第15話 題名:2016 ……?
ここ数日、時間が空けば、ロバートから送られてきた原稿を校正しているように思う。
別にそのままでも読めるといえば読めるが、俺にだって作家としてなけなしのプライドってもんがある。……別に、暇なわけじゃない。何かしてねぇと怖いのは……まあ、ちょっとだけある。
「答えなければならないとわかっていても……。……あ?」
メールの文章は妙なところで途切れていた。とりあえず、その箇所まで書いて席を立つ。……腹が痛くなってきた。
***
夏もさらに近づき、季節の変わり目だからか街の空気は余計に荒れている。
かくいう僕も例外でなく、焦りと、理由もはっきりしない恐怖感に取り憑かれていた。どんよりとした空気は、確かに気のせいじゃない。足元に絡みつき、肩にものしかかる。この街は、やはり何かがおかしい。
そんな時、何度も見かけていた自称芸術家に声を掛けられた。こちらから話をしようとしても、不機嫌そうにどこかへ行くことが多いのに。
「……何?」
「あはは、嫌そうな顔」
何故か機嫌がいい。その割にはどことなく落ち着いているようにも見える。というか暗く重い雰囲気を纏いながら、優しく穏やかな微笑みをたたえて……
やけに、ゾッとする。
「警戒してるなら立ち話でもいいんだけどさ、君……何で人を殺しちゃいけないと思う?」
「……は?」
相手は、整った美貌に胡散臭い笑顔を浮かべたまま僕の返事を待っている。
この絵描きとは、実は嫌味の応酬でなら話しやすい。……今のように暗い海の底のような瞳で見つめられると、思わず身がすくんでしまうけど。
答えなければいけないとはわかっていても
「……罰があるから、じゃない?」
僕にも持論があった。
「……へぇ」
……どうやら、僕は、彼の興味を引いてしまったらしい。いや、いずれそうしないといけないとは思ってたんだけど。
「具体的には?」
「歴史的観点から見るに、人は闘争本能を制御できずに大義名分を求める。けど、逆に言えば「身を守る大義名分」を得ることも簡単。それが時に宗教であり、法律であり……「正義」という価値観なんだと思う」
手汗が止まらない。何となく、「Sang」の絵を思い出したけれど、年齢からして違うはずだよね。そうだよね。……たぶん。
「……君、キースって名前似合わないね」
低く、冷たい声が背筋を凍らせる。
「でも、概ね同意かな。一つ付け加えるなら……」
口角が、歪むように釣り上がる。
「殺しちゃいけない理由を、ややこしくああだこうだと説明し出したせいで人間は「生物的な本能」から目を背けだしたのさ。だからこそ、法律の隙間から人を殺し出す」
完全犯罪、という言葉が頭をよぎった。
「そして、その罪は決して可視化されない。死体が積み上がっていたとしてもね?」
「……え、何で」
勿体ぶった、大げさな喋り方をするくせが彼にはある。舞台の上に無意識のまま引きずり込まれてしまうのは、彼の浮世離れした容貌だけが原因だとは思えない。
「簡単だよ、自殺や病死、衰弱死は他殺と見なされないからさ」
彼が一歩近づく。後ずさりは出来ない。
「この世界は、完全犯罪だらけだよ」
一瞬で笑顔が消え、真顔になる。引きずり込むような瞳に目が逸らせない。
「キースなら、考えた挙げ句「そんなの殺しちゃいけないのが当たり前」とかほざいてたね。……ロバート・ハリス君……だっけ?」
唾と疑問の言葉を飲み込み、思考を回転させる。
……ロッド兄さんの言葉を思い出した。
「RかAのつく名前には気をつけろ」
身元は普通に調べられたし、洗礼名を含めてもカミーユ=クリスチャン・バルビエは確かに掠りもしない。でもこの人……もしかして偽名とかじゃ……
「簡単に信じないところを見ると、君はまだ長生きできそう」
マニキュアの塗られた手が差し出される。
「あはは、気が早いよノエル」
苦笑して……左手に語りかけている。
……差し出されていない方の右手にはマニキュアが塗られていない。
あっ、この人やばい人だ。
「……君、何者?」
「それは、関わってからのお楽しみ、かな?」
優美に笑った彼の口から、違う声色が飛び出した。
「そんな悠長なこと言ってる場合なの!? いい加減人間的なコミュニケーション能力磨きなさいな!」
……空気がピシッと凍る。
「……ごめん、ちょっとこの辺りに身投げできる建物ないかな?」
「えっ、ご愁傷さま?ㅤそれともドンマイ?」
キース・サリンジャーの足跡を辿る役目を請け負ったことを 、心の底から後悔した。
「ロッド兄さん!!ㅤカミーユって人頭おかしい!!」
『ノエル・フランセルとはメル友だ。カミーユさんの左腕が主に依り代らしい』
「待って、何で平然としてるの!?」
『……お前もジャンヌダルクが恋人だろ』
「僕はジャンヌより素晴らしい女性がいたらその人と付き合うよ!!」
***
戻ってくると、いつの間にか文章が増えていた。ロバートと電話で話したくだらない内容まで書き込まれている。
思わずため息が漏れる。……いつまで続くんだよ、これ。
疲れ果てた気分のさなか、届いたメールには再び「調書」と書かれていた。
もし失ったものが帰ってくるのなら、いくらだって過去に向き合えただろう。
取り返しのつかない悲劇を覆せるのなら、そんなことが本当にできるのなら、縋りついていたかもしれない。
だけど……今更、こんなふうに突きつけられるとは、夢にも思っていなかった。
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