第16話 Heart of glass(中)

 赤毛の青年ロイドとともに、客人として王宮の貴賓室に通される。

 部屋は二部屋用意されたが、ひとまずリュートとロイドは一部屋に入って顔を合わせた。


「まずは、久しぶりだな。よく来た」

「そうだねー。ルーク・シルヴァがどこぞの王宮にいるとは聞いていたんだけど、えーと?」


 水を向けられて、「ああ」と頷く。


「普段はこの顔は隠しているんだ。通りすがりを装うために敢えて素顔をさらしていたら、お前が現れるし、昔の名前で呼んでくるし」

「まずかった?」


 まったく悪気ない様子に、見せつけるための溜息などをつく気にもならず。リュートは腕を組んで言った。


「べつに。その名前が人間の間で知られているわけでもない。しばらくはそれで通すさ。適当なところで姿をくらますよ」

「そっかー。それにしても、派手な見た目だよね。オレはなんていうかこう、人間の男性型はちんくしゃなまま年を取る気配もないんだけど。ルーク・シルヴァは人間型でも現役魔王で通じるよ」

「やめてくれ、それはもう廃業している。今はのんびり暮らしているんだ」


 昔の話に取り合う気はないと言外にも告げれば、ロイドもまた心得たように頷く。


「それで……、今日の飛竜たちはなんだったんだ?」


 クッションの積まれたソファに身を投げ出したロイドは、頭の後ろで指を組んで枕にしつつ、「うーん」と呻いた。


「オレにも正直よくわからない。見つけたときにはもうおかしくなってた。……混乱する魔法でもかけられたか、薬でも使われたか。誰に? って話なんだけど。いずれにせよ、正気に戻る様子はなかったから、やむなく」


 声に交じる苦いものに気付いて、リュートは頷いてみせた。


「わかっている。責めているわけじゃない。同じ竜族としてお前の方が思うところもあっただろう。人間を助けてもらって礼を言う」

「オレが助けたかったのはあいつらの後ろにいる同族全部だよ。人間を傷つけさせるわけにはいかない。互いの領域を侵すことがあれば、後々面倒なことになる」


 少しの間、沈黙があった。謎は謎のままでどちらからともそれ以上実のある話は出なかった。

 ふと、リュートが人の気配に気づいてドアに顔を向ける。遅れてノックの音がした。


「何か」


 硬質で、よく響く涼しい声で応じる。

 変な間の後に、どこか焦ったような女官の声がした。


「夕食会までの間に身支度のお手伝いをせよと言われて参りました……! 着替えをお持ちしています、ただいま湯の用意もしています!!」


 ソファから身を起こしたロイドが欠伸交じりに呟く。


「湯の用意なんか、オレらにやらせればいいのに。水を何回も運んだり火を起こして適温に沸かしたり、人間には手間のはず」

「そうだな。それが宮仕えの者たちの仕事とはいえ、俺たちの手が空いている以上、あまり効率的ではないな。止めるか」


 リュートもなんでもないことのように応じると、その足でドアまで向かって勢いよく開いた。

 詰めかけていた女官たちが、三、四人バランスを崩しながら部屋に踏み込んでくる。

 当人たちは焦っていたが、リュートは気にした様子もなく言った。


「魔導士だ。できることがあれば手伝う。湯を用意するなら自分でする。他に何か?」


 すらりとした美貌の青年の、そっけないながらも親切な言い分に、女官たちは皆頬を染めて、声にならない悲鳴を上げる。

 多少予期出来ていた反応だが、リュートは内心やや引いていた。

 見渡すと、呆然としているアンジェラが最後尾に立っていることに気付く。

 目が合った。

 内緒だぞ、の意味を込めてリュートはすばやく唇の前に指を一本立てて、小さく頷いてみせた。


 * * *


(見たこともない魔導士が、聞いたことの名前でリュートのことを呼んでいた。しかも、素顔をあんなに大勢の前にさらして……)


