第60話 美女と魔導士

 ルーーナ!!


 耳奥の残響。

 ずっとこびりついて離れない。

 あの勝気そうなまなざしをした、細身の女剣士と刺し違えたときに聞こえた絶叫だ。


(クロノスだったのか)


 厳密には少し違う。

 今生クロノスであるところの、前世ステファノという魔導士。

 正直あまり覚えていない。

 あの瞬間、世界には勇者と自分しかいなかった。

 凄まじい速さで聖剣を繰り出してきたルミナス。

 殺さなければ殺されていた。ほとんど反射で、一撃で仕留めた。

 目が合ったのは一瞬。


 今でも覚えている。きっと死ぬ瞬間まで忘れない。

 あの清冽なまなざしを。

 馬鹿みたいに、もう死んだと知っているのに追い求めて探してしまった。

 そうして、人間の世界でようやく見つけたのは、赤毛で華奢な剣士の目の中。


 別人だけど、同じ目。

 もう何をしてもあの時の勇者は戻らないと知りながら、今度はどうしても守りたいと思った。

 たぶんあのときあの一瞬で。

 生涯でただ一度の思いを抱いたせいだ。


 聖剣の勇者ルミナス。

 俺が殺した。


 * * *


 馬車が王宮についたのは、夜も更けた頃。

 クライスはカインに連れられて行った。

 残されたのは絶世の美女レティシアことルーク・シルヴァと、第二王子のクロノス。


「俺の部屋でいいから」


 クロノスはなんでもないことのように言い、裸足のレティシアを抱き上げた。

 出迎えの家臣団にたえなる静けさが広がった。


 未婚。

 婚約者なし。

 これまで噂になった相手もいない。

 結論として、何も問題はない。

 問題はないのだが。


(王子に重い物を持たせている場合ではないのでは)

(とはいえこの状況で「自分が運びます」とは)

(そもそもあれは『重い物』なのか)

(なんで裸足なんだ)

(『誰』なんだ)


 様々な思惑がせめぎ合う中、クロノスはさっさと王宮内に入ってしまい、追いすがった数名にも「大丈夫だから、仕事に戻るか休んで」とこの上なく爽やかに言った。もとより、レティシアの得体のしれない美貌には皆おおいにひるんでいたので、それ以上食い下がる者もいなかった。

 数名控えていた女官には、女性用の服と履物の用意を丁寧にお願いする。ただし、朝になってからで構わない、と。

 そうして、王子たちの私室のある一角、辺りから人の気配のなくなった奥宮にて、クロノスが呟いた。


「言うのを忘れていました。アレクスは俺と同じ『同一人物判定』ができると思います。ルーナはともかく、ルーク・シルヴァに関してはよく見ていると思いますから、あなたを見たら必ず気付くでしょう」

「なんなんだろうな、それ。前世のお前は使えたのか?」


 ずっと無表情でいたレティシアだが、拍子抜けするくらい普通に口をきいた。

 そら恐ろしいまでに澄み切った綺麗な声なのに、仄かな艶を帯びていて、耳に心地よい。華奢で脆そうな肉と骨の感触、心地よい重みと手の甲をすべる銀髪の滑らかさに、気を抜くと理性を引きずられそうになる。

 彼女を抱く腕に力を込めないように細心の注意を払いつつ、クロノスは自室まで歩いた。


「使えませんでした。いつどんな機会に入った能力かわかりませんが……、転生のタイミングかな、とは」

 

