第79話 欲しいものは欲しいと

「もおおおお、いーやーだって言ってんだろうがあああっ」


 シグルドに捕らわれていたロイドが、だしぬけに叫んだ。

 その身体から爆発的な魔力が溢れ出す。

 同時に、アゼルが走り出した。


「だめ、ロイド!!」


 一瞬。

 ロイドの身体がぐしゃりとひしゃげたように見えた。

 魔力は禍々しい青白い光となり、明滅してロイドのシルエットに何か異なる存在を描き出す。


「ロイド!! 正気!!」


 やや手前で止まったアゼルが悲鳴を上げる。

 クロノスもまた、アゼルの元へ素早く駆け寄って、並び立つ。シグルドに攻撃を加えるか、アゼルを守るか、光に目をすがめながらロイドとシグルドを見つめる。

 アゼルの声が三度響き渡り、光はロイドの細い身体に吸い込まれるように収束した。

 その時にはもう、ロイドは、シグルドの胸に後ろ手で掌を当てていた。


 身体が接触しているのに構わず、ぴたりと合わせたその手から業火が放たれる。


 クロノスも瞠目するほどの、魔力による激しい炎。

 さすがに効いたらしく、シグルドが手を離して後退する。

 拘束を逃れたロイドは長い髪を揺らして一度片膝をつき、すぐに立ち上がってシグルドを睨み据えた。


「いい加減にしろって言ってんだろうが!! レティだかシグルドだか知らないけど、オレだって怒るときは怒るっつーの!!」


 胸の前で腕を組み、声を張り上げる。


「強い……。うん、知ってた」


 攻撃にも防御にも転じられるように魔力を高めていたクロノスであったが、万感の思いを込めて呟いた。


(か弱そうな見た目で、悲鳴上げているから。守らなければと動転していたのはオレの方だ)


 はじめからロイドの戦力をあてこんで、連携を狙えばもっと速やかに形成を転じていけたはずであった。

 押されてしまったのはひとえに、自分が冷静さを欠いていたのだと、思い知った。


 ルミナスを前線に置くのは慣れている。

 能力も完全に把握しているから、どれだけルミナスが危険な状況に陥っていても、自分だけは冷静さを欠くことなく戦術を組み立てていた。

 最後の戦いにおいては、魔王の能力を見誤ったがために、ルミナスを失ってしまった。

 たったひとつの、取り返しのつかない判断ミス。

 

「私を殺す気か」


 胸に焼け焦げを作り、肉が炙られたような匂いを漂わせながら、シグルドが顔を歪めて笑った。


「死なねーだろうが。もう一発入れてやってもいい」


 ロイドの強気は、嘘ではないらしい。

 バチバチと音を立ててロイドの周りに風が起こり、赤毛がふわりと舞うように持ち上がった。


「ロイドがぶっちぎれてる……」


 アゼルが小声で呟いた。


(たしかにロイドさんは強い。でも、レティには余裕がある)


 同族のレティシアならば、この反撃は予期していたのではないだろうか。余裕そうなにやにや笑いを見ていると、どうもそんな気がする。


「私の肉体ではないとはいえ、損傷しすぎた。出直す」


 言うなり、シグルドは窓の方へ大股に歩き出す。

 ハッと息を呑んだロイドが追いかけると、いきなり振り返って距離を詰めた。

 ロイドの腕を引き寄せ、耳元に何か囁いてから、踵を返す。

 縫い留められたように動きを止めたロイドは再度追いかけることはなく、シグルドは加速して窓ガラスを体当たりで砕き、飛び出して行った。

 ほんの瞬きほどの間で、動くのを躊躇したクロノスは、結局その後ろ姿を見送ることになってしまった。


「離脱した……」


 芸のない呟きをもらして小さく吐息する。

 ふと、忘れていた存在をようやく思い出して、振り返る。

 目の合ったアレクスが、ほんの少しだけ首を傾げて朴訥そうな声で言った。


「『ロイド』? 『ディアナ』?」


(あ、面倒くさいことになった)

 

 さらにその後ろ、ドアのあたりに新たに人影が現れたのが見えた。

 波打つ銀髪の少女を抱きかかえた、赤毛の剣士。

 ひょっこりと顔を出して、クロノスと目が合うと少しだけ眉をしかめる。

 それから、これは仕事だと言わんばかりの実直さを持って言った。


「何かありましたか」

「いやお前こそ、いまさら何?」

「いまさらって……、謁見の前はズタズタだしルーナは倒れているし、意識ないまま置いてこれないし。クロノス王子は部屋で暴れているっていうし。殿下こそ何してたの?」


 魔法使ったの? どうして?

