こじらせ騎士と王子と灰色の魔導士

有沢真尋

第一章 策士のデート

第1話 男装騎士のたのみごと

 かつてこの世界には魔王がいましたが、聖剣を手にした勇者と壮絶な死闘の末に相打ちしました。


(と、いうことになっている。実際、勇者は命を落としている。亡骸は王都に運ばれた後、埋葬された)


「魔王を倒したら結婚しましょうね!」


 勇者と約束をしていた姫君は、悲嘆にくれました。

 しかしいつまでも悲しんでもいられないので、やがて隣国の王子と結婚し、二か国は併合されて大国となり、子宝にも恵まれました。

 王国はいまや何の脅威もなく安泰──。

 王宮における現在の最大の関心事といえば、年頃を迎えた三人の王子の結婚相手として見初められるのはどこの姫君、ご令嬢か。

 平和。


 王宮の裏庭、人気のない散策路の木の上で、リュートはうたたねをしていた。

 灰色ローブの宮廷魔導士。

 波打つ銀髪に翡翠の瞳。迫力ある美貌の持ち主であるが、凄みも威厳もすべて怠惰な眠りの前に色褪せ切っている。そもそも、普段からフードを目深くかぶっているし、縁のごつい黒メガネもかけているので、王宮内でも顔はほとんど知られていない。存在感もない。消し去っている。立身出世も望まず、適当に生きていくことだけを考えているので、本人は現状に満足している。

 何しろ、その素性は元魔王。


 決戦のとき。

 勇者の聖剣にずばっと切られて大出血した折に、魔力は半減していた。もはや魔族を従えるのは困難、弱肉強食の世界では落ちていくだけと知り、魔王は廃業した。

 魔獣の見た目を維持するのも困難で、現在はエネルギー消費の少ない人型を取っている。

 ちなみに長身痩躯の男性型だが、女性型もとれる。


 その後、なぜ王宮勤めを選んでみたのか。

 それは、かつてずばっと魔王を切ったあげくに、ざくっと魔王の爪で喉をひかっかれて死んだはずの勇者が。

 その勇者の魂を持つ転生者が、この王宮にいたせいだ。


 * * *


「リュートー? またさぼって昼寝してるー?」


 涼やかな声が近づいてくる。

 近衛騎士隊所属の若手有望株、クライス。小柄で華奢ながら鋭い剣裁きや身のこなしで並み居る強豪をおさえつけて現在出世街道邁進中。

 少し癖のある赤毛を首の後ろで束ねていて、瞳は水色。ぱっと見少女のような可憐な外見をしているが──。

 勇者の魂を持っている。


(そして、俺は最初から気付いているし。むしろなんで周りが気付かないのかわからないんだが)


 内に秘めた勇者の思いのままに、生まれ直してもまたかつての自分の道を歩もうとしてしているということか。女人禁制の近衛騎士隊にどうしても入ろうとしたらしく、素性を誤魔化しているクライスは、肉体的には女性だ。


「リュートー?」


(しかもなぜか。俺になついてしまった)


「いるけど。上」


 いつまでも名前を呼ばれ続けて、他に誰か来ても面倒という理由でぶっきらぼうに返事をする。


「良かった。話があるんだ。そっちに行く」


 下りてこいとは言わないで、するすると木をのぼってくる。


(俺は魔法の助け借りてのぼってるんだけど、よくやるよなーこいつ)


 危なげなく枝に手足をのせて上ってきて、リュートより一段高い枝に軽く腰を預けてから、見下ろしてくる。


「話?」


 膝の上で開いたままになっていた読みかけの本を閉じて、リュートが見上げると、クライスはにこりと笑った。


「やっぱり、上から見るといいね。リュートはいつも顔を隠してるから。もったいないよ、美形なのに」

「ああそう、ありがとう。話はそれだけ?」


 王宮内で素顔を知っている数少ない人間の一人。

 クライスはとうに女であることをやめている。そうでなくても周囲に男はたくさんいる上に、立場上第一~第三王子とも直に話せる。決して宮廷魔導士リュートに異性としての興味があるわけではないと思われる。ただ、どうしても何かが気になるらしく、暇な時間があればこうして頻繁にリュートの元を訪れる。


(何が気になるって、殺し合った仲だから? 何かしら感じるものはあるのかな)


「今のはただの挨拶だよ。僕、綺麗なひと好きだから」

「王宮内の女官に片っ端から愛想してるんだろ。知ってる知ってる。近衛騎士の中でも、女受けぶっちぎりでいいよなお前」

「普通に親切にしているだけのつもりなんだけどね」


(爽やかに笑いながら言うけど、誰かとどうにかなって女だってバレたらマズイのは自分のはず。あと、さすがに大っぴらじゃないけど、男にもかなりモテてるとか。本人は全然気づいていないんだよな)


 かつての勇者も、人に慕われるタイプだったらしい。クライスは、その特性をそのまま持ってきてしまったようだ。そういう意味では、女であることを隠して腕っぷし磨いているのはかなり本人のためになっているようには見える。


