第17話 Heart of glass(後)
「国王夫妻は、今日は外に出ていて、戻らない。王宮内で魔物が出たということで、念のため安全を確保して後の帰還を、と。せっかく招いたのに申し訳ない」
食事の席にて。
第一王子のアレクスが、客人二人に丁重に謝った。
「べつに王様に会いに来たわけじゃないから、構わないよ。な、ルーク・シルヴァ」
赤毛の魔導士ロイドが、気安い調子で答える。
ルーク・シルヴァことリュートは、厳粛な面持ちで、頷いた。
その場の誰もが目を奪わずにはいられない、白皙の美貌。
用意された礼装を隙なく見事に着こなし、所作もうつくしい。
視線を流すだけで給仕の者たちが手を震わせたり顔を赤らめたりしている。
(知っていたけど。様になり過ぎてる……)
クライスはクロノスの後ろに立っていた。
近衛騎士の正装に身を包み、真面目くさった顔をしているが、内心はあまりにも皆がリュートの美貌に注目していることに気が気ではない。
友人であるロイドも、発言はさっくばらんであるが、シルバーの持ち方やグラスの傾け方に至るまで流麗でそつがなく、上流階級の出を思わせる。王族の会食に通りすがりの旅人が偶然招かれたとはとても思えない空気だった。
それは招いた側のアレクスやクロノスも痛いほど感じているのが伝わってきた。只者ではない、という緊張感が漂っている。
「ときにルーク・シルヴァ殿は、何か用があってこの国に立ち寄られたのですか?」
問いかけに、リュートはわずかに目を伏せつつクロノスに視線を流す。クロノスは居住まいを正すと、勿体ぶらずにより直接的に続けた。
「実は、あなたによく似たひとに会ったことがある。年齢的に、妹御かと思うのだが」
(言った)
耳を傾けていたクライスは身構えた。クロノスは、ルーナの件を単なる餌にしたわけではないらしい。
リュートより先に反応したのは、ロイドだった。
「妹……!?
瞳を輝かせて、リュートに顔を向ける。
その他の面々は反応しそびれて、呼吸すら忘れたように凝固していた。
(「生き返った」?──)
リュートは空恐ろしいまでの気迫でロイドを睨みつけ、続けた。
「死んでいない方の妹の話だろ。ルーナのことを仰ってますね?」
後半はクロノスに向けて。
一瞬で殺気をおさめて、リュートが穏やかな声で言う。
息を止めていたクロノスは、唾を飲み込んで言った。
「そうです」
「まだ会っていませんが、息災なら何よりです」
そつなく言い切って、果実酒の注がれたグラスを傾ける。
その後、ロイドの明るい話しぶりやクロノスのとりなし、鷹揚なアレクスのもてなしで場の空気は持ち直し、会食は終わった。
「お二人にお願いがある。実は魔族の侵攻はこれが初めてではない。明日改めて見識をうかがいたい。お時間は頂けるだろうか」
アレクスの問いかけに対し、ロイドが二つ返事で請け負った。リュートは特に何も言わなかった。
様子を見ていたクロノスが、クライスに小声で話しかける。
「どうする。行くか?」
「行きます」
少なからず圧倒されていたクライスだが、クロノスの計らいには素直に感謝して、頷く。それでクロノスも決心したようだった。
「部屋まではこちらの騎士が案内します。今日はごゆっくりお休みください」
* * *
「飲み直す?」
クライスの先導に従いながら、ロイドがのんびりとした調子でリュートに話しかける。
「俺はいい。お前も今日は休め」
「そう? そこまで疲れているわけでもないんだけどな」
廊下の部屋順で、先にロイドを送ってから、リュートに用意された部屋へと向かう。
その間クライスは無言だったが、ドアの前に立ったときにクライスが開けるより先にリュートがノブに手を伸ばした。
「入れよ」
それまで一言も話す機会のなかったクライスは、ようやくほっと息を吐き出して頷いた。
リュートが先に入り、クライスが後に続くと待っていたリュートが後ろ手でドアを閉めた。
「それで? ずーっと辛気臭い顔してどうしたんだお前。アレクス王子もずいぶん気にしてたぞ」
目を細めて笑ったリュートに茶化されて、クライスはむっと表情を渋くした。
「王子の話はいいよ。リュートと話したかっただけなんだ。そばにいるのに全然見てくれないから。今日の昼間だって、すれ違ったの気付いていた?」
恨み言を言いに来たつもりもなかったのに、口を開けばぐずぐずと甘えたことを言ってしまう。
リュートは無言のままクライスの手を取って部屋の中に進むと、ソファに並んで腰を下ろすように促した。
「もちろん気付いていた。無視はしたけど。人前でお前と話すつもりはない」
(わかってる。そういう話だった)
「女の人といたよね」
「王宮勤めの人間と話すのは、そんなに不自然なことじゃない」
「仲が良さそうに見えた。友達なの? 一緒にご飯食べたりするの?」
「今日たまたま初めて話をして、食事をした」
何か、予想外のことを言われた。
クライスは、質問の形をとりながらも「馬鹿なことを」と否定されるのを期待していたのだ。見事に裏切られて、少しばかりぼうっとしてしまった。
「一緒に?」
「それと、彼女はリュートとルーク・シルヴァが同一人物だと知っている。後でフォローはするつもりだが、お前も気を付けろ」
「気を付けろって……何を!? だいたい、ルーク・シルヴァって何? それがリュートの本名なの?」
「そうだな」
確認して、肯定されただけなのに、目の前が暗くなった。自分はリュートのことを知らなすぎる。
「妹っていうのは」
思わず口にすると、間近で向き合ったクライスが身の危険を感じるほど、リュートのまとう空気が変わった。
「その話はお前とはしない。二度と口にするな」
お前とはしない、という明確な拒絶に打ちのめされる。
(お前とは? じゃあ、誰か別の人とならできるっていうこと? どうして僕は駄目なの?)
