第80話 長い一日でした(前編)

 事情が飲み込めないなりに。

 アゼルは、それほど多くない選択肢の中で、その時点で最も手に取りやすいものを手にした。

 即ち。

 一晩ともに過ごして朝からそのときまでずっと一緒にいたアレクスを選択した。


(わたしが寂しい思いをしないように、ルミナスに求婚するっていうミラクルダイブをかますような王子様! 最終目標のはずのステファノが、横やり入れてきた美女にかっさらわれそうになっていたりしたら、またとんでもないこと言い出しかねない!)


 余計なことを言い出す前に、戦線離脱。

 今にも何か言いそうなアレクスの手を掴んで「行こう」と声をかける。


「いやしかし」

「しかしもへちもない! 行くって言ったら行くの!! 退散!!」


 これ以上の面倒事は嫌!! という強い意志をこめて言ってはみたものの、アレクスはあまり納得のいってない真面目くさった表情で「へちま」と言い返してきた。アゼルは完全に黙殺を決め込んだ。

 ぐいぐいと大の男を引きずりながら部屋を後にしようとしたそのとき、銀髪の少女を抱きかかえたままぼさっとしている赤毛の剣士と目が合う。


「あなたも! とりあえずこの場はひいておきなさいよ!」

「ええっ」


 顔に困惑が浮かんでいる。

 ルミナス感抜群のくせに、記憶は欠落しているこの赤毛にとって、自分は他人。自分だけが一方的に前世を知っているのだと遅れて思い出した。


(忘れている方が悪い!!)


 前世も今生もアゼルの思い人の心をがっつり射止めておきながら、どっちの人生でもふわっふわと浮ついて違う人と恋愛している。そのくせ、なおもステファノを縛ろうとする極悪人。

 アゼルには、クライスを全力で張り倒す権利があるように思えてならない。

 口答えされてやる気なんか、さらさらない。


「あの二人の邪魔したいの!? だったらその腕の中のこっちに寄越しなさいよ!!」

「それはだめ」


 ぎゅっと力を入れて少女を抱え直す。

 アゼルに向けられた凛としたまなざしには、少年のような涼やかさが漂っていて、


(ああ~~そういうところがルミナスなんだってば~~)


 地団太踏みたい気持ちでアゼルは歯を食いしばった。


「わかってるじゃない。両方はだめなの。今この時この場で、どちらかを選ぶしかないの!! あなたはその銀髪を選ぶんでしょ!? わたしはこっちの王子様にしたの!! もう変更はできません!! 取り返しがつかない選択肢なの!! 後はあっちの二人に任せてわたしたちは解散!!」


 やけに肺活量を使うターンだと思いながら、アゼルは辺りを見回す。

 全員ぼんやりしている。

 ひくっと口の端が痙攣した。

 呼吸を整える間もなく、再び声を張り上げて言った。


「ここに解散を宣言する!! 各自撤退!! 異議の在るひとにはわたしが相手になるから!! 殺されても文句言わないでよね!?」


 肩で息をするほどに。

 叫んで叫び倒したところで、アレクスが「わかった」と頷いてアゼルの腰に腕を回した。


「なぜ驚いた? 行こう」

「はい……!?」


 返事はしたものの、突然のやる気に、いまひとつ納得がいかない。

 アゼルに触れたアレクスの手は、優美な見た目に似合わぬ、無骨な硬さ。

 女性と一晩過ごして手も出さない男のくせに、やや強引なエスコートには有無を言わさぬ力強さと甘やかさがあって、そのバランスに胸がツキンと痛んだ。


(このひと、実は結構女性の扱いが上手い。そういえばさっきは普通にクライスに求婚していたし。照れもなく)


