第41話「殺人絵師」

「うへぇ、なんか面倒なことになってる……」


 現状を説明すると、カミーユは心底かったるそうにため息をついた。


「色々気になることも聞いちゃったし……」


 ポールの方を、蒼い瞳がちらちらと見る。

 まあ、知り合いだったみたいだし、虐待とか精神の死とか多重人格とか、衝撃的だろうなぁ……


「何? ポールっての?」

「気にするのそこぉ!?」


 思わず突っ込んでしまった。

 絶対他に気にする部分あったでしょ……!?


「えっ、気になるでしょ。あのプレイボーイについてないんだよ? ちんこの位置気にしたこともなければ金的の痛みも知らないってことじゃん」

「位置……?」

「うっわぁ、ホントに考えたこともないって顔してる……」


 確かに昔のポールはプレイボーイ(?)だったらしいけど、そんなに印象に残るほど女の子と付き合ってたの?

 ……ふーん……?


「お、オリーヴ、どうしたんだい? なんだか、不機嫌になったような……」

「別にぃ? 昔のことだし、気にしてないよ」


 ポールはおろおろと視線をさまよわせ、ポリポリと頬をかく。

 別に良いけどね。昔のことだもんね。ほとんどあたしと出会う前の話だろうし。


「で、特定の恋人を作ったのも意外かな。昔は色とりどりの花の中をひらひら飛んでてさ、蝶みたいなヤツだったのに」

「なんか、喋り方もちょっと変わったかい?」

「……率直すぎるって言ってたの君でしょ。僕だって気を遣わないわけじゃないし」

「う、うーん、なんというか、振れ幅が広い……」


 ポールとカミーユの会話を聞いていると、「変わった人なんだなぁ」って感想しか出てこない。ロデリックが書いた「City of Loser」のことも思い出したけど……うん、まあ……変わった人なのは間違いないか。

 多少エキセントリックな方が芸術家としては有利なのかな。……ポールと違って、彼はそれなりに著名みたいだし。


「……つか、なんでお前さん、ここにいんだ」


 レニーの質問に、カミーユは「うーん」と首を捻る。


「わかんないからモナミくんを呼んだんだよね。そしたらなんか、君達も来ちゃってさ」

「ふぅん? ま、ここでなら何があってもおかしくはねぇが……」


 レニーも首を捻り、顎に手を当てる。

 面倒くさそうに横になったレオナルドを横目に、カミーユはサッとスケッチブックを開いた。

 チラッとスケッチブックを覗くと、爆睡するレオナルドのデッサンがみるみるうちに出来上がっていく。


「あ、気にしないで続けて」


 そんなこと言われても、気になるものは気になる……。


「そういうとこは変わらないんだね……」


 ポールは懐かしそうに目を細め、呆れたように苦笑した。奇行にはもう慣れたって感じなのかな。


「どうだい、カミーユ。俺らに手を貸す気はあるかい?」

「良いよ。レヴィ君やノエルの助けになりたいし」


 レニーの言葉に、カミーユは絵を描きながらサラッと返す。


「……っていうか、四礼チビがまたなんかやらかしたんでしょ? それなら、僕が戻ってきて良かったかも」

「へぇ、そりゃまた何で?」


 レニーの瞳がキラリと輝く。カミーユは絵を描く手を止めないまま、きっぱりと言い放った。


「僕、あいつに口喧嘩で負けたことないし」


 …………。

 えっ、それ、ほんとに大丈夫……!?




 ***




 とりあえず元の空間に戻ろうと、背後のドアを開く。

 相変わらず黒々とした闇が口を開けていて、一瞬、踏み出すことを躊躇ってしまう。


 ……でも、引きこもってたって何も変わらない。ポールと元の世界に帰らなきゃだし、そのためにも、この「街」に起こった問題を解決しないと。


「どうした、カミーユ。お前さんの力がいるのは分かってんだろ?」


 ……と、先に闇の中へ飛び出したレニーが言う。

 レオナルドもその横で、眠そうに欠伸をしていた。


「………………」


 カミーユは青ざめた顔で、目の前の扉に触れる。

 ……あれ? 違う。この動き……まるで、……みたいな……?


「エレーヌ?」


 震える声が、聞き覚えのある名を呟く。

 蒼い視線がふらふらとさまよい、やがて、壁にかかった絵の方に注がれる。

 ……あれ、あの絵……いつの間に……。



 

 ──ごめんね、パパはここから出れないの




 どこからともなく、女性の声が響く。




 ──お父様がここに存在できているのは、ある『呪い』のおかげ。だから、わたし達からは離れられないわ




 これは……誰の声……?