 と、その水色の瞳に、暗に責めるように問われてクロノスもまた眉をしかめて口を開いた。


「……遅いんだよお前」


 恨み言のような情けない呟きに気付いてクロノスは目を伏せる。

 その時、柔らかな身体を持つ誰かにぎゅっと腕に抱きつかれた。


 * * *


「殿下。ちょっといい? やっぱり私、殿下がいい。殿下が私の番になってよ」


 視線を向ければ、真剣そのものの顔をした美女がいた。

 固まったクロノスの横で、アゼルが小さな悲鳴を上げた。


「ロイド、何言ってんの?」


 ロイドはちらりとアゼルに目を向けて、にこりともせずに言った。


「ごめんねアゼル。もう決めたの。殿下を口説くのはこれからだけど、私は殿下が好き。殿下がいいんだ」

「いいって……、え、そういう意味で?」

「そういうがどういうかわからないけど、恋愛的な意味と性的な意味で間違いないよ」


 クロノスはひたすら固まっていた。

 アレクスとクライスから視線を感じるが、自分発の問題提起ではないので説明はひたすらロイド任せるしかない。口を挟みにくい。

 ただただ、あらゆる角度から断罪されているかのような居心地の悪さは間違いなくある。

 ロイドは片手で落ちて来た長い髪を払うと、クライスに目を向けた。


「私、いま発情期で」

「はつじょうき?」

「クロノス王子に求愛しているんだけど」

「求愛? なんで? クロノス王子がいいんですか?」 


 まったく理解していない様子で問い返すクライスに対し、ロイドはすうっと目を細めた。


「私とルーク・シルヴァが同族なのは知っていると思うけど。殿下にふられたらルーク・シルヴァに『この熱い身体をどうにかして』ってお願いすることになるわけ。だめだよな?」

「だ、だめですね」


 ルーナを抱く腕にぎゅっと力を込めつつ、クライスが頷く。

 とどめのように、ロイドが冷え切った声で言った。


「だったら、『どっちもだめ』みたいな顔しないでくれる? クライスにはそいつがいるんだから、クロノスまで自分のものみたいな顔して見ないで欲しいんだけど」


 言い終えてから、クロノスを見上げて釘を刺すように言った。


「殿下も、ちょっと嬉しそうにしない。クライスの感情は独占欲であって、愛じゃない。待っていてもおこぼれなんかないぜ。私だって、永遠に殿下を縛るつもりなんてない。さしあたりいま、相手をしてほしいと言っているだけ」


 クロノスの視界では、アゼルが「ええええ……」と言いながら両手でこめかみをおさえ、身体を捻じっていた。


(うん。まあ。頼りになる兄貴? 姉貴? のロイドさんが目の前で男に告白していたら心情的に微妙だよな。オレだってアレクスの告白シーンなんか見たくないし)


 うんうんわかるわかる、とクロノスは心中で同意を示す。「殿下それ、わかっているようで、全然わかっていないよ。アゼルが好きなのはお前だから!」と、本来この場で的確に指摘できるのはロイドのみだが、ロイドに今その意志はない。


「殿下。断らせるつもりはないから」


 ロイドの手に顎をつかまれ、強制的に顔を向けらされたクロノスは「ええとですね……」と躊躇いがちに言った。


「お茶とか食事とか。もう少し関係性を深めるところから始めませんか」

「こじらせた思春期みたいなこと言ってるけど、別にそれでいいよ。私も少し落ち着いたから、昼間からどうというわけじゃないし。夜まで仲を深めてみる?」

「それ、結局即日的な話では」


 クロノスは前髪が乱れるのに構わず額に手をあてて、呻き声をもらした。

 ロイドは、曰く言い難い顔をしているアゼルとクライスを見て、一切の愛想もなく言った。


「そういうわけだから」


 アゼルもクライスも何も言えずに動きを止めていた。

 アレクスだけが「ロイド?」と考え深げに口の中で名前を繰り返していた。 


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