第23話 境界

「そんなに警戒しなくていいってば」

「ひっ……」


 ヴァンサンはすっかり怯えてしまって、対話をしてくれそうにない。


「こ、来ないでください……」


 ガクガクと震えながら、ヴァンサンは壁を伝って扉の方へと逃げる。さっきまで喧嘩を売る余裕すらあったのに、一体どうしたの……?

 困り果ててレニーとキースの方を見れば、レニーは肩を竦め、キースは難しそうな顔で腕を組んでいる。ちなみにレオナルドはまだ爆睡中。


 そうこうしてる間にヴァンサンは扉に辿り着き、開けて外へ出ようとする。


「ただいま」


 と、ちょうど帰ってきたマノンが扉を開け、ヴァンサンと鉢合わせた。


「えっ?」

「────は?」


 二人の身体がぶつかり、倒れ込む。

 ちょうどヴァンサンの手がマノンの胸に当たり、ヴァンサンはさぁっと青ざめた。


「……っ、てめぇ……」


 マノンは鬼のような形相でヴァンサンを睨み、胸に当たった方の手首をぎりぎりと捻り潰しそうな勢いで掴む。

 一方、ヴァンサンはというと……


「……おい、大丈夫かアレ。生きてるか?」


 レニーが思わず身を乗り出す。

 あたしがそろそろと近づくと、ヴァンサンは顔面蒼白のまま気絶していた。

 ……うう、先が思いやられる……。




 ***




 起きたレオナルドが失神したヴァンサンを担ぎ上げ、レニーと共に別室へ。

 一応半死半生だということもあって、マノンが休んでいた部屋で様子を見るらしい。

 キースはというと、ドアの近くに立ち、部屋の中を見張っている。


「……気絶するほど怖い怒り方してた?」

「訳アリみたいだしね……」


 怪訝けげんそうなマノンには、苦笑で返しておく。


「ポールの弟、だったっけ。全然似てなくてびっくりした」

「……そうだね」


 ポールはおっぱい好きだしね。

 自分にも欲しがるくらいには……。


「むしろ、真逆でしょ。暗いし……」

「そうかな。似てるとこもあると思うけど」


 怯える顔とか、結構似ている気がする。

 あと、本音を話しているようでいて、核心については上手く言えないところとか……。


「……あれ? 初対面だったんじゃ?」


 マノンに怪訝そうな目を向けられて、思わず誤魔化してしまう。


「ま、まあ、色々あったの! 気にしないで!」


 いや、別に言っても良かったんだけどね? 恥ずかしいっていうか……なんて言うか……。

 ポールは私と付き合うまで恋多き男性……じゃないか、えっと……中性? 無性……? 要するに恋愛経験の多いタイプだったわけだし、マノンが元カノとかだったらすごく気まずい。


「あいつ、恋愛はさっぱり割り切ってる方だから、もし言い寄られたなら自分のスタンスとの違いを確認しといた方がいいよ。同じスタンスなら合うだろうけど」

「……く、詳しいね」

「友達が付き合ってたからね。そこらへん、彼女はもっと酷くて……手の切り方が雑だったし気まぐれだし、ポールのことも何週間くらいで飽きたんだっけ」


 そういえば、ちょっと前に「エレーヌと付き合ってた」とか何とか会話してたっけ。でもそれはそれで気まずいかな!!

 ロデリックに怖いとか言ったけど、なんやかんや私も嫉妬深い方だし!!


