第38話

 案内されるままその広場に出た瞬間に、そこでの光景が目に入った瞬間に。

 フレイは確信した。

 あの地竜がこじ開けようとしている場所にテツがいる事を。

 カッカッカ! と不愉快な鳴き声が耳に入る度に全身に怒りが巡る。

 口から漏れる白い息は、怒りに煮立った蒸気そのもののように思える。

「私の槍をもて」

 だがその声は聞いた者を射竦いすくませる程の冷たさで満ちていた。

 フレイに慣れ親しんでいる近衛兵団の兵士達でさへそれは同様だった。

「はい、姫様」

 結成以来、正面きってはついぞそう呼ばれた記憶の無い呼称に、彼らの畏怖を感じ取った。

 渡された鉄製の槍の重心を確かめながら、フレイは槍を持ってきていた幸運に感謝する。

 剣では無理だっただろう。

 だが槍なら出来る。

 フレイは自分が今からする事が、必ず成功するという確信を感じていた。理屈は無かった。

 だた結果だけが先に分かっていた。


 混玉の王家クロファース、その遺伝子が結実した最高傑作は一つの意思の元にられにられて束ねられた。

 全身の筋肉はまさにオーガのごと膂力りょりょくを発揮し、五感はエルフの如く鋭敏えいびんさを示し、全身の神経はドワーフの繊細せんさいさでそれらを束ねた。

 駆け出し、助走を付け、全身を弓のようにしならし、全ての動きは余すこと無く力を腕へ手へ指先へと伝えていく。

 裂帛れっぱくの気合いと共に喉から振り絞られた雄叫びは、もはや言葉では無く只の音だった。指先から槍が離れる瞬間に、穿うがつその結果を見た。

 フレイはただ知っていた、自分の投げた槍は竜の鱗を穿つのだと。


 その雄叫びは洞穴の入り口を押し広げようとしていたレトゥラトスを我に返させるのに十分な迫力を持っていた。

 全身を戦慄わななかせる危機感に竜の矜持もかなぐり捨てて必死に身をよじり顔を背けた。

 一瞬でも躊躇していればそれはレトゥラトスの頭を貫いていただろう。レトゥラトスは刹那の安堵を感じ、次の瞬間に激痛にのたうち回った。

 左前足の付け根にそれが刺さっていた。

 人間の使う槍だ。

 レトゥラトスは信じられなかった。

 自分の鱗がこんな物に貫かれるなど。

 痛みと矜持を傷つけられた事にレトゥラトスは怒り狂った。


 人の身でありながら竜の鱗を穿つという偉業を目の当たりにしたヴォラ・サムソン子爵は、感動のあまり危うくその場でひざまづきかけた。

 そうならなかったのはレトゥラトスが今までとは違う木を激しく擦り合わせたような、不愉快な鳴き声を上げたからだ。

 忘我ぼうがから立ち直ったヴォラは直ぐさま兵達に命令を下した。

「姫様をお守りしろ!」

 サムソンはそう命じながら駆けだした。

 サムソンはフレイの盾となるつもりだった。竜の鱗を穿つそれはまさに奇跡のような技だ、だが人の身は竜の牙の前では余りに脆弱ぜいじゃくである。

 なんとしても姫様の身をお守りするのだ、そして一刻も早く御退去して頂く。

 見よあの竜の顔を。

 衝撃と痛みから立ち直った地竜の顔は、種族の壁を越えてそれが尋常ならざる怒りを抱えている事をありありと伝えていた。

 あの牙を、爪を姫様に届けさせてはならぬ。

 駆け寄るサムソン達の足を止めたのは、そのフレイが掲げた右腕だった。

 条件反射的に足を止めてしまったサムソンにフレイが声をかける。

 その声は地竜の怒りを一身に受けている事など歯牙にもかけぬ落ち着き払った声だった。

「余り近づくな、怪我をするぞ」

 サムソンの目の前で彼女は今から起こる事が分かっているかのように泰然たいぜんとしていた。

「見逃すなよ?」

 何を? サムソンがそう問う前にそれは起こった。

 突風が巻き起こりサムソンは一瞬だけ目を閉じた、歓声が巻き起こる。

 何事だ? 何が起こった?

 サムソンが顔を腕で庇いながら目を見開くと、それは――。

 幻想だった。

 ヴォラ・サムソン子爵は夢を見ていると思った。自分はきっと実はまだ幼い少年で、一日中剣の稽古をしクタクタになってベッドで横になって夢見ているのだと。

 そうでなければこの光景が信じられなかった。

 これはまるで、騎士に憧れる少年が夢見る光景ではないか。

 竜に跨がり剣を掲げる騎士、サムソンの目の前には在りし日の少年の夢が体現されていた、テツ・サンドリバーによって。

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