第11話 テツ・サンドリバーはかく思う
黒腕、銀の短剣、恥知らず、腰巾着、彼の名に付く二つ名は多彩である。だがもし彼に最も
被害者テツ・サンドリバーと。
『バルハドリー子爵の日記より抜粋』
荷馬車に竜が乗せられていく。
鎧ごと板状にコンパクトに畳まれる竜の姿は、その変形に付き合える鎧を造るドワーフへの
そして竜を馬車に積み込んでしまえばそこに残るのはガラの悪い少年少女で構成された近衛兵団だ。
さぞビックリしただろう。
テツ達フレイ近衛兵団はスタト攻略を終えると素早く撤収の準備を開始していた。
ファンガス伯などはフレイに感謝しているようだったが、他の貴族からすればフレイのした事は臣下の手柄の横取りにしか見えなかっただろう。
不満も大きい。
だが彼女は主君の娘だ、その不満をぶつけるワケにもいかない。そうなれば手近にいるのは平民で組織された近衛兵団だ。
こんなトラブルの匂いしかしない場所はさっさと逃げるに限る。
そういうわけでテツ・サンドリバーはハクソン侯爵等が後始末に追われるウチにさっさと逃げ出す事に決めたのだ。
もっともそれに不満を持つ者もまた居る。
逃げ出す原因を造った本人である。
「ハクソン侯爵のあの顔をもっと見たかったのに」
そうフレイが愚痴る。
今は黒い鎧では無く動きやすいシャツとズボン姿である。地味な装いであるが、着ている人間がこれだけ綺麗だと服の良し悪しは二の次以下になるのだな、とテツは思う。
名目上はテツと一緒に撤収作業の指揮を取っている事になっているはずだが本人は指揮をテツに丸投げし、ひたすらに愚痴っている。
「まぁ確かに侯爵様のあの顔は面白かったな」
荷馬車へと竜を乗せたり、荷物を纏めたりと忙しくしている兵士達の間を歩きながらテツが同意する。
確かにあの顔は面白かった。
そうであろ? そうであろ? とはしゃぐフレイの顔から目を背け、テツはこいつはもっと自分の笑顔が男には毒だという自覚を持つべきだと考える。
うっかり地獄へ――ハクソン侯爵の顔を見に――行進しそうになる。
「面白かったからさっさと撤収するんだよ、トラブルが起きないうちに」
テツがそう言うとフレイがあからさまに面白くないという顔をしてテツを傷つける。
お前な――もっと俺の苦労を、そう言おうとしたテツの視界に慌てた様子で駆けてくる部下の姿が入ってきたので口を閉じる。
どうやら間に合わなかったらしい。
トラブルの予感にテツが眉間にシワを寄せるとフレイがなぜか嬉しそうな顔をする。
いやお前なんで嬉しそうな顔をするんだよ。
テツはゲンナリとした気持ちで溜息を吐いた。
部下に呼ばれて行ってみれば、そこには意外な顔があった。
ファンガス伯だった。
テツはてっきり誰ぞ文句でも言いに来たのかと身構えていた気持ちを解く。ファンガス伯であれば文句を言いに来たわけではないだろう。
テツとフレイがファンガス伯の前まで進むと、ファンガス伯の丸い体の陰から男が飛び出してきた。
一瞬身構えそうになるテツだったが、男が滑るように地面にひれ伏したので呆気にとられてしまう。
これは一体どういう状況なのだろう。
テツが困惑した顔でファンガス伯の方を見ると、ファンガス伯も困ったような笑顔だった。
その場で困惑していなかったのはフレイだけだった。
「指揮官殿ではないか」
その声は好意的ですらあった。
「はい! はい! 恐れ多くもフレイ殿下に指揮官に命ぜられましたメディスンで御座います」
名前を聞いてテツもその男が誰か気が付いた。
ファンガス伯の兵で街門攻略では一番槍を勤め、更には敵方の大将まで討ち取った功労者だ。
フレイはその男を前に、私が命じたとはどういう事だ? みたいな顔をしている。
その顔を見て、また当時の街門前の混乱を思い出してテツは何となく察しが付いた。
たぶんだが彼は指揮官でも何でも無かったのだろう。それがフレイに勘違いされたものだから落ち着いた今、それを訂正しに来たのだ。
黙っていれば良いものを、と思わなくは無かったがファンガス伯の兵だと思うとそれらしいと思ってしまう。
きっと自分ではどうすれば良いのか分からずに領主に誤解を解く仲介を頼んだのだろう。黙っていれば分からない誤解を解こうとする兵にも、それに付き合うファンガス伯にもテツは好感を持った。
「こ、これ、これをお返ししたく!」
地面にひれ伏したままメディスンが差し出したのはフレイの短剣だった。
嗚呼、うん。
こんな物を渡されたのなら、そりゃ領主に助けを求めるだろうな。
テツは呆れと共に彼らの行動を理解する。
そこらの農民なら二、三代は遊んで暮らせるだけの金が手に入る物だ。どのような理由で渡されたのかは分からないが、これを受け取って平然としていられる人間は少ないだろう。
平然と人にやれる人間はもっと少ないだろうが。
「それを返して貰う理由が私には無い」
まぁそう言うだろうな、というのがテツの素直な感想だった。
「で、で、で」
メディスンが哀れにも呼吸困難をおこしかけている。きっと、ですが、とか何とか言いたいのだろうが言葉になっていない。
「姫様、どうかこの者の望みを聞いては下されませんか」
見かねたファンガス伯が助け船を出すがフレイは首を縦に振らない。
「私は指揮官殿に必要な物を渡したにすぎぬ、それを理由も無く返して頂くわけにはいかぬ」
声は不機嫌なように聞こえるが、これは単に本当に理由が分からないだけだな、とテツは見抜く。
フレイらしいと言えばフレイらしい。
「ですがこの者はあの場では指揮官では無かったのです」
ファンガス伯が諦めずに食い下がる。
「そうなのか?」
とフレイが意外そうに言う。
「えぇ、ですので彼は姫様を欺いたのではと気に病んでおるのです。ですからどうか短剣をお返ししたく……」
「断る」
フレイがファンガス伯の言葉を一刀に伏す。
「その者は指揮官たる勤めを果たしたし指揮官らしくあった。であれば私が指揮官と示すためにと渡したその短剣は正しく使われた、ならば私にはそれを返してもらう理由はない」
その言葉にファンガス伯が数度反論をしようと言葉を
ファンガス伯が、姫様がそう仰られるならと言うと、今だ地面にひれ伏したままのメディスンの肩を優しく手で叩く。
顔を恐る恐る上げたメディスンが、
メディスンは一瞬泣きそうな顔をした後、姫様がそう仰られるなら、と絞るような声で呟いた。
「うむ!貴公は中々によい指揮を執っていたぞ、胸を張るが良い」
フレイはそう言うと、私は撤収の指揮を執らねばならないのでな、と言って歩いて行ってしまう。
アレはもう面倒になっただけだな、とテツは心中で溜息を吐くと。ファンガス伯に頭を下げ、部下の二名にファンガス伯をお送りしろと命令を下した。
トボトボとした足取りで帰って行くメディスンの背中を見て、テツは彼に親近感を感じてしまっている自分に気が付きゲンナリとした顔を一瞬浮かべて
フレイの後を追った。
あの女に撤収などという地味な作業の指揮など出来ようはずが無い。
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