「……まあ、そんな子だったからあんな死に方したんだろうね」

「えっ?」

「ノエルに殺されたんだよ、私の友達」


 そうぼやいたマノンの顔は、先ほどの表情と打って変わって、憎悪や怒り以外の感情のほうが強いように見える。

 少なくとも……「復讐したい」と語った時に比べれば、ノエルに向ける感情より強い「何か」があるのは明白だった。


「馬鹿だよ、あいつ。でもね、後悔しなかったってのも、なんかわかっちゃうんだよね。そういうのも含めて、楽しむ子だったから」


 マノンは俯いたまま、ぽつりぽつりと語る。


「そういうとこ、私も大嫌いだった。……だけど、そのぶん自由な子だったから……憧れてもいたよ」

「仲が、良かったんだね」

「仲が良いってより腐れ縁って感じだけど。エレーヌが死ぬ前あたり、私も色々あったから……本当のところ何があったのかはわからないし」


 はあ、と溜息を漏らしつつ、マノンは教会の椅子に腰を掛ける。


「だから、その『本当のところ』をノエルに聞きたかった」


 どこか遠くを見つめるように、マノンは語る。


「エレーヌにどれだけの罪があったのか。……殺される理由があるのはわかりきってるけど……誰に、どんな恨みを買ってたのかは、せめて知りたい」


 そこまで語って、マノンは「まあ、我慢できなくてボコボコにしちゃったんだけど」と自嘲気味に笑った。

 何だろう。どこかで、関連する情報を見たことがある気がする。

 私が読んだ情報は名前も地名も仮称で、だけど、ロデリックが出した「あの本」に、確かに書いていた。


 狂おしいばかりの愛憎。私には理解できない、「殺意」という形の愛。


 ──ぼくは


 関係ないはずのポールのセリフが、にわかに蘇る。


 ──こんな作品を、作れない


 金髪の女性が描かれた絵の前で、ポールは青ざめた顔で呟いていた。

 尊敬と、畏怖と、諦観が混ざり合った視線が向けられる先。タイトルは何だったかな、神か悪魔かそんな感じだったような……。


「……エリザベス?」


 ドアの入り口に立っていたキースが、声を上げる。


「どうしたんだ、エリザベス」


 その瞬間、がたりと大きな音を立て、彫像が動いた。

 ……待って。彫像が、動いた……?





 ──出ていきなさい!!!!!!





 頭の中に、直接「叫び」が反響する。

 な、なに? どうしたの、いったい……?


「エリザベス、落ち着け。僕にもわかるように説明を……」


 照明が明滅する。




 ──気づかなかった。おお、何ということ……


 ああ、ワタシとしたことが! 招き入れてしまうとは!

 神よ、我々をお救いください……いいえ、いいえ、神はワタシを救ってくださらないのでしたか?




 脳内に直接染み渡るように、女性の声が反響する。

 キースは頭を押さえつつ、しきりに「落ち着いてくれ」と叫んでいる。


「そりゃあ、気付かないよ。ぼく、何も悪いことしてないもん」


 彫像の影に、いつの間にか、「何か」がいる。

 人間? にしては、大きい。ポールを襲った影に似ている、ような……。


「悪いやつは、滅びちゃえばいいんだ」


 違う。一つじゃない。影の背後にも、誰かがいる。

 スカートを履いた……黒髪の……あれは、女の子……?


「ぼく達は正しかった。間違ってるのはおまえ達だ」


 マノンの方を見ると、青白い顔をして固まっていた。

 私と同じように、状況が掴めていないのかもしれない。


「キース、ブライアンはどこ?」


 知らない名前が、少女? の口から飛び出す。


「……知って、どうするつもりなんだ」

「どうしようかなあ。おまえも分かってくれそうなヤツだけどさあ……ぼく、おまえのことキライ」


 少女がそう言い終わるや否や、キースの腕が教会の床へと落ちた。


「……なんだ、やっぱり偽物なんだ」


 落ちたキースの腕は、黒い霧となって消え、切り落とされた傷口に集まっていく。

 痛みを感じているようにも見えない。


「死者だから? 便利だねぇ、それ」


 キースは無言で銃を構えると、少女に向かって突きつける。


「どうだか」


 切り落とされたはずの腕は、既に元の場所に戻ってきている。


「自我も、記憶も時折不安定になる。僕が誰なのか……時々、わからなくなるんだ。コルネリス・ディートリッヒという忌まわしい名前も……キース・サリンジャーという理想の偶像も、ふとした瞬間に失われそうになる」


 キースの声が、銃を持つ腕が、小刻みに震えているのがわかる。


「それでも……執着と、後悔と、未練が僕を僕たらしめる」


 執着、後悔、未練……それらはきっと、上手く死にきれなかった魂たちに必要で、上手く死にきれなかった原因でもあるモノ達だ。


「僕は、今度こそ、正義を貫いて見せる」

「ぼくが悪だって言うの?」

「さあ……それは、僕が判断することじゃない。それでも、君がここに不当に侵入したのは事実だ」


 少女は不機嫌そうに「あっそ」と呟き、左手を振り上げる。

 左手に握られた何かがきらりと光る。……あれは、刃物……?


「僕には、迷い込んだ生者を保護する役目がある」


 銃声が鳴り響く。

 気付けば少女も影も、どこかへと消え失せていた。

 彫像も、変わらず元の場所にある。


「……ごめん、怖い思いをさせたかな」


 恐る恐る、キースのほうを見る。

 右肩から先が失われた状態で、キースは平然と立っていた。


「また、腕が……」

「僕は元から肉体を持たないし、気にしなくていいよ。ただ……『持っていかれた』となると、補うには少しだけ時間がかかるかもしれない」


 傷口……と、呼んでいいのかもわからない。

 断面は闇に包まれ黒いもやが渦巻いていて、そこに大気中の「何か」が集まってはじわじわと腕を形作っていく。


「……アドルフみたいだな、この姿……」


 キースはそうぼやきつつ、またドアの近くに立った。マノンは青ざめたまま、一言も話さない。

 何が起こったのか、私にはよくわからない。それでも、思い知らされたことはある。

 生者と死者の違い。……ポールと私を隔てる、明確な差……。

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