第2話 フェアリーテイル
「わああ。やってくれると思っていたけど、すごい可愛い。やばい。惚れる。僕だけの妖精……」
クライスは両手を胸の前で組み合わせ、目を輝かせて言った。
（やってくれると思っていた、ってなんだよ。なんだよその自信。俺にはお前のその妙な魅了の力、効いてないんだが。元魔王だぞ）
胸の中でさんざん毒づきつつも、声に出す気力はなく、リュートは額を手でおさえた。
繊手。長く細い指。血管が透けるほど色が白い。
その手に手を添えて、自分の胸元に引き寄せつつクライスが甘く囁く。
「指輪の一つでもしようよ。僕が買うから。ちょっと一緒に城下で買い物をしよう。せっかくだから可愛い服たくさん買おうね。ああ可愛いこの指……食べたい」
手に頬を寄せてきたので、本当に食べられるかと思った。
「アホか」
（お前こそなんだよ。汗臭い男に紛れてその綺麗すぎる肌やばいだろ。絶対悪目立ちしてる）
そんな本音も、もちろん口にはしない。
――女の子になってほしい。
打ち明けられた翌日、クライスが非番だというので、朝から宮廷魔導士としてリュートに与えられた私室に招いて、見せた結果がこれだった。
あらかじめ姿を変えて待っていたら、見た途端に飛びつかれて、顔にひっかけていた黒縁眼鏡は奪われて、舌なめずりせんばかりに喜色満面で全身眺めまわされている。
「灰色のローブを着ていたら、何かの拍子に同一人物ってばれちゃうかも。女の子の服持ってないかと思って、用意してきて良かった」
ぶかぶかのローブに埋もれていたら、白のドレスと赤いフード付きのケープを渡されて……。
「赤ずきんちゃんになれと。この俺に」
「声まで可愛い。なんなのそれ、僕を殺す気？」
少しばかり高い位置からのぞきこまれて、リュートは俯いて顔を逸らした。
リクエストにノリノリで答えたわけではないのだが、女性型をとることがあまりなかったせいで、うまく年相応の恰好ができないのだ。そのせいで、見た目はせいぜい十代半ば。男性型は二十代前半かそれ以上には見えるはずだし、身長もぐっと高いのだが、今はクライスに見下ろされる程度のサイズ感。
女性としてはそこそこ背の高い部類でも、ガタイの良い近衛騎士隊にあってはどうしても小柄なクライスは、現在のこの身長差にやけに機嫌をよくしている、ような気がする。
（さっきから惚れるとかやばいとか……。お前本当は女だろうが）
男として生活した日々が長すぎるせいか、殺し文句を惜しげもなく捧げながら覗き込んでくる水色の瞳の蠱惑的なこと。なるほど、それならば女官たちなんて端から全部撃ち落とせるだろうとしか言いようがない。王子の求婚を全力で嫌がってるあたり、実際に指向はそちらなのか。
「早く着替えちゃってよ。それ着て今日一日いっぱい遊ぼう」
「着替えてって……。お前どっかいけよ」
「なんで？ 男同士だろ。そんなの、近衛騎士隊では誰も気にしないよ？」
（気にしないのかよ！？ 普段どうやって生活してるんだよ、お前、男の目の前で普通に着替えてるのか！？ よくそれでバレねーな！！）
心の中で思いっきりつっこんだ後で（そもそも男同士どころか今は女同士なんだが）とさらにつっこめる要素に思い当たり……それを言うわけにはいかず。
どっと疲れた。
「いやあのな……。お前が構わなくても俺は構うんだよ。一応年端もいかない女の身体なわけだし。若い男にじろじろ見られたくないっつーか」
「僕が襲うとでも？」
「そこまで言ってねーけど……。あんまり見るなよ」
ぶつぶつと言うと、ふっと笑われた。おくれ毛のように一房垂らしたゆるく波うつ赤毛が揺れて、唇が魅惑的につりあげられる。
そのまま、至近距離まで顔を寄せてきて、低めた声で囁かれた。
「うん。僕のこと、よくわかってるね。さっきから目が離せない。だって可愛いんだもん」
