第38話 黒色の王子

「なんだお前」


 という、三下御用達のセリフを、機嫌良さそうに頷きながら聞いているクロノス。

 長身細身。最近よく身に着けていた黒縁眼鏡をはずした素顔は、美女と名高い王妃にも似て、意外なほどに甘やかで優しい。

 むくつけき男が横やりを入れたのなら、単純な意地の張り合いにでもなっただろう。

 だが、屈強さの片鱗も無い青年を前に、男たちは凄んではみたものの妙な空気になっていた。

 さらに言えば。

 その背後に、黒縁眼鏡を無言で外して、手の中で弄んでいる眼光のおっかないお兄さんが控えているとあっては。


「せっかくだけど、助けはいらないよ?」


 坊やは下がっていてね、のノリでロイドは軽く断りを入れた。

 クロノスは、人差し指一本で顎を支えるようにして小首を傾げ、ふふっと吐息をこぼし、目元に笑みを滲ませた。


「……ロイドさんか。へえ、それじゃすぐにはわからないな」

「ん!?」


 何か今変なことを言ったな!? とロイドが視線を投げると、ルーク・シルヴァは渋面で首肯した。


「見えるらしい。少しくらいの変化は通用しないそうだ。あと多分、顔を隠しても、だな」


 視線がさまよう。フードを目深に被った人物を見ようか見まいか悩むかのように。

 ロイドは顎を引いて、鋭い視線をクロノスに向けた。


「何が見えているって?」


 男性や女性といった見た目以前に、ロイドは人間ですらない。まさかそこまでか、と。

 クロノスはくすりと声をたて、歌うように言った。


「すごく綺麗な光。また会いたいって思っていたから、見つけたときは嬉しかったな。滅多にいないですよ。ロイドさんみたいに心の底まで全部綺麗な人。それで、外見もそういう……」


