第15話 Heart of glass(前)

(女の子と歩いてた……。すごく楽しそうに話してた……。しかも僕のことは完全無視だった)


 王宮内で、「リュート」と知り合いであることを伏せておくというのは、あらかじめ話し合っていた。

 対応としては何も間違いではない。

 むしろクライスの反応がおかしかった自覚はある。それでも。


(そんな親しい相手がいるなんて、今まで聞いたことないんだけど)


 正しくは、話題にしたことがない、だ。

 クライスの知る限り、リュートは常に一人でいた。顔を隠し、誰と親しくするでもない。普段から髪や眼鏡で隠していたし、誰にも関心を持たれないように心を砕いているように見えた。だから、聞かなかった。

 少し、調子に乗っていたと思う。

 自分が一番親しいと疑わなかった。恋人のふりも快くしてくれたし、何かと嫉妬までしてくれるから、好かれていると信じていた。


(リュートに女の子と恋愛する気があるなら、僕は眼中にない?)


 偽装恋人の期間が終わり、ほとぼりがさめたら、別の誰かのところにいってしまうのではないだろうか。

 今まで見ないできた、考えないできたことを不意に突きつけられてしまった。


「クライス、お前変だぞ。具合でも悪いのか」


 顔色を失ったままのクライスの肩を抱き、カインが額に掌をあてた。


「熱はないみたいだけど。今日はもう休め」

「何言ってんの。まだ陽も落ちてないよ」


 弱々しい声で言いつつ、クライスはカインを見上げる。額の手に手を重ねて、はがす。

 もう一度くらいあの二人とどこかですれ違わないものかと、ぐだぐだと哨戒にかこつけて王宮内を歩き回って、収穫もなく。

 さすがに業を煮やしたカインに、額を拳で優しく小突かれた。


「無理するなよ」


 クライスは重い溜息をついた。


「ごめん。溜息が勝手に出る。迷惑かけたくないし、鬱陶しい感じになりたくないのに。現状、なってる。理由は言えないけど、落ち込んでるんだ。ごめん」

「何があったか知らないが、謝る必要はない。いいから。ほら、抱っこで隊舎のベッドまで連れていってやろうか」


 冗談めかしたことを言いつつも、カインの瞳はそのときまったく笑っていなかった。

 クライスの一挙手一投足を心配そうに見つめていた。


「子どもじゃないよ。それにまだ仕事がある。だろ?」


 柔らかく微笑むクライスは、カインの真剣さに特に気づいてはいない。


「心配だな。一人にはしたくない」

「ありがとう。だけど、そこまでじゃないよ。僕の、ただのわがままなんだ」


 なおもカインが何かを言い募ろうとしたそのとき。

 鋭い叫びが空を裂き、二人は顔を見合わせることもなく弾かれたように走り出した。


 * * *


 最近城下で話題という、クレープ店で甘いクレープをつまんで帰ってきたところだった。

 城門付近で叫び声が上がり、門から次々と走り出て来る者たちがいた。

 魔物、という言葉が飛び交っている。


「中で食い止めるから、今は誰も入れるな!」


 並んで城門を見ていたリュートと女官の背後から、人影がひとつ、声を張り上げながら走り抜けた。


(クロノス!)


 その背を見送って、リュートはすばやく思案した。

 宮廷魔導士として、防衛戦には参加すべきだ。とはいえ、リュートの姿で目立ちたくはない。

 中には近衛騎士も詰めているし、クロノス王子も向かった以上、侵攻そのものは食い止めるだろ。しかし、先日のこともある。できればその場に行き、自分の目で確かめたい。


「アンジェラ。頼みがある。少し預りものをして欲しい。後で受け取りに行く」


 リュートは、知り覚えたばかりの女官の名前を呼んだ。

 門を遠巻きにしている人々から外れるように、後退を促す。

 周りの注目が向いていないことを確認してから、フードをはだけて、ローブをひと思いに脱いだ。

 露わになった顔にアンジェラが息を呑むのがわかるが、仕方ない。ローブを適当に畳み、黒縁眼鏡も外してその上にのせる。

 見た目は白のシャツに黒のズボンの普通の青年の姿。


「様子を見て来る。声がかからずとも働く真面目人間とは思われたくない。これは『変装』だ。俺のこの姿は、内緒だ。誰にも言うなよ」


 あとで暗示をかけるなり、記憶に干渉しようと思いながら、アンジェラの目を見て言い聞かせる。

 驚きに鳶色の目を見開きながら、アンジェラは頷いた。それを見て、リュートは口の端に微かに笑みを浮かべて頷き、走り出す。

 門の前で兵士に制止されたが、足を止めぬまま強く睨みつけ、動きを止めるように魔力を叩き込む。振り切って、門の中へと急いだ。


 中に入ると外郭部分、前庭にはすでに数人の兵士や近衛騎士の隊服の者が展開しており、宙を飛ぶ魔物と向き合っていた。


(飛竜。火竜と氷竜か)


 頭の良い種族だ。理由なくこんな場所までくるわけがないし、話せば言葉も通じるはずなのに。

 目を凝らして見るも、何やら恐慌状態にあり、でたらめな飛行をしながら近づいたり遠のいたりを繰り返している。

 視線を流せば、近衛騎士たちを従える形でクロノスが対峙していた。


(……そうだな。騎士たちにはやりにくい相手だ)