「変態だな……」
「なんとでも言っていいよ。美少女リュートに怒られると、なんだかぞっ……くぞくする……」
リュートは呆れ切って溜息をついた。
クライスはひらっと手を振って背を向け、ドアの方へと歩いていく。
「ここにいる。女の子の服の着方わからなかったら、聞いてね。手伝っちゃう」
肩越しに振り返って、にこりと笑う。
非番ということもあって、クライスの服装はとにかくチャラい。着崩した白のシャツに、草色っぽいスカーフを首から緩く結んで垂らし、革の小物入れや鎖のじゃらりとついたベルトや布を巻き付け細い腰をカバーしている。すごく様になっている遊び人風だ。
（女の恰好なんてもうずーっとしてないくせに……。なんで服の着方なんかわかるのかね）
その話題に触れる気はないので、リュートはローブを脱ぎ、用意されたドレスに袖を通す。
打ち合わせたわけでもないのに、身体にぴたりと添うサイズ感を不思議に思いつつ、なんとか着込む。首から胸まで開いていることに気付き、渋々と赤のケープを肩にのせる。
「できたぞー」
と、言いながら振り返ると、すでにクライスは目を輝かせて近くまで来ていた。
「かっわ」
「いい。そういうのいい。というかなんで服のサイズぴったりなんだよ怖ぇよ。あ、でも胸は少しきついけど、こういうもんなのか？」
クライスの感動を遮って、リュートはそっけなく言った。全身を眺めていたクライスは、言われて気付いたように、ケープでそれとなくカバーされた胸元に視線を向ける。
「……巨乳？ まさかの！？」
「そんなにねえよ！！ 何期待してんだよばかかお前！！」
身の危険を感じるほどの興奮をむき出しにされて、リュートは思わず怒鳴りつけてしまった。もちろん、クライスは一切へこたれることなく、むしろ今にも掴みかかってきそうな嫌な手つきをしながら見て来る。
「可愛すぎ……。リュートさ、実際どうなの？ たまにそうやって女の子の身体になって、隅々まで堪能したりしないの？」
「しねーわ」
付き合うだけバカバカしいと切り捨てるように答えて、リュートはクライスの横を通り過ぎる。
何が悲しくて猥談を吹っ掛けられているか知らないが、人間の身体に興味なんかあるわけが。
（俺、魔王だし）
そういう目で人間を見て狩ったことはない。
強いていえば、ひ弱なはずの人間の身体を鍛え上げて、聖剣一本で挑んできた勇者には多少、興味はあったが。
（もうすでに死んでいる。いや、俺が殺したから、その肉体はもう滅びている。今はなんの因果か女に生まれ変わって、男のふりをしつつ俺の前にいるんだけどね）
クライスの生まれる前の話だから、本人に打ち明ける気はもちろんないのだけど。
「早く行くぞ」
「あ、うん。その魔法って、効果時間とかあるの？ 出先できれちゃったりしない？」
すぐに追いついてきたクライスが、「恋人のふりだから、お願い」と手を繋ぎながら言ってくる。
（……つっこむのも疲れるけど。今はこんなんだけど、お前女だし、俺は普段は男なんだけどいいのかよこういういの）
手を振りほどくほどの気力はないまま、げんなりしたのは隠しもせずに気のない声で答えた。
「効果時間というか、一度変化してしまうと、最低でも丸一日は戻れない。だから、念のため早朝に変わったんだ。昼間から変化すると明日の昼までまともな活動ができなくなるから……」
「マジで！？ ってことは今日は本当に一日デートし放題なわけだ！！」
全力で自分に都合の良い解釈をして大喜びのクライス。
水を差すネタは特に持ち合わせていないので、リュートはせいぜい嫌味っぽく溜息をつくのに留めた。
長い一日がはじまりそうだった。
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