 陶然とした表情で、すんなりとした肢体や端麗な容貌に熱い視線を注ぐクロノス。ロイドは両腕を身体の前で交差させて、惜しげも無く晒していた肩や胸を隠そうとする。


「え〜〜〜〜っと!? 何これオレは口説かれてんの!? なんか嫌なんだけど!?」

「落ち着け。この男、これが『素』だ」


 ルーク・シルヴァが沈痛な面持ちで言った。


「『素』って、やだよ。なんか変な色気がダダ漏れしてて気持ち悪いよ。こっちくんな」


 本気の苦情を訴えつつ、顔を左右にぷるぷると振って、一歩後ずさる。


「助けが助けになっていない……」


 呆れたように成り行きを見守っていた男の一人が、見たままの感想を述べた。「知り合い?」などと他の男まで、気安くロイドに尋ねる。


「知り合いだけど仲良しではない」


 ロイドはキッパリとした口調で力強く言い切った。

 そこに、フードを目深く被ったクライスが進み出た。

 細い指を組み合わせて、パキパキと軽く鳴らしてから拳を握りしめる。


「お美しいロイドさんに馴れ馴れしくするなんて許せない。あいつら、しめちゃいましょうか」

「『ら』?」


 なんか巻き込んでいない? とロイドは暗に問いかけたが、もはやクライスは聞いていない。


「僕は銀髪をやるから、あなたがたには黒髪を譲るよ」


 涼しい声で男たちに役割分担をしている。


「ああ……痩せ我慢もたなかったね、結局キレたね」


 ロイドは肩をそびやかしてハンズアップ。

 自分は手を出さないからね、とロイドは身を引いた。

 一方、事情はわからないなりに、ルーク・シルヴァはこの思いがけない邂逅を好意的に受け止めていた。

 完全に戦意むき出しのクライスに対して、場違いなほど呑気に相好を崩している。


「修行はどうだ、順調か?」

「気安く話しかけないでくれる!? 今の僕は通りすがりの謎の暴漢だからね!」


 はたで聞いていたロイドは額をおさえた。


「そだねー。近衛騎士がどさくさに紛れて王子襲撃を教唆だなんて、やばいどころじゃないよねー。行きずりの犯行を装う程度の理性は残っていたんだねー」


 呟いた声は、乾ききっていた。

 なお、クライスに啖呵を切られたはずのルーク・シルヴァに至っては、まったく何も頓着していない。「そうかそうか元気だな」と幸せそうな微笑を浮かべて続けた。


「俺はすごく会いたかったけど、邪魔をするわけにはいかないからな。これでも自制していたんだ。一度近くまで行ったことはあるんだけどな」

「な、なんの話!?」

「いや、こっちの話だ。それより、顔は見せてくれないのか?」


 思いもかけない告白を受け、恐慌寸前に取り乱したあげく、硬直してしまっているクライスにすたすたと歩み寄る。

 目の高さを合わせる程度に身体を折り曲げ、フードの中をのぞきこむように話しかける。


「もしかして、ここじゃダメなのか? どこかで二人になるか?」


 何かが折れた。

 膝が砕けたかのように、ずるりとその場にしゃがみ込もうとしたクライス。もちろんルーク・シルヴァは危なげなく腕を伸ばして腰を掴み抱き留める。


「どうした? 具合悪いならこのままベッドに運ぶぞ」


 直視出来ずに横を向いてざらざらと砂を吐いていたロイドであるが、ここにきてさすがに我慢の限界を大きく超越したと判断した。


「はいはいはいはいはい、オレいまこの子の保護者だからさ! そういうのはやめてほしいんだけど!! 完全に越えちゃいけない線越えたよね、今。正直友達のそういうの見るのも微妙だしね! いい加減にして欲しいんだけど!!」


 足音も荒く歩み寄り、ルーク・シルヴァの腕からクライスを引き剥がす。奪われた側は眉をひそめて険しい顔をしたが、当のクライスはと言えば「も、むり……」と言いながらロイドにすがりついた。


「ほら!」

「ほら、じゃないだろ。お前こそあんまりクライスに胸を押し付けるな。そいつ、中身は結構、男だぞ」

「はああああ!? 何言ってんのばっかじゃねぇの!? エロオヤジかよ。ふざけんじゃねーぞ!!」


 見た目だけなら絶世の美男美女が、限りなく中身のない件で口汚く罵り合うという、悲惨かつ悪辣な絵図が繰り広げられる。その事態を招いてしまったクライスは「ごめんなさい、ごめんなさい」と小声でうわごとのように繰り返していた。

 その傍らで。

 クロノスは四人の男たちに絶大なる愛想を振りまいていた。


「それで、どうする? 喧嘩する? いいよ。おいで」


 両手を広げて、受け入れ態勢も抜群だった。

 男たちの間には「なんか……」という白けた空気が漂っていた。


「面倒くさい」


 一人が、実に正直な心情を吐露した。それを耳にしたクロノスは「うん、うん」と笑み崩れる。


「戦わずして勝っちゃった感じ? やだなオレ、愛と平和の戦士過ぎる。ま、わかっていたけどね」


 四人の男たちは、しん、と静まり返った。やがて、気を取り直したように一人が呟いた。「面倒だけど、ムカつくのはムカつく」それを受けて三人がそれぞれ深く頷く。


「やるか」


 誰とはなしに言い、すかさず男の一人が飛び出した。いくつもの傷のついた革鎧をまとい、細剣を腰に帯びた筋肉質な男。振りかざしたのは握りしめた拳。

 クロノスは見るからに酔っていたし、武装もしていなかった。 

 憂さ晴らしに殴りつけるには、くみしやすい見た目だった。

 拳が迫ってきても、逃げる様子もない。

 動けないでいる、と相手を勘違いさせるには十分な条件が揃っていた。


 男をひきつけたクロノスは、素早くその懐に入りこんで、掌底を顎にしたたかに打ち込む。バランスを崩したところで肘を喉にあて、思い切りよく身体に回し蹴りを入れ吹っ飛ばした。

 予期していなければ、目で追うのも困難なほどの連撃。

 立ち尽くした三人の男も、一瞬何があったか理解できないかのように目を瞠る。

 ふいっと軽く息を吐いて、クロノスは明るく言った。


「次行く?」


 じわりとその得体の知れなさが沁みて、残る三人は明らかに狼狽したが、ひくにひけないとばかりに各々武器に手をかけた。

 目を細めて、クロノスはそれを見ていた。


 往来にて一触即発の機運が高まった、まさにその時。


 遠くで、悲鳴が上がった。

 空気を震わせるそれは、一人二人のものではなく、尋常ではない様相を呈している。

 悲鳴はおさまる気配はなく、パニックが凄まじい早さで伝播してくる。 

 顔を上げて耳を澄ませていたロイドが盛大に悪態をついた。


「マジか。動いたのか……!」

「何か見張っていたのか」

「ベヒモス。姿が見えなくなった奴がいたって聞いて、気にはしていたんだけど。まさか」


 ロイドのライフワークは魔物と人間の境界線の維持。その線に抵触したらしき同族の動きを感知して、悔し気に顔を歪める。

 ルーク・シルヴァもまた眉間に皺を寄せた。

 悲鳴や怒号に「魔物だ!」という騒ぎが紛れているのを、二人の耳はたしかにとらえていた。


「行きます」


 短く宣言し、不意にクライスがロイドの手を離れて走りだした。

 フードがはずれて、癖のある赤毛がこぼれる。

 ほんの一瞬、ルーク・シルヴァに目を向けた。水色の瞳には、どんな感情も浮かんでいない。それどころではない、と。

 警鐘に突き動かされているかのように、瞬く間に駆け抜ける。

 そのすぐ後ろに、クロノスが続いた。

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