 群青の絨毯が足音を吸い込む。静かなのは良いが、防犯上はあまり良くないな、とこれまで何度も考えたことが頭をかすめていった。

 レティシアを片腕に抱えてドアの真鍮の持ち手を引き、中に足を踏み入れた。

 クロノスが視線を巡らせると、そこかしこで灯りが燈る。


「下ろせ」

「ソファにね」


 部屋を大股に横切る。天鵞絨張りで猫足のカウチソファにおろすと、レティシアは長い髪をうっとうしそうに肩から払って、軽く首を振った。


「何か飲みます? 部屋にあるのはお酒くらいですが。お茶でもお願いしましょうか」


 クロノスは、すぐに動けるようにと立ったまま声をかける。

 ひた、とレティシアはクロノスに視線を向けて軽く顎をひいた。呼ばれたと察したクロノスはそばに歩み寄り、片膝をつく。

 感情をうかがわせない瞳。形の良い唇が微かに開いた。


「『同一人物判定能力』が転生者特有の能力だとすれば、アレクス王子も転生者だということか」


 クロノスは微笑を浮かべた。


「イカロスが転生者なのは、すでに確認済として。アレクスに関しても非常に可能性が高い、とは。前世が『誰』かは、まだ特定できていませんが」


 明らかに、レティシアの機嫌が傾いた。

 眉間に皺が寄り、険のある表情になる。


「言うの遅すぎだ。アレクス王子といえば、異常に強い剣の使い手で、しかもそれを何故かずっと隠していたんだよな? 転生者で、剣士で」

「イカロスが『ディートリヒ』だとして、その相方の剣士も探しているんですよね? あなたの目から見てアレクスに何か思い当たる点はありましたか?」

「……考えてみる」


 憂鬱そうに言って、レティシアはうなだれた。

 そのまま、立てた両膝の上に額をのせてしまう。


「中身はおっかないお兄さんなのに、そういう女子な仕草を見ると危ないですね」

「何が」

「俺が?」


 顔を上げてぼさっとした表情でクロノスを眺めてから、レティシアは呆れ切った調子で言った。


「お前、女には手を出さないだろ。昨日の夜プレッシャーかけてきたのは、俺が男だったからだ。今日なら同じベッドで寝てもいいぜ」


 馬車に長時間揺られてお互い身体にガタがきている。

 とはいえ、時間が時間だから人を呼びつけてベッドをもう一台用意させたりはしないだろう。

 それを見越した挑発的な発言だと、クロノスは理解はした。

 レティシアは「肩が凝る」といいながらクライスにかぶせられたローブをごそごそと脱ぎ捨てたところだった。男物のシャツ一枚から、ほっそりとした白い足が艶めかしくのぞく。かなり際どい。


「あなたは少し思い違いをしていて」


 クロノスは乾いた掠れ声で囁いて、くつろぎぎっているレティシアをやにわに抱きかかえた。

 やや乱暴とも思える性急な仕草に、レティシアが目を見開いてクロノスを見上げる。

 その時にはもうクロノスはさっさと歩き出していて、天蓋付きの寝台にレティシアをおろすと、そのまま両方の手首を両手でシーツに押し付けつつ、華奢な身体の上に乗り上げた。 


「俺、結構ふつうに手を出しますよ」

「ちょっと待て!!」


 力は強い。焦るレティシアに、クロノスは致していることにはまったく不釣り合いな穏やかな調子で言った。


「この状況で待つ男がいるんですか?」

「お前が好きなのは、ルミナスだろ!」


 レティシアことルーク・シルヴァには主に恋愛方面でいささか感情の機微に疎いところがある。

 逆鱗に触れたことに気付くのは、やや遅かった。


「ルミナス、もう死んだんですよね。死人は性欲処理には付き合ってくれないでしょう」


 露悪的な言い様に、レティシアは顔を引きつらせて喚く。


「お前、手、痛いっ」

「痛めつけてんの。その口も、そろそろ黙らない?」 


 言いながらクロノスが噛みつくように口づけをする。一瞬前に予期していたレティシアは思い切り唇に噛みついたが、なぜかその瞬間鋭い痛みが唇にはしった。

 わずかに顔を離したクロノスが、うっすらと微笑を浮かべて言った。


「俺、人の怪我を引き受けることもできるけど、自分の怪我を押し付けることもできるんだよね。痛い? 結構思いっきり噛みついてくれたんだね」


 唇から血を流したレティシアを沈んだ瞳で見ながら微笑み、今一度しずかに口づけを落とす。なまあたたかい舌が唇の上からゆっくりと血を舐めとり、鋭い痛みの幻だけを残して噛み痕はクロノスに移動した。

 クロノスの唇からつうっと血が滴る。

 大きな目を見開いて見上げるレティシアに、にこりと笑いかけてからクロノスは手首の縛めをといて身体を起こし、すぐ横に腰かけた。


「クライスは大丈夫かな。イカロスの件で、何かおかしなことにならないといいけど」


 独り言のような呟きに、レティシアは寝そべったまま腕で目元を覆った。


「俺の魔力がそんなにうまく働いてなかった。イカロス、たぶん死んでないぞ。そろそろ息を吹き返している。棺桶に入れて釘を打ち付けていない限りは誰かしら気付く頃だ」

「やっぱりそうですか。あなたはかつて負った怪我のせいで、魔力が安定しないって聞きましたけど」

「ロイドのアホ」


 ぼやきながらレティシアはベッドの上でごろんごろんと寝返りを打つ。


(……きわどいどころか色々見えてんだけど)


 ちらっと視線を向けてから、指摘しないまましげしげと眺め、見て充足するどころか欲求不満になったらやばいな、と思って気合で目を逸らす。

 寝台の上に後ろ手をつき、見ても面白味があるわけでもない天蓋を見上げつつ、クロノスは呟いた。


「ロイドさんといえば。おそらく、離脱していますよね。アゼルも。後から王宮に来るつもりかもしれないけど、アレクスの同一人物判定能力伝えてないんです」

「あほ。ばか。のうなし。なんでそんな肝心なこと」

「罵倒も可愛らしい声だと格別ですね。かなり気持ち良いのでもっとお願いします。興奮するなぁ」


 想定以上の行儀良い沈黙を勝ち取った上で、クロノスは言った。 


「ロイドさんの立ち回りはそんなに心配してないません。それよりも、わりと最悪な想定の一つとして、たとえばアレクスの前世が勇者一行となんらかの関りがあった場合、アゼルはまずい気がします。アゼルがアレクスのことわからなくても、アレクスの方はわかっている危険性がありますし。さすがに、そこの二人がいきなり出会う可能性は高くないと思っていますけど」


 言ってから振り返ると、レティシアはすでに掛け布をかぶって丸まってしまっていた。

 関わりを避けるようなその姿にクロノスはくすりと笑みをもらす。

 掌で、軽くぽんぽんと叩いてから、素早く立ち上がった。


「おやすみ」


 欠伸をしながらソファへと歩き出した。

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