第三章 王子の本分

第14話 すれ違い

 髪型を変えよう、と思い立った。


 リュートとルーナに共通する、ウェーブがかった長い銀髪。

 ルーナの顔が売れた以上、そちらを変えるよりはと、男性型リュートの髪をストレートにし、肩につく程度の長さに調節して、後頭部で左右から集めた髪を軽く一房結ぶ。ごつい黒縁眼鏡をかけると、翡翠の瞳の鋭い眼光もやや薄れた。

 これで、万が一灰色ローブから顔を見られることがあっても、即座にルーナと結びつけられない程度のイメチェンに成功したはず。


(クライスは少し驚くかな)


 自室で鏡を見つつ、リュートはふと思いを馳せる。

 この髪型の欠点らしい欠点と言えば、長い髪で顔を隠すことができないことだった。

 眼鏡で誤魔化してはいるが、顔だちがかなりはっきりと出てしまう。端的に言って、男感が増している。ルーナとの共通項が減るのは歓迎だが、これはこれでクライスに男を意識させてしまうのではないか、と多少気がかりではあった。

 クライスはこのところ以前より格段に柔らかい表情を見せるようになっている。リュートといるときだけならいいのだが、果たして──


 男だらけの職場に身を置き、あろうことか男の上官に見初められているという立場、本当に今のままで大丈夫なのかとふとした場面で不安が湧き上がってくるのだ。


 だからといって、奪って逃げるわけにもいかず、見守るしかないのだけれど。


 * * *


 王宮の廊下を、何をするでもなくリュートはぶらりと歩いていた。


 実際に宮廷魔導士はかなり恵まれた身分だった。

 普段は王宮内の設備の魔力的な調整が主な仕事。時折数人集まって文献研究をしたり、持ちかけられた不可思議領域の相談に乗る以外には、比較的自由に過ごしている。

 有事の際には魔法での防衛や応戦という役目がある。そのため、修行をして日々魔法を磨いているという建前があり、他の者は実際にそうしていた。弟子をとって後進の育成に努めている者もいる。


 リュートはといえば、修行をしているという建前にどっぷり乗っかって、その実ほとんど何もしていなかった。痩せても枯れても元魔王、いざとなればそこらの魔導士など束になってかかってきても蹴散らす自信はある。抜き打ちで魔力のテストなども、「どーぞどーぞ」のふてぶてしさである。

 

 その日、ふと気づくと目の前にやけに足の遅い女官がいた。


 きっちり編まれたおさげ髪に、飾り気のない紺色のワンピース。背はクライスよりは低い程度だろう、中肉中背で特段気になる点があるわけでもない。ただ、歩みが異常なまでに遅い。

 追い越そうと横に出て、何気なく視線を流して(ああ)と気付いた。

 およそ、その体格の人間が一人で運ぶのは不可能であろう量の本を両腕に積み上げていたのだ。前もろくに見えていないだろう。

 そのときのリュートは暇であったし、王宮から手当てを受け取っている手前、多少の仕事ならやぶさかではない、という程度の気持ちもあった。特に裏もなく、もちろん下心などもあろうはずがなく、腕を伸ばして女官の腕に二冊ばかり残してほぼすべての本を持ち上げた。


「あれ、やだ、落とし……!?」


 声もかけなかったせいで、当然女官は小さく悲鳴を上げた。驚かせたことに気付いたリュートは、ごく穏やかな声を心がけて行った。


「落としてはいない。手伝う。どこまでだ」

「どなたですか……?」


 リュートは下から顔を覗き見られないようにさりげなく前を向きつつ「宮廷魔導士」とぶっきらぼうに答えた。


「魔導士様ですか。普段関わりがないので、すみません。重くないですか」

「少なくとも俺は、君が持っているときほどの重さは感じていないと思う。よくこんなに一度に運ぼうと思ったな」

「それは、何回にも分けるとぐずとかのろまとか……」

「誰だよ。ひとに物運ばせておいて、つまんねえこと言う奴だな。軽くしめておくか」

「しめ……、いえいえ! そんな、とんでもない! あの、その、王子なんです」

「なおさら許せる気がしねーな」


 普段通りの言葉遣いで、受け答えで。

 ろくな宮仕え文官に擬態をする気もなく、呼吸するように暴言を繰り出すリュートに、並んで歩きながらおさげ髪の女官がふきだした。


「第三王子の、イカロス様です。まだ少しお子様といいますか、どうしても少し意地っ張りなところが。本当に嫌な方というわけではないんですよ。ただ、すこーし」

「生意気で意地悪なクソガキなんだろ。わかった。しめよう」


 王族に対しての好感度はほぼないに等しいリュートは、速やかに決断を下した。その間、女官はずっとクスクス笑っていた。

 やがて、目指す王子の部屋に着くと、「本をのせてください。慣れない人が部屋に入ると嫌がるので」と女官が言った。リュートは逡巡したが「大丈夫です。ドアを開けてくだされば」と重ねて言われて、渋々本をその腕にのせ、ドアノブに手をかける。そのとき、女官が素早く言った。


