第42話 四礼の記憶

「何かを作れば作るほど……そこには、『私』の姿が……けれど、『私』は『ぼく』であってはならなくて……『ぼく』は……『ぼく』であって、『ヴァンサン』じゃない、から……」


 膝をつき、ポールは自らの身体をかき抱いて震える。

 ……芸術は、自らの魂と向き合う作業。魂を作品に昇華させるなら、その過程で、見ないようにしてきた傷を直視しなきゃいけなくなることだってある。カミーユは自らの苦痛を糧にできたけど、ポールは、他人事にして切り離してしまっていた。……だから……


「今は考えんな。……その状態で『ヴァンサン』に寄っちまったら、『ポール』の死期が早まるだけだ」


 レニーの忠告に、ポールは小さく頷く。

 その身体を抱き締めることしか、あたしにはできなかった。




 ***




 何が起こったのか、よく覚えていない。

 いつの間にやら、視界が真っ暗になっていた。

 ひた、ひた、と、暗がりに足音が響く。


「ぼくの味方になるなら、許してあげるよ」


 許すって、何を?

 声が出ない。身体も動かない。……いいや、身体の感覚を認識できない。


「ぼく達の痛みの上で、ぼく達の犠牲の上で、おまえは幸せに生きてきたんだ。ぼく達みたいに苦しんでない時点で、おまえは加害者側だ。悪者なんだよ」


 苛立つような声色が、私を責める。

 ……この声は……確か……シレイ……君……?


「でも、おまえはそこまで悪いコトをしてたわけじゃないから……力を貸してくれるなら、許してあげる。ちゃんと仲間として扱ってあげるよ」


 悪いことをしていなくても、同じように苦しんでいなかったら悪なの?

 それって……おかしくない? 善悪に苦しみは関係ないでしょう?


「……はぁ? ポールに対して罪悪感、ないの? 幸せに呑気に生きててごめん、とか……本当に思わないの?」


 …………。

 確かに、ポールは苦しんでた。何の苦悩もなく笑ってた私と違って、ポールは……


 だけど、だからって私が不幸じゃないのが悪かったとは思わないよ。

 共に苦しむことが相手を救うとは限らないし、一緒に地獄に落ちることだけが愛じゃない。


「……あっそ。じゃあおまえも呪うけど、良い?」


 ……それなら、立ち向かうよ。どの道、君を放っておくと大変なことになりそうだしね。

 私は負けない。ポールと一緒にここを出る。


「やってみればぁ? おまえがぼくに勝てるわけないし」


 余裕ぶった嘲笑が、果てのない暗闇に響く。

 果てのない執念が、底知れない悪意が、じわりじわりと迫ってくるのを感じる。


 正直、怖い。

 ……それでも、負けたくない。


 シレイ君。どうして、私を呼んだの?

 ここに私を連れてきたのは、君なんだよね?


「…………たまたま、扉の近くにいたからだけど?」


 本当に?

「たまたま」なら、呼ぶのはロデリックでも良かったはず。わざわざ私を選んだ理由って、何?


「…………」


 有無を言わさない「圧」が身体を締め付ける。

 言葉を奪われていくのを、感じる。

 だけど、ここで引き下がるのはなんだか悔しい!


 私は「罪人」の一人かもしれないけど、そこら辺にゴロゴロいる程度の凡庸な一般人でしかないよね?

 だけど、君は私に「おいで」と声をかけた。

 どうして? 何か、訳があるんじゃないの?


 少年は私が念じた問いに対し、沈黙を守っていた。


「……効率的に、たくさんの『敵』を殺せる武器ってなんだと思う?」


 ……けれど、やがて、淡々と語り始める。


「情報だよ」


 再び、悪意が迫ってくるのを感じる。


「おまえと一緒なら、悪いヤツをたくさん殺せる」


 影は私を蝕み、私の記憶を、思考を、乗っ取ろうと……


 ……それ……マノンにも、似たようなことを言ったの? ブライアンって人にも?


 ぴたりと、侵蝕が止まったのを感じた。


「……おまえ、ブライアンを知ってるの……?」

「え。知ってる、っていうか、聞いたことあるってぐらいだけど……」


 突然、奪われていた声が返ってくる。……もしかして、動揺してる……?


「大事な人なの?」


 隙が見えたから、ここぞとばかりに揺さぶりをかける。精神年齢が低いとは聞いたけど、脆さも見た目の年齢相応なのかも……?