「それで。本題は何。俺昼寝で忙しいしあんまり時間潰されたくない」

「昼寝で忙しいって……仕事はどうしたんだよ」


 クライスは呆れたような顔で言って、手を伸ばしてくる。ごつい黒縁眼鏡のブリッジに細い指をひっかけて、止める間もなく奪い取ってから、ため息。

 ぶらりと眼鏡を指の先で揺らしながら言った。


「王子に求婚されちゃった」

「はー。そりゃ良かっ……、って王子? どいつ?」


 流しかけて、思わず聞き返したら、見下ろしてきた水色の瞳と視線が絡んだ。


「第一王子のアレクス様。僕が男でも構わないと」

「いや構うよな、構えよ、大いに構うだろ本人はともかく周りは。王位継承候補一位。男を王妃に頂くのはそりゃまずいだろ世継ぎとか」


 ……一応、状況に合わせて答えてはみたものの。


(実際は女なんだから色々明らかにしたら障害なんかないんじゃないか。というか本人さえその気になれば未来の王妃だぞ)


「そうなんだけど、王妃様が乗り気らしいんだよね。僕のことすごく目をかけてくれていて……。娘がいたら娶せていたけど、息子でもいいんじゃないかと気付いた、って」


(王妃……! 未練か。勇者の魂に勘づいたわけだ。で、なんとしてでも手に入れたくなったわけだ。気持ちはわかる。いやわからねえ。息子の結婚相手は自分の結婚相手じゃないし、一応こいつは今男ということになってるわけだし、王子の立場を考えたらそりゃ無理ってもんだろ)


 心の中では総ツッコミであったが、

1、クライスは元勇者

2、クライスは女

 という事実を、リュートは知らない前提なのでつっこむにつっこみきれず。


「どうするんだ」

「どうすればいいと思う?」

「断れよ。悩むところかよそこ。悩むってことは受け入れ余地ありなのか?」


 聞かれたから答えたのに、水色の瞳に不満そうに見られた。なんなんだよ?


「ただ断っても、断り切れないんだよ。世継ぎの王子の相手が男でもいいって、そこまでの条件をのもうとしている本人とその親。それが、僕の上官と雇い主でもある。生半可な断り文句じゃ無理」

「そうだな。思いとどまってくれていたら良かったのに」


 王妃のせいだ。

 とは、思うものの。


(第一王子のアレクス。クライスのこと気に入ってるって噂はあったな。まさか、結婚を持ちかけてくるとは思わなかったけど)


 王宮内の人間関係、勢力図。リュートとして、興味なさすぎてさほど知らないが、アレクスは盆暗ではないと聞いている。凛々しい青年で、お飾りではなく実力もきちんと備わっている、らしい。

 考えれば考えるほど、非の打ちどころのない相手と思わずにはいられない。

 しかも。

 クライスは、実際には女性なの。


「いちおう聞くけど、なんで駄目なんだ? 相手が男でもいいって言っても、クライスは駄目なのか?」


(そもそも駄目なのか? 「どうすればいいと思う?」と俺に聞くってどういう意味だ。俺も、なんでさっき「断れよ」って言ったんだ。そんなの、クライスの気持ち次第じゃないか)


 自問自答するリュートの横で、眼鏡を手の中で弄びながらクライスは呟いた。


「僕は現場の兵士でいたいんだ。王子に囲われる気はない。たいした家柄でもないし、恋愛も結婚も自由にしたい」 

「そうだなぁ……。世継ぎの確保のために、速攻で側室作るのも目に見えているしな」

「いやそのへんがまた。王妃様は、そういうのは好きじゃないから許さないって。世継ぎなんか他の王子のところに出来たらそっちで良いじゃないかと。なぜかアレクス様もそれに同意しておられる。自分の子にはこだわらないと」

「そこまで言われたら、もう逃げられないじゃないか」


 思わずリュートが言うと、クライスは眼鏡を握りしめて、恐ろしい形相で強く歯切れよく言った。


「い・や!」


 あまりに勢いがあったせいか、枝の上でぐらりと体勢を崩す。とっさにリュートが手を伸ばし、クライスもまた避難場所はそこしかないとばかりに胸に飛び込んできた。


「っ。お前……。俺が魔導士じゃなかったら、落ちていたぞ。気を付けろよ」


 咄嗟に浮遊術を使って、枝からの落下を防ぎつつ、腕の中のクライスに言うと、なぜか微笑まれた。


(俺、お前のこと一回殺してんだぞ)


 よっぽど言いたくなる。なんだその安心しきった顔は、と。

 リュートの気持ちなど知らぬクライスは、水色の瞳を細めてリュートの顔をのぞきこみ、朗らかな口調で言った。


「そこでね、リュートに頼みがあるんだ。リュート、前に魔法で女の人になれるって言ってたよね? できれば僕より小柄で並ぶとお似合い、みたいな感じでお願いしたいんだ。『婚約者がいます、裏切れません』と言えば諦めてくれるかもしれないし……。最悪王子の恋敵として、王宮を敵に回して命を狙われても、男の姿に戻っちゃえば追手をまけるでしょ? 名案だと思わない?」


 断らせる気などない、すっきりとした笑顔だった。

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