第六章 国難は些事です(前編)

第59話 森の中で

 王都近くの街道から逸れた森の中。

 鬱蒼と茂った木々の合間に開けた場所で。

 宵闇迫る薄暮の中、向かい合った二人は、互いに口をきかないまますでに一分近く様子の探り合いが続いていた。


 肩を過ぎる黒髪に、はっきりした意志の強そうな眉、純黒の瞳。高い鼻梁と薄い唇、見事なバランスに整った顔立ちをした男が、木の枝に服をひっかけてもがいていたアゼルを思案顔で見上げている。

 一方のアゼルといえば、空からの着地を誤り、短めのワンピースの裾から背中にかけて木の枝が入り込んで動きを固定されていた。さながらモズのはやにえ状態である。

 暴れれば暴れるほど、細かい樹皮やら棘のようなものが背中の柔らかい皮膚を傷つけてくるし、服そのものが破れてしまいそうであったし。


「最悪だよ~~~~なんでこんなことになるのよ~~~~!!」


 ベルトで絞っている部分に枝が入り込んでしまって、はまりこんでいる。アゼルは自分を支えている枝の耐久を気にしながら、腰のベルトを外そうとしていた。そこで。

 視線に気づいてしまったのだった。

 沈黙。

 沈黙に次ぐ沈黙。

 先に耐えかねたのはアゼルで、何をされたわけでもないのに半ギレ状態で言ってしまった。


「なんで見てんの?」


 黒髪の男は額を手でおさえつつ、ゆっくりとうなだれた。

 そこからまたもや沈黙。

 に、耐えられる気は当然しなかったので、アゼルは思わず身体をゆすりながら「た、す、け、て、よ」と声を張り上げた。

 折しもアゼルを引っかけていた枝の耐久値が尽きた。

 バキっと音がして、身体が浮く。

 地面に叩き付けられる気はなかったので受け身を取ろうと身構えた。


 男の動きが、予想を上回った。

 地を蹴って飛び上がり、木の幹を蹴って宙に浮かんだ瞬間のアゼルを抱き留めた。

 間近で目が合う。

 浮遊感はほんの一瞬。


(至近距離でも、綺麗な顔。だけど、誰かに似ているような)


 と、考えているうちに危なげなく地上に降り立った。

 そのまま再び沈黙になるのはさすがに賢明ではないと、アゼルは速やかに口を開いた。


「なんで見ていただけなの?」


 これだけ動けるなら、さっさとどうにかできたのではないか。

 若干言いがかりめいた発言ではあったが、男の能力を鑑みれば言い過ぎではないはず。

 そのアゼルに対し、どこか超然としているように見えた男は、片目を細めて躊躇いがちに言った。


「声をかけようとしたら、ベルトを……。服を脱ごうとしていて、声をかけそびれた」


 アゼルが見上げると、ぎゅっと眉を寄せた顔で見下ろしてくる。

 その困った顔を睨みつけて、アゼルはきつい口調で言った。


「見たかったの? だから待っていたの? さっさと声かけない時点で確信犯じゃない。わたしが本当に脱いでたらどうするつもりだったのよ。何か言い訳できるわけ?」


 言われたい放題の男は、神妙な顔になって瞑目した。


「すまない」


 アゼルの状況としては、男に助けられて、抱きかかえられた状態である。


(言い過ぎた)


 いきなり感じ悪く、八つ当たりをしている。

 自覚大有りなだけに、実は死ぬほど気まずい。

 どう見ても容姿端麗な好青年で、おそらく何か武芸を極めている。性格も温厚そうだ。正直、こんな暴言にさらされるいわれのない人物であるのをひしひしと感じる。


「どこか痛めてはいないか。このままおろして大丈夫か」


 男は気持ちを切り替えたのか、きわめて優しい声でそんなことを聞いてきた。


(やばい……。絶対良いひとだ。やばい。背中はヒリヒリしているけど、自分で治せるし)


「足は痛めてないし、平気だと思う」


 すぐに態度を軟化させることはできず、中途半端にイキったまま答えると、ゆっくりと足が地面につくように身体を傾けて下ろしてくれた。背中に入り込んでいた枝が地面に落ちる。

 ありがとう。

 お礼くらいはちゃんと言おう。

 そう思って改めて顔を上げれば、男が自分の掌についた血に気付いたところだった。 


「背中を怪我をしているな」


(大丈夫だよ~~、治療師なんだよ~~)


 声にならなかったのは、男の目がひどく真剣だったせいだ。


「見せてもらってもいいだろうか」

「自分でなんとかするからっ」

「背中の手当てを? それはなかなか難しいだろう。私に見られるのが嫌なら治療師のところにでも」


 言いながら、男がひょいっとアゼルの背をのぞきこむ。


「大丈夫って言ってるのに!」


 慌てて身を引きながら言ったが、目が合った男は恐ろしく表情をくもらせていた。


(ええ~~~~!? 今度はなに~~~~!?)


