2-6 逃避

 後悔をしているかと問われれば、きっとそうではない。そもそも、それは俺の選択ではなかったのだから。

「エス、お前は何を知ってる?」

 ライカンロープ記念公園を出てすぐ、入口の門の外で少女は俺の事を待っていた。

「何、とはどういう意味?」

「『龍殺し』についてだ。知っていたから、俺にそれを騙らせたんだろ?」

 それは、最初から考えるまでもない事だった。あえて俺に『龍殺し』の実績と肩書を与えようとしたエスの行動には、考えるまでもなく裏がある。これまでそれを問うてこなかったのは、ひとえに命を救われた立場があったからに過ぎない。

 とは言え、事態は俺が思っていたよりもおそらく複雑で深刻だ。龍殺しとなった俺が何を成す以前に、そもそも龍殺しという肩書の前提から覆すようなクロナの言葉と、彼女の口を封じたアトラスの行動を目の当たりにした今、俺としても何も知らず案山子のようにただ突っ立っているだけというわけにはいかない。

「……知らない」

 しかし、エスの口から出たのは明らかな嘘だった。

「知らないわけがないだろう。だとしたら、俺に龍殺しを騙らせる理由がない」

「いいえ、本当に知らない。だけど、あなたに龍殺しを名乗らせた理由ならある」

 平坦な表情でそう語る少女に、ひとまずは口を挟まず続けさせる。

「私は、エドワード・ベイカーという男を探している。龍殺しの傍にいれば、彼の手掛かりが得られるかもしれないと思ったから、あなたにそれを名乗ってもらう事にした」

「エドワード・ベイカー? あの『救世の魔術師』を探してるって?」

 だが、続いた言葉は、もはや嘘というよりも虚言の域だった。

 エドワード・ベイカー。

 救世の魔術師、あるいは原初の魔術師と呼ばれる個人は、文字通り魔術を世界で初めて行使し、人類の滅亡を瀬戸際で喰い止めたとされる歴史上の人物だ。

 死亡の事実が周知されていない事から、公式には今も生存しているとされているエドワード・ベイカーは、しかし実際は半分以上が御伽噺の存在だった。この百年ほどはほとんど表舞台に姿を現す事はなく、それ以降の逸話はどれもが信憑性に欠ける。そもそも、統一歴以前の生まれであるエドワードは、年齢を計算すれば三百は優に超えている事になり、普通に考えて生きていられるわけもない。

「その肩書は知らない。ただ、多分間違っていると思う」

「別人だっていうのか?」

 そうであれば話は変わってくる、と言いたいところだが、むしろどちらかと言えばそちらの方がよりあり得ない話だ。

 統一歴に入り、教育制度が刷新され以前の家族制度が廃止されて以降、『姓』は名前の後ろに付く識別番号へと切り替わった。つまり名前に統一歴以前の習慣である『姓』を持つのは、現在ではエドワード・ベイカーのみであり、彼以外の姓持ち、それも同姓同名のもう一人が生存しているなんて事は、確率を出すまでもなくあり得ない。

「わからない。肩書の方が間違っている可能性もあるから」

「そうだな、それは否定しないけど……」

 エドワードの逸話には疑わしい点がいくつもあり、実際に俺もそれに懐疑的な立場を取る一人だ。ただ、エスは断定こそしなかったものの、エドワードの肩書を疑うどころか明確に間違っていると主張していた。

「私の知るエドワード・ベイカーは、人類を滅ぼした男。だから、できる事なら私はエドワードに会って――」

「……会って?」

 催促は、怖いもの見たさだった。

「――殺す」

 そして、その期待、あるいは不安は見事に的中した。

「ああ……待て、待て。いや、何をってわけじゃないんだが」

「心配しなくても、そこまであなたに手伝わせるつもりはないから。私があなたに頼んだ事は、龍殺しを名乗ってもらうところまで」

「それはありがたい、のか?」

 話が大きくなりすぎて、今一つ頭の中で収集が付かない。エスの目的はあまりに吹っ飛び過ぎていたが、それよりも先に考えるべき事があったはずだ。

「……とにかく、だとしたらエスはクロナの言っていた龍殺しと『神の器』の関係については何も知らないって事だな?」

「最初からそう言っていたはずだけど」

 この会話の最初から最後まで、エスは目を逸らすどころか表情の一つすらも変えずにただ淡々と言葉を紡いでいた。少なくとも、俺の目には嘘を吐いているようには見えない。だからと言って、はいそうですかと信じられるものでもないのだが。

