三章 傀儡

3-1 寝床

「泊めてください」

「えっ、えっ? 待って、ちょっと、待ってほしいのだけれど」

「わかりました、待ちます」

 狼狽を隠そうともしない少女、ティアの言葉に従い、直立のまま次の言葉を待つ。

「……とりあえず、理由を聞いてもいいかしら?」

「訳あって家に帰れないので、泊めてもらえないかと思って」

 魔術学舎に身を潜める事を決めたはいいものの、今の俺はすでに宿舎を出た身であり、以前使っていた部屋に寝泊まりするわけにもいかない。

「訳? 鍵をなくしでもしたの?」

「じゃあ、それで」

「ええ、説明する気がまったくないという事はわかったわ」

 呆れ混じりの息を吐きながらも、ティアもこの場はこれ以上追求する気はないらしい。

「とにかく、家に帰れないから私の部屋に泊まりたいと」

「じゃあ、それで」

「自分から頼んでおいて、なんでそんなにやる気がないのかしら!?」

「あんまりがっつくと警戒されると思って」

「が、がっつく……って、そういう事じゃなくって!」

 顔を赤くして叫ぶティアは見ていて飽きないが、少しばかり目立つ。宿舎の女子区画であまり注目を集めても面倒なので、できるだけ早く切り上げた方がいいだろう。

「それで、もう入っていいですか?」

「泊まる前提で話を進めてる!? そ、そもそも、家に帰れないからと言って私の部屋に泊まる必要があるとは思えないのだわ!」

「じゃあ、どこに泊まればいいんですか?」

「適当な宿でいいじゃない! もしくは、前に宿舎で使ってた部屋とか、男友達の部屋とか!」

「金がもったいないし、教職の許可取るのが面倒だし、襲われるかもしれないので嫌です」

「わがまま過ぎるのだわ! ……三つ目はどういう事!?」

 まぁ、これに関しては完全にティアの言う事が正しい。

 冗談ならまだしも、本気だと言うには流石に自分でも無茶な事を口走っている自覚はあった。とは言え、実際のところその三つの選択肢はどれも俺の中で否定されるに相応しい理由があり、逐一説明するとなるとそれこそ俺にとってもティアにとっても面倒だ。

「嫌ならいいんです。ただ、俺はティアさんの部屋がいいと思っただけなので」

 つまり、勢いで押し切るしかない。

「べ、別に、嫌とは言っていないけれど。……心の準備とか、あるじゃない」

「じゃあ、いいんですか!? やった!」

「早い! もう少し会話の間とか――」

「じゃあ、駄目なんですか?」

「ああ、もう! わかった! 泊まっていってもいいのだわ!」

「よし! エス、入っていいぞ」

 自棄気味の承諾を盾に、影に隠れていた同居人を呼び出す。

「……へ?」

「それじゃあ、ティアさん。後は頼みました。名前はエスです。おとなしいのでお手を煩わせる事はないと思います」

「よろしく」

「えぇっ!? 待って、ルインが泊まるのではないの!? と言うか、誰!?」

 ティアの動揺は当然過ぎるが、大切なのは勢いだ。

「失敬!」

「こいつ、徹頭徹尾、説明する気がまったくないのだわ!!」

 エスをティアの元に残し、振り向きもせずにその場を去る。何だかんだ面倒見は悪くないティアの事、一応は預けられた形のエスを放り出したりはしないだろう。



「泊めてくれ」

「こんな時間に来て何を言い出すかと思えば……」

 エスの寝床を確保したはいいものの、そうなると次は俺の寝床が必要だ。そして幸いにも俺は男であるため、襲われる心配もせず男友達であるヤネハの二つ目の部屋とも言える『旧廃墟群』と呼ばれる実験室を訪ねていた。

「俺に男色趣味はない。帰れ」

「帰れたら帰ってる。そうじゃないから、困ってるんだ」

「なんだ、新居を焼き討ちにでもあったか?」

「いずれそうなりかねない、ってところだな」

 どうやって『神の器』が俺の家を突き止めたのかは知らないが、家が割れているという事はそういった可能性とも無縁ではない。

「面倒事か。……まぁ、ちょうど今は山場だ。今日はここで寝る事になるだろうから、部屋なら貸してやっても構わない」

「ありがとう、助かる」

「お前が礼を言うなんて珍しい事もあるものだ。その面倒事とやらは、余程だと見える」

「俺だって礼くらいは言う。……でも、まぁ、そうだな。たしかに弱ってはいるか」

 まだ自分の置かれた状況を完全に把握できているわけではないが、仮に『神の器』を相手に回してしまっているなら、すでに俺個人の手に終える問題だとは思えない。加えて、亜人やアトラスとの対峙もあって体力的にも精神的にも大分疲労していた。

「部屋は貸すが、巻き込まれるのは御免だな」

「心配しなくても、そのつもりはない。精々、あって部屋が消し飛ぶくらいだ」

「そうか、それなら貴重品をこちらに運び込んでおく必要があるな」

 下らない冗談を鼻で笑い、ヤネハは俺を見据える。

「張本人になる気はないが、第三者として話くらいなら聞いてやってもいい」

「そいつはまた、ありがたい申し出だ。涙が出るよ」

「そうか、そこらの紙ならちり紙代わりに使って構わないが」

「資料で体液を拭かせるな。俺にも資料にも失礼だ」

 あくまでつれない態度を取っているが、これもヤネハなりの優しさなのだろう。話を聞くだけであっても、ヤネハが面倒事に巻き込まれる事があり得ないとは言い切れない。

「まぁ、両方とも遠慮しておく。話して楽になるもんでもないからな」

 とは言え、俺としてはこの件に友人を巻き込む気はない。

「そうか。実のところ、少し興味はあったんだが」

「それより、作業の方を進めてくれ。頼んでた指輪、そろそろだろ?」

「ああ、今日の内に終わる予定だ」

 喜ぶべきか悲しむべきか、ヤネハの追求もそこで終わってくれた。

「それじゃあ、俺はもうお前の部屋で寝させてもらう」

「……言葉にすると気色の悪いものだな」

「そう言うな、俺も気色悪い」

「だろうな。喜ばれてはより一層気色が悪い」

 中身のないやり取りを別れの合図に、雑多な床に足場を探しながら実験室を後にする。

「そうだ、最後に一つ聞いていいか?」

 と、その前にふと思いついた事があった。

「なんだ? 部屋の番号なら、3-17だが」

「それは知ってる。そうじゃなくて、結晶を射出する魔術に覚えはないか?」

 クロナと対峙した時、アトラスの扱った魔術について、彼と同期であったヤネハならば何か知っているかもしれない。もっとも、その場合は俺がアトラスと接触したと告白している事にもなるが、正体不明の魔術への糸口が掴めるのであればその程度の曖昧な情報を漏らしたところで十二分に釣り合いが取れるだろう。

「結晶……いや、わからないな。氷晶なら別だが、それでは違うだろう?」

「違うな。まぁ、念のため聞いてみただけだ、知らないならそれでいい」

 そして、知らないのであればアトラスとの接触を勘付かれる事もない。

 今度こそ何も知らずに済んだヤネハに背を向けて、俺は実験室を後にした。

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