第39話
竜の囁きに引きずられるように洞穴の入り口へと振り返ると同時に、レトゥラトスの不愉快な悲鳴が洞窟内に響き渡った。
瞬間、テツは背後の寄士竜が
ああ、いや違う。
笑っているのは俺か。
テツは確信していた。
どうしても、なぜも、無かった。
ただレトゥラトスにこの悲鳴を上げさせたのは、フレイ・クロファースだという確信だけがあった。
理外の感覚だった。
背後で寄士竜が鳴いたとテツは思った。
それは現在では明確に生物学上の事実として否定されているが、テツは鳴くことの無い寄士竜の鳴き声を確かに聞いたと後に書き記している。
振り返ると竜と目が合った。
それから気が付くとテツは寄士竜に
ふと在りし日の廊下を思い出す。
銀の髪を持つ美しい少女に手を引かれて歩いたあの長い廊下を。アイツもこんな風にこちらの都合など構いもしなかったな。
懐かしい理不尽さに笑みすら出た。
一瞬の浮遊感を感じた後、テツは奇妙なほどすんなりと竜の背に跨がった。
そして当然のように剣を抜き掲げた。
テツはそれがたいして役に立たないと理解していた。だが竜がずっと囁くのだ。
自分と一緒に戦ってくれと。
ならば騎士である自分が剣を抜くのは当然だろう。何せ竜とは騎士の魂だ。
それに――。
「無茶ブリには慣れてる」
テツは当然のようにそこに居る、フレイに向けてそう言った。
高揚感は一瞬で
穴から出ると同時に寄士竜が勢いそのままに後ろ足で立ち上がり、左前足をレトゥラトスの顔へと叩きつけるように振り下ろしたからだ。
生身の動物同士がぶつかり合う音とは思えない轟音がテツの耳を突く。
もしこれがフレイの身の上に落ちればと思えば冷静にもなる。
テツが一瞬で現実に立ち戻りながらも、振り落とされないように必死に両足に力を込めていると竜の表皮が変形して足を固定してくれた。
落ちずにすむ、という安心感よりも逃げられなくなったという不安が先にたった。
寄士竜とレトゥラトスが激しく位置を入れ替えながらぐるぐると円を描くように間合いを計るなか、テツは辺りを見回す。
キラキラとした目でフレイがこちらを見ているが、他の兵達は呆然としているようだ、サムソンも呆然としているのだから反応としてはそちらが正しいのだ。
戦場でクロファースを探すのは簡単だ、一番頭がオカシイ奴がクロファースだ。
誰ぞが言ったそんな言葉を思い出す。
「サムソン!」
テツは二匹の竜に負けないように目一杯叫んだ。
「フレイを下がらせろ!」
テツのその叫びに釣られるようにレトゥラトスが長い首をしならせて噛みついてくる。
それを片前足の無い寄士竜が器用に捌いて
彼らも味方なんだと、テツは声に出さずに囁き返すと竜が不満を引っ込めてくれた。テツは自分の囁きが竜に通じた事を不思議なことに当たり前に受け入れた。
サムソンと
その視線がフレイに届くと、テツは安心して目の前の戦いへと集中できた。
それは寄士竜に囁きが届く以上に不思議は無かった。テツは当たり前にフレイに意図が通じたと思った事に、何の疑問も感じなかった。
ふむ、いやしかし――。
二匹の竜が互いの爪と牙で牽制しあう光景を前にテツは思った。
これ、俺がここに居る必要はあるのだろうか?
視線が自分に届いた瞬間、フレイは自分がすべき事を理解した。
成る程、テツめ、後で私の
両腕を掴むサムソンと兵に視線だけでその腕をとかせると、フレイは有無を言わさぬ迫力で命令を出した。
タイミングが命だ。
テツは寄士竜の背中で必死にそのタイミングを探った。
三本の足だけで立ち回る寄士竜は、明らかにレトゥラトスよりも不利だった。
動きでも、攻撃でも守勢にまわる事を強いられている。
上手くレトゥラトスの攻撃を避け続けているが、避けきれない攻撃で傷が増え続けている。
頑丈さで言えば城壁にも例えられる竜であったとしても、相手が同じ竜種の牙と爪相手では話は違ってくる。
生きた竜の爪や牙は地球上で最も鋭い刃物の一つだ。
最も鋭い箇所では黒曜石のナイフに迫る、つまりは単分子カッターに近い鋭さを持つ。
それら牙や爪で攻撃され続け、深い傷は無いものの寄士竜の動きは精細さを欠きはじめていた。
テツは焦りを感じ始めていたが、寄士竜が自分の意思を汲んで辛抱強く立ち回ってくれているのが分かっていたので奥歯を強く噛みしめ、機をうかがい続ける。
元より三本足の不利を背負うからなのか、それとも自棄を起こしているのかは分からなかったが、この寄士竜は自分に賭けてくれている。
テツはそれに応えたいと素直に思う。
失敗するわけにはいかない。
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