 クロノスの顔を見ればわかる。魔法を使うタイミングを伺っている。

 とはいえ、それは奥の手のはず。リュートとしても、できれば使わせたくない。

 リュートは飛竜たちを見上げつつ、歩き出す。クロノスや、近衛騎士の面々が気付いて目を向けてくる。ちらりと見た限り、クライスの姿もあったが、知らないふりをした。


「誰だ……!?」


 リュートの際立つ容姿に目を見開いたクロノスに、鋭く誰何される。

 直接答えずに、リュートは進み出た。


「炎のブレスと氷のブレスを吐いて来る。魔法の加護がなければ分が悪い。防護壁を展開するから、下がっていろ」

「魔導士か」


 クロノスの横に立ち、飛竜から目を逸らさずに手を上げ、空に簡易の魔法陣を描く。

 まさにそのとき、火竜が炎を、氷竜が凍てつく氷を吐き出してきた。

 間一髪、リュートの防護壁が広範囲に広がり、背後の近衛騎士たちを包みこむ。完璧に防いだ。


「ずいぶんと気が立っているな。さてどうしたものか」

「魔族と交戦経験がありそうだな」


 クロノスが顔を向けてくる。

 お前もな、と言いたいのは堪えてちらりとだけ視線を向けた。


「飛ぶ相手だ。外皮も固いし、あのブレスがある。騎士たちには分が悪い。俺に任せろ」


 恐ろしく何か言いたげな視線が痛い。

 取り合わずに、空を見る。


(言葉が通じそうには見えないな……。何があった?)


「おーい、オレにまかせろー」


 緊迫した空気の中、何者かの間延びした声が届いた。

 どうやって上ったのか、城壁の上に小柄な人影が立っている。

 誰だ、と妙なざわめきが走るが、その人物は城壁の上から身を躍らせた。堕ちるにしては若干緩やかなスピードでふわりと地面に降り立つ。

 炎のような赤毛が目をひく。黒のボレロと同色の袴状の法衣を身に着けた青年だった。

 リュートが微かに息をのむ。

 青年は、的確にリュートを見てにやりと笑った。幼く、人好きのする印象の笑顔だった。


「あいつら、もう駄目だ。オレも説得を試みたが、そういう感じじゃないんだ。息の根を止めるしかない」


 言いながら、リュートのそばに来て、身長差から見上げつつ、決然として言う。


「オレがやる。話は後でゆっくり聞いてくれよ、ルーク・シルヴァ」

 

 止める間もなく、青年はリュートのかつての名を口にした。

 古い知り合い。青年もまた、魔族。

 青年は、飛ぶ竜たちを見上げて、口の中で呪文を唱え始める。

 リュートはその肩に手を置いた。


「氷竜を任せる。火竜は俺がやる」


 互いに、同族である魔族に殺戮の魔法を向ける痛みを知りながら、最小限の指示で役割を分け、リュートもまた背中合わせに呪文を唱えた。

 二人の魔法がほぼ同時に発動し、飛竜たちに襲い掛かる。

 氷竜には炎系、火竜には氷系。いと強き種である竜たちを打ち滅ぼすには必要十分な強烈な魔法。


 その的確な対応を、クロノス王子がじっと見ていた。

 どこかでクライスも見ているだろうが、今はどうにもならない。

 飛竜が地に落ち、戦闘の終了が誰の目にも明らかになったとき、クロノスが二人に向かって言った。


「見かけない顔だが、魔導士だな?」


 リュートが答えるより先に、青年が背の高いリュートの肩になんとか腕をまわしながらにこにこと答える。


「はい、そーです。旅の魔導士です。ピンチだったみたいなんで、駆けつけちゃいました」


 クロノスの物言いたげな視線は、リュートの美貌に据えられている。

 多少容姿をいじって誤魔化しているとはいえ、他の者はともかく、間近でルーナを見ているクロノスからすれば、髪の色も目の色もやはり気になるだろう。


(面倒な……)


 今は青年に合わせて素知らぬふりをし、旅の魔導士を装うことに決めた。


「見事な手際だった。歓迎する。食事の席をもうけるから、このまま城に留まってくれ」

「マジでー!? やったー。最近ろくなもの食ってなかったから。超楽しみー!」


 赤毛の青年が心底楽しそうに声をあげる。

 魔法の冴えとは裏腹の、能天気な様子に周囲が戸惑っているのがわかる。


(相変わらずだな)


 リュートもまた、つられて唇に笑みを浮かべた。気付いたように顔を向けてきた青年が、くりっくりの目に面白そうな光を浮かべて言う。


「もちろんお前も招待されるんだよな、ルーク・シルヴァ?」


 気持ちの上では断りたかったが、さりげなく立ち去るのも難しそうな状況に、渋々と頷いた。


「そうだな、ロイド。少しくらいなら良いか」


 名を呼んでふっと笑うと、旧友はなおさら嬉しそうに満面の笑みを湛えて頷いた。

 なお、背後では肩を寄せ合っていた女官たちがいたが、突然現れては近衛騎士たちよりも目覚ましい活躍をした美貌の青年リュートに熱い視線を向けており、早くもきゃーきゃーと興奮した声を上げていた。

 その横で。

 抜いた剣をおさめることもなく、クライスは呆然と立ち尽くしていた。

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