4-5 地下通路の先

「そこまでして、学舎に向かう理由があるの?4」

「さぁ……な」

 ハルの問いに対して、俺はまともに返す事を諦めていた。

 俺が『神の器』の信窟を脱出したからと言って、即座にエスが殺されるとは限らない。だが、俺がいつまでも姿を表さなければ、いずれは持て余し処理されるかもしれない。『神の器』の信窟が『殻の異形』の襲撃で混乱し情報が錯綜している間に、学舎に向かいエスを回収するのが今の俺に取れる最善の策だ。

 それが俺の出した結論、だがその結論に辿り着くまでには推測の部分が多すぎる。

 その上、何より俺がエスを回収する理由について、エスの素性を隠した上でハルの納得のいくような説明ができるとは思えなかった。

「こっちで解決できる事なら、手を回してあげるかもよ」

「残念ながら、それは無理だな」

 俺はまだハルを信頼しているわけではないし、そもそもこの状況では何を話してもボロが出る。無条件での協力など望めない以上、強行突破を選ぶしかない。

「止めたほうがいいと思うよ。多分、君より私の方が強いから」

「だといいけどな」

 ハルは戦闘に自信がある、もしくは俺を舐めているようだが、仮にも俺は対『殻の異形』を捨てて対人に特化した魔術師だ。遺物と指輪を手放した今でも、アトラスのような例外を除けば一対一の対人戦闘で引けを取るつもりはない。

 もっとも、例外を設けてしまっている時点で俺の自信など完璧には程遠いのだが。

「…………」

 自信とは裏腹に、俺もハルもすぐには仕掛けようとはしない。もっとも、その硬直も長くは続かないだろう。

 それなりに広いとは言え、地下通路という限られた空間では必然的に彼我の距離は限られてくる。間合いは必然的に至近距離、通常なら先に仕掛けた側の優位は揺るがない。

「……………………」

 だが、沈黙は予想以上に長く続いていた。

 優れた対人魔術師は、詠唱技能だけでなく相手の詠唱から発生する魔術を予測する能力にも長けている。一瞬の戦闘、紡げる魔術に限りがある現状では、初手に反応して対抗魔術を紡げるレベルならむしろ優位は後手だ。

 互いに今まで動いていない以上、今の戦況はまさにそれである可能性が高い。打開策があるとすれば、偶機を待つか、それとも――

「「…………っ!」」

 瞬間、訪れた絶好の機会は、だがどちらの手にも渡らなかった。

「揺れた、よね?」

 地下通路を襲ったのは大きな揺れ。あまりに唐突なそれに、一瞬だけ俺もハルも互いに対する警戒を二の次に回していた。

「ああ。信窟での戦闘がまだ続いてるって事か?」

「違うと思う。もしそうだとしても、さっきまでの規模ならこんなに揺れないはず」

「じゃあ、ここまで『殻の異形』が侵入してきた?」

「……あり得ない話じゃないけど、今の揺れは地下からというよりむしろ――」

 たしかに、感覚的には揺れは上から下へと伝わって来たように感じられた。だが、地上からこの地下通路まであれほどの規模の振動が伝わるほどの出来事など、すぐには思い浮かばない。

「とりあえず、ここで揉めてる場合じゃないね」

「なら、さっさと学舎までの行き方を教えてくれ」

「それはダメ」

「……だろうな」

 ハルは譲らないが、だからと言って俺も譲る気はない。睨み合いの余裕もない以上、すぐにでも仕掛けるべきだろう。先に詠唱を紡がずとも、状況を動かす方法はある。

「まず私達が行くのは、学舎より少し東側の集落の離れにある小屋。流石に直接学舎に入り込むのは、不確定要素が多すぎるからね」

『神の器』の信徒から回収しておいた懐のナイフに手を掛けようとしたところで、しかしハルは意外な言葉を口にした。

「いいのか?」

「この通路に『殻の異形』が入り込んでるなら、一人になるのは怖いしね。それに、私の想像が正しければ、私達はむしろ学舎に逃げ込む事になるかもしれない」

「想像?」

「もし合ってれば、すぐにわかるよ」

 本来、俺としてはハルの心変わりを喜ぶべきなのだろうが、彼女の声の調子は重く、どうしてもそれを警戒せずにはいられない。

「じゃあ、行こっか」

 かと思えば、すぐに口調を戻し早足で進んでいくハルに遅れないよう後ろにつける。やがて辿り着いた分岐路でも、俺を騙したわけではないらしく、しっかりと学舎側の方角へ向かう道を選んでいた。