「わたし、この仕事で今日は終わりなんです。すぐに戻ってきますから、少しだけここで待っていてください。お礼をさせて欲しいんです」

「べつにいいよ。そんなつもりじゃない」

「いいえ! 絶対に待っていてください!」


 押し切るように言うと、リュートを促してドアを開けさせて、中へと入っていく。

 待つ必要性は何も感じないリュートであったが、一言もなく消えるのもやや気が引けて、結局その場で待ってしまった。

 宣言通り、いくらもしないうちに戻ってきた女官は、満面の笑みを浮かべて言った


「さて! それではちょっとお出かけしませんか? 城下に最近、すごーく美味しいって評判のお店があるんです。お時間大丈夫ですか?」


 興味がない。

 そう言って断ろうとしたリュートであったが、ちょっとした思いつきによってその言葉を飲み込んだ。


(そろそろクライスもまたデートだなんだと言い出すかもしれないし……。評判の店のひとつでも知っておいてもいいか)


 何しろ、クライスは実はそれほど手馴れてないという。デートとなればまたさんざん下見などをするつもりだろう。それはクライスにだけ負担だし、自分も多少心待ちにしていたのを態度で表しても良いかな、と考えたのであった。

 それが波乱のはじまりだとは、そのときはまったく考えなかった。


 * * *


 近衛騎士隊の仕事の一環として、王宮内の哨戒に出ていたクライスとカインである。


 隊の中でも屈指の使い手の二人を組ませるのはどうかという向きもあるのだが、その辺はカインが隊内で何やら大いに立ち回り、政治力を発揮し、異論を完封している。なお、それはクライスの知るところではない。やけに同じ組み合わせになるなくらいに思っている程度であった。

 

「平和だよね……。先日は王宮の裏手に魔物が出たって聞いたけど、あれ以来何もないし」


 騒ぎにしたくないとの意向から、緘口令が敷かれた形でようやく情報が下りてきたところであった。

 クライス自身は、リュートに「クロノス王子と何してたの!?」と問い詰めた結果、先に聞いていたのだが、吹聴などはしていない。


「魔物、魔物、さて……。下級の魔物だったとは聞いたが。今後何があるかわからないし、腕鳴らしにオレも経験積んでみたかったな」


 カインが何気ない調子で言う。それに対して、クライスは眉をひそめて複雑そうな表情をした。


「相手が魔物とはいえ、無駄な殺生はどうかな……。本当に理性を失って、人を傷つけるために向かってくるなら仕方ないけど。そうでもない限り、いきなり殺す必要もないと思う」

「先の勇者様が、魔王と相打ちした折に、魔族側とは取り決めが成っているからな。こちらが明確な攻撃を受けたならともかく、ただの迷子かもしれない魔物を打ち取ったら、それこそ魔族が黙っちゃいないだろうさ」

「そうだよ」


 ちょうど、王宮の棟と棟を結ぶ、屋根のない回廊に出た。

 燦々と注ぐ日差しの中、さあっと吹いた風に赤毛をなぶられて、クライスが目を細める。

 その様子を、カインがもの言いたげに横から見ていた。

 いくらも歩かないうちに、クライスが唐突に足を止めた。


「どうした?」


 尋ねながら、カインは視線の先を追って、道の向こうから歩いてくる人物を確認する。

 紺色のワンピースを着た女官と、やけに背の高い、灰色のローブの人物だ。顔はすっかり隠れているが、おそらく男で間違いないだろう。並んで何かを話しながら歩いて来る。おさげ髪で少し幼い印象の女官が、実に楽しそうな笑い声をたてていた。

 クライスは、その様子を、目を真ん丸にして見ていた。


「クライス? なんだ、何が気になってる?」


 珍しい反応に戸惑い、カインはクライスの目の前で手をひらひらとさせてみる。

 その手を鬱陶しそうにがしっと掴んで、クライスは前方からくる二人を見つめ続けていた。やがて、すぐ近くまで来る。すれ違い様に、女官は笑みを浮かべたまま軽く会釈をした。カインも目だけでにこりと笑って答える。灰色ローブの男は顔を隠したままなのでよくわからなかった。クライスもまた、二人を凝視しているだけで、ろくな挨拶もしない。


「確かあの子はイカロス王子付きの女官だ。気が利いて、温厚な上にさっぱりした性格で、気難しい王子をよくあしらってるって聞いた覚えがある。名前は……なんだったかな。隣の灰色ローブは、たしか宮廷魔導士のはずだ。あんなのがいたと思う。……クライス?」


 もはや姿が見えなくなったというのに、二人の去った方角を未練がましく見ている。


「どうした? お前にはルーナ殿がいるだろ?」 


 本当にわからないといった様子でカインは首を傾げた。

 クライスは、不意にカインを険しい顔で見上げると、腕に手を回してぐいっと引っ張った。


「なんでもない。ちょっと気になっただけ。僕の気のせいだよ、行こう」


 そのまま、ぐいぐいと引っ張りながら歩き出す。

 別段、腕を引かれなくても歩けるのだが、カインはいぶかしむ表情ながらもクライスのするがままに任せていた。

 傍目には、腕を組んで歩いているような光景だった。

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