「言いづらいんだが」

「言わなきゃいいんじゃない?」


 すかさず言ったのに、黙殺された。


「服がだいぶ裂けている。着替えは。何か荷物は持っているのか」

「無い」


 若干の旅荷物は持っていたが、王都に入り次第男性体になるつもりだったので、綺麗さっぱり捨ててきてしまった。

 男はといえば、白っぽい上着に黒いズボン、剣一本。

 当然のように上着を脱いで、シャツ姿となり、アゼルの肩にばさりとかけてくる。


(白だよ~~血が付くっての。せめて治療してからだったら良かったのに)


 とはいっても、アゼルの治療に関する魔力は極めて高いので、この平和の世では異質。見ず知らずの人間の前では使いたくない。その躊躇いのせいで、何もかも遅きに失した感は否めなかった。


「今はひとまず借りるけど、これは、どこに行けばあなたに返せるのかな?」


 一見しただけで、かなり質の良い仕立てのものだとわかった。持ち逃げはできない。


「君はどこへ行くつもりなんだ」

「街かな」

「では、そこまで一緒に行こう。上着で隠しても限界がある。私が何か着る物を調達するから」

 

 押しつけがましい口調ではない。たぶんものすごく優しい。おそらく、こういう状況で遭遇するには最大級に幸運な種類の人間のような気はする。それなりに人間界暮らしが長いアゼルの目からみて、間違いない。


(ロイドは馬車につかず離れずついていて、わたしは先行して男性になってから王都で合流する手はずだったわけなんだけど……。ここでぐずぐずしている場合じゃない)


 あまりに久しぶりの飛翔魔法で、下を見ているうちに落ちるという失態を犯したわけだが。

 おそらくこの相手は、この森の中にぼろぼろの女を一人で置いていくことは絶対に納得しないだろう。言い合うだけ時間の浪費の予感が絶大だ。


「あなたはこんなところで何をしていたの?」


 自分がつっこまれる前に聞くと、男は特に気にした様子もなく「修行」と答えた。


「こんな森の奥で一人で? 木の伐採くらいしかやることないんじゃない?」


 いけない。どうしてかこの相手には感じ悪いことを言ってしまう。そんな自分にドキドキしつつも、やめればいいのに止められない。


「あと、名前。教えてもらっていい? 知らないと不便だから」


 道なき道にアゼルが踏み出すと、男が後ろから手を伸ばして、横から飛び出していた木の枝を払った。


「街に行くならこの方角で良いが、道が悪い。私が先を歩いていいか?」


 男はおっとりとした口調で言いつつ、アゼルの横を通って前に立つ。


(本当に良い人っぽい。困ったなぁ)


 下心も特に感じないのがまた始末に悪い。

 適当なところでまいてしまおうと思っていたのに、罪悪感を覚えそうだ。

 あとは単純に、背中にまったく隙が無い。おそらく剣はかなりの使い手。奇妙な出会い方をしたアゼルに平然と背中をさらしているのが自信のあらわれのようにも思える。

 実際問題として、適当にまくのは非常に困難を極めるのが予想される。

 怪我をして、着る物も荷物もない状態のアゼルを、果たしてどの辺で解放してくれるつもりだろうか。


(あたまいたい)


 背中を見ながら頭を抱えたアゼルのことなど見えているはずがないのに、男は思い出したように肩越しに振り返った。


「アレクスだ。名前。君の名前は、きいてもいいのか?」


 何も含むところもなさそうなその態度に、アゼルも何やら諦めきった気持ちで答えてしまった。


「アゼルよ。でも見ず知らずの男に本当のこと言うなんて思わないで。身の上話なんかしないんだから」


 棘のある口調だったのに、男は気にした様子もなく、それはそうだ、と呟いた。

 会話はそこで途絶え、アゼルもまた男の素性を聞きそびれてしまった。

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