「一つ気になったんだけど、君の言う恩人ってどんな子?」

 沈黙を嫌う性質なのか、道中でハルはそんな問いを口にする。

「変わった奴だよ。何を考えてるのかわからない」

「へぇ。でも好きなんだよね?」

「好き? いや、どうだろうな」

「えー、嫌いならこの状況で探したりしないでしょ」

「色々とあるんだよ。それこそ、あいつは俺の恩人だからな」

 好きだとか嫌いだとか以前に、エスに対してはしがらみが多すぎる。命の恩人にして龍殺しの肩書を俺に預けた異形の身体を持つ少女。そんなものに対して、他の知人と同じ基準で好き嫌いを考える事などできるはずもない。

「お前の方はどうなんだ? ライカンロープをどう思ってる?」

「どう思う、か。難しいところだけど、好きとは言えないかな」

 なんとなくで口にした問いに、意外にもハルは難しい顔をした。

「あの人は、あれは『殻の異形』を殺すための装置だよ。行動も会話も全てそのためだけのもので、人としての交流はほとんどゼロ。もう慣れたし、恩人ではあるけど、昔はなんとなく怖かったし、今でも個人的には少し苦手なままかな」

「そっちも恩人なのか?」

「そうだね。ライカンロープのところにいるのは、大体が何かしらの理由で拾われてきた子供とそれが成長した大人だから。中でも大半は過分児だけど、私は……いや、やめとこ」

 過分児は、統一政府の人口調整において、多すぎる出生児の中から数を調整するため間引きされた子供を指す言葉だ。生後すぐに、あるいはそれ以前の段階で処理される過分児の数は、一説には出生児全体の半数に達するともされており、過去には道義的問題として激しく議論されていた事もあるらしい。

「ただ、私達はライカンロープはともかくとして、それ以外の誰かが捕まったとしても助けには行かない。だから、君にとってその恩人の子は特別なのかと思ったんだけど」

「それは違いないな」

 保留したエスへの感情は、だが特別である事だけは間違いない。

「ここを左に行けば、学舎に直接繋がってるのか?」

 幾度目かの分かれ道で、直進を選ぼうとするハルに思い付きで問う。感覚的には、大体この辺りで学舎の下部に辿り着いていてもおかしくない。

「騙せそうにないから正直に言うけど、そうだよ。たしか第三種魔術研究区画の、今は使われてない倉庫かどこかに通じてるはずだけど、十中八九監視か罠、もしくはその両方があるから――って、聞いてる!?」

 話を聞き終えるよりも早く、俺は左の道へと進路を変える。

「少し様子を見るだけだ。顔を出したくらいで死にはしないだろ」

「それはそうかもしれないけど……もう、仕方ないなぁ!」

 説得とは形ばかりの強行突破に、ハルは諦めて後をついてくる。

「学舎までは、ここからはもうすぐ。突き当たりに梯子が掛かった場所があるから、その梯子を上がって天井が隠し扉になってるはずだよ」

 説明されるが早いか、ほどなくハルの言葉通りの通路の終点に辿り着く。

「梯子っていうのは、これか?」

 問いかける俺の視線は足元。壊れたか、あるいは何者かが壊したのかはともかく、壁に掛かっていたと思われる梯子は外れて地面に落ちていた。

「そうみたいだね。まぁ、壊れててもあんまり関係ない気はするけど」

 明らかに跳躍で天井に届く高さではないものの、それでもハルの言葉は正しい。

 ある程度器用な魔術師なら、その気になれば擬似的な階段を作るなり重力魔術で浮遊するなりといった手段を用いて梯子なしでも上に辿り着くだろう。それほど手札の多くない俺であっても、この地下空間の土壁であれば、杭を刺しながら登攀すればおそらく天井にまで登る事は可能だ。

「どうしたの? 行かないの?」

 もっとも、この状況では多少なりとも同行者の目が気にはなるが。

 ハルに魔術の力量を晒す事のリスクと学舎の様子を確認する事のリターンを天秤にかければ、流石に後者が上だ。とりあえず登攀用の杭を生成するため、詠唱を紡ぎながら壁の高さを確認し――

「――нур」

 ふと、違和感に気付き、紡いだ詠唱は発光。

 薄暗い空間を光が照らすも、わかりやすい異常はない。ただ、注意して目を凝らしてみれば、少しづつその全貌が掴めてきた。

「これは……アトラスの?」

 十分な明かりがあってもなお、一見して気付けないほどではあるが、それでも間違いなく地下空間の上部は隙間なく周囲から伸びた透明な棘により覆い尽くされていた。巨大で鋭利なそれらは、無数に生えた棘から更に小さな棘をいくつも生やした形状をしており、無傷で通る事はほぼ不可能と言っていい。