「ブライアン……」


 私の声が聞こえていないのか、少年はぶつぶつと呟き、上の空だ。


「ぼくと、おまえは一緒だった。……一緒だった、のに……」


 拘束が弱まり、闇に包まれた視界が晴れていく。

 抜け出せる、そう思った瞬間。


 誰かの「記憶」が流れ込んできた。




 痛い。


 真っ赤な視界。どこが痛むのかも分からないほどの、痛み。


 苦しい。


 息ができない。腕を伸ばし、助けを呼ぼうにも……

 


 片目が熱い。いつ潰されたのか、もしくは抉られたのか、思い出せない。


 どうして……

 どうして、助けてくれないの?


 父様、母様、兄様、姉様……


 どうして、ぼくを見ているの?


 弟が刀を携えてやってくる。

 ずっと一緒だったのに。

 生まれた時期だって、ほとんど変わらないのに。

 おまえは殺す側で、ぼくは──


「四礼の兄上」


 どうして、おまえが泣いているの?


「許しとおせ」


 誰が、何が、おまえを泣かせているの?

 血筋? 役割? 儀式? 呪い? 立場? 運命?


 どうしてぼくは、殺されているの?

 どうしておまえが、ぼくを殺すの?


「……ッ、できん……。俺にはできんがじゃ……」

「やりなさい。五厘ごりん


 ……許さない。

 呪ってやる。

 ぼくは、おまえ達を許さない……


 呪いから逃れるために、ぼくが贄になるのなら、

 そうやって、ぼくを犠牲にして、救われようとするのなら、


 ぼくも、おまえ達を呪ってやる。




 ああ……だけど、五厘おとうとは可哀想だ。

 こんなに震える手で、ぼくを殺さなきゃいけないんだから。


 一緒に逝こう。

 おまえには、その権利があるから。


 一緒に、呪い続けよう。

 そうしたら、許してあげるよ。


 ……そうちや……安心せえ、五厘……。

 味方になるんなら、兄ぃはずっとずっと傍にいちゃる。守っちゃるきにのう……。




 身体が動かない。いや、動けない。

「私」が「誰」なのかすら、分からなくなっていく。


「……おかしいと思ったんだぁ」


 ひた、ひた、と、影が近寄ってくる。

 少年の姿は血塗れで、瞬きすると、時折手や足が欠けて見える。……ちょうど、大人と子供の境目にいる体躯が、痛々しく引き裂かれた姿が垣間見えてしまう。


「今まで散々叱ってきたくせに、その日だけ、着たい服を着ていいよって、父様達は言った」


 花柄の……女性用に見えるワンピースが、血に染まっている。


「最期だったから……贄にするつもりだったから……ぼくを嬲り殺すつもりだったから……」


 真っ赤な手が、私を包み込む。

 血走った黒い眼が、私を覗き込む。


「ねぇ、それでもぼくを邪魔するの?」


 身体が動かない。

 声が出ない。

 思考が、上手くまとまらない。


「……やれやれ。随分と強引に動いたね」


 聞き覚えのない声が、暗がりに響く。


「オリーヴを無理やり術中に閉じ込めるとは……余裕ぶっている割には、行動に焦りが見えているよ」


 この……紳士的なのに微妙にねとっとした声……

 ……。え、本当にわかんない。誰……?


「……!? なんで、おまえ……!」

「『なんで』? 私を取り込もうとしたのは、君だろう? 置いてきた残滓が、脅威になるとは考えなかったのかな?」


 取り込もうとした? 残滓?

 何のこと?


「オリーヴ。惑わされてはいけないよ」


 得体の知れない「誰か」の声に名前を呼ばれ、「私」の意識が確実に呼び覚まされていく。


「確かに、シレイの過去は哀れだ。……けれど、


 何というのか……すごく生理的に受け付けないし腹が立つ雰囲気をめちゃくちゃ感じるけど……妙に惹き付けられる声だ。


「シレイは君を、そして君の恋人を利用し、共に地獄に連れ込もうとしている。……それを、許せるのかい?」

「……ッ、おまえみたいなクズが、何を……ッ!」


 激しく反論する声を抑え込むように、男の声が続く。


「私が人間の屑であることと、シレイが哀れな被害者であることが……オリーヴ、君達が不利益を被る理由に関係するのかな? ……まさか。君は、堂々と君の目的を果たせばいい」


 何が何だか分からないけど、助けられているのはわかる。……そういえば、この人の声……誰かに似てる気も……?


「私は悪人だ。だからこそ……


 ──オリーヴ!


 男の声の向こうから、懐かしい声が響いてくる。

 意識がクリアになり、闇に包まれた視界が開けていく。


「オリーヴ!!」


 ポールが私の顔を覗き込み、肩を揺さぶっていた。

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