 決して、不器用な男ではない。

 そのギャップに、少し困る。


「歩けるから、離してよ。あ、だけど先導してね。この王宮の中でどこへ行けばいいかわからないから。行先はあなたに任せる」


 さりげなく腕から逃れてそう言うと、歩調をゆるめたアレクスが視線を流してきた。


「では私の部屋へ」


 事務的とも思えるさりげない声で、囁かれる。

 アゼルは、表情を殺して「わかった」と頷いてみせた。



 * * *


「そういうわけだから。いなくなって。二人にさせて?」


 腕を組んで、厳しい声で言ってくるロイドに対し、クライスは狼狽してあわあわと口を開いたり閉じたりした。


「そのロイドさんは、はつじょうきで……ええと」


 自分で言いながら顔を赤らめてしまったクライスに対し、ロイドは真面目な顔で頷く。


「そう。殿下と子作りするからおとなしく帰って。それとも、見てく?」


 固まったクライスだが、ロイドの表情がこゆるぎもしないのを見ると、そのまま一歩、二歩と後退した。

 それから、思い出したようにクロノスへ視線を向ける。

 曰く言い難い表情で、クロノスは掌で額をおさえていた。


「あの……、大丈夫? 平気?」


 何が大丈夫で、何が平気か、よくよく考えると誰かに思いっきり失礼になりかねないことを口にしたクライスに対し、クロノスは伏し目がちに視線を向けた。


「差し当たり」


 曖昧無難な返事だった。


「そっか。なら、いいんだ。うん……。困っていないなら、僕ができることってないし」

「なんだよそれ。オレが困っているって言ったら、何かしてくれるつもりあったのか」

「どうだろう」


 戸惑いを隠さぬ返答に、クロノスはひっそりと笑った。


「だと思った。それならそれで、口を出すな。オレに期待を持たせてどうするんだよ」

「期待、した?」


 思わずのように返しながら、クライスは顔を上げる。

 潤んだ水色の瞳。

 クロノスは柔和な笑みを湛え、きわめて優しい声で言う。


「するに決まってるだろ。ばか。あんまりオレを弄ぶな。これでもそれ相応に傷ついて、枕を涙で濡らしているんだぞ」

「ごめん」


 表情から感情を読み取られるのも恐れるかのように、クライスは慌てて横を向いた。


「そういうわけだから。お前と俺は少し距離を置いた方がいいかもしれない。こっちはこっちで話があるから今日のところは帰れ」

「……うん。ごめんね、邪魔して。ロイドさんも……体調悪くないなら、良かったです」


 もぞもぞと言い残して、踵を返す。

 細身ながらも鍛え抜かれた身体を持つクライスは、腕に少女を抱えてもまったく動作にブレがない。

 その凛々しさすら漂う背中に向かって、クロノスは堪えきれずに声をかけた。


「遅かったけど。お前が来て良かった、礼を言う。オレはお前中心に戦略を組み立てるから。姿が見えないと普段より弱くなる。思い知ったよ」

「そんなの……。何もできなくて。待たせてごめん。次は」


 言いながら、クライスは振り返る。

 二人の視線が絡む。


(次は)


 次の戦いがあるなら、二人で戦場に立とう。

 言葉にできなかった思いが互いのまなざしに溢れて、どちらからともなく目を逸らす。


 そのまま、クライスは去った。

 完全に廊下の角を横切って姿が見えなくなってから、クロノスは深く息を吐き出す。

 静観していたロイドの存在を、そのときはじめて思い出したように目を向けて、苦笑した。


「呪いみたいな恋です。幻滅してください。あなたにはもっとふさわしい人がいる」


 組んでいた腕をといて、ロイドは頭を軽く振って長い髪を揺らし、クロノスのすぐそばまで歩を進めた。


「誰を好きでも構わない」


 ほんの少し背伸びをして、クロノスの頬に唇を寄せる。拒否することもなく、クロノスは目を閉ざした。

 ロイドは、そのまま腕を伸ばして無抵抗なクロノスの身体を抱きしめた。


「代わりでもいいし、はけ口でもいい。なんでもいい。どうせ永遠に一緒にはいられないんだ。ほんのひととき肌を合わせて隣にいたいだけ」

「今結構やばいんです。そういう誘惑には負けそう」

「負けなよ」

「悪魔」


 片目を開いたクロノスはすねた表情をしており、柔らかな身体を押し付けてくるロイドを言葉で責める。


「悪魔でいいよ。全部受け止める」


 囁きながら、ロイドはクロノスの首の後ろに腕を回して背伸びをし、唇に唇を合わせる。

 再び目を閉ざしてその口づけを受けていたクロノスであったが。

 不意に、ぱっと目を見開いた。

 ロイドの両肩に両手を置き、軽く掴んで唇を離し、顔をのぞきこむ。


「そういえば、ロイドさん。人間じゃないって言ってましたけど。もしかして、魔族ですか?」

 

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