 戦闘に向かい、気持ちを奮い立たせることで女官ショックからは回復しかけていたのに、またもや理解を超える事態に遭遇して、クライスの心は疲弊していた。

 リュートはどういうつもりなのか。

 聞いてみたいけれど、近衛騎士たちもまた緊急配備の打ち合わせをしたり、持ち場を決めて警備にあたったりと、自由はない。有事の後だけに、仕方がない。

 クライスのことを何かと気にかけているカインは、なるべく割り当てを軽くしようと画策してくれているようだ。夕方になると、翌朝の警備の担当にまわすため、今日は休むようにと通達された。


「ゆっくり休めよ。この間みたいに、夜中に抜け出て彼女のところに行ってないか、部屋まで確認しに行くからな。言うこときかないなら、オレが添い寝してやる」


 カインに念押しをされ、クライスは言い返す気力もないまま頷いて隊舎に戻った。

 しかし、部屋で寝台に横たわっても、身体は先の戦闘の影響により緊張したまま。

 心も全然休まらない。

 身動きもしないままでいたが、ずいぶん時間が経過してしまった。

 気が付いたら部屋は薄暗くなっていた。カーテンでもしめるかと立ち上がったところで、ドアをノックされる。


「クロノスだ。クライスの部屋はここで間違いないか?」

「間違いです。クライスはいません」


 あまりの面倒くささに律儀に居留守をしたのに、クロノスには完全無視された。


「少しいいか? 話がある」

「ドア越しでお願いします」


 鍵もかけているし、無理には押し入ってこないだろうとわかった上で、クライスはドアの前に立つ。

 クロノスもまた、それ以上踏み込む気はないらしく、そのまま話し始めた。


「今日の件だ。あの、旅の魔導士の顔を見たか? 銀髪の方だ」

「僕の位置からは遠かったので、よく見えませんでした」


 嘘だ。

 髪型が変わっていたことにも気づき、なんとしてでもと目を凝らして見た。


(ものすごく男っぽかった。リュートは普段から男っぽいけど、雰囲気まで全然違った……)


 思い出しただけで、なぜか頬が熱くなる。


「オレは近くでよく見たんだが、ルーナによく似ていた。名前は、ルーク・シルヴァというらしい。ロイドという赤毛の男とともに旅の魔導士を名乗っているが、もしかしてルーナの血縁じゃないだろうか。さしずめ、兄……かな。王都には妹に会いに来たのかもしれない。お前、ルーナの家族構成聞いているか」

「詳しいことは何も」


 それどころか、ほとんど何も知らない。

 そうでなくても、リュートからは「天涯孤独」の一言で済まされている。あんな風に尋ねてくる古い友人がいるとも思わなかったし、違う名前もあるとも想定していなかった。


(普段のらりくらりしているけど……。今日の魔法、かなり高位だよね。見るからに派手だったし。判断も的確だった。あの若さで宮廷魔導士としてあれだけ優秀ということは、どこかできっちり修行を積んできているはず)


「クライス、提案がある。この後、あの二人を招いて国王主催の会食がある。警備か何かの名目で、お前も同席するか? もしルーナの血縁なら、会って話しておきたいだろう?」


 ドア越しから聞こえるクロノスの声に、はじめてクライスは好意的な思いを抱いた。

 鍵をあけ、思わずドアを開けてしまう。


「本当ですか!? クロノス王子もたまにはいいこと思いついてくれるんですね!!」


 無礼千万の物言いだったが、突然飛び出してきたクライスに対し、クロノスはおっとり笑って言った。


「たまには、というのは余計だが。飛びついてくれて何よりだ。待っているから、顔を洗って服を着替えてこい。祭典用の正装だ。揃わない小物があれば、簡易でも構わない」

「了解しました! すぐに!!」


(ぐずぐず考えているのは、僕には合わない)


 クライスは自分自身に言い聞かせる。

 実際に会食の間話すことができるかはわからなかったが、少しでもリュートのそばにいけるのは嬉しい。しかも、クロノスがこう言ってきたということは、二人で話す時間も作れるかもしれない。

 そう思うとがぜんやる気が出てきて、大急ぎで身支度をした。


 女官と歩いていたこと、顔をさらしたこと、知らない名前を持っていること。

 気にはなっているけど、文句を言いたいわけじゃない。

 ただ、顔を見て話したい。それだけなのだった。

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