合った爆発が身体を飛ばし、ぎりぎりのところで放雷の範囲外に逃れる。地面に衝突した肩が激痛を訴えるが、無理矢理に押し殺して次の詠唱を紡ぐしかない。
いや、それでも到底間に合わない。麒麟の二度目の帯電はすでに収まり、後は照準を俺に合わせて放つのみ。詠唱は間に合わない、生身で雷を避けられるわけもない。
「кк!」
破れかぶれのハルの詠唱も所詮は悪足掻き。詠唱が産むのは水の盾だが、麒麟の放雷は魔術師の扱う単節魔術のそれとは違い、多少の水など一瞬で蒸発させる。
予定調和の死を前に、だが目の前で起きたのは奇妙な現象だった。
ハルの詠唱と同時に発生したのは、水の盾ではなく広範囲に渡る空間の歪曲。地上から上方まで広がるそれの範囲内にいた麒麟は、わずか一瞬の内に足元から崩れ落ち、やがて歪曲が収まった時には巨大な足裏に踏み潰されたように地中奥に埋まっていた。
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