 パパ……? お父様……?


「エレーヌ、帰ってきたの?」


 青ざめながら、カミーユは誰もいない空間に蒼い視線を向ける。


「……ああ。……そういうこと……」

「えっ、何? いきなりどうしちゃったの?」


 私の問いかけには答えず、カミーユは部屋の一点をじっと見つめ続ける。


「……カミーユ、きみ、まさか……」


 ポールが何かに気付いたように、目を見開く。


「待ってたんだよ。エレーヌ」


 私達が狼狽えるのなんてお構い無しに、美麗な顔立ちが、恍惚とした笑みを浮かべた。


「僕は君を、永遠に許さない」


 慈しむような、優しく、穏やかな声で。

 カミーユは憎悪を吐き捨てた。


「君だって、そうでしょ?」


 部屋の奥。

 誰もいなかったはずの空間に、「誰か」の気配を感じる。


「「絶対に、逃がさない」」


 男と女の声が、重なった。


「ごめんね、また来てよ。移動はできないけど、話ならできるから」


 首からダラダラと血を垂れ流し、カミーユは何事も無かったかのように……いや、むしろ、笑っていた。


「モナミくんがいれば、また『ここ』に繋げてくれるはずさ」


 目の前に、金髪の女がいる。

 首にロープが巻かれ、足首も手首も縛られた女。


「でも……今は、逃げた方がいいかも。『彼女』は嫉妬深いから」


 カミーユの声が、いつの間にか足元から聞こえる。

 下を見ると、亜麻色の髪の生首がゴロンと転がり、蒼い視線をこちらに向けている。青ざめていたはずの頬は薔薇色に色付いて、口角も、悦ぶように吊り上がって……

 あれ。なんで、私、身体が動かないんだろう。声も出ない。

 金髪の女性に睨まれ……あれ、何? あの人、遠くにいるの? それとも、近くにいるの……?


「……ッ! エレーヌ、ぼくだ! ポールだよ!」


 ポールの声がする。


「オリーヴはぼくの恋人だ! ……間違いなく、ぼくを一途に思ってくれる人だよ!」


 金髪の女の唇が動く。


 ──ホントウニ?


 ほんの少しだけ、身体が動かせるようになる。声は、まだ出ない。

 やばい。これ、間違っちゃいけないやつだ……!

 必死にこくこくと頷くと、身体がぐらりと揺らめき、扉から外に放り出される。ポールがしっかりと抱き留めてくれたから、転ばずに済んだ。


 いつの間にやらアトリエは姿を消し、闇だけが目の前に広がっている。


「…………まあ……なんつぅのか……。お似合いのカップルになったんだな……」


 レニーが遠い目で呟く。

 レオナルドがその横でぽん、と手のひらを打つ。


「オレ、これ知ってる。SMプレイじゃね」

「いや、違うだろ」

「マジ?」


 凄まじい情念を見たのは間違いないけど……あの現象を正しく言葉で言い表すことなんて、できるのかな。

 ……少なくとも、SMプレイは違う気がする。


「……これが、芸術だよ」


 ポールは、愕然としながら、手の中の人形を見つめていた。


「彼は、極地に至ったんだ……」


 ライムグリーンの瞳に浮かび上がるのは、かつてと同じ視線。

「こんな作品を、作れない」……そう、呟いた時の……。


「ポール」


 名前を呼び、手を握る。


「『息吹』は、間違いなくポールにしか作れない作品だったよ。……焦る必要なんかない」


 もし、自分の作品より上手い作品があって、それがポールの希望を奪うきっかけになったのなら、あまりに悲しいことだ。

 カミーユはきっと、ポールの希望を奪うために絵を描いたわけじゃない。彼は自分の中の抑えきれない感情を作品にぶつけただけ。そして、それがポールを圧倒するほどの出来だっただけ。……ポールが絶望する必要なんか、これっぽっちもない。


 それに、私からしたら、ポールの作品だって全然負けてないんだから。

 技術の巧拙で言ったらカミーユの作品に軍配が上がるかもしれないし、「凄い」のはカミーユの作品かもしれない。……だけど、少なくとも私は、ポールの作品が好きだ。


「……オリーヴ」


 ポールの視線が、私の方に向く。


「違うんだ」


 ライムグリーンの瞳が、つらそうに揺れ動く。

 ポールの唇は何度も言葉を発そうとし、飲み込んだ。


「……ぼくは……」


 表情が、不安定に崩れていく。

 瞳を見開き、ガタガタと震える姿は、「ポール」と言うより……


「ぼくは……『私』を……直視できなかったんだ……」


「ヴァンサン」らしき声音が、震える声に滲んでいた。

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