「……わかった。とりあえず今は、これ以上聞かない」

 結局、俺はエスを無理矢理に問い詰める事はできない。現時点で嘘かどうかもわかっていないという事は、更に嘘を重ねられてもそれを見破れないのだから。

「私からも一つ、いい?」

「なんだ?」

「『神の器』とは何?」

 唐突な、それでいて控え目なエスの問いかけは、あまりに今更な内容だった。無知を装うためだとすれば、あまりにわざとらしすぎる。

「『神の器』は『殻の異形』を信仰する宗教組織だ。だから、龍を殺した俺の事を狙っている……と、思ってたんだけどな」

 この場はあえてまともに答えてみるが、後者に関してはクロナが『神の器』を騙っていた時点で曖昧になっている。前者すら、クロナの言葉通り龍殺しであるアトラスと『神の器』に繋がりがあるのであれば、宗教組織としての大前提である信仰を揺るがしかねない。

「まぁ、宗教なんて一枚岩じゃないって事なんだろうが……何なら、直接聞いてみるか?」

 会話の最中に辿り着いていた自宅前の路地への曲がり角から見えた五人の男と一人の女の姿に、身を隠しながら声のトーンを落として囁く。

「どうしたの?」

「多分、『神の器』の信徒だ。俺を待ち伏せてる」

『神の器』の信徒に特有の首飾りが見えたわけでもなく、またそれ以外に彼らに共通の外見的な特徴があるわけでもないが、件の六人はそれぞれに目線を結びながら周囲、そして俺の家を監視しているように見えた。

 こうなると、エスと決別していなかったのは正解だったかもしれない。どちらにしろ面倒事に対面した以上、エスは情報源、そして気持ち程度の戦力くらいにはなる。

「っ」

 家の周囲を窺う最中、背後に気配を感じた。

「――шаф」

 反射で放った空気の弾は中肉中背の男の眉間に直撃し、白目を剥いた男の身体が倒れる。

「くそっ、逃げるぞ!」

 男の接近があったという事は、すでに俺達の存在は気取られている。最低六人、あるいはそれ以上の数を相手にするのは、正面からでは分が悪い。

「お待ち下さい、ルインさん! 私共はあなたに危害を加える気は――」

「そういうのは、せめて一人で来て言うもんだ!」

 人数で優位に立っての交渉など、つまるところ脅迫と大差はない。会話で足止めを喰らう気もなく、俺はすでに逃走を初めていた。

「話を聞かなくていいの?」

「いい! それより、どのくらい跳べる?」

 流石に俺も一瞬で振り切るほどの俊足というわけでもなく、振り向けば六人の追手が俺達の後を追って疾走していた。このままでは人通りの多い大通りに突き当たり、非常に迷惑で困難な逃走劇を繰り広げる事になる。

「そこの建物の、大体二倍くらいまでなら」

「二倍!? わかった。じゃあ、俺に付いて来てくれ」

 手近な塀に手を掛け身を持ち上げ、更にそこから隣の屋根へと跳び乗る。どうやら先程の言葉は嘘ではなかったらしく、隣を見ると涼しい顔をしたエスが詠唱一つなしに悠々と一足で同じ屋根の上に着地していた。

「……まだ来るか」

 このまま人混みを避けた分の差で振り切れれば話は早かったのだが、追手も動けないわけではないらしく、四人ほどが屋根の上を追ってくる。ここまで目立つ事を厭わないのであれば、案外クロナの初対面での演技も真に迫っていたのかもしれない。

「шафф」

 ついには背後から放たれた冷気魔術の足止めは、風の束で吹き飛ばす。雷を水の盾で、炎もそのまま水でと相殺していく内に、背後の人影は少しづつ小さくなっていく。

「――шаффо」

 やがて目的地へと辿り着いた時には、すでに追手の姿は視界から消えていた。指輪を照らしていた発光体を懐にしまい込み、大きく息を吐く。

「はぁっ……ふぅ、流石に、疲れた、な」

 多くが詠唱に重きを置く魔術師の中では例外として、近接戦のため肉体的な鍛錬を少なからず積んでいた俺だが、瞬発的な動きはともかく継続的な運動は堪える。長期戦は土俵ではないとはいえ、今のような逃走用に更に鍛えておく必要があるかもしれない。

「家から逃げて来たけど、これからどうするの?」

「お前は、随分、元気……だな」

 一方のエスはというと、俺と全く同じ速度で並走していたにもかかわらず、息一つ切らした様子はない。何らかの魔術の効果なのかもしれないが、ただでさえ肉体干渉系の魔術は難易度が高い上、本人はまったく詠唱を紡いだ様子もなかったのが気に掛かる。亜人との戦闘の時もそうだったが、たしかにエスは本人も言う通り、少なくともいわゆる一般の第一種魔術師とは明らかに違った力を行使している。

「……ふぅ。そうだな、とりあえずはここに避難する」

 そういった点でも、おそらくこの選択は正解だろう。問題があるとすれば、それは個人的で精神的なものに過ぎない。

「統一魔術学舎の中ほど安全な場所を、俺は他に知らないからな」

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