言いたいことはたくさんあるのに、喉につかえてうまく出てこない。
溢れるほどの文句を言ってしまうのも自己嫌悪に繋がるが、言えないのもまた苦しかった。
唇を噛みしめたのに、気を抜いたら嗚咽がもれそうになった。信じられない、情けない。
「今、僕、すごく嫌なことばかり考えてる。リュートの顔を見るのが辛い」
「そういう顔をしている」
平淡な口調で返されて、心配してもらいたかったわけでもないのに、喉がぐっと鳴った。もうだめだ。今日は帰らないと。このままいたら、もっと言ってはいけないことを言いそうだ。
そう思いながら、立ち上がろうとすると、リュートに手を掴まれてやや強引に引き戻された。
「俺はどうすればいい?」
「どうすれば、って……」
「このまま帰せばいいのか? それで俺が平気だと思うのか」
(本当は、髪型のこととか、話したいことは他にもあったのに……)
似合ってるよとか、カッコイイとか。
女官たちの反応を見る限り、リュートはそんなこと言われ慣れている。クライスが言うまでもない。
考えていたら、情けなくて本格的に泣きそうになってしまった。
「リュートは僕に秘密がいっぱいある……、聞かなかった僕も悪いんだけど。でも、聞いても話したくないこともあるっていうし。正直、どうすればいいかなんて、僕もわからないよ……っ」
やっぱり恨み言しか出てこない。口を開いたそばから後悔しかない。
「キスする? 何も考えられなくなってみるか?」
もしかしたら何もかも見透かしているのかもしれないリュートが、言うなり腕を伸ばしてきた。
抵抗する間もなく抱きしめられる。強く。
「やだ……。今はだめ。すごく嫌なことばっかり言った後だから。今、口の中、すごく苦いよ」
「へえ。試してみようか。そうだ、お前何か食っているのか。ずっと立ちっぱなしだったけど」
「少し。クロノス王子に、長丁場だぞって言われて、会食前に口にお菓子を詰め込まれた」
「ふーん。それはそれで楽しそうだ。その小さな口をこじあけられて、何をねじこまれたって?」
表現が。
そう思ったときには、後頭部を大きな手で固定されていて、リュートに唇を奪われていた。
もう片方の手は、クライスの指に指を絡めるようにして手を繋いでいる。
息苦しさに呻きがもれてしまい、クライスは唇を離した後に顔を赤らめて俯いた。
「落ち着いたか?」
「冷静に言われると、へこむけどね。僕だけ焦って、ばかみたい」
リュートは苦笑して言った。
「相当なへその曲げ方してるけど……。あまり長時間引き止めるわけにもいかないな。クロノスが気にしているだろう。今日はこの辺にしておくか」
余裕。憎らしいほどの余裕。しかし、ここで逆らっても仕方ないというのはクライスもよくわかっていた。何しろ仕事中。
「もう行くね」
「そうだな。王宮内だし、何があるとも思わないけど、気を付けろよ。今日のお前は本当にぼーっとしている」
ぼーっとする原因を作った男は小憎らしいまでに平然として立ち上がり、ドアの前まで送ってくれた。廊下に出る前に、クライスはためらいながら振り返って言った。
「死んだ妹さんは、ルーナに似てるの?」
「……そうだな。女性型をとるときにイメージはもらってるかもしれない」
さらりと肯定されて、「天涯孤独」の言葉の意味をクライスは噛み締めることになる。
「僕、一番最初にリュートにひどいこと言った。女性型になって、女の人の身体を……」
「気にしてねーよ。覚えてもいなかった、ばか」
リュートはそう言って、クライスを抱き寄せると額に口づけをひとつ落とした。
「おやすみなさい」
「しつこいようだけど気を付けろよ。おやすみ」
リュートは、いつも通りに優しい。
変なのはクライスだけだった。わかっている。
それでも、ドアを出て姿が見えなくなると、クライスはその場に崩れ落ちてしまった。
たったドア一枚隔てただけなのに、もう胸が痛い。
リュートがどこか遠くへ行ってしまったような気がした。
勝手に出てきた涙を乱暴に拭うと、のろのろと立ち上がる。
灯りとぼしい夜の廊下をひとり、歩き出した。
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