第81話 長い一日でした(中編)

「好きな人に好きと言って、両想いを確認して。同僚だし、お互いそんなに出世欲があるわけでもないし、のんびりと世間一般の恋人同士みたいなことしてみたいなー。なんて考えていた時代もあったわけ」


 クライスはこのとき、著しく機嫌の悪そうな三白眼で差し出された酒杯をぐいっとあおった。


「時代」


 怨念めいたものものしい言葉を耳にし、酒瓶を片手にしたカインが呟く。


「時代だよ時代。歴史的事実くらい遠い過去なんだけど。おかしいよね、一年もたってないのに。だいたい、ちゃんとしたデートって……一回しかしたことないんじゃないかな……。それでも好きなものは好きだし好きでいられる自信もあったし好きだったから、婚前交渉も辞さない覚悟だったわけ! それなのにさ! 横やり入り過ぎだと思うんだよね!? 聞いてる!? 王子も王子だけどカインもカインで!!」


 ところどころ呂律のまわらない怪しさながら、言うだけ言うとキッと睨みつけてきた。

 目元に朱が差しているし、半分落ちてきている瞼のせいで眼光にはまったくもって鋭さがない。


(婚前交渉)


 完全に口がすべっているように思えるのだが、本人は気付いているのだろうか。

 カインの知る限り、彼(彼女?)は酒を滅多に口にしない。杯に口をつけることはあるが、舐めるだけで終わっていたように思う。

 それがここにきて「自棄酒ヤケザケ」をする気になったらしい。


 イカロス王子乱心から王宮に侵入者ありという騒動まで立て続けに問題続きの一日。

 カインはカインで死にかけた覚えがうっすらとあるのだが、通りすがりの腕のいい治療師が治療にあたってくれたということで問題ない程度には回復している。なぜ王宮内を通りすがる者がいるのかは甚だ疑問であったが、その辺はアレクス王子に「そういうこともある」と言い切られてしまった。


(ねえよ)


 心の底からつっこみたい気持ちはいっぱいであったが、「イカロスの件は解決済みだし、侵入者の追跡に関しても手配した」と言われて休め休めと追いやられて官舎に帰ってきてみれば、自室に銀髪の少女を連れ込んだ同僚に「自棄酒なるものをしてみたい!!」と詰め寄られ、今に至っている。


「イカロス王子は、アレクス様の説得に応じたらしいぞ」


 必要最低限の仕事の話を終えて、以降は絡まれ続けている。


(クライスは自分の恋愛で手一杯で、「恋人」との関係を守ろうとしていた。そこに王子やら同僚に言い寄られて迷惑しているのはわかるんだが……)


 それでも、ここまで自暴自棄になっているのは、何か違う理由があるような気がしてならない。

 怒っているというより、ひどく落ち込んでいるように見えるのだ。


 クライスはとうに酔っ払っているし、体温が上がったせいか髪や身体からは洗い立てのような爽やかな香りが立ち上っているし、端的に言って壮絶な色香が漂っている。

 疲労と酒精に抵抗を放棄しているのは明白で、今なら簡単に押し倒して本懐を遂げられそうな気配が濃厚である。

 だが。

 寝台で夢見る妖精のようにすやすやと眠っている銀髪の少女が。

 ときどき、寝たふりをやめてカインをじっと見ているのであった。

 何を言うわけでもないのに、その冷え冷えと凍てついた視線ひとつでカインは頬を引きつらせてしまう。


(怖ぇ)


「ん」


 クライスが杯を突き出してくる。

 少し悩んでから酒を注いだ。 


「飲み過ぎだと思うんだけどな」

「いいんだよべつに。僕だってたまにはこう、溜まりに溜まった何かを発散しないと。今日はもう、酒に逃げて溺れてやる……。溺れるんだからね!? もうみんな嫌いだよ。大っ嫌い。いい加減にしてよ。なんで僕の些細な幸せとか普通の交際を邪魔するかな」


 杯をぐっとあおって、がくりと首を垂れた。

 力の抜けきった肢体を目に毒と薄目で見つつ、今にも落としてしまいそうな杯を手から奪い取る。


「まだ飲む」

「ばか。もういい加減、酒はおしまいだ。さっさとルーナ殿の隣に寝たらいいんじゃないか。酒くさいって怒られそうだが」

「嫌われたくない」


 涙腺が壊れているのかもしれない。

 ぼろりと大粒の涙をこぼして濡れた声を上げたと思ったら、すぐにしゃくりあげはじめる。


「泣くところか?」


 窓際の机の上に酒瓶と杯をすばやく置く。

 すぐに引き返して、絡み酒からの泣き上戸となりつつあるクライスを抱き寄せようとしたが。 

 ゆらり、と視界の隅で銀色の生き物が動いた。

 裸足のまま床を踏みしめて、クライスを椅子の背もたれごと後ろから抱きしめる。


「なんで泣いている。俺はまだ何も言ってないだろ」

「だって……、自棄酒なんかしてる僕のことなんか嫌いだよね? 嫌うよね?」

「妄想だろそれ」


 言いながらクライスの顎に手を伸ばして顔を上向けさせ、流れ落ちた涙に唇を寄せた。


「ちょっと待てルーナ殿。クライスが交際しているのはルーナ殿の兄、あの灰色魔導士のはずだよな?」


 義理の妹になるかもしれない相手に許していい行為なのか? とカインは精一杯咎めたつもりだったが、強い光を放つ翠眼を向けられ、口を閉ざす。


「いつまで見ているんだ。酒瓶も空だろ。お前、もう出て行っていいぞ」

「これでも、そいつの愚痴に今まで根気よーく付き合っていたんですけどね」

「下心丸出しでな」


 二人の会話をぼんやりと見守っているクライスの髪を一房指に絡めて唇を寄せ、口づけてからルーナは不敵に笑った。


「後は俺に任せろ」


 カインはしばし呆然と眺めてから、降参、というように肩をすくめる。


「今日のところはこのへんで撤退させていただきます。よろしくどうぞ」

「ドアの前に張り付いて、聞き耳でもたてているつもりか? やめておけよ」

「ばれましたか。お二人がどんな睦み合いをするかは興味がありまして」


 年端のいかぬ少女のなりをしているが、とかく迫力のあるルーナに対し、カインはいつしかへりくだるような態度になっていた。

 兄の灰色魔導士といい、威圧感のある兄妹だな、と思いながら。

 クライスはといえば、すんすんと鼻を鳴らしながら、ルーナに顔を寄せている。


(小姑にいいようにされているけど、大丈夫か)


 ドアから出て行こうとして、カインは納得いかないまま、今一度振り返る。

 まさか、恋人である灰色魔導士とその妹が同一人物とはこの時点で思い至っていないカインである。

 なんとも納得しきれない思いを胸に、その場を後にすることになった。


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