第37話

 ボンヤリとした淡い燐光の中、その陶器か大理石を思い起こさせる白い表皮が怪しく光を照り返す。

 宝石のような瞳が薄暗闇をすかしてテツを静かに観察しているのが分かる。

 その巨体は、まさしく寄士竜きしりゅうと呼ばれるに相応しい、竜寄士りゅうきしが駆る竜の物だった。

 近衛兵団が使う寄士竜を矮小な紛い物だと貴族が言うその理由をテツは理解した。

 人型である時はある種の工芸品か、芸術品の類いのようにしか思えない偉容だが。

 人を寄生させる時のような、人型ではない寄士竜のその偉容は見る物に単純に畏怖と畏敬の念を抱かせるだけの説得力があった。

 確かにこれを見て育ったのなら、俺達の寄士竜を紛い物だと言いたくなる気持ちも多少は分かるな。

 テツはじっとこちらを見てくる寄士竜を見てそう思った。

 だが、その寄士竜は傷ついていた。

 白い陶器のような表皮には幾筋もの傷が走り、更には右前足においては人間で言う所の右肘より先が無かった。

 傷は古い物ではないが、血を滴らせた生々しい物でもなかった。あるべき物がない右前足の傷口は人の物とは違う薄緑色した半透明の瘡蓋かさぶたのような物で覆われていた。

 狭い洞穴にその傷ついた巨体を起用に潜める竜の姿を見て、テツはこの森で何が起こったのか、大凡おおよそを察した。

 恐らくこの寄士竜はあのレトゥラトスと戦い敗れたのだ。

 どういった戦いかは分かるぬが、その戦いの過程で寄士竜は右前足を失い、そしてクボ大森林の奥地からここまで逃げて来たのだろう。

 だがレトゥラトスも諦めなかったのだ、しつこく森の奥地から追ってきたレトゥラトスから逃れる為に寄士竜はゴブリンの巣穴へと逃げ込んだのだ。

 ゴブリン達は慌てふためいただろう。

 何せ竜が自分達の巣穴を乗っ取ったのだ。

 しかも外に出れば、そこには別の竜が待ち構えていたのだ。

 巣穴を逃げ出さねばならなかったゴブリン達はさぞ困っただろう。

 巣穴にも戻れずかといってレトゥラトスがうろつく森では満足に餌も集められない。その結果、飢えて人の村を襲ったゴブリン。

 そのゴブリン達もやがてレトゥラトスに狩り尽くされて広場のオブジェへとなりはてる。

 ゴブリン達も良い迷惑だなコレ。

 とテツは思うが、同情までには至らない。

 希にではあるが人にまで被害が出るゴブリンはこの時代では狼と並ぶ害獣であり、十五世紀終盤のイギリスでは法律により狼とゴブリンの討伐命令が出ており十六世紀半ばまでにはイギリスではゴブリンと狼が絶滅している程だ。

 自然保護などの考えが希薄な時代である、テツも村が受けた被害を思うと、先程の感想も同情というより諧謔かいぎゃくからの物だ。

 テツは慎重に、ゆっくりとした動作で寄士竜へと近づいていく。

 寄士竜は人を襲わない、というより竜種の殆どは人に危害を加えない、と知ってはいたが傷ついた野生動物である事に変わりは無い。

 普段は襲わなくても今はその限りではないかもしれない。

 テツはまるで背後で暴れるレトゥラトスの事など忘れたかのように、ゆっくりと慎重に寄士竜へと手を伸ばす。

 それは少年らしい憧れからだった。

 少年なら誰もが一度は憧れる、あの竜寄士が駆る竜に触れてみたい。子供じみてはいたが、この時代の男子にとってそれは抗いがたい欲求であった。

 そっと鼻面に手が触れると、柔らかく暖かい鼻息が顔を撫でる。

 寄士竜はテツが触れるのを嫌がるそぶりも見せずにそっと受け入れていた。

 ふとテツは悔しく思う。

 こんなにも美しい生物の腕を奪うなんて、と。

 それと同時にテツは自分以外の意思を感じた。

 それと気付いた瞬間にテツは感動した。

 竜は人と意識を交わす事がある。

 竜寄士はそれを好んで竜がささやくと呼んでいた。

 これがそうなのか、テツはその奇妙な感覚に言葉にならない感動を覚えた。

 近衛兵団の竜達は兵達相手には囁くが残念ながらテツには囁いてくれる事はなかった。大きさが原因のなのか他に何か理由があるのかは分からなかったが、テツは表には出さなかったものの、それを大変残念に思っていたのも事実だ。

 テツは竜に初めて囁かれた事に感動しつつも、送られてきたその囁きに驚いてもいた。

 憎悪に近い怒りと深い悲しみだ。

 言語ではない概念を直接渡されるようなその感覚はテツを酷く狼狽させた。

 あのレトゥラトスが憎い。

 竜の囁きに引きずられるように、テツは背後へと視線を向けた。


 レトゥラトスは歓喜した。

 獲物が消えた穴の中から、濃密な魔石の匂いが立ち上る。

 これは自分が逃したあの獲物だと直感する。

 なんという幸運だろうか。

 一度は逃したと思った獲物にまた出会えるとは。

 こうなるとレトゥラトスは何としても、この邪魔な岩をどうにかしなければと必死になった。

 岩は自分の牙と爪でどんどんと削られていく。

 必死になって岩を削るレトゥラトスは気が付かなかった。

 それに気が付いたのは、銀の炎をが雄叫びを上げた時だった。


 ヴォラ・サムソンは洞穴の入り口に向かって牙を打ち付ける地竜、その光景に唖然とした。

 そしてこう思った。

 無理にでも王国軍から魔法使いを近衛兵団へと引き抜くべきだったと。

 長い騎士生活においてヴォラはこの日初めて寄士竜以外の竜種を見た。

 それは書物や人の口から語られる以上の衝撃をヴォラに与えた。

 竜退治と言えば物語の定番である、英雄は竜を退治し宝と美女を得る。だがヴォラの知る限り竜を退治するのに必要なのは兵の犠牲と魔法使いだ。

 時には何百人もの兵を犠牲に竜を足止めし、その間に魔法使いが魔法で仕留める。

 それがヴォラ・サムソンの知る竜の退治方法だった。竜寄兵なら犠牲は出るだろうが、この数でも十分な時間を稼げただろう。

 だがしかし、この場に魔法使いはいないのだ。

 ヴォラは決意した、竜寄兵の何名かに命令し無理矢理にでも姫様を安全な場所へと逃がすのだと。

 多大な不興を買う事になるだろうが、致し方ない事だ。

 だがしかし一度は説得を試みても良いはずだ、幸い竜はこちらにはまだ気が付いていない様子である。

 ヴォラはフレイの背に向けて口を開こうとし、そして射竦いすくめられた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る