「どうかした?」

「罠だ。透明な棘が生えてて、抜けられなくなってる」

「……本当だ」

 俺の言葉で目を凝らしてようやく気付いたらしく、ハルは怪訝な表情を見せる。そのくらいに上方を覆う棘の透明度は高い。俺もアトラスの魔術を直接目にしていなければ、気付いていたかどうかは怪しい。また、その上で一気に天井に跳ね上がる事ができるような魔術を持っていたとしたら、今頃は串刺しになっていた可能性もあった。

「棘なら、壊して進むとかは?」

「厳しいな。俺の予想通りなら、あれはアトラスの魔術で作られた棘で、相当堅い。壊せるかどうかもわからないし、もしできたとしても壁から崩れかねない」

 壁を壊してそこから生える棘が一斉に降ってくるような事態になれば、それこそ命の危険に繋がる。仮に安全に事を運べたとしても、時間は掛かるだろうし音で上に気付かれる事もあり得る。問題は山積みだ。

「ここは諦める。元々の出口に行こう」

「まぁ、私はそれでいいけど。時間の無駄だったね」

「……そうだな」

 時間を多少使った代わりに、学舎の抜け道への出入口が塞がれている事実を発見した。とは言え、今のところは使える情報でもなく、時間を消費した事への焦りの方が大きい。

「よし、着いたよ。ここにも罠があったら……まぁ、その時はちょっと困るけどね」

 もっとも、それから本来の目的地、地下通路の終点であろう階段に辿り着くまでにはそれほど時間は必要なかった。

「俺が先に行く」

 先導していたハルを手で制し、一歩前に出る。

 多少なりともアトラスの魔術、透明の棘を見慣れている俺の方が、罠に気付く事ができる可能性は高い。もっとも、少しでも早く外に出たいと急いているのが本音だが。

 念のため信窟で魔術師連中の死体から手に入れたナイフを前に突き出しながら先に進んでいくも、何の問題もなく階段の終点、行き止まりの天井まで辿り着く。

「жигар」

 一応は身構える体制を取り、ハルが信窟で口にしていた詠唱を再現する。特殊な音を必要とするものや多重詠唱の技能を使うものを除いて、一度聞いた単節詠唱を再現する事はそう難しくはない。隠し扉の鍵が全て同じだとすれば、これで道は開ける。

「……なんだ?」

 予想通り開いた階段の先で、俺達を襲ってきたのは音だった。

 四方八方から響くのは、爆音に破壊音、悲鳴や怒声。そして何より、幾重にも重なった末にもはや指示の聞き取れなくなった特別警鐘の音。

「『殻の異形』? いや、それにしても規模が大きすぎる」

 人類の天敵、ヒース曰く人の造った兵器である『殻の異形』による襲撃は、だがそのほとんどが少数による小規模なものでしかない。前回の学舎への襲撃ですら相対的にはかなり大規模なものであり、街中の警鐘が一斉に鳴り始めるほどの規模の襲撃など、俺の知る限り統一歴制定から百年以後では、世界中を探してもまだ一度も起きた試しはない。警鐘のトラブルや混乱を引き起こすための乗っ取りを考えた方がまだありそうな話だ。

「ははっ……」

 自らの希望的観測に、思わず笑いが零れる。

 階段を上がりきった先の小屋、その外扉を開いて目に飛び込んできたのは、斜陽に赤く染まった空を飛び回る朱雀、妖精種、羽馬、そして龍といった異形の姿だった。学舎下の全面に広がった異形はこの場所からでは全貌すら掴めないものの、おそらく数にして百は下らないだろう。すでに街は半壊し、四方から戦火と煙が立ち上る様子はまさに地獄絵図と呼ぶにふさわしい。

「これは……ちょっとひどいね」

 わずかに遅れてきたハルも、地上の惨状に力なく苦笑する。

「一応聞いておくけど、現状に心当たりはあるか?」

「うん、あるよ。私の予想通り、というには規模が大きすぎるけど、理由はわかってる」

 期待せず口にした問いに、だがハルは明確に頷いた。

「結論から言うと、これを引き起こしたのは君だよ。『龍殺し』ルイン=Ⅵ」

 そして俺を見る彼女の瞳には、どこか哀れむような色が浮かんでいた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る